ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「僕たちは希望という名の列車に乗った」

「僕たちは希望という名の列車に乗った」観ました。
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「1956年。ベルリンの壁建設5年前の東ドイツ。とある『2分間の黙祷』に依って人生を左右する事になった高校生たち。」「一体彼らに何が起きたのか。」「衝撃の実話。」

 

デートリッヒ・ガーストカ『沈黙する教室』原作。ラース・クラウメ監督作品。

 

「ドイツが東西に分かれていた時代。ソ連の影響が避けられなかった時代。西は自由を求め変化していく。けれど、世界全体的にも社会主義が破たんしていく中で次第に閉鎖的になっていく東ドイツ。」「でもねえ。そんな東ドイツ中でもアンチソ連的な考え方はあったみたいですよ。」「それはそれは…生き辛かったやろうな。」

(当方の知る、近しい社会科教師(専門は地理)に。この作品を鑑賞後、当時の東西ドイツソ連の関係。社会主義衰退と資本主義について。世界大戦以降の欧州事情等々をかいつまんで教えてもらおうとした当方。始めこそご機嫌で話してくれそうだったのに。「あっ…楽しようとしているな!まずは自分で調べろ!」とつまんない事を言いだし…結果不勉強なまま。知っている知識だけで現在に至りますが。)

 

知らない事を知ったふりして語るのはあかん。そういうポリシーがありますので。「感じた事を正直に。」たどたどしい部分も交えながら感想を書いていきたいと思います。

 

ベルリンの壁』1961年~1989年までドイツのベルリン市内に存在した壁。冷戦下でドイツは東西に分裂していたが、往来が自由であったベルリン市内の境界線を経由して東から西への人口流出が続出。事態を深刻とみた東ドイツは自国の体制を守る為、1961年8月突如東西ベルリンの周囲を全て有刺鉄線で隔離、続いてコンクリートの壁を建設した。

ベルリンの壁はドイツ分断の象徴であり、東西冷戦の象徴でもあったが、1989年秋の東欧革命に伴う東ドイツ国内の混乱の中、11月東ドイツの不用意な発表から国境検問所が無効。やがて壁そのものも撤去された。(ベルリンの壁崩壊):ウィキペディア先生から抜粋。勝手に要約。

 

舞台は1956年の東ドイツ。ベルリンを経由して東西ドイツが行き来できていた時代。

主人公の男子高校生。クルトとテオ。二人は親友。クルトの母方の祖父の墓参りを口実に二人で列車で西ドイツに渡って。勿論墓参りにも行くけれど、二人の目的は映画鑑賞。「トップレス女優が出ているんだぜ!」チケットを持っていなかったけれど、上手く滑り込んだ。そこで二人が見たのは『ハンガリー動乱』。自由とソ連撤退を求め蜂起した市民が大量に死亡したという、劇場ニュース映像。

東ドイツに戻った二人は、クラスメイト達に「自由を求めて行動したハンガリー市民の追悼の為に、授業中に2分間だけ黙祷をしよう。」と呼びかける。

クラスでも中心的な二人からの提案。純粋な気持ちで賛同し黙祷したクラス全体の行動は『社会主義国家に対する反逆』という大事へ解釈され。まさかの当局から調査されるまでに発展する。「一週間以内に首謀者を明らかにせよ。」「明らかにならない場合はクラス全体を閉鎖。卒業試験の権利もはく奪する。」という人民教祖からのお達し。当局から追い詰められていくクラスメイト達。

大切な仲間を密告して、上級学校に進学しエリートの道を選ぶのか。それとも信念を貫く事で進学を諦め、労働者階級の道を選ぶのか。

 

「なんでこんな事になっちまうんだよおおお。」

当方の心に住む藤原竜也が絶叫。何故?何故高校生の彼らが。たった2分の行動でここまで追いつめられなければいけなかったのか。人生をかける判断を迫られたのか。

 

勉強不足の当方は、ここで「だから社会主義ってやつは~」などと語る術を持たないので。以降はただただ感じた事になってしまうのですが。

 

「こうやって高校生たちの思考や発言を押さえつける行為は、かえって上層部に対する疑問や反抗心を生むという事がどうして分からないのだろう。」

「『上層部』というものが。教師であり当局であり、果ては国家であった。つまりは『権力』を持つ相手であった。その権力を行使して徹底的に彼らを追い詰めていく。そうやって追い詰めてくる相手の姿は、元々はただ無邪気にタブーを踏んだだけだった彼等にはどう見えただろう。」

 

クラスメイトたちの立場も各々違う。労働者階級出身のテオ。普段が自由奔放故に当局から目を付けられていたけれど、この黙祷の発起人は、実は市議会議員の御曹司クルトだった。

クルトの母親が西ドイツ出身なのもあって。母方の祖父の墓参りを口実に度々西ドイツに渡っていた二人。そこで目にしていた光景。

東ドイツに居ながらも、クラスメイトパウロ(また良い感じのハリポタ風ビジュアル男子)の叔父宅に。サロンさながらクラスメイト達で集い。西ドイツの放送に触れて。皆で語り合うのが好きだった。

東ドイツでの生活。ここでしっかり勉強し、卒業試験を受け、進学していくつもりだった。大きな顔をしてのさぼっているソ連兵を疎ましく思っても。せいぜい酒場で彼らにピーナツを投げつけてみるだけ。

ここで。この場所で生きていくつもりだった。

 

けれど。ふとした時に「自由の為に行動し散った人達」を知った。彼らの為に祈りたい。皆、こんな人たちが居たんだって。彼らの為に祈らないか?

クラスメイトに向けた、ふんわりとした声かけ。元々はただそれだけ。

 

『一週間以内に首謀者を見つけ、事態を収束させる。』ミッションを遂行すべく、高校生達を心理的に追い込んでいく当局の非道さ。案の定崩れ去った、ある男子生徒にやるせなさで一杯になった当方。

 

「正しい事とはなんだ。」「これは多数決か。皆の意見の総意か。」

真剣な回答が求められる。どんどん引き出されていく思考。超特急で整理、形成されていく信念。思わぬ事態にぐらつく友情。恋愛関係。卑怯者にはなりたくない。けれど守りたいものがある。守りたいもの…けれどそれを死守する事は自身に芽生えた正義に反する。

 

「しかしそれは若さ故の行動でもあると思う。」静かに眼鏡を上げ、語る当方。

「個人では無い。クラス全体で受けている理不尽、という集団意識があるからこそ、心を強靭に保てた。そして驚異的な判断を下した。(所謂スイミーですな。小さな魚が集団になって大きな魚に立ち向かう)」「けれど。こういう判断が出来たのは彼らが高校生だったからだ。何故なら…大人になると守るものが出来るから。」

 

高校生たちの親たち。彼らは体制側の人間として描かれたけれど。ここに守るべきもの=家族が居るから、高校生と同じ判断は出来ないという風に描かれていた。

 

「そりゃあそうだ。『ここで生きていくと覚悟を決めた大人達』と、『これからどう生きていくのかを決められる子供達』とでは立場が違う。」

ただ。それでも。ここに居ながら、子供達にどう後押しが出来るのか。テオの家族に。クルトの母親に。そしてクルトの父親の姿に、涙が出た当方。

 

実際に起きた出来事をなぞっているので。最後にテロップで流れた顛末に息を呑んだ当方。ですが。ですが最後に。

 

「今回の作品では社会主義国家というイデオロギーに対峙した高校生たち、という姿を描いた訳やけれどさあ。」最後の最後に一体何が始まるんだという、不穏な物言いを残してしまいますが。

 

「正義の概念は時代背景に依って流動的に変化する。かつてこういう時代があり、こういう判断をした高校生達が居た。実際に居た。けれど。もし彼らがこういう判断をしなかったとしても。後世に生きる我々が是非を問う資格はない。」

「似たような事は当時の東ドイツで幾らでも起きていたんじゃないか。体制に折れた人達も居たはずだ。」

「『正しい事』は変わる。けれど、もし自身が同じ状況に陥ったら。一体何を『正しい事』として判断するのか。」

「恐らくその時自身がベストだと思う判断を下すしかない。けれどその時一体何がベストなのかなんて今の当方には分からない。」「だからと言って。思考を止めて良いという訳では無い。」

「彼らが下した判断が、どんな状況下においてもベストアンサーという訳ではない。これはイチ事例。」「しかし、先人達の取った行動は貴重な引き出しとなる。」

 

一体こういう時。自身ならどう行動するのか。作品を受け止めるだけでなく、考えてみること。今後『こういう事』が絶対起きないとも限らない訳だし。

 

兎も角、先ずは原作『沈黙する教室』を読むべきではないかと。そう思う当方です。