ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ライフ」

「ライフ」観ました。
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「謎の日本版ポスター。役者が3人写っていながら、その人物の上に書いてある役者名が全然違うという混乱」

主役とか。ネームバリューとか。そういう事情をぼんやり感じさせる、そんなポスターを提示して。

 

「何でやろう…何でかあんまり予告を観なかった」

 

近年復活した「マッドマックス 怒りのリローデット」でしたか。又は「バックトゥーザフューチャー祭り」でしたか。

当方の属する、たった二人の映画部にて。語られた「パート2」問題。

部長)「俺は何だかんだ言って、パート1とされる作品が一番やと思っている」

当方)「でも。マッドマックスもバックトゥザフューチャーも世間は2が良いって言うよ」

部長)「いやいやいや。ただ…そんな俺も唯一2が良いと思う作品がある…それは…『エイリアン』だ」

 

ホンマかいなと。改めてエイリアンをDVDで借りてきて観なおす当方。そして「『エイリアン』こそパート1が良い作品やろう。2は数で圧倒するだけで」と真顔で一人呟いた当方。敢えて言うと、たまたま鑑賞した夜は凄い雷雨で、鑑賞中のその衝撃にはらはらしましたけれども。

 

そしてその冷静さではっきり映画部長に報告した当方。

「これは『ゼログラビティ』以降の『エイリアン』です」

 

国際宇宙ステーション(ISS)のメンバー。

火星から帰った無人探査機が連れ帰った地球外生命体に狂喜乱舞。その生物はカーヴィンと名付けられる。そのミトコンドリアレベルの生物の成長を見届け。ある時。その成長が止まった事で焦ったメンバーはカーヴィンを刺激。そこで覚醒したモノは最早「人類の友達」では無く、兎に角人類にとって凶器でしかない怪物であった。

どこにも逃げ場が無い、ISS内でのカーヴィンとの戦い。しかし、次第に彼らは「こいつを地球に持って帰ってしまったら」いう事に気づく。

 

意外と良い作品なんですよ。ネタバレはしませんが、特にラストがバシッと決まっていて。何かいい感じに丸め込むのかな~と思っていたら、しっかりと満足出来る仕上がりでした。

 

しっかし。人類にとって火星ってよほど夢と希望のある場所なんですね。去年でしたらそこで芋を作っている人物も居た訳ですし。(オデッセイ)

 

そこから採取した未確認生物を培養?恐ろしい。どんなパンドラの箱かもしれないのに…案の定、そいつはとんだ化け物で。

 

「しかし。エイリアンを初めとする、これまでのこの手の宇宙生物には何となく弱点があった気がするんやけれど…カーヴィンの可愛げの無い所は、およそ弱点らしい弱点が無い所」

 

一応…酸素が少なかったら活動が止まる?とか火は苦手??とかありましたけれど。何も立証出来ず。大体、無重力空間であそこまで動けたらもう弱点でも何でもないやんかと。

空気と水分で大きくなり、ステーション内を自由に飛び回り、人間を食べて強くなる。そんな透明なヒトデ型エイリアン。

 

真田広之が想像以上に良い仕事をしていました」

 

国際的な職場、という設定に彩りを加えるアジア人。という賑やかしではなく。きちんと『冷静沈着なシステムエンジニア』という役割をきちんと果たしていました。

 

このISSという一つの船の中で。「責任感溢れる女キャプテン」「検疫官」「地球に愛想を尽かした医者」「子供が生まれたばかりのシステムエンジニア」「半身不随の研究員」「その親友」各々のキャラクターの持つ使命。

 

彼らが、そんな得体の知れない怪物と対峙する時。

 

上手く出来ているなあ~。と感心。そして単純にはらはらし続けた当方。ですが。

 

どうしてもエイリアンの影を払拭出来ない、だってここは宇宙船だから…でも映像の美しさはそれとは全く違う。

 

全く違う繋がりですが。

 

ライアン・レイノルズ」=「デットプール」?!そうかそうか…。

デットプールも勿論観ましたがね。当方にとっての彼は「ハッピー・キラー・ボイス」の愛すべきサイコパスジェイミーで。

今回この感想文を書くに当たり、件の陽気なサントラを検索してしまった当方。


watanabeseijin.hatenablog.com

意外と…好きなんですよ。ジェイミー。そしてこういう作品。(初めて過去の記事を貼り付けました…)

当方の中で「ライアン・レイノルズ」と言えば…やっぱりこれで。

 

結構キャストもナイスで。映像も綺麗。得体の知れない怪物にはらはらさせられて。ラストだって好きな感じ。なのに小者感。

 

「それはやっぱり…『ゼログラビティ』と『エイリアン』を知ってしまっているから…」

 

観たら観たで満足出来る。でも何だか知っている。この世界観。

 

「兎に角エイリアン馬鹿の映画部長に観て欲しい。そして感想を教えて欲しい」

そうやって。じりじりと感想を待つ当方です。

 

 

 

映画部活動報告「コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団」

「コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団」観ました。
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ケヴィン・スミス監督作品。リリー=ローズ・メロディ・デップとハーレイ・クイン・スミス主演。『Mr.タスク』のスピンオフ作品。

 

同じ名前の仲良し女子高生。コリーン。同じ高校に通って。コリーン(リリーの方)の父親が経営するコンビニで一緒にバイト。何にしても無気力で、スマートフォン片手にだらだら。バイトだって、しょっちゅう勝手に店を閉めてはバンドの練習に明け暮れて。そんな二人が唯一リスペクトする相手。それは「ヨガ教室のヨガインストラクター」

明らかにうさん臭いそのヨガ教室。(何しろ、そのクラスには二人しか居ない)そのインストラクターを心の師とも崇める二人。

ある日。イケてる上級生男子に誘われて。コンビニを締め切ってデートしようとしていた二人。良い感じ…と思いきや、襲われそうになった所で突如現れた殺人小人集団。

一体何処から現れたのか?そして、どう見てもソーセージにしか見えない小人集団と、その黒幕の正体は?そして彼等の目的とは?

 

という様な事をやっていました。

 

「いやあ。リリー=ローズ・メロディ・デップはやっぱり可愛いなあ~。この10代の少女にありがちなひょろっとした体型と、猫っぽい顔立ち。やっぱり当方は女子は猫顔が好きです!…以上‼」

 

本当に。本当にこれで終わっても良い位なんですがね…まあ…いくら何でも…それ以外の良い所を一つ位は見つけてやらんと…終わってはいけないですかね。(もの凄く歯切れの悪い言い方)

 

だって。近年稀に見る、ぶっちぎったB級映画。もう清々しい程。文句も出ませんよ。

 

「兎に角全力で滑り倒す、そのジェットコースタードミノっぷり」

 

しれっとした女子高生二人組。その設定は定石。でも、彼女達のリスペクトするヨガインストラクターと、そのヨガポーズ。

実は毎週末ヨガ教室に通い、今年で11年目になる当方。(本当です)

体を動かす癖をつける為に通い出し、それ以上何の向上心も持たないので、未だ全く柔軟な体や悟りは得られていないのですが。

「余りにもええ加減過ぎるし、そして、敢えてこういう出鱈目を教えているという設定が話の中で生きてこない」

日頃やっているヨガのポーズでミニナチ集団を倒すシーンがあるんですが。あれ…普通のヨガポーズでええやん。というか、全編に渡ってふざけている中で、唯一まともなものが戦闘アイテムの方が面白いやん。

ヨガを知らない人にとっては、あれが本当にあるポーズなのか、ふざけてそう呼んでいるのか。全くのオリジナルなのかすらも分からんやん。

 

やんやん言ってしまいました…。

 

後、ナチ云々の話の収まりの悪さよ。

「昔カナダにもナチが居たの」社会の授業で。教師からおもむろに語られるカナダの歴史。(当方はその手の知識は皆無なので、どこまで似せた話だったのか、それとも映画上での作り話なのかは全く知りませんが)何だか都市伝説みたいな所に着地したその話。

結局は、その人物がこのコンビニ騒動にもろに関わってくるのですが。

 

「そいつの目的がしょぼい‼そして意味不明‼」

ナチ云々の設定じゃなくてもええやん。どこかのマッドサイエンティストとかでええやん。ナチって繊細な案件やねんから、軽々しく出さんほうがええんとちゃうの?

そしてあの最終兵器のチープさよ…。あかんやん。あれ…。

 

また、やんやん言ってしまいました。

 

ジョニー・デップも結構出ていましたが。何やったんやろう、あの役…。

後、会話や歌の中でのフランス語云々の下りも蛇足すぎる。「リリーってフランス語も喋れるのね!(そりゃあ、フランス人とのハーフやもんな)」って事ですか?自慢?意味が無いのなら余計な事はしない方が良いかと。

 

兎に角全編に渡るチープがなあ…。

 

あかんあかん。これは良い所が一切出て来てない。このままでは危険。

 

ハーレイ・ジョエル・オスメントを久しぶりに見ましたが、振り切れていて楽しかったです」

シックス・センスの子役から随分経って。見る影もないビジュアルになっている彼を知っては居ましたが。いやあ、ああいう子役上がりではじけている役者さんって、見ていてワクワクしますね。そしてやっぱり彼らは元々の演技力がしっかりしていますし。

 

何なんでしょうかね。これ、久しぶりの『オサレバーで無音で流していたらええ作品枠』な感じがしました。がちゃがちゃしていますが、無音なら気にならないし。

 

「ただ…ソーセージ様の小人が爆発するシーンとかがあるから…それは飲食店ではよくないのかもしれない…」

 

全身の力を抜いて。空っぽの状態で観るのが一番。何も考えない。突っ込まない。

 

まあ。リリー=ローズ・メロディ・デップとハーレイ・ジョエル・オスメントを愛でる。

その目的は果たせる映画でした。

 

映画部活動報告「ディストピア パンドラの少女」

ディストピア パンドラの少女」観ました。
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どこかの近未来。

刑務所さながらの施設。独房。そこに収容されている少女、メラニー。

 

決まった時間に起床。車いすに拘束され移動。そこには同じ恰好の同じ子供達。

その恰好のまま。教育を受ける子供達。

時間が来たら、彼らはまた独房に戻される。そして与えられる、おぞましい食事。

一体彼らは何なのか。

 

ここに関しては伏せると全く話が進みませんので。とっととネタバレしながら進みますが。

 

「これ。Z(ゾンビ)もの…なんですな」

 

眉間を寄せて。どこの重鎮だよという声をだしてみますがね。これ、Z案件なんですよ。足が速い系のZ。

 

正体不明の菌(キノコ系)に侵された人類。一度感染すればその脳は繊維化。思考停止。しかもその感染経路は主に接触感染(Zモノにありがちな『噛まれる』というアクションからの~血液?その潜伏時間は秒単位)及び、その母体となるキノコの胞子。

 

(とは言え、そのキノコ?的な植物の胞子を秘めた、爆弾みたいな『種』はまだ爆発はしていなくて…って、この一文は観た者にだけ分かるアンタッチャブルなキーワードなんですが)

 

どんどん増殖していくZ(この作品ではハングリーズで統一なので、以降そう表記)脅かされる人類。でも。

 

「ハングリーズ第二世代。彼らは知能を持ち、人としての気持ちを無くしていない」

 

主人公のメラニー。正にこのハングリーズ第二世代。

ハングリーズへと移行していく人類の中で、妊娠期にハングリーズ化してしまった母親達の体内を食い散らかして誕生した彼らは、人類にとって未知の存在。

 

果たして第二世代は人類を救う、ハングリーズに対抗するワクチンの源になるのか。

 

知性を持つ彼らは、一見『普通の子供』に見える。

 

だからこそ、まるで独房の様な施設に入れざるを得なかった。人間の様に扱う為の、最低限のモラル。人間の様に扱う為の…でも、彼らは人間では無い。

 

何故10代の幼い子供を独房に入れるのか。車いすに四肢体幹ごと拘束しなければいけないのか。

「結局はハングリーズだからだ」

 

人間の匂いを、その他生きている生物のに匂いを感知してしまったが最後。もう彼らは自己を制御出来ない。ましてや空腹を感じている時は一層。

そして。人類が食べている様なものは体が受け付けない。だからこそ、独房では生きたミミズ系のモノを食事として与えられていた。

例え大好きだと思う相手であっても。「食べたい」という衝動に駆られ、相手を襲ってしまう。その衝動を抑えられない。

ただ本能のまま。相手に飛び付き、襲い、食べてしまう。(殺す、又はハングリーズ化させてしまう)

 

ハングリーズ第二世代を収容、研究していた施設。そこがハングリーズに襲撃され。

 

女性のコールドウェル博士。パークス上官。主人公メラニー。そしてメラニーが敬愛する、女教師ヘレン。

命からがら脱出した彼らは、大きな本部へ向かい逃亡劇を繰り広げていく。

 

「何か色々惜しい気もするけれど…だってあの顔面拘束マスクの、全然いざという時役に立たない感じとか。そもそものハングリーズのルールがちょっと不透明であったりとか。あの『生きている者と分からせない、匂い消しクリーム』は画期的やったけれど…結局動くもの、音の出るものに群がるのならな…とか。いつまで何を原料にそんなもの生産出来るのかとか。

後、そんなにハングリーズが増えたら、彼らの中で食糧難が起きるやん、とか。そしてあんなに絶対的なハングリーズの母数が居る中で、ワクチンは果たしてどう有効なのかとか。…そして何よりも!!」

 

「(小声)メラニーが最後に取った判断と行動が良く分からん」

 

自然淘汰狙い?食料が無くなる中で、あの先生も、貴方達ハングリーズもどうやって生きていくの?

 

「(小声)何かほのぼのとした感じで風呂敷が畳まれていってるけれど…良く分からん」

 

後。これは余談ですが。

職場からの緊急時対応の為、絶対に電話連絡が出来る状態で無いといけなかった当方。でも…もうここの所平日も休日もずっとそんな感じで…どうしても映画が観たくて…(因みに、それは拘束力は強い癖に職場からは一銭も出ない、休日潰しな上に代休も発生しないブラック約束で)マナー違反ですが、マナーモードにして、シャツの中にスマートフォンを忍ばせ。もしバイブ通知が来たら素肌で感じるようにズボンのウエストに噛ませ、光も漏れない様にして鑑賞していたのですが。(重ね重ね。本当にこんな事は今までした事はありません)

 

そんな、当方の体と一体化したスマートフォンが「TSUTAYAメール」とかで震えた時と、隣に座っていた知らない男性が、作中突然足元のリュックサックをごそごそしだした時。当方は致死的不整脈に襲われる位驚きました。

(前者は単純にスマートフォンのバイブに。後者は…「ハングリーズ化か?!」という謎の動きが視界に入ったことで)

意外と集中して映画世界に入っているもんですね…。本当にびっくりしました。

 

結局、この作品の一番の見どころは『主人公少女の圧倒的マイノリティー』その救われなさが軸になっている所。この設定は覆されないからなあ~。その切なさ。

 

何だか深く考えたら「??」という事もありましたが。

ハングリーズ(Z)をこういう立場から描いているのは、珍しい作品だなと思いました。

映画部活動報告「ありがとう、トニ・エルドマン」

「ありがとう、トニ・エルドマン」観ました。
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ドイツ=オーストラリア映画。

いたずら好きで。常に皆を笑わせようとする父親と、働き盛りでキャリアウーマンの娘。

冒頭。互いに別々の場所で住んでいた二人が久しぶりに再会。

でも、仕事ばかりの娘を見た父親は心配になり。後日娘の住むマンションに遊びに行く。

殆ど親子の時間は取れず。帰宅した…はずの父親。なのに。

職場に。プライベートの場所に。「トニ・エルドマンです」と変装して現れる父親

余りにも突拍子の無い父親の行動にイライラしていた娘。でも。振り回されていく内に次第に縮まっていく、二人の関係。

 

162分。まあまあ長い作品。

結果的にはハッピーエンドに持って行く話でしたが…それが無理の無い、直ぐ様ご都合主義には持って行かない。細かい折り返しを何度も重ねた丁寧な作品だと感じました。

 

兎に角あの娘が良い!

 

建て付けの悪い入れ歯をがたがたさせながら。親父ギャグ満載。いつだってふざけて。でも心の底から娘を愛しているし、心配で堪らない。そんなナイスキャラのあの父親が最高なのは分かっている!…でも違う。あの父親としっかり対峙する、あの娘の存在こそがこの作品には重要で。

 

コンサルト会社でバリバリ働くキャリアウーマン。恐らく仕事も出来るんやろう。チームでは先頭を切って取引先とやり取り。きちんと付き合っているんじゃないけれど、セックスをする相手も居る。

会社が持つ高級マンションに一人で住んで。会社の名前を出せば利用出来るプールやマッサージに行って。ハイソな女友達を持って。

そんな絵に描いた様な「いい年で独身なのは仕事が恋人だからよ」(勿論、こんなセリフはありませんでした)という働く側の勝ち組女性。

 

「でも。疲れるよな…」

 

最近、担当している仕事が爆発的に忙しくなって。もう毎日が火の車。休日も職場からの電話が繋がる様に待機。映画部活動もままならなくなってきている当方の、心の底から出た言葉。(因みに当方はただの『古株平社員』なだけで。バリバリのキャリアなんとかではありません)

 

コンサルト会社。結局は、大手の会社等の経営を見直すに当たって無駄が無いかを見てあげるという内容。平たく言えば他社との吸収合併や、それに伴う子会社や末端企業の切り離し。つまりはトカゲのしっぽ切りを、大手の会社の代わりに担う役割。憎まれ役。

切るべき相手と深く関わってしまうと情が沸いてしまう。あくまでもクールに。でも穏便に行わないといけない話し合い。そして大手には常に媚びを売っておかねばならなくて。

それをバリバリとこなしている様に見える彼女。でも…どこか不器用な影がちらちらする。完璧を装った、疲れ切った一人の女性。

勿論仕事が嫌いなんじゃない。嫌々なんかじゃない。誇りを持って取り組んでいるし、自分にしか出来ない事だだという気概もある。でも。

 

「そういうのが常態化してくると、一体自分は何をしているのか分からなくなってくるんよな…」

 

そんな時。ひたすら面倒でうざったい父親がやって来て。何とか数日過ごして。関係が悪化する前に帰って貰った。と思ったのに!!

 

「でも、この娘は結局父親を追い払わない」

 

人間味を彼女は失っていない。

鬱陶しいし、もう自分は子供じゃない。

でも、父親が自分を心配してやって来た事も、心配だから付きまとっているのも分かっている。だから追い払えない。だって自分は父親が好きだから。

 

「正に、この親にしてこの子あり」

 

クールでドライなキャリアウーマン。そういう枠に自分を押し込めてきた。でも。そこに居るのはもう疲れた。

そして。父親がその枠を壊しに来るまで、疲れている事にも気づいていなかった。

 

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(余談ですが。こうやって背中のジッパー上げる人、初めて見ました)


当方が一番好きだったシーン。娘の誕生日ホームパーティ。

「何で?」という突飛過ぎる娘の行動でしたが…結局そこにちゃんと付き合った人達の「本物の仲間やないか!」という愛おしさ。「あんた!ちゃんと仲間居るやんか!」娘の肩を後ろからバンバン叩きたくなる衝動に駆られる当方。

そして可愛い後輩女子からの「地に足の着いた、本当に必要なプレゼント」に不覚にも涙が溢れた当方。こういう心使いが出来る貴方は素晴らしいよ…。その感性、大切にして欲しい。

 

全編に渡って人情モノなはずなのに、あくまでも流れは淡々として。感情を押し付けてくる事が無く、寧ろコミカルで。「これは嫌やなあ~」と苦笑いしていたら、段々しみじみとしてきて。そして力が湧いてくる。不思議過ぎる、心から離れない作品。

 

「今。こんなに疲れている時に、この作品を観る事が出来て」

本当に。映画のタイトル通りの気持ちです。

 

映画部活動報告「20センチュリー・ウーマン」

 .「20センチュリー・ウーマン」観ました。
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1979年。カルフォルニア州。サンタ―バーバラ

15歳の少年ジェイミーと、その母ドロシー55歳。シングルマザーで母子二人。

母親はこれまで割と寛容に、オープンに息子を育ててきた。でも。

難しくなっていく、息子との関係。ある時、母親は息子の幼馴染みの17歳のジェイミーと、下宿人の若い写真家のアビーに「息子の教育を手伝ってほしい」と頼む。

同じく下宿している唯一の成人男性ウイリアムも加え。

歪で。不器用で。そんな彼らの姿を描いた作品。

 

「ああ。この少年はいい男になりますよ」

 

15歳ってこういう感じやったっけ?そう思ってしまうくらいに分かりやすいピュアさを持つ主人公ジェイミー。

15歳は、下手したらもっと尖がって、母親なんて突っぱねて。そんな風でもおかしくないのですが…。

 

兎に角あの母親が素敵過ぎる。「どうして学校を休んではいけないの?」子供の頃。病気でもないのに休みたい、そんな息子の要望に対して、あくまでも明るい雰囲気で休ませた母親。

子供だからといって見くびらない。聞くべき意見はきちんと聞いて。相手の思いを尊重して。でもやっぱりおかしいと思ったら隠さず言う。

「でも忘れない。ユーモア感覚」

がっちがちの価値観で相手をがんじがらめにしないように。年上だと相手がかしこまらないように対応する。ちょっとしたユーモア。柔軟性。

「そしてフランクさ」

ご自慢の車(年代物)がスーパーの駐車場で突然発火。その消火作業に当たってくれた消防士をディナーに招待する。それには思わず息子も突っ込むけれど…結局その消防隊員達はディナーに参加。その窓口の広さ。

「でも。そんな自分が今。息子と上手くいっているのか分からない」

そんなに難しい少年だとも思わないんですがね…迷える母親は、息子にとって身近な同年代な女性二人に「生き方を見せてやって」と持ち掛ける。

 

正直、この話には劇的なハイライトがある訳では無く…いやいや丁寧に観ていけば常に色んな事象と感情は渦巻いているのですが。如何せん、お疲れボディで鑑賞してしまうといつの間にか眠りに落ちてしまうというという単調さで進行するのですが。

 

…当方は歳を取ってしまい、つまんない大人になってしまいましたんで…この若い女性二人に関して「本当にあんたたちは若いんやなあ~危なっかしい。当方がこの母親の立場ならば、一体彼女達から何を学べというやろう」と思ってしまいましたが。

 

取りあえず。写真家アビー。

子宮頸がん?を患うアビー。ロック?だかパンク?だか。兎に角刹那的なファッション、思想を持ちつつ。女性解放的な事を声だかに唱えすぎて、逆に女を強調してしまう。

「大体、15歳の少年に『オーガズム云々』という本を読ませる趣味の悪さよ」

 

そして、17歳のジュリー。

「禍々しい。こういう、ファニーフェイスの悪魔は10代の宮崎あおいはお手の物でしたよ!」

『害虫』『初恋』『好きだ』あの頃の宮崎あおいを彷彿とさせる、白い悪魔エル・ファニング

 

「15歳のジェイミーの部屋の窓から侵入。勝手にベットに入ってきて添い寝。でもエロ的な事は一切させない」

 

「舐めているのかー!!!!」(太文字ゴシック体)

 

なのに自称ビッチ。聞きたくもないセックス体験、エロ的なエピソード。でも「あんたとはそういうんじゃない」「やったら終わり」「あんたがエロに目覚めて面倒」

当方なら…自室の窓にトラでも仕留められるような罠でも仕掛けますよ。馬鹿にするなと。

 

「でもなあ。手に入らないモノを欲しがる、10代の愚かさよ」

アイツはただの顔が良いだけのかまってちゃん。都合よく甘えているだけ。傷付かない相手を見定めているだけ。

誰も私の孤独な心は満たせないといきまいて。「私はセックスで感じた事なんて無いわ」案の定風を纏いながら。…くだらねえ!ジェイミーよ!あんたこの時にこんな奴と上手くいかなくて結構!もっとまともで良い女が現れるよ!!…確かにジュリーは顔面偏差値は最高ランクやけれども。ただただ振り回されるだけやで。

 

お口が汚くなってしまいました…汚れた大人になってしまいました。

 

思わず心配になってしまう位、周囲の環境に染まってしまうジェイミー。40歳で出産したという事はいまは55歳の母親。自分では役不足ではないかと不安な母親。でも。

 

「自分が母親を大好きである事は変わらない。ずっと二人で良いのに(細かい言い回しうろ覚え)」

 

55歳。人生経験も積んで。でもどっしり構えられない。未だに揺れている自身がある事の不安。何もかもを格好良くはこなせない。というより寧ろ、もがいてばかり。

だからこそ。小娘二人(悪い言い方)に指南役を少し任せた。でも楽にはならない。それよりも、彼女達も含め、心配は広がるばかりで。

 

「どうしてそういう考え方をするの?僕はちゃんと母さんを認めているのに(細かい言い回しうろ覚え)

 

そういうやり取りに至るまでの。非常に丁寧な、視点を交互にラリーして紡いだ作品。

 

丁寧。かつ柔らかな光を纏った映像で終始お届け。

 

そんな夢みたいな青春を送った彼らの「そして私はこうなった」という未来の姿がまた一々リアル。

 

何だかノスタルジックで。甘くてだるくて。

昼間に観に行って、気だるく誘われる。まどろみに落ちる。でもそれもある意味ささやかな幸せ…そんな白昼夢のような作品でした。

映画部活動報告「おじいちゃんはデブゴン」

「おじいちゃんはデブゴン」観ました。


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「香港映画の重鎮。サモ・ハン監督が20年ぶりの復活」

これはこれは。

先日。小学生からの友人と、友人の誕生日をきっかけに久しぶりにランチに行ってきました。

非常に稀な考え方をする、純粋培養で生きてきた友人については語りだせばきりがないのですが、それは全く本編とは関係も無く、そして無駄に読んだものの心をざわつかせるだけだと思いますので割愛しますが。

「最近はどんな映画観てるん?」

そんな友人の何気無い言葉に「國村隼が韓国ではじけていたやつ」やら「スペインの鋼鉄ジーク」だのを当方が淡々と語る中「そっかー。何曜日かのロードショーでやったら観るわ~」なんて朗らかに言い放つ友人に「絶対にこれらが地上波に出る日など来ない」と返す当方。

「昔は色んな映画がテレビで観れたもんな~」「サモハンキンポ―とか、ユンピョウ、ジャッキーチェンが元気やった時。ホンマに面白かった」「後、アメリカのポリスアカデミーシリーズね」俄然盛り上がる休日のランチ。ノスタルジック中年の二人。

 

前置きが長くなりましたが。そこでまた冒頭に戻る訳ですよ。

 

「香港映画の重鎮。サモ・ハン監督が20年ぶりの復活」

これはこれは。見逃すわけにはいきませんなと。

主人公のディン。退役軍人。元要人警護。現役時代はバリバリに活躍していた。

しかし。ある日一緒に遊んでいた孫娘とはぐれてしまい。まさかのそのまま孫娘は行方不明。

怒り心頭の娘夫婦とも疎遠になってしまい。妻にも先立たれていたディンは、故郷である、ロシアとの国境に近い中国北東部でひっそりと一人暮らしをしていた。

少しずつ認知症の症状も出てきたディン。彼を気にして世話を焼いてくれる女性も居るけれど(ディンの借家の大家。そして彼女の息子は警察官)そっとしてほしくて、つれないディン。

そんなディンが唯一心を許す相手。隣家の少女チュンファ。

「髪型だけが取柄」というしがないチンピラの父親レイと二人で住むチュンファ。彼女は父親と喧嘩しては、しょっちゅうディンの家に転がり込んでくる。

学校にもあまり友達のいないチュンファはディンに懐き。そんなチュンファが可愛くて仕方ないディン。ほのぼのとした幸せな日々。

ある日。ギャンブルで散々借金を重ねていたレイは、その元締めであるマフィアのチョイからロシアマフィアから金品の入ったカバンを強奪してこいと強要される。そして、何故か成功するレイ。でもレイがその鞄を持ち逃げした事に寄って、娘のチュンファにも命の危険が迫ってくる。

 

「ここまで忠実に書いていたら…まあ、どうなるのかは分かるよなあ」

正直、話の展開自体はベタベタなストーリーやし。またそのストーリーを結構登場人物達が説明してしまったりと「いらんいらん。その説明要らん!」みたいな所、ありましたけれど…。

「これはサモ・ハンを観る映画なんやから。彼の『動けるデブ』健在っぷり。しかも結構な年齢になったはずなのにまだそんなに動けるなんて!」

まあ。そういう映画ですわ。

 

滅茶滅茶早く動く何かでは無い、でも「この重量がこんな力でのしかかってきたら…破壊力あるで」その連発。そして。

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「ああこれは。どんな固定器具使っても治せない骨折」

作中、兎に角「どうやって骨を折るか」を考えたんでしょうかね。ちょいちょい挟み込まれる『人間の可動域を越えた動き』『折れた骨のレントゲン画像みたいなのが映る』シーン。軒並み破壊的なダメージ。あれ、骨だけじゃ無くて神経とか腱とかもやられていますよ。

後で下っ端のチンピラが三角巾して現れていましたけれどね。恐らく彼のこれからの人生、一生その三角巾で腕を固定していないと。ぶらんぶらんで腕は使えないやろうし、肩がすぐ脱臼しますよ。そしていつかは切断。恐ろしい…。

 

とあるジャンル映像に於ける「その物語シーンはいいから!肝心の所を見せてくれ!」とせかしてしまう性をお持ちの皆さまを納得させる、そんなクオリティ。(唐突に当方は何を言っているのか)まあ、男子って仕方が無いですよね…アクションがお好きですから…数多のジャンルの…。(誰だ!)

 

ですが。この作品は決して「サモ・ハンのアクションを楽しむ」だけの映画では無かったと当方は思いました。

前述した『ベタベタなストーリー』その主人公が『初期の認知症と診断された老人』という哀しさ。

60代を老人と呼ぶのか問題は置いておいて。確実に見える『老い』体は無意識に動くけれど。負傷したとはいえヒョコヒョコした歩き方には哀愁が漂い。

そして何より、自分が自分で無くなっていく不安。記憶に無い、そしていつかは何も自分には分からなくなるのだろうという怖さ。

「目が凄く綺麗というか…可愛いというか…」戦っている時は険しいですが。その他の時のディンの目の表情の定まらなさ。兎に角目力は半端ないけれど、何となく虚ろで。(ただ。サモ・ハンがそこまで考えて演技していたのかは…正直分からないですけれど)

また、そんなディンとチュンファの絵に描いた様な日々。二人でアイスを食べて、魚釣りをして。遊んだ日々。

 

ディンが、かつて失った孫娘とチュンファを重ねているのは間違い無い。でも…。

 

「自身の認知症についても、孫娘についても、決してご都合主義な結末に落とし込まなかった所は、凄く評価出来る」

ベタベタなストーリーであるからこそ。だからこそ幾らでも都合の良い大円団に持ち込める。全員が幸せになれる。そうなるのかなと危惧したのもあって。この作品の結末は非常にフェアであったと思いました。

「ただ。少し寂しくなるけれど」

 

久しぶりのサモ・ハン映画。こちらも歳を取ったので…心に刺さる場所は、昔とは全然違う場所でした。

 

映画部活動報告「セールスマン」

「セールスマン」観ました。


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2017年。米アカデミー賞外国語映画賞」受賞作品。

イラン。アスガー・ファルハディ監督作品。

 

とある劇団。共にその劇団員であり、夫婦でもある二人。

引っ越したばかりのアパートで。ある夜一人で居た妻が侵入者に襲われる。

警察に届ける事を拒んだ妻。犯人を捕まえたい夫。

何の問題も無かった夫婦は次第にすれ違い始め…。

作中。二人が演ずる戯曲『セールスマンの死

時代の変化から取り残されていく主人公を演じる夫。物語が進むにつれ、その戯曲が物語の奥行を広げていく。

 

「これは…」鑑賞後。余りの後味の悪さに、苦々しい表情で一杯になる当方。(分かりにくいのですが、褒めています)

 

冒頭。夫婦の住むアパートが突然前触れも無く半壊。逃げ惑う住民達。

その、不穏な物語の幕開け。

住む場所を失った夫婦は、劇団の主宰者からとあるアパートを紹介される。まだ前の住民の引っ越しが完了しておらず荷物が残っているが、空き物件を知っているぞと。

もう劇場で眠るしかないかと言っていた夫婦は、すぐさまその物件に飛びついて。

引っ越しの荷物整理も終わらぬ状態。舞台を終えた後、妻が先に帰宅。翌朝の食料等を買い込んで後から帰宅した夫が自宅で見たものは、血まみれの浴室。

 

「おっかねええ」震える当方。ですが…「これ、言ってはいかんのやろうけれど…奥さん不用心過ぎる」妻の行動がそもそも危なすぎる。

メイクを落としていたらインターホンが鳴って。例え夫だと思っても、玄関の鍵を開けてから風呂に入るって。怖い。怖すぎる。

「鍵一つしか持ってないんやったっけ?」よく思い出せませんけれど。夫は自分の鍵でアパートのエントランスのドアを開ければいいし、階段を上がった後、玄関のすぐ前でもう一回インターホンが鳴ってから、声を確認して鍵を開けるべきで。

赤ずきんちゃんの話を知らんのか。(知らんやろうな)

「裸という最も弱い状態で。風呂に入っている時に誰かが入ってくるって。もう堪らん。無防備過ぎて怖い」

案の定。闖入者に襲われる妻。

「いや。性被害に遭った者に対して、お前が悪かったんだはナンセンス」分かっているんですがね。ですがね…あの不用心さは命取りやなあと。

(後、そんな被害に遭った後もあの奥さん、結構玄関の鍵を開けておくシーンがあるんですよ。その度に「何でだ!」と思いましたね)

 

性被害者になってしまった妻。心も体も傷ついた。でも…警察には届けたくない。公にしたくない。

一人になるのは怖い。お願いだから一緒に居て。

 

「と言われても。どうしたらいいのか」

戸惑う夫。愛する妻が傷つけられた。憎い。妻をこんな目に遭わせた犯人が憎い。絶対に捕まえたい。犯人を滅茶苦茶にしてやりたい。だって。だって自分の妻を、そして自分たちの生活を滅茶苦茶にした。なのに。妻は犯人を捕まえる事を望んでいない。

 

一緒に居ろと言っても。自分には、劇団の仕事の他にも学校講師という仕事もある。

家で一人で居るのが怖いと、いつも通り舞台に上がったが、妻は途中で取り乱し、舞台は途中で休演となってしまった。もうどうして欲しいのか分からない。

 

具体的な指示が欲しい。そう焦る夫。「犯人を捕まえて溜飲を下げたい」自分にとってはそれが最も明確な解決方法で。なのに肝心の妻は煮え切らない。彼女の感情は余りにもアンバランスで、どうして欲しいのかが扱えない。

 

「違うんだよな…」深々とした溜息を付く当方。

 

自分にも負い目がある。不用心に鍵を開けた事。そしてもう数えられない位に繰り返したのであろう「あの時何故」のたらればの後悔。悔しくないはずがない。犯人を許している訳が無い。もう一生消えない傷を、体だけじゃない、心に負った。でも。

「犯人にもう一度会うなんて。怖い」

自分のプライドも何もかもを踏みにじった相手。忘れる事は出来ないけれど。もう会いたくない。あの時起きた事を、そんな奴の口から聞きたくない。

犯人探しにやっきになる夫。でもお願いだから、今はそっとしていて欲しい。

下手したら死にたくなる位に絶望したり、数多の感情で渦巻いている自分を、ただひっそりと支えて欲しい。

 

愛する夫の冷酷な姿を見てしまった。知らなかった一面。離れていく心。止められず。

 

作中で妻がそう語るシーンはありませんので。あくまでも途方の勝手な解釈ですが。

 

「あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が 今は もう通わない」

あの素晴らしい愛をもう一度』案件。正にそうだなと思った当方。

 

かつて夫婦の心は繋がっていた。なのに。冒頭の不穏で唐突なアパート半壊事件のごとく。

突然見舞われた厄災。それによって。不幸にも亀裂が入っていく二人。

 

最終。物語は怒涛の展開を迎え。非常に苦々しい気持ちで一杯になるのですが…。

 

『ふがいない僕は空をみた』窪美澄原作。2012年タナダユキ監督作品を思い出す当方。

 

憎むべき性犯罪者。勿論その犯罪の内容については、なんら擁護する所なんて無い。でも。

「性犯罪者が、全てにおいて悪い奴では無い」性犯罪者だけでは無いですが。

誰かにとっては悪人であっても。誰かにとってはかけがえのない人物であったりもする。性質の中で、どこかが突き抜けてアウトであっても。優しい所もある。好かれる所もある。

人一人を語るとき。その個人を見る視点は余りにも多角的であって。

(『ふがいない~』は当方のタナダユキ監督作品の暫定ベストです)

 

「でも。憎むべき相手だからこそ。圧倒的な悪人であって欲しかった」

 

ましてや哀れみを感じるなんて。本当に始末が悪い。元々の発端はこいつの浅はかな気まぐれなのに。そんな事で、こちらは何もかもを失ったのに。なのに。こんな弱弱しい相手に感情をぶつけないといけないなんて。何だか自分の方が悪い奴みたいな罪悪感に襲われるなんて。

 

あの。息を呑む怒涛の展開。そして苦すぎる着地。

 

「ああもう。何なんだ。この苦しい気持ち」やりきれない。

やっぱり、あの結末以上にも以下にもならないんだろうなと思いながら。

 

こんなに後味の悪い作品は久しぶりでした。(ややこしいのですが、褒めています)