ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ハートストーン」

「ハートストーン」観ました。


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アイスランド映画

小さくて閉鎖的な田舎の漁村。そこに住む住民は皆、互いの事を知り尽くし。

ソールとクリスティアン。幼馴染みの二人はいつだって一緒。大好きな親友同士。

思春期に差し掛かり。第二次性徴を迎える中。ソールに気になる女子が出来て。

「お前の為なら何でも出来る」とソールの恋を後押ししていたクリスティンであったが。

 

冒頭から。「生えた生えない問題」とか「女子ってどんなだろ」みたいないかにも思春期な二人の行動に「こういうこっ恥ずかしい気持ちになるやつは…」と身構えた当方。でも。

 

主人公のソール。周りはどんどん大人の体になっていく中。いつまでも子供みたいな外見の自分に焦って。恥ずかしくて。

(ソール役の子って、お母さんの顔そっくりなんやろうな~。こういう顔の女性って居るよな~。まあでも、この手の可愛い顔男子って、この時期だけの奇跡やったりするからなあ:当方心の声)

対するクリスティアン。冒頭。波止場でくつろいでいた少年達。漁村の無粋な彼らは、突然姿を見せた、ありきたりな魚の大群に「金になるぞ!」と色めきながらも。そこでぽつんと釣れるカサゴには「変な顔」「クリスティアンみたいだ」と暴挙に出る。

(何でだ!クリスティアンの繊細で美しい姿。ギリシャ彫刻みたいやぞ!!:同じく当方の心の声)

 

まあ。この「どちらも美少年」の二人が。

「思春期。成長。恋。友情。そして取返しの付かない痛みを知った」そんな話。

 

グズムンドゥル・アルナル・グズムンドラン監督。1982年生まれ。

幼い頃、実際に漁村で過ごした経験を基に作られたという作品。

「親友と義父の愛おしい思い出に捧ぐ」最後に現れる賛辞。

 

この作品のどういう所が、具体的にどう監督の実体験に沿っているのかは分かりませんが。

 

「舞台が1980年代としたら。まだそういう時代だったのか」田舎の閉鎖的な世界だから?そうでもなさそうだなと。そう思った当方。

 

「この映画がLGBT案件だとか。人とは違ったセクシャルティの目覚めとか。確かにそうなんやけれども。それだけが注目される作品ではない」

 

この作品に於いての主人公は、あくまでもソール。周囲よりも成長が遅いと悩んで、そんな自分が恥ずかしくて。自信が持てなくて。気になる女子も居るけれど、アタックするのは気が引けて。

 

いつも一緒だから。じゃれ合って楽しくて。大好きなソール。ソールの事は何でも分かるソールの親友。だから。ソールの気になる女子、ベータとの恋を後押ししたクリスティアン

 

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「正直、二人ともその恋が上手くいくとは思わなかったんやろうな…」


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思いがけず。ソールの恋するベータが発展的(正直ビッチ)だったのもあって。ぐいぐい距離の縮まるソールとベータ。ベータとべったりくっ付いていた女子ハンナがクリスティアンに好意を示したのもあって、ダブルデート?を繰り返す4人。

 

「しっかし。あんな年頃の男女が同じ部屋で一緒にいて所謂『王様ゲーム』って。「~と~はキス」って。汚れちまった当方には恥ずかしくって素面では出来ませんよ!!」

赤面する当方。でも。女子とでは無く、親友同士でキスする羽目になる二人。

(ところで。「パパに見つかったら殺されるからトイレに行ったら駄目」という鬼のレギュレーションを課せた少女達…からの結果。惨事。あり得なくは無いけれど…もう当方なら彼女達に二度と会えないと思うよ…)

 

ベータとの恋がトントン拍子に進むソール。違和感を感じ始めるクリスティアン

 

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もうね。この辺りから完全に、当方の視点はクリスティアンに移動してしまう。

 

大好きな親友。ソール。子供みたいで。母親と二人の姉の女家族に玩具にされて。そんなソールが可愛くて仕方なくて。ふざけてじゃれ合ってもみ合って。ソールの気持ちはいつでも分かる。ソールを茶化す奴は許さない。いつだって。永遠に一緒。俺たちは友達。

そんなソールが恋をして。何も考えずに後押しした。ソールが喜んで。でもちょっと傷付いて終わって。そしてまた自分の所に戻ってくる。そんな恋のはずだった。なのに。

 

「大好きって。どういう意味で?」

 

じゃれ合ってもみ合って。それはもう…何も考えずに笑えた時とは違う。取り残されたと寂しくなった気持ちに向き合ったら、とんでもないコアが剥き出しになって。戸惑うどころではない。「触りたい」の気持ちがもう今までと違ってしまった時。どうしていいのか分からなくて。

 

「1980年代。マイノリティに対する、無意識な差別。一般世間はゲイは認めない。目の前から消えて無くなれという風潮。ましてや閉鎖的な田舎では」

 

クリスティアン父親。気に食わなければ暴力を振るい。長い付き合いの友人であったとしても「彼、ゲイだったんだって」に憤り喧嘩。そんな父親

(こういう閉鎖的な村社会故の、大人たちの生きにくさも印象的でした)

 

今までなら。無邪気に何も考えずに二人は友情で結ばれていた。第二次成長期。前は性的な好奇心故にふざけて相手を触ってみた。でももう無理。今は無理。

 

本気で触りたい。相手に触れたい。ふざけてじゃない、大好きだから一緒に居たい。でも。

 

ソールが恋しているのはベータ。ソールはクリスティアンを友達として大切だと思っている。

 

絶対に上手くいかない恋。失うモノしかない恋。

 

「こうやってベータにキスするの?」抑えきれなくて。ソールに迫るクリスティアン

(余談ですが。体格差もあるんでしょうが。クリスティアンって基本的にソールを組み敷いて迫ってくるなあ~とぼんやり思っていた当方)

 

何よりも。大好きなソールに、抑えきれなくなった自分の姿から距離を取られるクリスティアン。そして追い打ち。もう終わりだと。

 

歳を取って。ふてぶてしくなった当方から見たら。「何でそこまで思いつめないといかんのかね」「大丈夫だよ」とクリスティアンを抱きしめたくなりました。もう痛々しくて。

 

「普通の…誰の恋だって。殆どが上手くいかない。こういう年頃の恋は。初恋故に戸惑って。上手く立ち回れなくて。必死で。必死過ぎて刹那的で。危なくて…初恋って概ねそういうもんなんやから。そして貴方は一人じゃない。世界で一人ぼっちじゃない」

 

かと言って。クリスティアンの気持ちに答えられなかったソールが悪かったとは思わない。もうこれは…仕方が無いから。恋はどんな性別年代なんの形であれ「哀れみ」や「妥協」からは発生しないから。残酷やけれど。

 

「そんなソールが。必死に取ったクリスティアンへの最後の行動。それでいい。そしてもう二度と会わなくていい。それでいい」(当方涙目)

 

「いつか。笑えなくても。穏やかに噛みしめられる。そんな日が来てくれたら」

 

「ハートストーン」の題名の通り。胸に重い石を置きながら。

でも。最後のシーンで救われる。

 

広い海で。自由に泳ぎだせますようにと。

希望をもって。彼らの物語を後にした当方。

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