ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOL.2(リミックス)」

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOL.2(リミックス)」観ました。
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宇宙海賊ピーター。アライグマ(にさせられた)ロケット。女戦士ガモーラ。怪力ドラックス。「アイアムアグルート」しか言わないベビー・グルート。

 

前作で。宇宙を救った彼等。チームとして流しの惑星用心棒として荒稼ぎしていたが。

「何だよ!『リミックス』って‼『VO.2』やろ!ピーターのお母さんが編集したあのカセットテープをおもんばかれ!」冒頭から。血気盛んな当方。(なので今回はこういう表記で行かせて頂きます)

 

「正直あんまり前作は嵌らなかったんですよ。あの80~90年代の音楽センスとか。絶対大好き案件だったんですがねえ」

~なーんて。そんな事を真顔で言いながら。結局公開初日に映画館に体を滑り込ませる当方。

金曜日の夕方。昼間からさりげなく「今日は仕事終わりにガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVOL.2(リミックス)」と「スプリット」を観に行きますんで」と職場に告知。そして。奇跡的に、いつもは忙しい金曜日なのに予定仕事がきちんと終結。いつも何だかんだと居残って残務業務をする悲しい古株平社員の当方の弾んだ「用事がありますので、お先に失礼します!」

こんなにうきうきした金曜日は久しぶり。そんな高揚した気持ちも相まって。

 

「いや~。前作よりもずっと良かった。面白かった!」手放しに褒めて掛かる当方。

 

「個性的なキャラクターの立ち位置がはっきりした」「そして彼らに生まれた連帯感。信頼感。ファミリー感」「そしてテーマの『家族』これが完全に泣かせに掛かってくる」そういう所ですか。

 

「宇宙」という壮大な舞台で。人間の形をしたもの。そうでない者。肌の色のカラフルさ。持っている資質。何でも自由な設定を。前回そういうレギュレーションを追いかけて飲み込むのにそれなりに時間が要ったんだなあと思う当方。

 

「それに比べれば。もうそこを承知で観ている今回は。すぐ様世界に入っていける」

それがまた。イケイケでノリノリの戦闘シーンから。しかもあのちょっと懐かしい音楽に乗せて。そりゃあ話が早い早い。

 

全身きんきらきんのブルジョアな惑星ゾウリンで。怪物を倒して奪った鉱物を惑星のトップに渡したチーム。また宇宙放浪の旅へ…と思いきや、手癖の悪いアライグマが鉱物をネコババ

すぐさまゾウリンに追われる事になった彼ら。あわやピンチ…という時。助けてくれた「エゴ」という男性。

 

実は彼こそがピーターの実の父親であった。

 

下らなくて。テンポの良い会話。体よく現れる敵対チームの闘い…を延々見ていても何となく楽しそうではあったけれど。この「エゴ」が現れ。

そして幼かったピーターを半ば奪うようにして手元に置いて育てた。育ての親、宇宙海賊「ヨンドゥ」その二人の父親にぐっと焦点は移り。

 

「この続編のテーマは『家族』」まあ、そうでしょうね。

 

もう一組。「ガモーラ」とその妹「ネビュラ」の確執と衝突。そして…というストーリーもありましたが。ちょっとそこは割愛させて頂いて。

 

「何しろヨンドゥこそが今回の裏主役であったと。当方はそう思うから」

 

地球人の母親と恋に落ちて。母親を失って。ピーター少年はエゴの元に送られる予定であった。

 

エゴの国。『自称神』のエゴの作り出したその世界は、草花に覆われた美しい世界。他者が介入しない、穏やかで…正に桃源郷。なのに。

ヨンドゥはエゴにピーターを届けなかった。自分の持つ『宇宙海賊」というギャング集団に幼子を放り込んだ。結果ピーターは流れ者に成らざるを得なかった。

 

でも。それはある一つの視点。

 

「『エゴ』とはよく付けたものよ」

一見良さそうで。でもその実態は、確かに『エゴ』でしかなかったピーターの実の父親。うわべだけよさげな言葉でピーターを酔わせ。

でも結局は己の事しか考えていない。その為には相手をいくらでも利用する。

 

「本当の家族って奴はそういう事じゃないぜ」

 

一見最悪な生育環境であっても。それがその時のピーター少年にとってはベストアンサーであった。そして、不器用過ぎた『父親ヨンドウ』

 

「俺たちは赤の他人だ。でも、俺たちはファミリーだ」

 

加えて。今作で兎に角強調される「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー・イズ・ファミリー」「WE ARE THE WARLD」精神。

 

チームの誰かがピンチの時。俺たちはそいつを見捨てない。俺たちは何処まで行っても仲間だ。家族だ。もううるさい程に連呼。

 

「うるさいなあ」普段なら。鼻に付く当方ですが。

 

ボロボロになって。それでもピーターの父親であろうとした。そんなヨンドゥに気持ちを持っていかれすぎて。

 

「あかんねん。こういうの弱いねん」ぐずぐずにやられる当方。もうね。反則ですよ。あんなの。

ちょっとヨンドゥに話を割き過ぎました。

 

「まあ。アライグマロケットは安定のキレッキレぷりやったし」「ツンデレガモーラはあのままでよろしいし」「怪力ドラックスとありんこお姉ちゃんも良かったし」

他の皆さんも通常運転が心地よく。ああでも「ベビー・グルートは…あのままベビーが良いなあ~可愛いし癒されるし…」とは思いましたが。

 

続編として正しい作品。今までの流れを壊さず。かと言って飽きさせず。

もうシリーズ化は絶対の流れ。ならば是非ともこういう続編が続きますように。

 

「そして『リミックス』とかサブタイトルを付けてしまった日本の配給会社よ!もし次回作が「VOL.3」やったらどうするつもりだ!」

またもや。ちょっと思い出して。最後に荒ぶって騒ぐ当方。


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映画部活動報告「はらはらなのか。」

「はらはらなのか。」観ました。
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原ナノカ。12歳。もうすぐ13歳。芸能事務所に所属する子役だけれど。最近は伸び悩み。オーディションも不合格ばかり。

産まれた時にお母さんと生き別れ、お父さんと二人暮らし。最近お父さんの地元に引っ越してきた。

お母さんは女優だった。そんなお母さんに憧れて初めた子役の世界だったけれど。12歳は段々子役では無くなってくる。かと言って下手にこなれていても嫌われるし。

「透明な友達」私の分身は私の友達。多分もうすぐ消えてしまう、私だけの友達。

いつも動画で観ていたお母さんの舞台。お母さんの所属していた、この町の劇団。

たまたま。お母さんの演じていた演目の再演を知って。応募。そして選ばれた。

 

私は、お母さんと同じ舞台に立つ。

 

25歳。酒井麻衣監督作品。

主要メンバーの殆どが役名=芸名。チャランポランタン。不思議なミュージカル。前評判を聞いて。何だか気になって。観に行ってきました。

 

12歳。夢と現実。どちらも見ていていい年頃にみえるけれど…大人になる為には捨てなければならない世界がある。

「誰とも違う、特別な私」になりたい気持ち。12歳なのに歳を取ってしまった感。

出遅れたと焦るのに、足元をじっくり固めようと出来ない「急がば回れ

見たことのない「お母さん」を思い浮かべて。焦って。兎に角追いつきたいし何か触れたくて。

「兎に角。兎に角」

 

「焦らなくてもいいよ」

当方は歳を取りましたのでね。

この作品がそういうメッセージをはらんでいたのかは分かりませんが…当方は「ナノカのお父さん(=川瀬陽太さん。直人)」の目線でばかり見てしまいました。

 

12歳。停滞して。『売れない子役』というポジションにイライラする娘。でも。

 

12歳なんて。今すぐどうにかしないといけない事なんて何もない。寧ろ今は「普通の中学生生活とか」「部活とか」「友情とか」「恋愛とか」そういう事を体験して欲しい。だから自分の生まれ育った田舎に引っ越してきた。なのに。

「結局『芸能界』『役者』という事にしがみついてくる。見つけてくる。しかも。田舎に越してきた事に依って、それは都会で芸能事務所に所属していた時よりも悪い条件で」

「しかも、愛していた無き妻の所属していた劇団。そのいわくつきの演目に」

これは心配しますよ。しない訳がないですよ。

 

「ワタナベアカデミー賞助演男優賞。の川瀬陽太さん。宇野祥平さん」彼らが好きすぎて。だからこの作品も観た。そういう贔屓目があるのは、はっきり告白しますが。

「もうこんなおいちゃんの歳になったら、そりゃあファンタジーな12歳よりはその父親に気持ち入れちゃいますよ」もうナノカの父親パートにウルウルする当方。

 

心配でしかない一人娘。芸能事務所を契約期限でフェイドアウト出来ると思ったら、アングラ系地元劇団に鞍替え。心配して怒ったら家出され。行先は知っている相手ではあったけれど結局は劇団繋がり。娘には連絡も取れないし…。

「辛い。辛すぎる」一体お父さんが何したって言うんだ。なのに。

 

同じ学校(というか分校レベルの田舎)のきらきらした先輩に憧れ。先輩に一刻も早く追いつきたくて。認めて欲しくて。危なすぎる橋を渡ろうとするナノカ。

「そんな事より。折角騒いで獲得した役なら、そこに集中しろよ」

なのに。正直当方目線では…集中して、没頭している様には見えないんですよ。

先輩の歌のレベルは規格外。対して自分は児童ポルノスレスレの危ない案件に巻き込まれて。泊めてくれているメイド喫茶のお姉さんも気になるし。兎に角全方位に気を散らしすぎ。なのに。

 

「結局、演技って嘘じゃないですか」突然行き詰って。舞台稽古の休憩中にぶちまけるナノカ。結構唐突。そうなる下り、ありましたかね。当方は戸惑いましたが。

 

見たことは無い、女優のお母さん。自分以外には見えない「透明な友達」。

 

でも知ってる人も居る。お母さんの事を知っている、劇団の人たち。透明の友達は誰にも見えないけれど、いつも自分を支えてくれた。

 

けれど。彼らはやっぱり『見えないモノ』で。「透明な友達」も言っていた。「だんだん見えなくなってきているんじゃないの。そういうものよ」そういうもの。

 

お母さん。お母さんが居ない事は現実で。でも自分には「お父さん」が居た。

 

「お母さんのご飯が食べたいって言ったらね。朝。ご飯が置いてあったんだ」もうそのナノカが語りだしたエピソードで。そこまでちまちました文句を言っていた当方の目に涙が…だってあんなの…卑怯すぎる。

そこからは完全に川瀬陽太さんのターン。当方完敗。

 

自分の前に置かれた現実。それだって全然悪くない。

でも、夢を見ていた。それは甘くて。いつかは別れなければいけない夢。けれど。

 

「それは全くの夢ではない。誰かはその夢のかけらを知っているし、現実とも繋がっている。別れても。もういつも寄り添ってくれるものではなくても…完全に消えたりはしない」

 

お話し事体も危なっかしくて。本当にはらはらした「はらはらなのか。」

 

見事に幕を閉じた途端、彼女たちは直ぐに「次の世界」に行ってしまいました。
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映画部活動報告「人生タクシー」

「人生タクシー」観ました。
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イラン。ジャファル・パナヒ監督の、フェイクドキュメンタリー映画

イランの首都テヘラン。流しのタクシーを走らせるのはパナヒ監督。

女性教師といわくありげな男性。交通事故に遭った夫とその妻。海賊版レンタルDVD業者。金魚鉢を持った老姉妹。おしゃまな姪っ子。人権保護弁護士の女性。

監督のタクシーに乗り合わせた人々。彼等を通して監督が描くものは。

 

反政府的活動者であると見なされ、2010年からイラン政府より20年映画を撮ることを禁止されている(所謂『映画監督禁止令』⁈)パナヒ監督。

それでも。「これは映画ではない」(2011年)など。何かとこじつけて「映画っぽい何か」を撮っては海外の映画祭にて評価され。でも本国で彼の作品は大々的には扱われない。

ニコニコと穏やかなパナヒ監督。一見不思議でおかしな乗客たちを、車内の固定カメラで淡々と隠し撮っているいるように見せ掛けて…でも実はしっかりとイランという国の色んな問題に差し込んでいる。見掛けはほんわかしたおっちゃん。でもその実態は…静かに怒りの炎を燃やしている、戦う人。

「これ。全然ドキュメンタリーじゃないな」もう初めから。フェイクドキュメンタリーであると分かる『おかしすぎる人たち』

 

当方が鑑賞した回は、映画評論家ミルクマン斎藤氏のトークがあり。(ミルクマン斉藤氏のファンである当方は当日映画館で知って大感動。氏のかつて大阪で毎月開催されていた映画イベント、年末に映画部長とよく行きました。最近の京都イベントは遠くて…一回しか行けていませんが)

「なるほどな」と。なかなか映画本編ではしっくりこなかったこと等に触れて頂いて、大変ためになりました。

そんなミルクマン斎藤氏のトークから、一部抜粋すると。

「あのタクシーに乗っていた人たちは、全員パナヒ監督の知り合い」「あの姪っ子は本当にパナヒ監督の姪っ子」.なるほどなるほど。

 

コミカルな人間模様。でもそう見せて。彼らの語る会話の「ん?」という引っ掛かり。

車上荒らしをする奴なんて死刑にしろ」「そうやってすぐに死刑って言うの、良くないわ」「そんな綺麗事。あんた何者だ」「教師よ」「やっぱりな。あんたらはそうやって世間知らずで生きていけばいいよ」(言い回しうろ覚え。以降もこんな感じです)

海賊版レンタルの何が悪い。そうやって俺がこの国に面白い映画を持ってきてやったんだ」

まずはそんなジャブを打って。でも、終始そんなメッセージ性の強いテーマばかりではない。

「夫が交通事故に遭ったと大泣きする妻」そして「俺が死んだら妻に遺産相続がきちんとなされない。今から遺言を言いたい…だからスマートフォンで動画撮って」何この下り。病院まで送った後も、「あの映像間違いなく頂戴ね」と何回も電話してくる妻。面白すぎる。傑作。

「何時までに某広場までに行って。この金魚を放って、新しい金魚を手に入れないといけないから」金魚鉢を持ってタクシーに乗り込む老姉妹。そんなミッション事体も意味不明な上に、彼女達の持っている金魚鉢が『THE金魚鉢』漫画みたいな丸っこい、ガラス製蓋の無い奴。案の定急ブレーキで金魚鉢は大破。

 

そんな息抜き案件でメリハリもつけながら。

パナヒ監督は、言いたい事が沢山あるようで。

 

そしてその最たる所を語ったのが「おしゃまな姪っ子小学生」と「人権保護弁護士の女性」


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「学校の課題で『上映出来る映画』を撮ってるんだ」そう言って。デジカメでタクシーでの出来事や、監督や、タクシーから見える世界を覗く彼女。

「口が達者やなあ~」兎に角喋る喋る。恐らくは「監督が言えない事」を。

 

表現の自由」「映画監督禁止令」「1979年イスラム革命

当方はイランという国や歴史、思想。を語るベースを持っていません。一応ちらっとは調べたりもしましたが…付け焼刃の知識で語るのも…そもそも「知ったかぶりは恥ずかしい」と思っていますので。もうはっきりと「よく知らないのですが」と言い切ってしまいます。その上で。

 

「やっぱり、いかなる人であれ。如何なる思想であれ。表現する自由はある」

 

難しい討論は出来ません。危険な発言、差別的な言葉、偏見。誰かを傷つけてしまう言葉。それらを言い出したらきりがありません。ですが。

 

「それでもやっぱり、人の口に戸は立てられない。個人が何かを感じるという事。考える事。それを口に出してしまう事。それは自然の摂理で、押さえられない」

 

「自分の思いを表現したい」と切望する表現者を押さえつけてしまう国家。どうなのかなあと…。

 

「後ね。映画って結局は観る側が選ぶものやし。超個人的な世界ですから」

 

如何なる映画であっても。それを「観る」のも「どう感じるのか」も受け手の自由。

どんなに面白いとされる映画であっても嵌らない作品もあるし、またその逆もある。

だから「これは危ない映画だ」と国家が杞憂しなくても…それが「危ない映画なのか」は個人が決める。そして「危ない映画」は別に「反体制映画」とは限らない。

 

「だって。たった一年の中で。一体数多の映画が産まれているというのか」

 

星の数ほど産まれる映画の中で。乱暴な言い方をすると「どんな映画が産まれたってかまわない。寧ろ面白い」と当方は思うんですが。選択肢は幾らでも欲しいから。

(と言いながら。結局は「映画っぽい何か」をしっかり撮って、自国では無くとも海外に発信し続けているパナヒ監督を。「今の所一応野放しにしている」イランは…良く言えば大らかなのかなあ(当方のボキャブラリー不足)とも思いましたが)

 

くどくど書きすぎて、主旨が分かりにくくなってきましたので。ここいらで閉めたいと思いますが。


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「映画は素晴らしいわ。映画を愛する貴方に。このカメラの向こうに居る貴方に」

人権保護弁護士女性は、カメラ越しに美しいバラを観ている当方達に差し出し。

 

「余りにも無知で申し訳ありませんが…早くあなた方が自由に表現出来る様になりますように」

 

赤いバラを受け取って。そう返事した当方。

 

映画部活動報告「マイ ビューティフル ガーデン」

「マイ ビューティフル ガーデン」観ました。
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イギリス。ガーデン映画。

兎に角ポスターが。予告での風景が。美しくて。

こう見えて(どう見えて?)草花を愛する精神を持ち合わせる当方。勿論こんな素敵なガーデンライフを送っている訳ではありませんが。時折見かける、こういったガーデン映画は気になってしまい。観に行って来ました。

 

生後まもなく捨てられ。一風変わった育てられ方をした。そして現在。生真面目故に変わり者のベラ。図書館司書。独身。庭付き平屋アパートに一人暮らし。

 

「月曜日の歯ブラシ」「火曜日の」「水曜日の…」と一週間日替わりの歯ブラシをローテーション使い。

毎日同じ時間に起床。同じ時間に同じ食事メニューを摂取。

クローゼットには白、黒、グレーのモノトーンの服ばかり。(しかもシャツには全てきっちりアイロンが掛かっている)

寝坊している訳でも無いのに。玄関の鍵がきちんと掛かっているのかが気になり、暫く玄関で奮闘。結果ほぼ毎日職場に遅刻してしまう。

兎に角、マイルールにきちんと収まった毎日を送らなければ気持ち悪い。

 

そんなベラが苦手なモノ。「植物」

自由奔放で型にはまらない植物達。それらが苦手なベラの自宅庭は荒れ放題。

 

そんなベラを苦々しく思う、隣人のアルフィー。造園家であった、隠居老人の生き甲斐は「植物を愛でること」

 

「お前は地球を破壊している」「何だこの庭は」頑固で憎たらしいアルフィーに、折に触れネチネチ嫌味を言われるベラ。

そして遂に。ベラは管理人から「庭の世話込みでこの家を貸したはず。一か月で庭をまともな姿に戻さないと出ていって貰う」と通告される。

途方にくれるベラ。

丁度その頃。隣人アルフィーの弱味を掴んだベラ。彼の手を借りながら庭のリフォームに取り掛かる事になったが…。

 

「植物が苦手なら何故庭付きの家に住むのか」

見も蓋もない当方の突っ込み。言ってはいけないけれど…言わずにおれない。だって。

「ベラの庭。うろ覚えですけれど。ビール瓶を酒屋が運ぶ為に居れるケースみたいなやつとか、椅子とかが投げてありましたよ」

植物以前の問題。下手したらゴミ屋敷寸前か…少なくとも幽霊屋敷然とした佇まい。

確かに。誰もが四季折々の花々を愛で、愛せる訳では無い。価値観は人それぞれ。それは分かっていますが。ですが。

「やっぱり…それなら庭の無いアパートに住めばいいやん」

大体、几帳面で若干脅迫症を持っている感じの人間が。自身のテリトリーの乱れを許すものなのか…。

あんまりそこを突っ込むと、話が前に進まないし野暮なので止めますが。

 

「一言で言ってしまうと『アメリ映画ジャンル』ですね」

 

おっと。話を進めようとするあまり、一足飛びに当方なりの解釈まで行ってしまいましたが。

「一見風変わりな女子が。変わった隣人やその家政夫に暖かく支えられ。そしてかけがえのないモノ(恋人。夢。豊かな生活)を手に入れていく」そんな映画。

「女子にとって大変都合の良い映画」言い過ぎでしょうか。

大体、あそこまで荒れ果てた庭を一か月で戻せという厳しいミッション。しかもベラは元々何の思い入れもその庭に無い。

隣人アルフィー。気難しく頑固。口も悪い彼は、遂に家政夫ヴァ―ノンを怒らせてしまう。

アルフィー宅から出ていったヴァ―ノンは、話の流れで隣人ベラの家にて働く事になる。(ところで、イギリスの図書館司書って…そんなに高給取りなんですか?)

「出ていけ」と啖呵は切ったけれど。結局アルフィーはヴァ―ノンが居ないと暮らしがままならない。特に食生活が。

「ヴァ―ノンを返せ」気持ちとは裏腹に。強い口調でベラに要求するアルフィー。そして。

「ヴァ―ノンの料理と引き換えに、ベラの庭リフォームを手伝う」という条件が両者の間で成立し。

 

「正直。ベラとヴァ―ノンがいい感じになって…という流れで良かったのに」

 

庭のリフォームに集中しない。この作品のもう一つの柱。「ベラの恋」

 

ベラの働く図書館にやってくるビリーという青年。「私語禁止。飲食禁止」をガンガン破ってくるビリーが気になるベラ。

ビリーは、自作した機械仕掛けの鳥を飛ばす為に、日々資料を朝っていたと知るベラ。

そして毎日言葉を交わす度に近づいていく、二人の距離。

 

「何なんだ。この高等遊民は」

ずっと労働階級の当方の憎むべき相手。何?親の遺産で?いい歳してこんなことして毎日遊んでんの?「良いご身分ですな~(憎たらしい声で)」

 

すっかりいい雰囲気の二人。実は小説家希望のベラは、ビリーの作っている鳥が主人公のお話しをビリーに語り。「もっと聞きたいな」盛り上がる二人。

 

「え?二人何かキメてんの?それ素面なの?」誰かを想う気持ちなんて永久に失われた当方の震える声

『彼は酒に酔っているのではない。自分に酔っているのだ(カラマーゾフの兄弟より)』

…って。ふざけるのはいい加減にしますが。

 

正直「美しい庭になっていく様を見たい」という欲求で鑑賞した作品でしたので。何だかこういう恋愛パートが入ると「それはいいから」という気持ちになっていしまい。

 

「だって。ベラのリミット、結構シビアやで」なのに。

 

「ビリーとデート…と思いきやの!裏切り?」浮かれきって~からの一気に失恋モードに転落。もう何も出来ずに自室に閉じこもるベラ。

「時間は無限ではないぞ!」イラつく当方と打って変わって。すっかり人生の先輩ポジションを取り戻した、アルフィーの受け止めて、しっかり背中を押してくれる様。

 

「というか。アルフィーの庭よ!」

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何なんだ。この楽園は。正に「英国式ガーデニング」溜息を付くばかり。

「そしてアルフィーの部屋。あそこに住みたい。もっと見たい」珍奇植物愛好家たち垂涎のしつらえ。絶対に飽きない。あそこに居たい。

 

「一人の頑なで不器用な女子が。殻を破って、広がる世界を見た。そこは草花に覆われた美しい世界。暖かな人達。そして彼女は羽ばたいていく」

 

赤ん坊の時。捨てられた彼女を暖めたのは鳥。そして、自らを閉じ込めた彼女に世界を見せたのは機械仕掛けの鳥を持った青年。そしてその舞台を整えた隣人たち。そういう事を言いたいお話しだという事は十分に伝わりましたよ。勿論。「これはベラの物語」分かっている。ですが。

 

余りにも圧倒的だったアルフィーの庭。そして部屋。

 

ベラに関しては「一生幸せに暮らしましたとさ!」と早口で言ってしまってから。

 

「もっとアルフィーの庭を見せてくれ。造園家の彼の生き様をもっと語ってくれ。もっと。もっと」

 

アルフィーについての物語を。そして彼の「ビューティフル ガーデン」を。

寧ろそちらを欲する当方です。

映画部活動報告「フリー・ファイヤー」

フリー・ファイヤー」観ました。
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総監督マーティン・スコセッシ。監督は「ハイ・ライズ」のフリー・ラーソン。

 

「今回の作品を作るにあたって、FBIの関係資料を山程読み漁った。結果、人は銃ではなかなか死なない事を知った。この作品では、そんな人間の往生際の悪さを描いていきたい」(当方意訳)

冒頭。そんなテロップで開始。

1970年代。イギリス。とある波止場の廃工場。

そこで行われる、ギャング同士の銃取引。

金を持ってきたグループと銃を持ってきたグループ。その仲介をした男。

それは簡単な取引…のはずだったのに。

 

取引の最中から既に流れる不穏な雰囲気。一触即発。そして下っ端同士の、前日の喧嘩を蒸し返して~からの暴発。結局誰も冷静に事態を収拾出来ず。全員が銃を片手に工場内に散らばって。

 「ちょっと!落ち着こうぜ!」バン「うわ。撃たれた」バン「やりやがったな!」バン「殺されるぞ!」バン…後は終始こういった流れ。兎に角、誰かが生き残るまでのバトルロワイヤル。

 

「こういうのはタランティーノに任せたら良かったのに…」結構真顔で呟く当方。

 

予告が上手く出木すぎていたんですかね。まあ「兎に角ずっと銃で撃ちまくり!」というアナウンスだったんで。あながち間違ってはいないですけれども。

想像以上に…単調なんですね。まあ、こういうチンピラギャングがトラブって銃で殺し合うって、大きな作品やったらその中の10分位でサラッとやるギャグシーンな訳やと思うんで…それを90分も引っ張るとなると。大変やったやろうなと思いますが。

 

「また、無駄にキャストが豪華」

『ルーム/ROOM』のフリーラーソンを紅一点に於いて。「やっぱりあんた。顔が四角過ぎる。じゃりン子チエのヒラメちゃんみたいになってんで」女だからといって結局はあんまり配慮されず。結構強い。

キリアン・マーフィー『バットマン(ノーラン版)のスケアクロウ!武闘派のイメージ無かったなあ~。

シャールト・コプリー『ハードコア』で面白役やった彼。今回は小心者のリーダー。

サム・ライリー高慢と偏見とゾンビ』で丸太首ダーシーを演じていた!あのツンデレキャラからは想像もつかないチャラチャラしたチンピラ振り。

アーミー・ハマー。まだ30歳!恰好付けの仲介役。

 

そして。ジャック・レイナ―。
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去年のワタナベアカデミー大賞『シング・ストリート』で。全当方を泣かせたあの「お兄ちゃん」が。お兄ちゃんが…「全部お前のせいだよ!お前の身内の件は同情するけれど。お前のやってる事は別物だ!!」最悪のキレキャラ炸裂。

エトセトラ。エトセトラ。「何で?」と不思議になる程の贅沢なキャスト。なのに内容は…。

 

「これ。どう考えても、監督とスコセッシがノリで作ったとしか思えん」

 

やりたいことは分かる。これは銃規制云々とかの真面目な話をすることはナンセンスなぶっちぎりコメディ。先程も書きましたが「10分で終わるドタバタシーンを延々やる」そして冒頭に彼らが提示したように「銃一発で人は死なない」「そんな往生際の悪さを描いた」作品。看板に偽りなし。ですが。

 

「コメディ。というか一つの場所で延々繰り返されるコント。日本で言うなら『ドリフターズコント形式』を取っているんやとしたら」やっぱり単調過ぎましたよ。

 

一応。「え?誰?俺たち以外にも誰か居るぞ!」とか「俺はこんな時でもやれやれと煙草を吸って…たら撃たれた!」とか「女子は特別扱いしろ!」「ありがとう!…って撃たれた!」とか「自分死んだんちゃうの?」とか「何でこんな時にクスリキメてんの!」とか「電話?!」とかとか。飽きない工夫はされていましたが。如何せん…やっぱり飽きてしまい。

 

人の命が何よりも軽い世界で。「もう分かったから!どうやって終わらせるの!」イラつく当方…も思わず静かになった、成程のエンディング。

 

「終わり良ければ総て良しってか…って納得できるか‼」

 

何も考えず。お酒片手にただただ全力の力を抜いて。そうやって観る作品だなと思った当方。

 

映画部活動報告「笑う招き猫」

「笑う招き猫」観ました。
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清水富美加松井玲奈のW主演。飯塚健監督作品。

 

 互いに27歳。かつて同じ大学に在籍し。22歳でコンビを組んで早5年。未だに若手。いまいち売れない女漫才師の「アカコとヒトミ」

 

家が金持ちのアカコ(松井玲奈

売れない芸人とはいえ、働く必要は無く。「家事手伝い」としてふらふらして。破天荒で回りを振り回すけれど「売れてテレビに出たい訳じゃ無い。あくまでも舞台で漫才をしたい。自分達の漫才で武道館を一杯にしたい」と語気は熱い。そして義理堅く、自分の周りの人間を(時には過剰に)大切にする。

あくまでも普通の人。ヒトミ。(清水富美加

OLをしていたけれど。アカコに誘われて、社会人からドロップアウト。コンビを組んで。普段は街の個人弁当屋でアルバイトに精を出し。

結婚寸前まで行った彼氏が居たけれど。浮気をされて破局。今は一人。

 

27歳。女性としても崖っぷちの二人。これまでも「解散だ」「漫才辞める」と何回も喧嘩して。結局「漫才しかない」「二人じゃ無いと駄目」と離れたりくっついたりを繰り返してきた。そんな二人の…また同じ流れをお見せします…という感じの作品。

 

「やっぱり清水富美加さんはな…勿体無い…」暗黒女子でもちらっと語りましたので。だらだら惜しむのはいい加減にしようと思いますが…ますが。

「彼女のこの勘の良さ。センス。演技力。やっぱ好きやねん」ともすればふんわりした纏まりの無い話になる所でしたが。彼女が居るとびしっと引き締まる。

 

閑話休題

 

「27歳かあ。今の当方から見たら十分若いと思うけれど…でも確かに何をしても許される歳では無いな」

 

平均初婚年齢が夫30.7歳。妻29.0歳。(少子化対策白書2011年度調べ)第一子出産平均年齢は30.6歳。(2014年厚生労働省発表)結婚、出産の高齢化が叫ばれる昨今。(この文章を打つ事により、当方は謎の頭痛を発症しています)

27歳という妙齢。今すぐ結婚して子供が欲しいとは思っていない。でも、いつまでもこういう生活をしていて大丈夫なのか。

 

楽しかった大学生活。いつもふざけて。馬鹿ばっかりやって。そんな仲間達とつるんでいた。いわば今の自分はその延長。でもそれで良いのか。

 

あの頃と同じでぶれないアカコ。好きなもの。やりたい事がはっきりしていて。曲がった事は大嫌い。相手がおかしいと思ったら、たとえ先輩でも事務所社長でも喰ってかかって。でも悪いと思ったら謝れる。

アカコは永遠の(精神的な意味で)大学生。働く必要も無くいから、世間ずれも無い。でもそれは致命的な欠点でもある。アカコの放つ言葉は真っすぐだけれど…苦労を知らない(社会人的な意味で)アカコの言葉は時に説得力を失う。「お嬢様の戯言だろう」と。

そんなアカコを時には苦々しく思いながらも。結局は切り捨てられないヒトミ。(その煮え切らなさは「昔浮気されて別れたはずの彼氏」を切れない姿にも通じる)

 

二人を軸に置きながら。

 

大学の同級生達。(見事に男ばかり。あんたら同性の友達他に居らんやろう…それあかんで)近所に住むいじめられっ子の中学生。弁当屋の店主。事務所先輩。マネージャー。社長。ヒトミの両親。

 

「ちょっと…エピソード多すぎるかなあ~」

 

一緒に馬鹿ばっかりやっていた仲間達。きちんと稼業を継いだ者。何だかんだ今の仕事にやりがいを見出した者。社会人になって潰れそうになっている者。

いじめがローテーション制になっていた中学生。なのに自分の所でその流れはストップし。言いたいことが言えずにもがいていた彼の突破口。(あんた!『14の夜』のジャルジャル顔少年やんか‼)

弁当屋の店主。そのナイスすぎるキャラクターと危ない恋。(諏訪太郎氏と岩井堂聖子って。当方得としか言いようの無い絶妙なキャスティング。至福)

ちょっと売れてきた事で調子に乗った先輩。彼らとのひと悶着のせいで二人はまた解散の危機に合い。かと思えば彼らのお蔭で売れていく。そしてアカコとヒトミを見出して、ずっと支えてくれたマネージャー。

 

「どれもこれも気になるエピソードやねんけれど…多すぎるんよなあ~。お蔭でメインの二人が浅くなってしまう」

 

漫才監修「なすなかにし」ベテランの作った漫才ネタ。

主役二人の息もきっちり合って。最後の漫才なんてそれなりに面白かったし、舞台での二人のやり取りも凄くそれっぽかった。でも。

 

「川原で練習する姿もあったけれど。それでもこの二人は漫才に向き合う時間が少なすぎる」

 

当方はお笑い芸人ではありません。ですが。

昔々。今とは違う所で独居生活をしていた時。そこがたまたま「某お笑い養成所」の近くで。仕事からてくてく歩いて帰宅する途中の公園で。よく芸人の卵の人達が練習をしていました。

「お前それ…仏像やなくて太陽の塔やんか」どういう流れなのか、耳に飛び込んできたそんなセリフ。

 

映画で語られない所で。アカコとヒトミは必死に練習している…んでしょうが。

 

「崖っぷち女芸人。でも漫才で生きていきたい。舞台で頑張りたい。そう思うなら。喧嘩しても何でも、もっと頻繁にネタ持ち寄って、喧々諤々しながら練って練って練習するもんなんじゃないの?」結句どちらも漫才に対してそこまでの本気が見えない。小器用にネタをこなしている様に見える。何が何でも売れてやろうという勢いも感じない。

 

「所詮お嬢様じゃん」「男の事とかさあ」そんなので喧嘩している余裕なんて無い。本気で自分たちの漫才を聴かせたいのであれば、もっとどっぷり漫才に浸かれよと。

 

(後、これは完全に当方の耳の癖なんですが。声の高い女性がハイテンションで声張り上げていると…聞き取れなくなる時があるんですよ。なのであの『ハイライトとしか思えない雨のバッティングセンターのシーン』正直…アカコの声が全然判別出来なくて…あれは不本意でした)

 

何となく紆余曲折しながらも、収まるべき所に話は着地しましたが。

 

「練習らしい練習もせずに対バンライブとか。舞台に穴開けかねんとか。あり得へんけれどな…」

 

最後。彼女たちの漫才を見ながら。急な説教爺の出現と、そいつに取り込まれた、お笑いの国に住む当方。
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映画部活動報告「メットガラ ドレスをまとった美術館」

「メットガラ ドレスをまとった美術館」観ました。
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NY.。メトロポリタン美術館(MET)

アートとファッションが融合する、年に一度のイベント。『メットガラ』

「ファッションは芸術か?」

美術業界でも賛否両論。何かと低く見られがちな美術館服飾部門。彼らは普段美術館でも地下にひっそりと生息し。

そんな彼らが。「プラダを着た悪魔」のモデルと言われる、ヴォーグ敏腕編集長「アナ・ウィンター」とタッグを組んで。

毎年のテーマに合わせ。メトロポリタン美術館で行われる、たった一夜の晩餐会。

アナが招待した世界中のトップセレブリティの面々。各ブランド達がこぞって彼らをオートクチュールで仕立て上げて。

そんな華やかなパーティでの収益金は、メトロポリタン美術館服飾部門の一年間の活動費に充てられる。

この映画は、2015年に行われた『鏡の中の中国』が舞台。その準備に奔走する美術館スタッフ。キュレーターのアンドリュー・ボルトンの視点をメインとして。

意外とカツカツでスリリングな準備段階と。そして最後。華やかな会場とを追ったドキュメンタリー映画

 

「ファッションに明るい訳でも無くて。ただ面白いと話題になっていたので観に行った作品」

この映画を観るまで「メットガラ」なんてイベントは知りませんでした。

ましてや「メトロポリタン美術館…『大好きな~絵の中に。閉じ込められた』のあれか」としかピンと来ず。(年齢が分かる「みんなのうた」ネタ。この歌を怖がる人は多いんですね。当方は特に何とも感じていませんでしたが)
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NY。超有名な大手(という表現が合っているのかは不明)の美術館。年に一回の恒例イベント。なのに。

「こんなにドタバタなのか…」意外や意外。問題は山積み。色んな所に根回しして。頭を下げて。「え?もしかして間に合わないの?」という事態連発。ギリギリの準備期間を経て。開催される、一夜の宴。

 

「これは面白いお仕事映画」ファッションにも美術にも。疎くたって楽しめる。そんな映画。

また。この映画を撮っている年のテーマ。「鏡の中の中国」

ここで言うアメリカにとっての中国。ファッションをメインとした、中国へのイメージ。それは、チャイナドレスや人民服。民族衣装。硬質で、何だか艶めかしい。まあ…アジアの国が持たれやすい…分からない事が神秘と昇華する印象。本当の事なんて関係ない。自分たちが想像する「中国」

だからこそ、アメリカ人の某デザイナーは「別に中国には行かなくていいんだ。中国からはインスピレーションを貰っているから。それで良い」と宣い。

そりゃあ、中国当局は面白くない。「昔の中国の事だけで無くて、今の中国は?」でもそこに切り返す、まさかの同胞。メットガラ演出のウォン・カーウォイ。「今の中国?無いだろう。そんなの」そしてアナの加勢。ピリピリの中国との面会風景。

そして。メトロポリタン美術館の中国展示部との衝突。「普段の展示が添え物になるのは嫌だ」調整に走り回るアンドリュー。

また…「何で?アメリカ人は納期守れないの?それとも嫌がらせ?」という、イベント会場設置の為の資材調達遅滞。ただでさえ会場面積は広いのに。「もう無理!」と現場は悲鳴を上げる中で。モノは届かない。作業は進まない。

そして。アナ・ウィンター。
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「彼女と僕は同胞だ」みたいな事をアンドリューは言ってましたがね。「そうなのかな?」と訝しる当方。だって。

 「ファッションに傾倒し。美しいモノに魅せられたアンドリュー。少年の時の夢のまま『美術館のキュレーター』というポジションに就いて。ある意味「ファッションは芸術だ」という信念に基づいて純粋に動いていたのはアンドリューと一部のスタッフ(服飾部門のスタッフ)だけなんじゃないか」

トップキュレーターというポジション。所謂管理職。勿論収益も集客も度外視しているはずは無いけれど。けれど。カメラの見せ方もあってか。彼らの行動にはやはり「美しいものを展示したい」という「美術館学芸員」の姿が見える。けれど。

 

対する、アナ率いるファッション連中は。もっとドライにこの『イベント』に取り組んでいる…様に見えて。

テーマを一緒に?決めて。初期にはその会場作りに積極的に介入。けれどそれはそのテーマの学術的な考察云々では無くあくまでも個人の感性。そうしてプロである美術館スタッフをたじろかせて。「兎に角客を呼べるハコ作り」を考察。そしてギリギリの所まで追いつめている間、別の所で一夜のセレブパーティがいかに成功するかを話し合っている。

 

「何だか…この収益が結局は美術館運営に還元されているじゃないかと言われたら、確かにウィンウィンなのかもしれないけれども…」すっきりしない当方。そしてメットガラ当日。
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着飾ったセレブ達がレッドカーペットを歩いて。それを実況するホスト。はしゃぐファッション関係者達。確かにセレブたちは美しく、華やかではあったけれど。

「こういう所なんやと思うけれどな。『ファッションが軽く見られる』所って。」

美術館の一角で。盛大なファッションパーティの最高潮。リアーナのコンサートが始まり。テーブルの上で歌うリアーナと、観客の姿に。溜息を付く当方。俗っぽすぎるんだよなと。

そして。そんな騒ぎの中で。一人『鏡の中の中国』展示会場を回るアンドリュー。

 

ところで。「毎年5月の初めの月曜日に開催されるメットガラ」

当方が映画鑑賞したのが、たまたま今年の開催日前日でしたので。意識的にメットガラ情報を探しましたが。

「改めて。こういう所なんやと思うけれどな。『ファッションが軽く見られる』所って。」

ちらほら見てしまった残念エピソード。断片的にしか知りませんが…やっぱりそういう印象を持ってしまった当方。けれど。これはイロモノイベントになり下がるには勿体無い。

まあ。このイベントの有り様は今後変化していきそうな、そんな予感がしてなりませんでしたが。

 

「一流の美術館とクリエイターが。意外と泥臭い戦いを繰り広げる。お仕事ドキュメンタリー」ファッションにも美術にも。どちらに疎くても構わない。随分と分かりやすい作品。

後。しょうもない事ですが。

「ファッション業界の人達の、コーヒー片手率」

兎に角常に右手には紙コップのコーヒー。会議でも、歩きながらでも。張り付いたかの様に右手に収まるコーヒーカップ。

実は歩きながら飲み物を飲めない当方。立ち止まらないと飲み物は飲めない。むせる。そしてお行儀悪い。

そういう地味に「イケイケなファッション業界の人たち」の姿。意外と横並びでステレオタイプな感性にちょっと笑ってしまったり。

何かと面白い。お祭りドキュメンタリー映画でした。