ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「37セカンズ」

「37セカンズ」観ました。
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「生まれてから。37秒間息をしなかった。」

貴田夢馬(以降ユマ)、23歳。

出生時の低酸素状態から脳性麻痺を患い。手足に不自由があり、電動車いす生活。

現在は、幼馴染で人気漫画家SAYAKAゴーストライター生活。

シングルマザーの母親恭子と二人暮らし。けれど、恭子の過干渉ぶりに最近息苦しさも覚えてきたユマ。

何とか自立したい。そう思って出版社に作品を持ち込むが、女性編集長に「人生経験が足りない者に良い作品はかけない。」「経験を積んで来い」と追い返される。

 

「私に足りないもの?」「私のしたい事?」

「これまで体を理由に出来ないと決めつけてきた事は、本当に出来ない事?」

これは、23歳のユマが一人の女性として成長していく姿を描いた作品。

 

「この作品の凄い所は、主人公ユマを、実際に脳性麻痺で肢体不自由のある佳山明さんが演じた事だ。」

(先んじてお詫びしますが。こういう…所謂センシティブな題材に於いて、配慮すべき言い回しとか失礼な言い方とか。そういうのがあるのは重々承知なんですが。もってまわった言い回しに気を取られ過ぎて、何を言いたいのかが分からなくなりたくないんで。全体的にそういう失礼がある可能性は大いにあると思います。すみません。)

 

とある一日。母親恭子(神野三鈴)に起こされて起床。朝食後バスに揺られてSAYAKAの住むマンションへ向かい、一日作業してから又バスに乗り。バス停には恭子が迎えに来ていて一緒に帰宅。一人では風呂に入れないので、恭子に介助してもらいながら一緒に入浴。夕飯を食べて就寝。概ねそういう日々の繰り返し。

 

母一人子一人の母子家庭。ユマの日常生活は何かと介助が必要。生まれた時からずっとユマの世話が恭子の全て。ユマが恭子の全て。けれど…そういうの、正直最近鬱陶しい。

今日は書店で漫画家SAYAKAのサインイベント。お花を持って顔を出したい。なのに「お母さんも一緒に行く。」「ワンピースなんて、駄目よ。」何の心配をしているの。

やっとの事で恭子を振り切ってイベントに一人で向かったのに、SAYAKAに追い返されて、会場にすら入れなかった。「ねえ。分かってよ。ユマは来ないで。」

SAYAKAの漫画を描いているのは誰だと思っているの。なのに。SAYAKAの担当者に漫画を見てもらったら「真似じゃなくてさあ。」と言われてしまう。

 

求められている。居場所はある。けれどここは私が望む場所ではない。私が私らしく過ごせる場所では…私が私らしく?

 

そこでユマが一念発起して描いた漫画が何故か成人モノ。「そんな今日日エロ本が道に落ちているもんかね…。」そう思わなくもないですが。拾ったエロ本に触発されて、出来上がった作品を出版社に持ち込み。そこの女性編集長に先述の「人生経験云々」の内容を告げられる。

って、もっとあけすけな言い方でしたがね。「あなたセックスした事あんの?」「セックスしてから来て頂戴。」

「セックスって…。」途方に暮れるユマ。

 

ところで。当方が全編通して感じたユマの凄い所。それは「動きだしたら前進あるのみ。」今まで自分には恋なんて出来ないと思っていた。けれど。「やると決めたらやる。」

 

寧ろなんで今まで閉じこもっていたんだ。そう言いたくなるほど積極的に外の世界と関わり始めるユマ。でも…その姿は危なっかしくて。見ていて冷や冷やする。

「頼む!自分を大切にしてくれ!」うわああと居たたまれなくなった、散々だったラブホテルで。ユマは同じく脳性麻痺で肢体不自由の男性クマ(熊篠慶彦)と、風俗嬢舞(渡辺真紀子!彼女が出てきたらもう間違いないな!/当方心の声)に出会う。

 

ユマの周りに居る人物達。その中で当方が特に気になったのが、ユマの母親恭子と風俗嬢舞。二人の(多分同世代設定)女性。

恭子と二人で生きてきた23年。愛され大切にされてきた。それは間違いないけれど、その愛情が重すぎる。このままでは自分は何も出来ない。だって何もさせてくれないから。恭子とは違う世界に踏み出さなければ。そうもがき始めたユマにとってやっと現れた、背中を押してくれる存在。

「障害があるとかないとか。関係なくない?あなた次第でしょう?」「何も変わらないよ。」

危ない所に行くんじゃない。そう言って外の世界を見せなかった恭子に反して、舞は馬鹿笑いをしながら。一緒にショッピングをし、おしゃれをし、アブノーマルな世界にもユマを連れて行ってくれた。

何もかもが新鮮で。そうか。私は自由なんだ。

 

「お母さんは、決して意地悪でユマを閉じ込めた訳ではないよ。」「お母さんは…お母さんやから、こんなにユマを心配しているんやで。」

当方は誰の親でもありませんが。流石に老いたる人生経験から分かる事もある。母親恭子の気持ち。それを思うと胸が痛い。

生まれた時に負った脳の障害から肢体不自由になった娘。

離婚して、シングルマザーで子育て。ただでさえ大変だったろうに。しかもユマは人一倍介助が必要。これまでの恭子の苦労や心情を察したら…涙が出る。

「いつまでも子供扱いして!」「お母さんが何もさせてくれないんじゃないの!」

危ない。ユマが死んじゃう。そう思った場面はこれまでの23年間で沢山あったはず。危険な目に遭わせたくない。ユマが大切だから。

 

この作品の主人公はユマで。あくまでもユマ視点で話は進行するので。

舞と出会った事で変わっていくユマに気づいて、恭子に強引に二人の世界に連れ戻されたユマ。前以上に頑丈な、閉鎖空間という名の家。家と言う名の檻。

そこから強行突破、恭子の元から飛び出して自分探しを進める後半のユマのワールドワイド行動には「何だか急転直下すぎるし、どんどん現実離れしていってる。謎展開かなあ。」と違和感を感じた当方。

(後からHIKARI監督達とのインタビュー記事等を読んだのですが。佳山明さんが実際に双子の姉妹であったり、その健常者の姉がタイで教師をされているんですね。なるほどと思いましたが…でもお話としては唐突さが否めなかった。)

けれど。そんなユマの自分探しの旅の間…日本でユマの安否を案じて涙する恭子の姿。その短いショットに「23年間でこんなに二人が離れた事は無かったんだろうな」と思い至った当方。

 

ユマが自分から自立する?心配なのは当たり前。だって普通じゃない。ユマには障害がある。一人では出来ない事が沢山ある…自分が付いていなければ。そう思っていたけれど。

今どこに居る?自分の手元から離れて…どこかで生きている?

ユマは自分無しでも生きていける?

(これは語られていないし不明ですが。流石に「ユマが今どこでどういう行動をしているのか、けれど安心できる人物が同伴しているから大丈夫ですよ。」という一報は恭子に入れるのが舞サイドの大人としての義務やと当方は思いますよ。)

 

ともあれ。一回りどころか、何周も大きくなったユマが結局「ここが自分の居場所だ」と選んだ場所。その選択にほっと胸を下ろして。

 

「何かびっくりするくらい可愛くなった。」初めと最後では全く違う。ぐっとあか抜けたユマに目を見張る当方。キラキラしちゃって…ああこれは…今なら恋に出会ってしまうよ。

 

「お母さん。心配事が絶えないなあ。でも今度はおおらかにね。」