ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ラッキー」

「ラッキー」観ました。
f:id:watanabeseijin:20180423202416j:image

2017年9月。逝去したハリー・ディーン・スタントン。没91歳。

アメリカ出身で第二次世界大戦中は海軍に所属。

生涯で100本以上の映画作品に出演した名うてのバイブレイヤー。

 

彼の最後の主演作。それだけで…うるうるしてしまう案件。

そして共演したデヴィット・リンチ等。ハリーの実際の長年の友人を随所に配置。

正に主人公ラッキー=ハリーの宛書。

 

90歳。気難しい現実主義者ラッキー。配偶者無し。決まった時間に起床、コーヒーを飲みながらタバコを吸って。クローゼットから同じ柄のシャツ、ズボンを選んで更衣。てくてく歩いて馴染みのカフェで一服。馴染みのスーパーで牛乳を買って。いつもの場所でちょっと悪態付いて。自宅でクイズ番組を見ながらクロスワードパズルを解いて。寂しくなったらどこかに電話。夜は近くのパブでお酒。

繰り返し繰り返し。ずっとそうやって暮らしてきた。そんなラッキーの、最終ターン。

 

「去年公開された『パターソン』みたいな作品」

 

一見だらだらした、繰り返しの日常を延々描く作品。そういうのはえてして『気力体力を失った状態で観ると途中意識を失う』という魔力を持っていて。当方も危うく陥りかけましたが。

 

90歳の主人公にとって。それが『永遠に続く日常』のはずがない。

 

いつまでも俺は元気だ。そうやって過ごして来たけれど。

 

「おはようラッキー。元気?」「タバコは止めろよ」ラッキーが過ごす場所の人たちは少なからずラッキーの身を案じている。それは…ラッキーは自覚していないけれど「ラッキーはもうすぐここから去る人だ」と認識しているから。

 

例えば。『何とか劇場』として。考える当方。

 

「アメリカの片田舎。そこで暮らす人々。そこで生まれて。育って。毎日決まった時間に会って。お茶をしたりお酒を飲んだり。かつては熱く語り合った時もあったけれど。互いに随分歳を取って。憎たらしかったあんなことも。殴り合う寸前だったあんなことも。涙する相手に何も言えなくて…その背中に手を置くしかできなかったことも。色々あったけれど。

何だか全部笑って話せるようになった。互いに歳を取った。

そんな時。一番年上だったあいつ。あいつを見ていたらふと、居なくなるような気がして。胸がざわざわして。

気付いたら。やっぱり互いに歳を取っていた。いつまでも若い気がしていたけれど、互いに歳を取っていた。

そうなると怖くて。自分は気が付いたけれど…あいつ…。

 

「ラッキー大丈夫?」ヤキモキする、周囲の人間。

そして。唐突に一人で居る時に意識消失し。病院に受診したラッキー。

「いかにも個人経営の診療所対応!」という町医者。その言葉を受けて「寧ろタバコは吸った方が良いらしい」「どこも悪い所なんて無いってよ」心配する周囲に強がるラッキー。「いよいよラッキー倒れたってよ!」と心配で仕方ない周囲をよそに喫煙量を増やすラッキー。

 

恐らく一族の末裔として生涯を終えるであろう当方としても。非常に複雑な気持ちになった作品でした。

 

偏屈で。誰かにもたれかかるスタンスを見せないラッキー。けれど。小さな街の仲間は

そんなラッキーを愛している。

「お前!あいつを騙そうたってそうはいかないぞ!」「表に出ろ!」長年の友人。その愛するペット、陸亀の『ルーズベルト』。最近居なくなったその亀に遺産相続させようとしている友人の。真面目な顔をして相談に乗る弁護士に喧嘩を吹っ掛け。(確かにその案件…何なんですか)

つまりは。「馬鹿だなあ~」と皆が鼻で笑うような愚行にも、生真面目に立ち上がってくれる。不器用だけれど誠実。ラッキーはそういう人物。憎めない。

 

そんなラッキーが。もう90歳。いつ何があってもおかしくない。

 

周りは随分前から気づいていた。ラッキーは年寄りだと。だからラッキーに声を掛けていた。

 

そして。ラッキー自身が、この『何とか劇場』から退場する日が近いと自覚した。

 

「人生の終わりにファンファーレは鳴り響かない」

 

どう自分の終末期に折り合いを付けるか。どういう姿が有終の美なのか。

 

最終。いつものカフェで出会った軍人が語った『沖縄少女の最後の表情』

 

何故でしょうね。当方はずっと『とにかく笑えれば』というウルフルズの歌のフレーズが脳内でエンドレスに流れました。

 

何があろうとも。最後に無の境地で笑顔を見せられる。

第二次世界大戦。沖縄決戦の地獄でアメリカ兵に囲まれて死を知った少女と、90歳までの寿命を全うしようとしているアメリカ人が。同じ境地なはずがない。そう思うのに。

 

「如何なる境遇であろうと。生と死は共通に訪れる」(当方の言葉)

 

国。民族。宗教。貧富の差。ありとあらゆる違いがあれど。我々が人類である限り『産まれ。そして死ぬ』如何なる人物であれ。その二点は絶対に平等で。

 

死が唐突に訪れる場合だって幾らでもあるけれど。死を意識して迎えなければいけない場合だって幾らでもある。果たして自分はどちらに分類されるのか。それは皮肉にも直前まで分からないけれど。

 

「誰にも言わないでくれ。正直…怖いんだ」ラッキーのそのセリフに。登場人物の女性と全く同じ表情を浮かべた当方。だって。誰がそれに対して明確な答えを持っているというのか。とはいえ。

 

ラッキーの最後。どういう終わりになるのかは分からないけれど、ラッキーが寂しくないように。傍に寄り添えたら。ちょっと憎たらしい事を言いながら。ラッキーには瞼を閉じて欲しい。

 

けれど。

 

最後。あの誕生日会の後。ひたすらに乾いた大地と、大きく伸びるサボテンを見上げたラッキー。それが俳優ハリー・ディーン・スタントンの表情そのままで。

 

「この答えを、お前なんかがまだ出せるか。」

 

気難しい現実主義者、ラッキーことハリー・ディーン・スタントンは笑顔を見せた後。すたすたと

画面の奥に歩き出してしまいました。

 
f:id:watanabeseijin:20180423230950j:image