ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ディストピア パンドラの少女」

ディストピア パンドラの少女」観ました。
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どこかの近未来。

刑務所さながらの施設。独房。そこに収容されている少女、メラニー。

 

決まった時間に起床。車いすに拘束され移動。そこには同じ恰好の同じ子供達。

その恰好のまま。教育を受ける子供達。

時間が来たら、彼らはまた独房に戻される。そして与えられる、おぞましい食事。

一体彼らは何なのか。

 

ここに関しては伏せると全く話が進みませんので。とっととネタバレしながら進みますが。

 

「これ。Z(ゾンビ)もの…なんですな」

 

眉間を寄せて。どこの重鎮だよという声をだしてみますがね。これ、Z案件なんですよ。足が速い系のZ。

 

正体不明の菌(キノコ系)に侵された人類。一度感染すればその脳は繊維化。思考停止。しかもその感染経路は主に接触感染(Zモノにありがちな『噛まれる』というアクションからの~血液?その潜伏時間は秒単位)及び、その母体となるキノコの胞子。

 

(とは言え、そのキノコ?的な植物の胞子を秘めた、爆弾みたいな『種』はまだ爆発はしていなくて…って、この一文は観た者にだけ分かるアンタッチャブルなキーワードなんですが)

 

どんどん増殖していくZ(この作品ではハングリーズで統一なので、以降そう表記)脅かされる人類。でも。

 

「ハングリーズ第二世代。彼らは知能を持ち、人としての気持ちを無くしていない」

 

主人公のメラニー。正にこのハングリーズ第二世代。

ハングリーズへと移行していく人類の中で、妊娠期にハングリーズ化してしまった母親達の体内を食い散らかして誕生した彼らは、人類にとって未知の存在。

 

果たして第二世代は人類を救う、ハングリーズに対抗するワクチンの源になるのか。

 

知性を持つ彼らは、一見『普通の子供』に見える。

 

だからこそ、まるで独房の様な施設に入れざるを得なかった。人間の様に扱う為の、最低限のモラル。人間の様に扱う為の…でも、彼らは人間では無い。

 

何故10代の幼い子供を独房に入れるのか。車いすに四肢体幹ごと拘束しなければいけないのか。

「結局はハングリーズだからだ」

 

人間の匂いを、その他生きている生物のに匂いを感知してしまったが最後。もう彼らは自己を制御出来ない。ましてや空腹を感じている時は一層。

そして。人類が食べている様なものは体が受け付けない。だからこそ、独房では生きたミミズ系のモノを食事として与えられていた。

例え大好きだと思う相手であっても。「食べたい」という衝動に駆られ、相手を襲ってしまう。その衝動を抑えられない。

ただ本能のまま。相手に飛び付き、襲い、食べてしまう。(殺す、又はハングリーズ化させてしまう)

 

ハングリーズ第二世代を収容、研究していた施設。そこがハングリーズに襲撃され。

 

女性のコールドウェル博士。パークス上官。主人公メラニー。そしてメラニーが敬愛する、女教師ヘレン。

命からがら脱出した彼らは、大きな本部へ向かい逃亡劇を繰り広げていく。

 

「何か色々惜しい気もするけれど…だってあの顔面拘束マスクの、全然いざという時役に立たない感じとか。そもそものハングリーズのルールがちょっと不透明であったりとか。あの『生きている者と分からせない、匂い消しクリーム』は画期的やったけれど…結局動くもの、音の出るものに群がるのならな…とか。いつまで何を原料にそんなもの生産出来るのかとか。

後、そんなにハングリーズが増えたら、彼らの中で食糧難が起きるやん、とか。そしてあんなに絶対的なハングリーズの母数が居る中で、ワクチンは果たしてどう有効なのかとか。…そして何よりも!!」

 

「(小声)メラニーが最後に取った判断と行動が良く分からん」

 

自然淘汰狙い?食料が無くなる中で、あの先生も、貴方達ハングリーズもどうやって生きていくの?

 

「(小声)何かほのぼのとした感じで風呂敷が畳まれていってるけれど…良く分からん」

 

後。これは余談ですが。

職場からの緊急時対応の為、絶対に電話連絡が出来る状態で無いといけなかった当方。でも…もうここの所平日も休日もずっとそんな感じで…どうしても映画が観たくて…(因みに、それは拘束力は強い癖に職場からは一銭も出ない、休日潰しな上に代休も発生しないブラック約束で)マナー違反ですが、マナーモードにして、シャツの中にスマートフォンを忍ばせ。もしバイブ通知が来たら素肌で感じるようにズボンのウエストに噛ませ、光も漏れない様にして鑑賞していたのですが。(重ね重ね。本当にこんな事は今までした事はありません)

 

そんな、当方の体と一体化したスマートフォンが「TSUTAYAメール」とかで震えた時と、隣に座っていた知らない男性が、作中突然足元のリュックサックをごそごそしだした時。当方は致死的不整脈に襲われる位驚きました。

(前者は単純にスマートフォンのバイブに。後者は…「ハングリーズ化か?!」という謎の動きが視界に入ったことで)

意外と集中して映画世界に入っているもんですね…。本当にびっくりしました。

 

結局、この作品の一番の見どころは『主人公少女の圧倒的マイノリティー』その救われなさが軸になっている所。この設定は覆されないからなあ~。その切なさ。

 

何だか深く考えたら「??」という事もありましたが。

ハングリーズ(Z)をこういう立場から描いているのは、珍しい作品だなと思いました。

映画部活動報告「ありがとう、トニ・エルドマン」

「ありがとう、トニ・エルドマン」観ました。
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ドイツ=オーストラリア映画。

いたずら好きで。常に皆を笑わせようとする父親と、働き盛りでキャリアウーマンの娘。

冒頭。互いに別々の場所で住んでいた二人が久しぶりに再会。

でも、仕事ばかりの娘を見た父親は心配になり。後日娘の住むマンションに遊びに行く。

殆ど親子の時間は取れず。帰宅した…はずの父親。なのに。

職場に。プライベートの場所に。「トニ・エルドマンです」と変装して現れる父親

余りにも突拍子の無い父親の行動にイライラしていた娘。でも。振り回されていく内に次第に縮まっていく、二人の関係。

 

162分。まあまあ長い作品。

結果的にはハッピーエンドに持って行く話でしたが…それが無理の無い、直ぐ様ご都合主義には持って行かない。細かい折り返しを何度も重ねた丁寧な作品だと感じました。

 

兎に角あの娘が良い!

 

建て付けの悪い入れ歯をがたがたさせながら。親父ギャグ満載。いつだってふざけて。でも心の底から娘を愛しているし、心配で堪らない。そんなナイスキャラのあの父親が最高なのは分かっている!…でも違う。あの父親としっかり対峙する、あの娘の存在こそがこの作品には重要で。

 

コンサルト会社でバリバリ働くキャリアウーマン。恐らく仕事も出来るんやろう。チームでは先頭を切って取引先とやり取り。きちんと付き合っているんじゃないけれど、セックスをする相手も居る。

会社が持つ高級マンションに一人で住んで。会社の名前を出せば利用出来るプールやマッサージに行って。ハイソな女友達を持って。

そんな絵に描いた様な「いい年で独身なのは仕事が恋人だからよ」(勿論、こんなセリフはありませんでした)という働く側の勝ち組女性。

 

「でも。疲れるよな…」

 

最近、担当している仕事が爆発的に忙しくなって。もう毎日が火の車。休日も職場からの電話が繋がる様に待機。映画部活動もままならなくなってきている当方の、心の底から出た言葉。(因みに当方はただの『古株平社員』なだけで。バリバリのキャリアなんとかではありません)

 

コンサルト会社。結局は、大手の会社等の経営を見直すに当たって無駄が無いかを見てあげるという内容。平たく言えば他社との吸収合併や、それに伴う子会社や末端企業の切り離し。つまりはトカゲのしっぽ切りを、大手の会社の代わりに担う役割。憎まれ役。

切るべき相手と深く関わってしまうと情が沸いてしまう。あくまでもクールに。でも穏便に行わないといけない話し合い。そして大手には常に媚びを売っておかねばならなくて。

それをバリバリとこなしている様に見える彼女。でも…どこか不器用な影がちらちらする。完璧を装った、疲れ切った一人の女性。

勿論仕事が嫌いなんじゃない。嫌々なんかじゃない。誇りを持って取り組んでいるし、自分にしか出来ない事だだという気概もある。でも。

 

「そういうのが常態化してくると、一体自分は何をしているのか分からなくなってくるんよな…」

 

そんな時。ひたすら面倒でうざったい父親がやって来て。何とか数日過ごして。関係が悪化する前に帰って貰った。と思ったのに!!

 

「でも、この娘は結局父親を追い払わない」

 

人間味を彼女は失っていない。

鬱陶しいし、もう自分は子供じゃない。

でも、父親が自分を心配してやって来た事も、心配だから付きまとっているのも分かっている。だから追い払えない。だって自分は父親が好きだから。

 

「正に、この親にしてこの子あり」

 

クールでドライなキャリアウーマン。そういう枠に自分を押し込めてきた。でも。そこに居るのはもう疲れた。

そして。父親がその枠を壊しに来るまで、疲れている事にも気づいていなかった。

 

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(余談ですが。こうやって背中のジッパー上げる人、初めて見ました)


当方が一番好きだったシーン。娘の誕生日ホームパーティ。

「何で?」という突飛過ぎる娘の行動でしたが…結局そこにちゃんと付き合った人達の「本物の仲間やないか!」という愛おしさ。「あんた!ちゃんと仲間居るやんか!」娘の肩を後ろからバンバン叩きたくなる衝動に駆られる当方。

そして可愛い後輩女子からの「地に足の着いた、本当に必要なプレゼント」に不覚にも涙が溢れた当方。こういう心使いが出来る貴方は素晴らしいよ…。その感性、大切にして欲しい。

 

全編に渡って人情モノなはずなのに、あくまでも流れは淡々として。感情を押し付けてくる事が無く、寧ろコミカルで。「これは嫌やなあ~」と苦笑いしていたら、段々しみじみとしてきて。そして力が湧いてくる。不思議過ぎる、心から離れない作品。

 

「今。こんなに疲れている時に、この作品を観る事が出来て」

本当に。映画のタイトル通りの気持ちです。

 

映画部活動報告「20センチュリー・ウーマン」

 .「20センチュリー・ウーマン」観ました。
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1979年。カルフォルニア州。サンタ―バーバラ

15歳の少年ジェイミーと、その母ドロシー55歳。シングルマザーで母子二人。

母親はこれまで割と寛容に、オープンに息子を育ててきた。でも。

難しくなっていく、息子との関係。ある時、母親は息子の幼馴染みの17歳のジェイミーと、下宿人の若い写真家のアビーに「息子の教育を手伝ってほしい」と頼む。

同じく下宿している唯一の成人男性ウイリアムも加え。

歪で。不器用で。そんな彼らの姿を描いた作品。

 

「ああ。この少年はいい男になりますよ」

 

15歳ってこういう感じやったっけ?そう思ってしまうくらいに分かりやすいピュアさを持つ主人公ジェイミー。

15歳は、下手したらもっと尖がって、母親なんて突っぱねて。そんな風でもおかしくないのですが…。

 

兎に角あの母親が素敵過ぎる。「どうして学校を休んではいけないの?」子供の頃。病気でもないのに休みたい、そんな息子の要望に対して、あくまでも明るい雰囲気で休ませた母親。

子供だからといって見くびらない。聞くべき意見はきちんと聞いて。相手の思いを尊重して。でもやっぱりおかしいと思ったら隠さず言う。

「でも忘れない。ユーモア感覚」

がっちがちの価値観で相手をがんじがらめにしないように。年上だと相手がかしこまらないように対応する。ちょっとしたユーモア。柔軟性。

「そしてフランクさ」

ご自慢の車(年代物)がスーパーの駐車場で突然発火。その消火作業に当たってくれた消防士をディナーに招待する。それには思わず息子も突っ込むけれど…結局その消防隊員達はディナーに参加。その窓口の広さ。

「でも。そんな自分が今。息子と上手くいっているのか分からない」

そんなに難しい少年だとも思わないんですがね…迷える母親は、息子にとって身近な同年代な女性二人に「生き方を見せてやって」と持ち掛ける。

 

正直、この話には劇的なハイライトがある訳では無く…いやいや丁寧に観ていけば常に色んな事象と感情は渦巻いているのですが。如何せん、お疲れボディで鑑賞してしまうといつの間にか眠りに落ちてしまうというという単調さで進行するのですが。

 

…当方は歳を取ってしまい、つまんない大人になってしまいましたんで…この若い女性二人に関して「本当にあんたたちは若いんやなあ~危なっかしい。当方がこの母親の立場ならば、一体彼女達から何を学べというやろう」と思ってしまいましたが。

 

取りあえず。写真家アビー。

子宮頸がん?を患うアビー。ロック?だかパンク?だか。兎に角刹那的なファッション、思想を持ちつつ。女性解放的な事を声だかに唱えすぎて、逆に女を強調してしまう。

「大体、15歳の少年に『オーガズム云々』という本を読ませる趣味の悪さよ」

 

そして、17歳のジュリー。

「禍々しい。こういう、ファニーフェイスの悪魔は10代の宮崎あおいはお手の物でしたよ!」

『害虫』『初恋』『好きだ』あの頃の宮崎あおいを彷彿とさせる、白い悪魔エル・ファニング

 

「15歳のジェイミーの部屋の窓から侵入。勝手にベットに入ってきて添い寝。でもエロ的な事は一切させない」

 

「舐めているのかー!!!!」(太文字ゴシック体)

 

なのに自称ビッチ。聞きたくもないセックス体験、エロ的なエピソード。でも「あんたとはそういうんじゃない」「やったら終わり」「あんたがエロに目覚めて面倒」

当方なら…自室の窓にトラでも仕留められるような罠でも仕掛けますよ。馬鹿にするなと。

 

「でもなあ。手に入らないモノを欲しがる、10代の愚かさよ」

アイツはただの顔が良いだけのかまってちゃん。都合よく甘えているだけ。傷付かない相手を見定めているだけ。

誰も私の孤独な心は満たせないといきまいて。「私はセックスで感じた事なんて無いわ」案の定風を纏いながら。…くだらねえ!ジェイミーよ!あんたこの時にこんな奴と上手くいかなくて結構!もっとまともで良い女が現れるよ!!…確かにジュリーは顔面偏差値は最高ランクやけれども。ただただ振り回されるだけやで。

 

お口が汚くなってしまいました…汚れた大人になってしまいました。

 

思わず心配になってしまう位、周囲の環境に染まってしまうジェイミー。40歳で出産したという事はいまは55歳の母親。自分では役不足ではないかと不安な母親。でも。

 

「自分が母親を大好きである事は変わらない。ずっと二人で良いのに(細かい言い回しうろ覚え)」

 

55歳。人生経験も積んで。でもどっしり構えられない。未だに揺れている自身がある事の不安。何もかもを格好良くはこなせない。というより寧ろ、もがいてばかり。

だからこそ。小娘二人(悪い言い方)に指南役を少し任せた。でも楽にはならない。それよりも、彼女達も含め、心配は広がるばかりで。

 

「どうしてそういう考え方をするの?僕はちゃんと母さんを認めているのに(細かい言い回しうろ覚え)

 

そういうやり取りに至るまでの。非常に丁寧な、視点を交互にラリーして紡いだ作品。

 

丁寧。かつ柔らかな光を纏った映像で終始お届け。

 

そんな夢みたいな青春を送った彼らの「そして私はこうなった」という未来の姿がまた一々リアル。

 

何だかノスタルジックで。甘くてだるくて。

昼間に観に行って、気だるく誘われる。まどろみに落ちる。でもそれもある意味ささやかな幸せ…そんな白昼夢のような作品でした。

映画部活動報告「おじいちゃんはデブゴン」

「おじいちゃんはデブゴン」観ました。


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「香港映画の重鎮。サモ・ハン監督が20年ぶりの復活」

これはこれは。

先日。小学生からの友人と、友人の誕生日をきっかけに久しぶりにランチに行ってきました。

非常に稀な考え方をする、純粋培養で生きてきた友人については語りだせばきりがないのですが、それは全く本編とは関係も無く、そして無駄に読んだものの心をざわつかせるだけだと思いますので割愛しますが。

「最近はどんな映画観てるん?」

そんな友人の何気無い言葉に「國村隼が韓国ではじけていたやつ」やら「スペインの鋼鉄ジーク」だのを当方が淡々と語る中「そっかー。何曜日かのロードショーでやったら観るわ~」なんて朗らかに言い放つ友人に「絶対にこれらが地上波に出る日など来ない」と返す当方。

「昔は色んな映画がテレビで観れたもんな~」「サモハンキンポ―とか、ユンピョウ、ジャッキーチェンが元気やった時。ホンマに面白かった」「後、アメリカのポリスアカデミーシリーズね」俄然盛り上がる休日のランチ。ノスタルジック中年の二人。

 

前置きが長くなりましたが。そこでまた冒頭に戻る訳ですよ。

 

「香港映画の重鎮。サモ・ハン監督が20年ぶりの復活」

これはこれは。見逃すわけにはいきませんなと。

主人公のディン。退役軍人。元要人警護。現役時代はバリバリに活躍していた。

しかし。ある日一緒に遊んでいた孫娘とはぐれてしまい。まさかのそのまま孫娘は行方不明。

怒り心頭の娘夫婦とも疎遠になってしまい。妻にも先立たれていたディンは、故郷である、ロシアとの国境に近い中国北東部でひっそりと一人暮らしをしていた。

少しずつ認知症の症状も出てきたディン。彼を気にして世話を焼いてくれる女性も居るけれど(ディンの借家の大家。そして彼女の息子は警察官)そっとしてほしくて、つれないディン。

そんなディンが唯一心を許す相手。隣家の少女チュンファ。

「髪型だけが取柄」というしがないチンピラの父親レイと二人で住むチュンファ。彼女は父親と喧嘩しては、しょっちゅうディンの家に転がり込んでくる。

学校にもあまり友達のいないチュンファはディンに懐き。そんなチュンファが可愛くて仕方ないディン。ほのぼのとした幸せな日々。

ある日。ギャンブルで散々借金を重ねていたレイは、その元締めであるマフィアのチョイからロシアマフィアから金品の入ったカバンを強奪してこいと強要される。そして、何故か成功するレイ。でもレイがその鞄を持ち逃げした事に寄って、娘のチュンファにも命の危険が迫ってくる。

 

「ここまで忠実に書いていたら…まあ、どうなるのかは分かるよなあ」

正直、話の展開自体はベタベタなストーリーやし。またそのストーリーを結構登場人物達が説明してしまったりと「いらんいらん。その説明要らん!」みたいな所、ありましたけれど…。

「これはサモ・ハンを観る映画なんやから。彼の『動けるデブ』健在っぷり。しかも結構な年齢になったはずなのにまだそんなに動けるなんて!」

まあ。そういう映画ですわ。

 

滅茶滅茶早く動く何かでは無い、でも「この重量がこんな力でのしかかってきたら…破壊力あるで」その連発。そして。

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「ああこれは。どんな固定器具使っても治せない骨折」

作中、兎に角「どうやって骨を折るか」を考えたんでしょうかね。ちょいちょい挟み込まれる『人間の可動域を越えた動き』『折れた骨のレントゲン画像みたいなのが映る』シーン。軒並み破壊的なダメージ。あれ、骨だけじゃ無くて神経とか腱とかもやられていますよ。

後で下っ端のチンピラが三角巾して現れていましたけれどね。恐らく彼のこれからの人生、一生その三角巾で腕を固定していないと。ぶらんぶらんで腕は使えないやろうし、肩がすぐ脱臼しますよ。そしていつかは切断。恐ろしい…。

 

とあるジャンル映像に於ける「その物語シーンはいいから!肝心の所を見せてくれ!」とせかしてしまう性をお持ちの皆さまを納得させる、そんなクオリティ。(唐突に当方は何を言っているのか)まあ、男子って仕方が無いですよね…アクションがお好きですから…数多のジャンルの…。(誰だ!)

 

ですが。この作品は決して「サモ・ハンのアクションを楽しむ」だけの映画では無かったと当方は思いました。

前述した『ベタベタなストーリー』その主人公が『初期の認知症と診断された老人』という哀しさ。

60代を老人と呼ぶのか問題は置いておいて。確実に見える『老い』体は無意識に動くけれど。負傷したとはいえヒョコヒョコした歩き方には哀愁が漂い。

そして何より、自分が自分で無くなっていく不安。記憶に無い、そしていつかは何も自分には分からなくなるのだろうという怖さ。

「目が凄く綺麗というか…可愛いというか…」戦っている時は険しいですが。その他の時のディンの目の表情の定まらなさ。兎に角目力は半端ないけれど、何となく虚ろで。(ただ。サモ・ハンがそこまで考えて演技していたのかは…正直分からないですけれど)

また、そんなディンとチュンファの絵に描いた様な日々。二人でアイスを食べて、魚釣りをして。遊んだ日々。

 

ディンが、かつて失った孫娘とチュンファを重ねているのは間違い無い。でも…。

 

「自身の認知症についても、孫娘についても、決してご都合主義な結末に落とし込まなかった所は、凄く評価出来る」

ベタベタなストーリーであるからこそ。だからこそ幾らでも都合の良い大円団に持ち込める。全員が幸せになれる。そうなるのかなと危惧したのもあって。この作品の結末は非常にフェアであったと思いました。

「ただ。少し寂しくなるけれど」

 

久しぶりのサモ・ハン映画。こちらも歳を取ったので…心に刺さる場所は、昔とは全然違う場所でした。

 

映画部活動報告「セールスマン」

「セールスマン」観ました。


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2017年。米アカデミー賞外国語映画賞」受賞作品。

イラン。アスガー・ファルハディ監督作品。

 

とある劇団。共にその劇団員であり、夫婦でもある二人。

引っ越したばかりのアパートで。ある夜一人で居た妻が侵入者に襲われる。

警察に届ける事を拒んだ妻。犯人を捕まえたい夫。

何の問題も無かった夫婦は次第にすれ違い始め…。

作中。二人が演ずる戯曲『セールスマンの死

時代の変化から取り残されていく主人公を演じる夫。物語が進むにつれ、その戯曲が物語の奥行を広げていく。

 

「これは…」鑑賞後。余りの後味の悪さに、苦々しい表情で一杯になる当方。(分かりにくいのですが、褒めています)

 

冒頭。夫婦の住むアパートが突然前触れも無く半壊。逃げ惑う住民達。

その、不穏な物語の幕開け。

住む場所を失った夫婦は、劇団の主宰者からとあるアパートを紹介される。まだ前の住民の引っ越しが完了しておらず荷物が残っているが、空き物件を知っているぞと。

もう劇場で眠るしかないかと言っていた夫婦は、すぐさまその物件に飛びついて。

引っ越しの荷物整理も終わらぬ状態。舞台を終えた後、妻が先に帰宅。翌朝の食料等を買い込んで後から帰宅した夫が自宅で見たものは、血まみれの浴室。

 

「おっかねええ」震える当方。ですが…「これ、言ってはいかんのやろうけれど…奥さん不用心過ぎる」妻の行動がそもそも危なすぎる。

メイクを落としていたらインターホンが鳴って。例え夫だと思っても、玄関の鍵を開けてから風呂に入るって。怖い。怖すぎる。

「鍵一つしか持ってないんやったっけ?」よく思い出せませんけれど。夫は自分の鍵でアパートのエントランスのドアを開ければいいし、階段を上がった後、玄関のすぐ前でもう一回インターホンが鳴ってから、声を確認して鍵を開けるべきで。

赤ずきんちゃんの話を知らんのか。(知らんやろうな)

「裸という最も弱い状態で。風呂に入っている時に誰かが入ってくるって。もう堪らん。無防備過ぎて怖い」

案の定。闖入者に襲われる妻。

「いや。性被害に遭った者に対して、お前が悪かったんだはナンセンス」分かっているんですがね。ですがね…あの不用心さは命取りやなあと。

(後、そんな被害に遭った後もあの奥さん、結構玄関の鍵を開けておくシーンがあるんですよ。その度に「何でだ!」と思いましたね)

 

性被害者になってしまった妻。心も体も傷ついた。でも…警察には届けたくない。公にしたくない。

一人になるのは怖い。お願いだから一緒に居て。

 

「と言われても。どうしたらいいのか」

戸惑う夫。愛する妻が傷つけられた。憎い。妻をこんな目に遭わせた犯人が憎い。絶対に捕まえたい。犯人を滅茶苦茶にしてやりたい。だって。だって自分の妻を、そして自分たちの生活を滅茶苦茶にした。なのに。妻は犯人を捕まえる事を望んでいない。

 

一緒に居ろと言っても。自分には、劇団の仕事の他にも学校講師という仕事もある。

家で一人で居るのが怖いと、いつも通り舞台に上がったが、妻は途中で取り乱し、舞台は途中で休演となってしまった。もうどうして欲しいのか分からない。

 

具体的な指示が欲しい。そう焦る夫。「犯人を捕まえて溜飲を下げたい」自分にとってはそれが最も明確な解決方法で。なのに肝心の妻は煮え切らない。彼女の感情は余りにもアンバランスで、どうして欲しいのかが扱えない。

 

「違うんだよな…」深々とした溜息を付く当方。

 

自分にも負い目がある。不用心に鍵を開けた事。そしてもう数えられない位に繰り返したのであろう「あの時何故」のたらればの後悔。悔しくないはずがない。犯人を許している訳が無い。もう一生消えない傷を、体だけじゃない、心に負った。でも。

「犯人にもう一度会うなんて。怖い」

自分のプライドも何もかもを踏みにじった相手。忘れる事は出来ないけれど。もう会いたくない。あの時起きた事を、そんな奴の口から聞きたくない。

犯人探しにやっきになる夫。でもお願いだから、今はそっとしていて欲しい。

下手したら死にたくなる位に絶望したり、数多の感情で渦巻いている自分を、ただひっそりと支えて欲しい。

 

愛する夫の冷酷な姿を見てしまった。知らなかった一面。離れていく心。止められず。

 

作中で妻がそう語るシーンはありませんので。あくまでも途方の勝手な解釈ですが。

 

「あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が 今は もう通わない」

あの素晴らしい愛をもう一度』案件。正にそうだなと思った当方。

 

かつて夫婦の心は繋がっていた。なのに。冒頭の不穏で唐突なアパート半壊事件のごとく。

突然見舞われた厄災。それによって。不幸にも亀裂が入っていく二人。

 

最終。物語は怒涛の展開を迎え。非常に苦々しい気持ちで一杯になるのですが…。

 

『ふがいない僕は空をみた』窪美澄原作。2012年タナダユキ監督作品を思い出す当方。

 

憎むべき性犯罪者。勿論その犯罪の内容については、なんら擁護する所なんて無い。でも。

「性犯罪者が、全てにおいて悪い奴では無い」性犯罪者だけでは無いですが。

誰かにとっては悪人であっても。誰かにとってはかけがえのない人物であったりもする。性質の中で、どこかが突き抜けてアウトであっても。優しい所もある。好かれる所もある。

人一人を語るとき。その個人を見る視点は余りにも多角的であって。

(『ふがいない~』は当方のタナダユキ監督作品の暫定ベストです)

 

「でも。憎むべき相手だからこそ。圧倒的な悪人であって欲しかった」

 

ましてや哀れみを感じるなんて。本当に始末が悪い。元々の発端はこいつの浅はかな気まぐれなのに。そんな事で、こちらは何もかもを失ったのに。なのに。こんな弱弱しい相手に感情をぶつけないといけないなんて。何だか自分の方が悪い奴みたいな罪悪感に襲われるなんて。

 

あの。息を呑む怒涛の展開。そして苦すぎる着地。

 

「ああもう。何なんだ。この苦しい気持ち」やりきれない。

やっぱり、あの結末以上にも以下にもならないんだろうなと思いながら。

 

こんなに後味の悪い作品は久しぶりでした。(ややこしいのですが、褒めています)

映画部活動報告「パトリオット・デイ」

パトリオット・デイ」観ました。
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2013年。4月15日。愛国の日。アメリカボストンマラソン。ゴール地点にて発生した、ISによるテロ爆破事件。

一般市民を巻き添えにした、悲しき実話をベースに。

バーニング・オーシャン」が記憶にも新しい、ピーター・バーグ監督。主演マーク・ウォールバーグにて。

 

「ああ。覚えている。ボストンマラソンの爆破事件。そうか。これはこういう経過を辿ったのか」

 

恥ずかしながら。あのマラソン事件は知っていましたが。その後の流れは、この作品で観るまで全然知りませんでした。

(ですが。この流れって。正直日本で大体的に報道されましたかね?…言い訳ですが)

 

余談ですが。

当方の父親。数年前定年退職し。

暫くは家でだらだらしていたのですが。如何せん、他の家族の皆が働いているのもあってやいやい言われ。

「一日中家に居るのに!」そこからの文句に耐えかねたのと、確かに体を持て余したのとで始めた自宅周囲のランニング。

そして。その張り合いを持たせようとエントリーした地元マラソン大会。楽しかった経験。

以降。「何とかマラソン」にひっきりなしにエントリー。楽しくて。

そして。そんな父親を応援すべく。マラソン応援に励む家族たち。

 

そんな我が家にとって。ボストンマラソン爆破事件は、真顔になってしまう事件でした。

 

「また、スタートから4時間という中間以降で最もゴールランナーの多い自時間」卑怯。

 

そもそも。現存する宗教についても、イスラム教についても。数多の宗教についても不勉強な当方。

 

なので、ふんわりした事しか書けないのですが。(そして無知を逆手に取って(取れませんが)書いてみますが。

 

「人の命を奪ってまで主張しなければいけない事はなんだ」

 

あの。主犯格の兄弟が。何らかの主義主張に沿って、あのアクションを起こした…のだろうけれど。その悲しいまでのお粗末さを考えた時…哀しくて。むなしくて。

 

ただ。あの市民マラソンを楽しもうと、沿道に集まった人々を。そしてマラソンランナーを。何の意味があって傷つけないといけなかったのか。(『愛国の日』という記念日への当てつけですか?幼稚な…)

 

当方は知っている。自分の街で行われているマラソン大会を、純粋な気持ちでいつもの沿道に応援に来る人を。

自分の家族や大切な人がゴールする姿を見届けようとしている人を。

 

そんな彼らの気持ちに、宗教的な意味合いなど存在しない。なのに。

 

犯人の兄弟にもカメラは向けられていましたが。彼らの思想や行動などに何らフォローはされていませんでしたし。

他の視点での描れ方はありませんでしたので。当方はこの作品からの情報のみ(=悪者)で犯人の姿を見続けましたが。

 

マーク・ヴォールバーグ演ずる、警察官トミー。他の実在するキャラクター達の中で唯一の架空キャラクターを基に。でも流れはあくまでも史実に則って。

 

件のマラソン大会で起きた事。そして現場に居合わせた群衆。

そして「ボストン・ストロング」の流れ。

 

「史実とは言え。あの市街地での襲撃戦はちょっとエンターテインメント性に溢れちゃったんじゃないの~?」なんて。異常にわくわくはらはらさせていたんで。やり過ぎじゃないかと。そこに関してはそう思いますが。

 

一つだけ。当方がチャチャを入れさせて頂きますが。

「そこまで銃社会なら。せめてパトカーの窓は防弾にしたら」

 

最終。ちょっと感動過多に転ばせていた感じも否めませんが。

 

史実だ。コンパクトだと侮るなかれ。

 

しっかり纏まった。でも(失礼ながら)エンターテインメント性も失っていない。

そんな見ごたえのある作品でした。

 

映画部活動報告「怪物はささやく」

怪物はささやく」観ました。
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アメリカ=スペイン製作。同名小説(児童文学)の映画化。J・A・バヨナ監督作品。

「何か微妙な感じのポスター。でも気になる。何しろ『パンズ・ラビリンズチーム』製作作品」
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もう多分、これまでのギレルモ・デル・トロ監督作品のマイベストだと言っても過言ではない、当方お気に入りのダークファンタジー。

(映画部部長が『パシフィック・リム』を熱く熱く語っていた時も、やんわりとその旨は伝えました)
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あの。独特過ぎる、可愛らしさの欠片もないキャラクター達。一見美しくて。でも全く救い様の無い作品。こういうの、実は好きなんですよ。

 

「まあ、そういう感じなのかなあ~」なんて。原作未読。あんまり予習すること無く、気楽に映画館に向かった訳ですが。

 

「何やこれ。思っていたより緻密やし、じわじわ締め付けられる」

一言で言うと、ええ話やったんですよ。

 

12時07分にそれは起こる。悪夢も。不思議な怪物の登場も。
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13歳の少年、コナー。両親は離婚し母親と二人暮らし。でも。

進行性の病に侵された母親。もう終末期で、正直軽快する見込みは無い。

内気で。絵を描く事が大好きで夢見がちなコナーは学校でも同級生達にいじめられ。

ある日。母方の祖母が家に乗り込んできて「コナーは別れた夫に預けて治療に専念しろ」と言ってくる。反発する母親とコナー。しかしそんな中で母親の容態は悪化。入院する事になってしまう。

何もかもが手詰まり。そんな夜。12時07分。突然の衝撃。

家の自室窓から見えている、丘の上にそびえるイチイの巨木。それが突如手足が生えた怪物のビジュアルでコナーの元へと歩いてくる。

驚くコナーに「これから3つの真実の話をする。俺が話し終わったらお前が4つ目の話をしろ」一方的な宣告。そして夜な夜な怪物の話が始まった。

 

まず、この主人公コナー役のルイス・マクドゥ―ガル。
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この役が彼で無かったら…たらればなんで分からないですが…成立しなかったんじゃないか。そう思う当方。

「13歳にしては、ちょっと周りと比べたら幼い感じ。背丈が小さいのもあるんやろうけれども。誰よりもお母さんが好きで、この状況に胸を痛めている。くすぶっている。でも。それを吐き出せない」
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目力が半端ない。一見弱弱しいけれど、コナーはその目で強く相手を見てしまう。どこか納得していない、反発した視線。だからこそ。それに腹を立てる者も居る。文句があるなら。何かあるなら言えよという表情。

「いい子ちゃんが」と同級生に絡まれるコナー。でも。コナーは黙って殴られる。それは何故か。

 

怪物が話す話。それは大きな木である彼が、これまで見てきた話。

 

「一見良い人物に見える者は、果たしてその通りなのか。人を見かけで判断していないか」「身を切るような決断をしてでも、信念を投げ出してはいけない」「嫌な奴ではあるけれど、彼の言っている事は正しい」「透明人間が透明人間で無くなる時」

 

寧ろ捻りが一切ない、清々しい位にコナーの現状とマッチした内容。

 

「それにしても、この画の美しさよ」

怪物の話すパート。アニメーションなんですが。それがもう、水彩画ベース?という美しさ。そのコロコロ動く様も独特のセンスで。これは面白い。

 

ただでさえ色んな所から追い詰められた日々で。気の合わない祖母。母親と引き離されるんじゃないかと思うと憎らしくて。父親は悪い人では無いけれど、彼との関係の中に自分の居場所は見つからない。そんな中で。刻一刻と母親は終末に向かっている。

 

夕暮れの中で。母親がコナーに言った言葉「今こうやって言葉が出ない位の怒りに包まれている事を。決して後で気に病まないで(言い回しうろ覚え)」当方の涙腺決壊。

 

この状況を。病に倒れて。愛する息子と別れる日が近い事を。誰よりも彼女が一番悔しい、無念だと思っているはずなのに。

 

実際に体は苦しいし、辛いし。何故こんな事になったのか、何か手立てはないのか。希望は無いのか。そんな段階を経ていく中でも、自分よりも、息子を気遣う。

何故なら彼女は母親だから。息子に伝えたい。今のあなたで良いんだと。でも無理をするなと。

 叫びたい時は思いっきり叫べばいい。かくあるべきと決めつけて、無理に自分を当て嵌めなくていい。あなたは何も悪くない。

 

3つの話を聞いて。4つ目。コナーの見ている悪夢の全貌が明かされた時。
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「そりゃあそうやで…でもそう思うのは真っ当やと思う。悪い事じゃない。そんなに自分を追い詰めなくていいよ」呟く当方。

 

そう言えば、コナーは何かと「罰は?」と聞いてきた。でもそれは違う。

 

一見良いとされる事。悪い考え方。こんな事を思うのはいけない事なんじゃないか。常に気持ちを張りつめて。でもそんなの…疲れてしまう。

 

嫌いだと突っぱねてきた祖母との、線路前でのやり取り。彼女が悪い人じゃない事も、わざと嫌な事を言ってきたんじゃない事も。勿論分かっていた。分かっていた。

だって彼女と自分は「母親」で繋がっているから。

 

最後の最後。この「怪物」の正体が。

これらは一体、誰から誰に向けた話であったのか。それが明らかになった時。

 

改めて世界が広がって。そしてそれが明るい光に包まれていたことで。

当方はとても救われた気持ちになりました。

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