ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「SPL 狼たちの処刑台」

「SPL 狼たちの処刑台」観ました。
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香港映画。『イップマン』シリーズ、ウィルソン・イップ監督作品。

 

「随分とまあ。威勢の良い作品が来るな」「何この動き」「サモ・ハン・キンポ―」「ムエタイの神?」

最近すっかり通う事の多くなったシネマートで見掛けた本作予告。気になって。

公開翌日。いそいそと観に行ってきました。

 

香港の警察官リー(ルイス・クー)。父一人子一人。しかし愛情いっぱいに育てていた一人娘のウィンチ―(15歳!!)が誕生日の日に彼氏の存在とその子を妊娠している旨を報告してくる。当然逆上。彼氏を未成年淫行の罪で逮捕させ、子供を堕胎させるリー。

傷心。一人タイのパタヤに住む友人を訪ねるウィンチ―。友人は彫り師をしており、とあるメッセージを自分の体に刻む為の訪タイであった。しかし。

パタヤでウィンチ―が誘拐されたという一報を受け。「自らの手で娘を奪還しよう」と決意。単身タイに乗り込むリー。

 

地元パタヤ警察のチュイ(ウー・ユエ)に捜査に同行させて欲しいと懇願。同僚警官タク(トニー・ジャー)の三人で捜査を進めていく。

しかし。ウィンチー誘拐には国家ぐるみの臓器売買組織が絡んでおり。パタヤの地元警察もがっつり関わっていた。

果たしてリーは愛する娘ウィンチ―を無事連れ戻す事が出来るのか?

 

という事をやっておられました。

 

当方は…学生時代は陸上部(短距離とリレー選手)に属し。体育分野に於いて足の速さでは困った記憶はありませんでしたが…球技とダンス系、水泳が駄目でした。(動体視力の遅さ。絶望的なリズム感。水温に直ぐに体温を奪われ、震えすぎて長時間の水中生活が出来なかった等)まあ、総じて言うと足は速いけれどどんくさい子供だったんですよ。勿論それは今日にも至りますが。

 

なので。「こんな動きが人類には出来るのか!!」の連続。「え?これ怪我とかしてないの?」「死んじゃうよ~。死んじゃうよ~。」「今日は~倒れた~旅人たちも~生まれ変わって~歩き出すよ~って早!立ち上がるの早!」「人間ってこんなにバネみたいな動きするの‼」概ねアクションに関してはその繰り返し。

語彙力が無いので…特に見どころは…あの雑居ビルでのムエタイの神(タク)と最終の工場でのチャンバラ(チュイ)ですかね。アクション関連は。後は皆様総じて凄まじい身体能力でしたけれど…「主人公リー役のルイス・クーの端正な佇まい。松平健を若くてシュッとした感じの男前。そして現地警察官チュイ役のウー・ユエの溢れんばかりの色気。アジアの俳優も捨てたもんじゃありませんな!」という何様だという感想。

 

まあ…何だか歯切れの悪い感じでここまでつらつら書いてきましたが。

 

これ、全面アクション&ノアール作品なんですが。一応のテーマは「命の重さは誰が決めるの?」(当方意訳)

 

15歳の少女が異国タイで誘拐された。しかしその正体は国家容認の臓器売買組織。しかも警察が堂々と関与。タイでは主に足の付かない旅行者などがそういう目的で誘拐されてきたと。

臓器売買の実態…ネットやあくまでも架空の物語でしか聞いた事が無い。ただ…何となく闇で臓器を取り扱っているのはアジアの国が多い印象がある。何故なら、臓器移植は高度な医療とその国それぞれの倫理観があるから。

その闇間を潜るのが、雑多なアジアの国々。

 

とはいえ。そんなお堅い事を言ってはお話に浸れない。タイで臓器売買って…『闇の子供たち』で散々怒られたのになあ~なんて思っていたら。

『市長が心臓発作を発症。急な心筋の病気であり、心臓移植しか助かる道はない』

「はああああああ~?」本当に小声が口から出てしまった当方。「心臓移植う?」

「腎臓じゃなくて?心臓!」「何急な心筋の病気って。心臓移植って拡張型心筋症とか肥大型心筋症でしかも子供が優先対象じゃ無かったっけ?(これはうろ覚え)あんたのはせいぜい心筋梗塞やろう」「心臓手術って多くの医療スタッフとお金が要るから、流石に闇では無理やろう。」「医療従事者の倫理観も見くびられたものよ!」

激しいアクションが繰り広げられる中。時折挟まれる『いくら何でも絵空事』過ぎる設定に引っかかりすぎて集中力を失う当方。

(今さらっと調べましたけれど。タイの心臓移植手術は1897年から開始。けれど極めて高度な技術と術後のフォローも要する事と。現在腎臓移植は26施設。心臓は6施設。肺は2施設で移植手術に対応しているとの事)

 

後ねえ。「命の重さは誰が決めるの?」ですが。当方の私見ですが。「如何なる職種に於いても代理は存在するが、家族にとっては代理は存在しない」と思っています。

 

現実に。かつて国家の総理大臣が急病に倒れ命を落とした。そのこと自体はお悔やみ申し上げるけれど。やっぱり即日には総理大臣代理が誕生した。そういう事。一見どんなに重要なポストに就いている重鎮だって。その命と引き換えにする命なんてない。命に重いとか軽いとかは無い。けれど。

 

それはあくまでもオフィシャルな話。自分の家族だったら?自分の大切な人が息絶えそうだったら?そしてその命を救える存在を見つけたら?見つけてしまったら?

 

主人公のリー。愛する娘を救う為なら何でもする。それがたとえ相手の命を奪いかねない暴力であっても。娘の為だから。そして娘の為に、娘のお腹に宿る命を奪った。

 

「命の重さは誰が決めるの?」

 

正義の定義は主観に依って幾らでも変わる。リーにとっては娘の為なら。けれど。命が絶えそうな市長とその支援者にとっては?そして現地警察官にとっては?

 

「愛する者を守るという事は?」

 

時折見せるその倫理観と哲学に。ふと想いを寄せたいけれど…如何せん『びっくりnot医学監修設定』に直ぐ様気持ちを持って行かれる当方。

 

「そんな工場の一角でまさかのクリーン手術が」「もういっそ他の臓器も他の患者に渡したらいいんじゃないですか?」「そののこぎりなんですか」「えっ。市長の家、どういう設備なんですか?」「『ゲット・アウト』展開?」「まさかまだ手術当日ですか?」「酸素を扱う部屋で銃とか撃つな!爆発するぞ!」最後の最後まで。泣く暇無し。

 

良いアクション映画やったと思うんですけれどね。如何せん…集中出来なかったです。