ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ナインイレヴン 運命を分けた日」

ナインイレヴン 運命を分けた日」観ました。
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2001年。9月11日。WTC世界貿易センター)ビル。ハイジャックされた二機の旅客機がビルに突撃。そこから始まった、近年に於ける中でも大きい、最悪のテロ事件。

その日。その時。たまたまエレベーターに居合わせた5人。テロ事件に依って停止したその密室で起きた事…。

90分のフィクション作品。

 

911の映画を。9月11日に観に行く事が出来ました。

 

「今生きている事が奇跡だなんて。そう思う事なんて。普通に生活している中ではそうそうあり得ない」ですが。

 

当方が生きてきたこれまでで。物心付いて初めて感じた有事は『1995年1月17日。阪神淡路大震災』でした。

それまでも自然災害はあったけれど。それはいつもテレビの向こうでの出来事で。

それが。実際に自らも叩き起こされた朝。テレビで見た「知っている場所」の無残な姿。

 

「当たり前の毎日は、決して当たり前に続く訳では無い」そう初めて実感した朝。

 

それから。また幾つもの災害で胸を痛め。そして、2011年。3月11日の東北地方太平洋沖地震

「お願いですから。助かって下さい。波よ。彼らを飲み込まないで」「せめて。雪よ止んで下さい」「お願い」

テレビの前で。会った事の無い人達を想って。祈った日。

 

一体どういう世界になってしまったのか。頻発する自然災害。最早無事で暮らせる場所なんて無いのかもしれない。そう思うと「悔いの無い毎日を送るしかない」と己に言い聞かせる当方。ですが。

 

『人災』で命を脅かされる。その虚しさ。憤り。結果憎しみしか生まれない。そんな負の連鎖。

 

当方が初めて衝撃を受けた人為的有事は、『1995年3月20日。地下鉄サリン事件』。そして次が2001年の、この『米同時多発テロ』。

実体験では無く。どちらもテレビで見た惨事でしたが。

 

「どんな主義思想があったとて、一般市民の生活を突然脅かしてまで。彼らは一体何を得ようとしているのか」「ただの暴力。暴力からは何も生れない」「誰も賛同する訳が無い」ぞっとする、目を疑うばかりの。信じられない光景。

 

無学で浅瀬に住む当方は、ひたすら非難の声を上げるばかり。でも。彼等の思想を学んだとしても。それにどこか共感出来る部分があったとしても。テロ行為そのものには絶対に賛同できない。冷静に話が出来ない奴は愚。それを暴力にして。ましてや関係の無い者にぶつけるのは…万死に値する。それは今でも絶対に揺るがない、当方の理念。

 

この作品について。どうしても「もっと悲惨な事態が起きたのだろう」「非情な判断をせざるを得ない場面があっただろう」「その事でずっと心を痛めている人がいるのだろう」等々。この作品を通した『実際の人たち』に思いを馳せてしまって。

 

「恐らくの低予算での秀作」「コンパクトに纏まったヒューマンストーリー」「あの小さな箱の中で。夫婦が居て。孤独な女性が居て。黒人が居て。富裕層が居て。貧しい人が居て。色んな象徴の塊で。始めはぎくしゃくしていたけれど。次第に団結し、友情が。愛情が築かれてゆく」「破壊と再生の物語」それらしい感想は上げられなくはないはずなんですが。なんだかそれでは終われなくて。

 

「多分。当方の記憶にきちんと残っているからだ」

 

16年経った今。知らない世代だっている。それは日本の東北地震にも。そしてこれまでの『忘れてはいけない出来事』全てに通ずる課題。

 

知っている者にとっては。「恐らくこんなものでは無かったはず」又は「実際はこんなものでは無かった」のかもしれない。それとも「ああ…そうだった」と思うのかもしれない。

でも。知っている者は時が流れると減っていく。

 

この作品を観て。そして今後こういう作品を観て。「こんなものでは無かった」でも「そうだった」でも。想いを口にして。伝えていく事の大切さ。…それは「物事は暴力では解決しない」という事も含め。そう思った当方。

 

「この手の作品はちゃんと押さえていかんとな」

しみじみと。映画館を後にした当方。