ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「メッセージ」

「メッセージ」観ました。
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「ある日それは突然現れた。世界のうち12の場所に。12の巨大なばかうけが」

 

ばかうけには見えませんよ」真顔の当方。そんなおふざけは金輪際いいとして。

 

アメリカ。言語学者のルイーズ。大学講師でもある彼女。ある日突然現れた未確認飛行物体に世界中が大混乱。そんな中「貴方は優秀な言語学者らしいな」とアメリカ軍から対策本部に招聘される。そこに一緒に搬送された数学者イアン。

 

「って言われても…」これまでの仕事の対象はあくまでも地球人。例え人種が違えども、何とか意思疎通は図れたし、それが言語的コミュニケーションのきっかけになった。しかし相手は宇宙人。一体どんな風にコミュニケーションが取れるというのか。

 

「貴方は何をしにここ(地球)に来たんですか?」

 

それを聞き出すため。その会話をするために。あの手この手で意思疎通を取ろうとするルイーズ。

「一体どうやって時空を越えて来たんだ」数学者イアンはそこに興味津々。

 

果たして。宇宙人は何故。どうやって。そしてどういう目的で地球に来たのか。

 

デッド・チャン著。1998年発表の短編小説「あなたの人生の物語」を基にして。

 

「凄く『星新一感』のあるSF作品…」多感な中高生の頃。兎に角星新一を読み漁った当方がポツリ。テーマはシンプルで。でも非常に計算しつくされている、コンパクトな世界観。

 

この作品は途中までは「ほうほう」と素直に話に付いていくのですが。如何せん、後半どういう時間軸で話が展開されていたのかが明かされた途端「おおお」と衝撃を受けて…そうなるともう切なさで一杯になってしまう…。

 

この映画感想文は、超個人的な備忘録駄文なんですが…ですが…いっぱしに一応ネタバレは極力避けたいといういう思いもありますので…歯切れ悪く、ネタバレ展開は回避。

 

「当方は『この作品に於ける、ノン・ゼロ・サム・ゲーム/非ゼロ和精神について」に集中して書いていきたいと思います。

(初めに断っておきますが。このフレーズからおりこうさんぽい印象を受けたとしたら…大間違いですよ。当方はただの酔いどれですからね)

 

「『ノン・ゼロ・サム・ゲーム/非ゼロ和精神』複数の人が相互に影響し合う状況の中で、ある1人の利益が、必ずしも他の誰かの損失にならないこと。またはその状況を言う」Wikipedia先生は相変わらずとっつきにくい言葉で人を煙に巻いてきますが。

元々はゲーム用語。難しい事は当方は言えませんし、もし間違っていたとしても「お前違うぞ!」という声はどうか飲み込んで胸に収めて頂いて。

 

「あの…この手が有効ですわ」

複数人で同じ相手に戦いを挑む様なゲームがあったとして。相手の弱点を誰かが見つける。そしてそれを戦う仲間全員で共有し、相手に挑む。

それが必ずしも勝つとは限らない。仲間全員で総倒れする事もある。でも。そうやって全員で運命共同体になる事。それが『ノン・ゼロ・サム・ゲーム/非ゼロ和精神』

(当方の苦しい解釈)

 

この作品の中で。ふっと現れるこのフレーズ。それ自体は「あれ?このフレーズが分かる相手って」と観ている者の心に過らせるワードとして、一見扱われているのですが。

 

話の中盤以降。「何故。世界の12か所もの場所に、この未確認飛行物体は現れたのか」その対象となってしまった諸外国。その連携の危うさにやきもきしながらも。結局世界は「ノン・ゼロ・サム・ゲーム」を強いられているのだと思いを馳せる展開。

 

ならば。一体12カ所は一体どういった運命共同体なのか。一緒にこの事象にどう立ち向かうべきなのか。そもそも「立ち向かう」案件なのか。誰に?何に対して?

 

そういった、スケールの大きな世界観と対になるのが、イチ言語学者であるルイーズという女性の人物像。その背景。

宇宙人とコンタクトを取る最中。何度も記憶がフラッシュバック。どうやら彼女には一人娘が居たらしい。

夫と別れ。一人で娘を育てきた。甘くて楽しい日々。時は流れ。生意気で反抗してくる娘。悲しすぎる、病に倒れた娘。そして…永遠に失った娘。

 

どうして?どうしてこんな記憶が付きまとう。今は目の前の事に集中したいのに。なのに胸を締め付ける。愛してやまなかった、たった一人の娘。

 

「時系列の崩壊」この話に駒を進めたが最後、絶対にネタバレ地獄に陥りますので。何とか回避。ここいらで当方の大風呂敷を畳み始めますが。

 

先程の『ノン・ゼロ・サム・ゲーム』ゲーム用語なら尚更。(当方は全くゲームに疎いのですが)「そんなゲームはほとんどない」のが現状。

「誰かが勝つ時、必ず誰かが負ける」全員が一緒の運命共同体なんて滅多にない。

 

ルイーズがここに呼ばれて。宇宙人がルイーズを、事態を動かすキーパーソンだと認識した時。

ルイーズはそのゲームの駒になった。言語学者であるルイーズが宇宙人と共鳴し、彼らのメッセージを伝える能力を持った時。彼女は世界が運命共同体になる為の駒になった。でも。

その能力を得た事で。宇宙人と共鳴し、同じ能力を得た事で、ルイーズ個人は『ノン・ゼロ・サム・ゲーム』から外された。

 

何故なら、彼女は運命共同体を成立させる為の「メッセンジャー」になったから。

 

ある意味救われた地球。運命共同体になった時。ルイーズだけがそこから弾き出された。後はもう…怒涛の切なさスパイラル。

 

「何だかとっても悲しくなっちゃう映画やったわあ」映画部長のお言葉。全くですよ。

まあ。どうしてもうがった見方をしがちなんで。「流石に言語を理解し始める流れ。ちょっと唐突じゃないかな」「エイミー・アダムスの年齢不詳さにも流石に限界が」「中国よりヤバそうな国ありそうやし…中国にはもうちょっと日本もお話し出来そうですよ」なんて茶々を入れてしまいましたが。

難しいようですんなり入ってくる。兎に角切なくてやるせなくて。でもそれだけじゃない。あの神楽みたいな音楽と振動。スケール。

 

「ベタですが。映画館で観るべき作品かなあと」ばかうけ片手に。手が汚れそうですが。大き目のスクリーンでやっている間に鑑賞する事をお薦めする作品でした。

 

映画部活動報告「トンネル 闇に鎖された男」


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「トンネル 闇に鎖された男」観ました。

 

韓国。主人公のジョンス。車で走行中。

トンネルに入ってしばらく経った時、まさかのトンネル崩落事故に遭遇。車ごと生き埋めになってしまう。

スマートフォンは無事。電波も繋がった為、自力で救助を要請。しかしかなりの規模で崩落していた事、元々の崩落した原因も「手抜き工事」であり、地図もずさんであった事から、ジョンスの所在地すらも割り出せず。作業は困難を極める。

ジョンスの持ち物はバッテリー残量78%のスマートフォン。娘の誕生日だからと買ったホールのケーキ。そして500mlペットボトル2本。

果たして彼は無事愛する家族の元に帰る事が出来るのか。

先日の韓国映画祭り『お嬢さん』での「藤原伯爵」の記憶も新しいハ・ジョンウ主演。そして彼の妻セヒョン役に、皆が大好きぺ・ドゥナ。キム救助隊長にオ・ダルスを於いて。

「一人で真っ暗なトンネルに閉じ込められて。いつ崩れてくるかも分からない密閉状態。食料だって知れてるし。唯一外部と繋がっているスマートフォンだって、いつかは充電が切れる…ってこれ。当方なら発狂の後、絶望死するな」

まず心を強く持てない。救助を待つのだって、せいぜい2日が限界。なので…彼が結果待った日にちを考えると、ぞくぞくと寒気がしました。

 

手抜きの突貫工事で出来たトンネル。開通してせいぜい一か月程度で起きた大事故。なのに、現在進行形の第二トンネル工事を進めたいとか抜かす、ふざけた施行業者。(しかも第二トンネルは事故の起きたトンネルの直ぐ近くで。「後は発破実験だけなのでやらせて欲しい」とか言い出す始末。その実験をしたら、衝撃でジョンスの埋まっているトンネルが更なる崩落を起こしかねないのに)

悲劇の人物として、散々煽る報道各所。大切な充電を使ってしまうのに、ぬけぬけとジョンスに電話。その模様を生中継。

そして。救助活動が長期に渡るにつれて「もう生きていないんじゃないか」「いつまで続けるつもりか」と世論を扇動。そんな時に、最悪な現場事故も発生。「死体回収にこれ以上犠牲が払えるか」始めこそ好意的であった国民の、悲しく冷たい手のひら返し。

国のお偉いさんも、兎に角好感度を上げたいが故の風見鶏な対応。

 

「ありそう~。申し訳ないけれど…いや、この国に限らず…ありそうやなあ」

 

誰もが勝手な事を言う中で。最後まで一貫して「救助隊長」であり続けた「キム隊長」

「絶対に諦めるな!彼は生きている」スマートフォンでまだやり取り出来ていた時から。音信普通以降も必死でジョンスの生存を信じ続けた、救助の鑑。

 

そして。完全に抑えの演技で終始したぺ・ドゥナ。終始あの大きな目をウルウルさせながら。夫の帰還を信じ。でも世論に押し流されそうになった、悲劇の妻。

 

冒頭からトンネル崩落シーンまでのテンポは非常に早く。その後もずっと緊迫した流れでありながら。意外とコミカルなシーンも多くて、ずっと息をひそめて全身を力ませ続ける様な事はありませんでした。

 

パグ犬とのやり取り。キム隊長の告白。あの女性の…悲しいけれど「俺の水が!!」という心の声とか。何だかおかしい。状況は全然おかしくないのに。何だかおかしい。

 

「主人公ジョンスの人間味溢れる感じ。よく分かる」

 

この手の作品にありがちな、悲劇の主人公の完璧な人間性

可哀想な彼は、真面目で曲がった所なんて一つも無い。いつだって正直で真っ当に生きてきた。なのに…というステレオタイプではなさそうな、主人公ジョンス。

 

なかなか来ない救助に苛立って。状況を共有する事になりそうな相手に「俺の貴重な水が」「スマートフォンが」とヤキモキして。でも。

本当は喚き散らしたい。何をちんたらしているんだと。早く助けに来い。休む間も無く助けに来い。俺の水だぞ。俺のスマートフォンだぞ。飲ませられるか。貸せるか。そう言ってやりたい。でも。彼は言わなかった。結局きちんとやるべき事をやった。

不安なのは自分なのに。電話越しの妻を、子供を労わった。

 

迷う感じも。でも結局は正しい事を選択した事も。その彼の心情は凄く良く分かる。

 

「ごくごく平凡な。大人の男性」彼は聖人君子でも、かと言って悪者でも無い。

普通の、家庭を持つ成人男性。それが非常にリアル。

 

ちょっとうがった見方をしがちな当方としては「スマートフォンGPSとか…携帯会社なら所在地が早くに割り出せるんじゃないの」「そのクラクションはもっと早くから使おうぜ」「車のバッテリーってそんなに持つの?」「そういう傷は破傷風とか敗血症とかを招くな。エコノミー症候群、バッククラッシュ症候群も危ない」「そして多分そんなに動けないぜ」なんてぼんやり思ったりもしていましたが。

初めのトンネル崩落事故から最後まで。ノンストップのパニック映画。でも意外と明るいシーンも挟み込んで。かと思えば辛辣な社会風刺映画でもある。

「また新しい韓国映画が出た」

なかなか見ごたえのある127分。

そして。今後何らかの交通機関を使って移動する時には、水分とモバイルバッテリーをきちんと常備しておきたいなあと。そう思った作品でした。

 

映画部活動報告「スプリット」

「スプリット」観ました。
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誕生日会の帰り。

誘拐された3人の女子高生。犯人の男は、何と23人格を持つ多重人格者だった。

M・ナイト・シャマラン監督最新作。

「シャマラン完全復活」当方がこの作品鑑賞後、映画部部長に送ったメール。高まる映画部長。

「シャマランと言えば『シックス・センス』」長らくそう言われ続けたシャマラン。確かに、当方も全く伴走していませんでした。ですが。

 

2015年公開「ヴィジット」

あの「お爺ちゃんとお婆ちゃん、ボケてるの?それとも…ヤバいの?」という非常にアンビバレンスな作品。面白すぎて。案の定引き込まれた当方。
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そうなるともう。今回も観るしかないなと。

 

同級生の誕生日パーティー、の帰り。誘拐された3人の女子高生。相手はスキンヘッドの男。クスリで眠らせれて、起きたらどこかの密室。

勿論怖い。でも、どうにか相手を出し抜いて逃げ出したい。なのに。

ちょこちょこ顔を見せる、犯人の男。全く同じ人物なのに、来るたびにその性質が違う。

ある時は神経質なインテリ男。ある時は女性。かと思えば、あどけない9歳の少年。

犯人の男は多重人格。その数23人。

 

「ビリー・ミリガン案件ですな」

(1977年にオハイオ州で起きた3人の女性に対する強姦、強盗事件。そこから分かった「23人の人格を持つ男」の正体「ビリー・ミリガン」ダニエル・キイスの小説も随分話題になりました)

犯人の男を。どう出し抜けばいいのか分からない。全く次の行動も思考回路も読めない。

 

最悪の状況に置かれた女子高生たち。一体どうやってここを抜け出せばいいのか。

 

「驚きのラスト!!」一体シャマランはいつまで「シックス・センス」を引きずればいいのか。正直、この作品に於いては設定こそが一番の衝撃でしたので「ラスト云々」の衝撃を当方が感じる事はありませんでした。

 

「と言うか。手練れの俳優『ジェームズ・マカヴォイ』安定の演技よ!!」
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この作品を成功に導く最大の鍵である「23人の人格を持つ男:ケヴィン(ビリー・ミリガンに於いて『ケヴィン』という名前の重大さ…)」それを演じたマカヴォイ。
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ある時はインテリ男性。ある時はフランクなデザイナー。でもある時は女性であり、9歳の男子であり…危険な24人目の人格でもある。

 

「23人?正味確認出来たのは6人位ですよ」

 

十分ですよ。あんなスキンヘッドの男性で、ちょっとした衣装の変化程度しか無くて、あそこまで誰が誰か演じ分けられたのはとんだベテランのなせる技。それが見れただけでも大分成功している作品。
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とは言え。それだけでは勿論済みませんので。女子高生達にもスポットは向けないといけないのですが。

 

3人の女子高生。と言っても、彼女たちは仲良し3人組では無い。

主人公のケイシー。斜に構えて。クラスでも浮きがち。そんな彼女を「仲間外れにしていると思われたら、自分が嫌な奴だと思われる」から誕生日会に誘ったクレアとアルシアの二人組。帰る家の方向が一緒だからケイシーをパパの車に乗せた。そしたら不幸にも誘拐された。(とは言え、3人の誰のせいでもありませんが)

 

「クレア!あんた!…『スウィート17モンスター』のクリスタやんか!やっぱりあんた何だかんだ言ってリア充やね!」超ミニスカ巨乳アピールセーター着用。そんなクレアに思わず声を上げる当方。
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(写真は『スウィート17モンスター』のクリスタ:右 です)

 

まあ…逃げ惑う女子高生の中で、結構勇気を持った行動に出たリア充二人。

結果はともあれ、彼女達はとても頑張っていたし。そもそも「クラスで浮いていたケイシー」についても、誕生日パーティーに呼ばなかった訳じゃないし、呼んだとして嫌がらせをした訳じゃ無いし。一応は「一緒に帰ろう」とケイシーを誘って送ろうとしたんやし。誘拐されてからも「一緒に考えてよ!」という姿勢は見せていたし…別に嫌な奴らでは無かったと当方は思っているんですが。
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何しろケイシーが「狩人」なんですよ。
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幼少期。父親と、叔父とで狩りをした。そのシーンが何度もフラッシュバック。

得体の知れない目の前の人物の。一体どこで出し抜けるのか。じっと観察し続けるケイシー。相手はかつて狙った獣と一緒。

頭が軽いだけで。別に悪い子じゃない。そんな二人の同胞は、結局慌てふためいて自滅した。

でも。私はじっと待つ。こいつの正体が見える瞬間を。私は確実に仕留めてやる。

 

被害者であるはずのケイシーが。決してただ者では無い。それがシャマランの手法。

 

23人の人格を持つケヴィンのちょっとした変化を何となく感じていながら。結局は打ちのめされてしまう、女性精神科医

 

「おお。この構造は『ハッピー・キラー・ボイス』だ」
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当方のお好みサイコパス映画。ジェイミーの明るい「みんな!殺してごめんね!」

(思い出したが最後、エンドレスにあの楽しすぎるエンドロールミュージカルが脳内で流れる当方。どんな内容かですか?お手持ちのデヴァイスで調べたらいいんですよ!)

 

「解離性人格障害の可能性云々」みたいなことを第一人者みたいな顔して言いながら。

その対象者が「一通りの進化を終えた」様に扱っていたら「まだ進化の途中であった」

その獣を野放しにしてしまった、悲しき有識者。悲しいカウンセラー。

 

全く同じ流れ。

 

かと言って。あくまでもエンターテイメントサスペンス映画なんで。「結局ケヴィン対女子高生ケイシーはどうなるの?」に集約される訳ですが。

 

ケイシーの闇。彼女は目の前の23人の獣を倒したとしても、決して解放されない。彼女の持つ元々の闇の深さ。そしてそれは、悲しいかな目の前の獣と同じ問題でもある。

 

「他の女子高生二人。何かとケヴィンに服をもぎ取られた二人。でもそれ以前からやたらとムチムチさを強調していた服を着ていた二人。対して、すっぽり体を覆うセーターとジーパンを着ていケイシー。そのケイシーが肌を見せた時」

(ところで。あのムチムチボディに対しエロ的に無関心な24人のケヴィンに「おい!」と当方の全人格がツッコミ…これもシャマラン故か)

ケヴィンとケイシーは、加害者と被害者。なのに同じ傷を共有できる同士でもある。

 

ケヴィンを前にして。「狩人」として開花してしまった「ケイシー」はこれからどうなるのか。

 

一応ラストに掛けてのネタバレは回避しようと思いますので。あのエンドロールの数もメッセージも。まあベタながら分かりましたとだけ言っておいて。

今後も。息を吹き返したシャマランを。追っていきたいと思う当方です。
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映画部活動報告「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOL.2(リミックス)」

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOL.2(リミックス)」観ました。
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宇宙海賊ピーター。アライグマ(にさせられた)ロケット。女戦士ガモーラ。怪力ドラックス。「アイアムアグルート」しか言わないベビー・グルート。

 

前作で。宇宙を救った彼等。チームとして流しの惑星用心棒として荒稼ぎしていたが。

「何だよ!『リミックス』って‼『VO.2』やろ!ピーターのお母さんが編集したあのカセットテープをおもんばかれ!」冒頭から。血気盛んな当方。(なので今回はこういう表記で行かせて頂きます)

 

「正直あんまり前作は嵌らなかったんですよ。あの80~90年代の音楽センスとか。絶対大好き案件だったんですがねえ」

~なーんて。そんな事を真顔で言いながら。結局公開初日に映画館に体を滑り込ませる当方。

金曜日の夕方。昼間からさりげなく「今日は仕事終わりにガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVOL.2(リミックス)」と「スプリット」を観に行きますんで」と職場に告知。そして。奇跡的に、いつもは忙しい金曜日なのに予定仕事がきちんと終結。いつも何だかんだと居残って残務業務をする悲しい古株平社員の当方の弾んだ「用事がありますので、お先に失礼します!」

こんなにうきうきした金曜日は久しぶり。そんな高揚した気持ちも相まって。

 

「いや~。前作よりもずっと良かった。面白かった!」手放しに褒めて掛かる当方。

 

「個性的なキャラクターの立ち位置がはっきりした」「そして彼らに生まれた連帯感。信頼感。ファミリー感」「そしてテーマの『家族』これが完全に泣かせに掛かってくる」そういう所ですか。

 

「宇宙」という壮大な舞台で。人間の形をしたもの。そうでない者。肌の色のカラフルさ。持っている資質。何でも自由な設定を。前回そういうレギュレーションを追いかけて飲み込むのにそれなりに時間が要ったんだなあと思う当方。

 

「それに比べれば。もうそこを承知で観ている今回は。すぐ様世界に入っていける」

それがまた。イケイケでノリノリの戦闘シーンから。しかもあのちょっと懐かしい音楽に乗せて。そりゃあ話が早い早い。

 

全身きんきらきんのブルジョアな惑星ゾウリンで。怪物を倒して奪った鉱物を惑星のトップに渡したチーム。また宇宙放浪の旅へ…と思いきや、手癖の悪いアライグマが鉱物をネコババ

すぐさまゾウリンに追われる事になった彼ら。あわやピンチ…という時。助けてくれた「エゴ」という男性。

 

実は彼こそがピーターの実の父親であった。

 

下らなくて。テンポの良い会話。体よく現れる敵対チームの闘い…を延々見ていても何となく楽しそうではあったけれど。この「エゴ」が現れ。

そして幼かったピーターを半ば奪うようにして手元に置いて育てた。育ての親、宇宙海賊「ヨンドゥ」その二人の父親にぐっと焦点は移り。

 

「この続編のテーマは『家族』」まあ、そうでしょうね。

 

もう一組。「ガモーラ」とその妹「ネビュラ」の確執と衝突。そして…というストーリーもありましたが。ちょっとそこは割愛させて頂いて。

 

「何しろヨンドゥこそが今回の裏主役であったと。当方はそう思うから」

 

地球人の母親と恋に落ちて。母親を失って。ピーター少年はエゴの元に送られる予定であった。

 

エゴの国。『自称神』のエゴの作り出したその世界は、草花に覆われた美しい世界。他者が介入しない、穏やかで…正に桃源郷。なのに。

ヨンドゥはエゴにピーターを届けなかった。自分の持つ『宇宙海賊」というギャング集団に幼子を放り込んだ。結果ピーターは流れ者に成らざるを得なかった。

 

でも。それはある一つの視点。

 

「『エゴ』とはよく付けたものよ」

一見良さそうで。でもその実態は、確かに『エゴ』でしかなかったピーターの実の父親。うわべだけよさげな言葉でピーターを酔わせ。

でも結局は己の事しか考えていない。その為には相手をいくらでも利用する。

 

「本当の家族って奴はそういう事じゃないぜ」

 

一見最悪な生育環境であっても。それがその時のピーター少年にとってはベストアンサーであった。そして、不器用過ぎた『父親ヨンドウ』

 

「俺たちは赤の他人だ。でも、俺たちはファミリーだ」

 

加えて。今作で兎に角強調される「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー・イズ・ファミリー」「WE ARE THE WARLD」精神。

 

チームの誰かがピンチの時。俺たちはそいつを見捨てない。俺たちは何処まで行っても仲間だ。家族だ。もううるさい程に連呼。

 

「うるさいなあ」普段なら。鼻に付く当方ですが。

 

ボロボロになって。それでもピーターの父親であろうとした。そんなヨンドゥに気持ちを持っていかれすぎて。

 

「あかんねん。こういうの弱いねん」ぐずぐずにやられる当方。もうね。反則ですよ。あんなの。

ちょっとヨンドゥに話を割き過ぎました。

 

「まあ。アライグマロケットは安定のキレッキレぷりやったし」「ツンデレガモーラはあのままでよろしいし」「怪力ドラックスとありんこお姉ちゃんも良かったし」

他の皆さんも通常運転が心地よく。ああでも「ベビー・グルートは…あのままベビーが良いなあ~可愛いし癒されるし…」とは思いましたが。

 

続編として正しい作品。今までの流れを壊さず。かと言って飽きさせず。

もうシリーズ化は絶対の流れ。ならば是非ともこういう続編が続きますように。

 

「そして『リミックス』とかサブタイトルを付けてしまった日本の配給会社よ!もし次回作が「VOL.3」やったらどうするつもりだ!」

またもや。ちょっと思い出して。最後に荒ぶって騒ぐ当方。


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映画部活動報告「はらはらなのか。」

「はらはらなのか。」観ました。
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原ナノカ。12歳。もうすぐ13歳。芸能事務所に所属する子役だけれど。最近は伸び悩み。オーディションも不合格ばかり。

産まれた時にお母さんと生き別れ、お父さんと二人暮らし。最近お父さんの地元に引っ越してきた。

お母さんは女優だった。そんなお母さんに憧れて初めた子役の世界だったけれど。12歳は段々子役では無くなってくる。かと言って下手にこなれていても嫌われるし。

「透明な友達」私の分身は私の友達。多分もうすぐ消えてしまう、私だけの友達。

いつも動画で観ていたお母さんの舞台。お母さんの所属していた、この町の劇団。

たまたま。お母さんの演じていた演目の再演を知って。応募。そして選ばれた。

 

私は、お母さんと同じ舞台に立つ。

 

25歳。酒井麻衣監督作品。

主要メンバーの殆どが役名=芸名。チャランポランタン。不思議なミュージカル。前評判を聞いて。何だか気になって。観に行ってきました。

 

12歳。夢と現実。どちらも見ていていい年頃にみえるけれど…大人になる為には捨てなければならない世界がある。

「誰とも違う、特別な私」になりたい気持ち。12歳なのに歳を取ってしまった感。

出遅れたと焦るのに、足元をじっくり固めようと出来ない「急がば回れ

見たことのない「お母さん」を思い浮かべて。焦って。兎に角追いつきたいし何か触れたくて。

「兎に角。兎に角」

 

「焦らなくてもいいよ」

当方は歳を取りましたのでね。

この作品がそういうメッセージをはらんでいたのかは分かりませんが…当方は「ナノカのお父さん(=川瀬陽太さん。直人)」の目線でばかり見てしまいました。

 

12歳。停滞して。『売れない子役』というポジションにイライラする娘。でも。

 

12歳なんて。今すぐどうにかしないといけない事なんて何もない。寧ろ今は「普通の中学生生活とか」「部活とか」「友情とか」「恋愛とか」そういう事を体験して欲しい。だから自分の生まれ育った田舎に引っ越してきた。なのに。

「結局『芸能界』『役者』という事にしがみついてくる。見つけてくる。しかも。田舎に越してきた事に依って、それは都会で芸能事務所に所属していた時よりも悪い条件で」

「しかも、愛していた無き妻の所属していた劇団。そのいわくつきの演目に」

これは心配しますよ。しない訳がないですよ。

 

「ワタナベアカデミー賞助演男優賞。の川瀬陽太さん。宇野祥平さん」彼らが好きすぎて。だからこの作品も観た。そういう贔屓目があるのは、はっきり告白しますが。

「もうこんなおいちゃんの歳になったら、そりゃあファンタジーな12歳よりはその父親に気持ち入れちゃいますよ」もうナノカの父親パートにウルウルする当方。

 

心配でしかない一人娘。芸能事務所を契約期限でフェイドアウト出来ると思ったら、アングラ系地元劇団に鞍替え。心配して怒ったら家出され。行先は知っている相手ではあったけれど結局は劇団繋がり。娘には連絡も取れないし…。

「辛い。辛すぎる」一体お父さんが何したって言うんだ。なのに。

 

同じ学校(というか分校レベルの田舎)のきらきらした先輩に憧れ。先輩に一刻も早く追いつきたくて。認めて欲しくて。危なすぎる橋を渡ろうとするナノカ。

「そんな事より。折角騒いで獲得した役なら、そこに集中しろよ」

なのに。正直当方目線では…集中して、没頭している様には見えないんですよ。

先輩の歌のレベルは規格外。対して自分は児童ポルノスレスレの危ない案件に巻き込まれて。泊めてくれているメイド喫茶のお姉さんも気になるし。兎に角全方位に気を散らしすぎ。なのに。

 

「結局、演技って嘘じゃないですか」突然行き詰って。舞台稽古の休憩中にぶちまけるナノカ。結構唐突。そうなる下り、ありましたかね。当方は戸惑いましたが。

 

見たことは無い、女優のお母さん。自分以外には見えない「透明な友達」。

 

でも知ってる人も居る。お母さんの事を知っている、劇団の人たち。透明の友達は誰にも見えないけれど、いつも自分を支えてくれた。

 

けれど。彼らはやっぱり『見えないモノ』で。「透明な友達」も言っていた。「だんだん見えなくなってきているんじゃないの。そういうものよ」そういうもの。

 

お母さん。お母さんが居ない事は現実で。でも自分には「お父さん」が居た。

 

「お母さんのご飯が食べたいって言ったらね。朝。ご飯が置いてあったんだ」もうそのナノカが語りだしたエピソードで。そこまでちまちました文句を言っていた当方の目に涙が…だってあんなの…卑怯すぎる。

そこからは完全に川瀬陽太さんのターン。当方完敗。

 

自分の前に置かれた現実。それだって全然悪くない。

でも、夢を見ていた。それは甘くて。いつかは別れなければいけない夢。けれど。

 

「それは全くの夢ではない。誰かはその夢のかけらを知っているし、現実とも繋がっている。別れても。もういつも寄り添ってくれるものではなくても…完全に消えたりはしない」

 

お話し事体も危なっかしくて。本当にはらはらした「はらはらなのか。」

 

見事に幕を閉じた途端、彼女たちは直ぐに「次の世界」に行ってしまいました。
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映画部活動報告「人生タクシー」

「人生タクシー」観ました。
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イラン。ジャファル・パナヒ監督の、フェイクドキュメンタリー映画

イランの首都テヘラン。流しのタクシーを走らせるのはパナヒ監督。

女性教師といわくありげな男性。交通事故に遭った夫とその妻。海賊版レンタルDVD業者。金魚鉢を持った老姉妹。おしゃまな姪っ子。人権保護弁護士の女性。

監督のタクシーに乗り合わせた人々。彼等を通して監督が描くものは。

 

反政府的活動者であると見なされ、2010年からイラン政府より20年映画を撮ることを禁止されている(所謂『映画監督禁止令』⁈)パナヒ監督。

それでも。「これは映画ではない」(2011年)など。何かとこじつけて「映画っぽい何か」を撮っては海外の映画祭にて評価され。でも本国で彼の作品は大々的には扱われない。

ニコニコと穏やかなパナヒ監督。一見不思議でおかしな乗客たちを、車内の固定カメラで淡々と隠し撮っているいるように見せ掛けて…でも実はしっかりとイランという国の色んな問題に差し込んでいる。見掛けはほんわかしたおっちゃん。でもその実態は…静かに怒りの炎を燃やしている、戦う人。

「これ。全然ドキュメンタリーじゃないな」もう初めから。フェイクドキュメンタリーであると分かる『おかしすぎる人たち』

 

当方が鑑賞した回は、映画評論家ミルクマン斎藤氏のトークがあり。(ミルクマン斉藤氏のファンである当方は当日映画館で知って大感動。氏のかつて大阪で毎月開催されていた映画イベント、年末に映画部長とよく行きました。最近の京都イベントは遠くて…一回しか行けていませんが)

「なるほどな」と。なかなか映画本編ではしっくりこなかったこと等に触れて頂いて、大変ためになりました。

そんなミルクマン斎藤氏のトークから、一部抜粋すると。

「あのタクシーに乗っていた人たちは、全員パナヒ監督の知り合い」「あの姪っ子は本当にパナヒ監督の姪っ子」.なるほどなるほど。

 

コミカルな人間模様。でもそう見せて。彼らの語る会話の「ん?」という引っ掛かり。

車上荒らしをする奴なんて死刑にしろ」「そうやってすぐに死刑って言うの、良くないわ」「そんな綺麗事。あんた何者だ」「教師よ」「やっぱりな。あんたらはそうやって世間知らずで生きていけばいいよ」(言い回しうろ覚え。以降もこんな感じです)

海賊版レンタルの何が悪い。そうやって俺がこの国に面白い映画を持ってきてやったんだ」

まずはそんなジャブを打って。でも、終始そんなメッセージ性の強いテーマばかりではない。

「夫が交通事故に遭ったと大泣きする妻」そして「俺が死んだら妻に遺産相続がきちんとなされない。今から遺言を言いたい…だからスマートフォンで動画撮って」何この下り。病院まで送った後も、「あの映像間違いなく頂戴ね」と何回も電話してくる妻。面白すぎる。傑作。

「何時までに某広場までに行って。この金魚を放って、新しい金魚を手に入れないといけないから」金魚鉢を持ってタクシーに乗り込む老姉妹。そんなミッション事体も意味不明な上に、彼女達の持っている金魚鉢が『THE金魚鉢』漫画みたいな丸っこい、ガラス製蓋の無い奴。案の定急ブレーキで金魚鉢は大破。

 

そんな息抜き案件でメリハリもつけながら。

パナヒ監督は、言いたい事が沢山あるようで。

 

そしてその最たる所を語ったのが「おしゃまな姪っ子小学生」と「人権保護弁護士の女性」


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「学校の課題で『上映出来る映画』を撮ってるんだ」そう言って。デジカメでタクシーでの出来事や、監督や、タクシーから見える世界を覗く彼女。

「口が達者やなあ~」兎に角喋る喋る。恐らくは「監督が言えない事」を。

 

表現の自由」「映画監督禁止令」「1979年イスラム革命

当方はイランという国や歴史、思想。を語るベースを持っていません。一応ちらっとは調べたりもしましたが…付け焼刃の知識で語るのも…そもそも「知ったかぶりは恥ずかしい」と思っていますので。もうはっきりと「よく知らないのですが」と言い切ってしまいます。その上で。

 

「やっぱり、いかなる人であれ。如何なる思想であれ。表現する自由はある」

 

難しい討論は出来ません。危険な発言、差別的な言葉、偏見。誰かを傷つけてしまう言葉。それらを言い出したらきりがありません。ですが。

 

「それでもやっぱり、人の口に戸は立てられない。個人が何かを感じるという事。考える事。それを口に出してしまう事。それは自然の摂理で、押さえられない」

 

「自分の思いを表現したい」と切望する表現者を押さえつけてしまう国家。どうなのかなあと…。

 

「後ね。映画って結局は観る側が選ぶものやし。超個人的な世界ですから」

 

如何なる映画であっても。それを「観る」のも「どう感じるのか」も受け手の自由。

どんなに面白いとされる映画であっても嵌らない作品もあるし、またその逆もある。

だから「これは危ない映画だ」と国家が杞憂しなくても…それが「危ない映画なのか」は個人が決める。そして「危ない映画」は別に「反体制映画」とは限らない。

 

「だって。たった一年の中で。一体数多の映画が産まれているというのか」

 

星の数ほど産まれる映画の中で。乱暴な言い方をすると「どんな映画が産まれたってかまわない。寧ろ面白い」と当方は思うんですが。選択肢は幾らでも欲しいから。

(と言いながら。結局は「映画っぽい何か」をしっかり撮って、自国では無くとも海外に発信し続けているパナヒ監督を。「今の所一応野放しにしている」イランは…良く言えば大らかなのかなあ(当方のボキャブラリー不足)とも思いましたが)

 

くどくど書きすぎて、主旨が分かりにくくなってきましたので。ここいらで閉めたいと思いますが。


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「映画は素晴らしいわ。映画を愛する貴方に。このカメラの向こうに居る貴方に」

人権保護弁護士女性は、カメラ越しに美しいバラを観ている当方達に差し出し。

 

「余りにも無知で申し訳ありませんが…早くあなた方が自由に表現出来る様になりますように」

 

赤いバラを受け取って。そう返事した当方。

 

映画部活動報告「マイ ビューティフル ガーデン」

「マイ ビューティフル ガーデン」観ました。
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イギリス。ガーデン映画。

兎に角ポスターが。予告での風景が。美しくて。

こう見えて(どう見えて?)草花を愛する精神を持ち合わせる当方。勿論こんな素敵なガーデンライフを送っている訳ではありませんが。時折見かける、こういったガーデン映画は気になってしまい。観に行って来ました。

 

生後まもなく捨てられ。一風変わった育てられ方をした。そして現在。生真面目故に変わり者のベラ。図書館司書。独身。庭付き平屋アパートに一人暮らし。

 

「月曜日の歯ブラシ」「火曜日の」「水曜日の…」と一週間日替わりの歯ブラシをローテーション使い。

毎日同じ時間に起床。同じ時間に同じ食事メニューを摂取。

クローゼットには白、黒、グレーのモノトーンの服ばかり。(しかもシャツには全てきっちりアイロンが掛かっている)

寝坊している訳でも無いのに。玄関の鍵がきちんと掛かっているのかが気になり、暫く玄関で奮闘。結果ほぼ毎日職場に遅刻してしまう。

兎に角、マイルールにきちんと収まった毎日を送らなければ気持ち悪い。

 

そんなベラが苦手なモノ。「植物」

自由奔放で型にはまらない植物達。それらが苦手なベラの自宅庭は荒れ放題。

 

そんなベラを苦々しく思う、隣人のアルフィー。造園家であった、隠居老人の生き甲斐は「植物を愛でること」

 

「お前は地球を破壊している」「何だこの庭は」頑固で憎たらしいアルフィーに、折に触れネチネチ嫌味を言われるベラ。

そして遂に。ベラは管理人から「庭の世話込みでこの家を貸したはず。一か月で庭をまともな姿に戻さないと出ていって貰う」と通告される。

途方にくれるベラ。

丁度その頃。隣人アルフィーの弱味を掴んだベラ。彼の手を借りながら庭のリフォームに取り掛かる事になったが…。

 

「植物が苦手なら何故庭付きの家に住むのか」

見も蓋もない当方の突っ込み。言ってはいけないけれど…言わずにおれない。だって。

「ベラの庭。うろ覚えですけれど。ビール瓶を酒屋が運ぶ為に居れるケースみたいなやつとか、椅子とかが投げてありましたよ」

植物以前の問題。下手したらゴミ屋敷寸前か…少なくとも幽霊屋敷然とした佇まい。

確かに。誰もが四季折々の花々を愛で、愛せる訳では無い。価値観は人それぞれ。それは分かっていますが。ですが。

「やっぱり…それなら庭の無いアパートに住めばいいやん」

大体、几帳面で若干脅迫症を持っている感じの人間が。自身のテリトリーの乱れを許すものなのか…。

あんまりそこを突っ込むと、話が前に進まないし野暮なので止めますが。

 

「一言で言ってしまうと『アメリ映画ジャンル』ですね」

 

おっと。話を進めようとするあまり、一足飛びに当方なりの解釈まで行ってしまいましたが。

「一見風変わりな女子が。変わった隣人やその家政夫に暖かく支えられ。そしてかけがえのないモノ(恋人。夢。豊かな生活)を手に入れていく」そんな映画。

「女子にとって大変都合の良い映画」言い過ぎでしょうか。

大体、あそこまで荒れ果てた庭を一か月で戻せという厳しいミッション。しかもベラは元々何の思い入れもその庭に無い。

隣人アルフィー。気難しく頑固。口も悪い彼は、遂に家政夫ヴァ―ノンを怒らせてしまう。

アルフィー宅から出ていったヴァ―ノンは、話の流れで隣人ベラの家にて働く事になる。(ところで、イギリスの図書館司書って…そんなに高給取りなんですか?)

「出ていけ」と啖呵は切ったけれど。結局アルフィーはヴァ―ノンが居ないと暮らしがままならない。特に食生活が。

「ヴァ―ノンを返せ」気持ちとは裏腹に。強い口調でベラに要求するアルフィー。そして。

「ヴァ―ノンの料理と引き換えに、ベラの庭リフォームを手伝う」という条件が両者の間で成立し。

 

「正直。ベラとヴァ―ノンがいい感じになって…という流れで良かったのに」

 

庭のリフォームに集中しない。この作品のもう一つの柱。「ベラの恋」

 

ベラの働く図書館にやってくるビリーという青年。「私語禁止。飲食禁止」をガンガン破ってくるビリーが気になるベラ。

ビリーは、自作した機械仕掛けの鳥を飛ばす為に、日々資料を朝っていたと知るベラ。

そして毎日言葉を交わす度に近づいていく、二人の距離。

 

「何なんだ。この高等遊民は」

ずっと労働階級の当方の憎むべき相手。何?親の遺産で?いい歳してこんなことして毎日遊んでんの?「良いご身分ですな~(憎たらしい声で)」

 

すっかりいい雰囲気の二人。実は小説家希望のベラは、ビリーの作っている鳥が主人公のお話しをビリーに語り。「もっと聞きたいな」盛り上がる二人。

 

「え?二人何かキメてんの?それ素面なの?」誰かを想う気持ちなんて永久に失われた当方の震える声

『彼は酒に酔っているのではない。自分に酔っているのだ(カラマーゾフの兄弟より)』

…って。ふざけるのはいい加減にしますが。

 

正直「美しい庭になっていく様を見たい」という欲求で鑑賞した作品でしたので。何だかこういう恋愛パートが入ると「それはいいから」という気持ちになっていしまい。

 

「だって。ベラのリミット、結構シビアやで」なのに。

 

「ビリーとデート…と思いきやの!裏切り?」浮かれきって~からの一気に失恋モードに転落。もう何も出来ずに自室に閉じこもるベラ。

「時間は無限ではないぞ!」イラつく当方と打って変わって。すっかり人生の先輩ポジションを取り戻した、アルフィーの受け止めて、しっかり背中を押してくれる様。

 

「というか。アルフィーの庭よ!」

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何なんだ。この楽園は。正に「英国式ガーデニング」溜息を付くばかり。

「そしてアルフィーの部屋。あそこに住みたい。もっと見たい」珍奇植物愛好家たち垂涎のしつらえ。絶対に飽きない。あそこに居たい。

 

「一人の頑なで不器用な女子が。殻を破って、広がる世界を見た。そこは草花に覆われた美しい世界。暖かな人達。そして彼女は羽ばたいていく」

 

赤ん坊の時。捨てられた彼女を暖めたのは鳥。そして、自らを閉じ込めた彼女に世界を見せたのは機械仕掛けの鳥を持った青年。そしてその舞台を整えた隣人たち。そういう事を言いたいお話しだという事は十分に伝わりましたよ。勿論。「これはベラの物語」分かっている。ですが。

 

余りにも圧倒的だったアルフィーの庭。そして部屋。

 

ベラに関しては「一生幸せに暮らしましたとさ!」と早口で言ってしまってから。

 

「もっとアルフィーの庭を見せてくれ。造園家の彼の生き様をもっと語ってくれ。もっと。もっと」

 

アルフィーについての物語を。そして彼の「ビューティフル ガーデン」を。

寧ろそちらを欲する当方です。