ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「1917 命をかけた伝令」

「1917 命をかけた伝令」観ました。
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サム・メンデス監督。第92回米アカデミー賞にて『視覚効果賞』『撮影賞』『録音賞』受賞作品。

 

1917年4月。第一次世界大戦中のフランス西部戦線。防衛線を挟んでドイツ軍と連合軍の激しい消耗戦が続いていた。

連合軍が優勢、ドイツ軍は後退しつつある。今ならドイツ軍を追い込めるぞ。

そう読んでいた戦局が、実はドイツ軍の作戦であったと知った上層部。後退しているフリをして、ドイツ軍は兵士の数と武器を増やしている。そうして戦力を蓄えた所で襲い掛かって来るつもりだ。このままでは1600人の仲間がやられてしまう。

エリンモア将軍(コリン・ファース)は若きイギリス人兵士のスコフィード(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)二人を呼び出し、重大な任務を授ける。

「明朝までに最前線にたどり着き、陣頭指揮を執っているマッケンジー大佐(ベネディクト・カンバーバッチ)に『作戦中止』の命令を届けること。」

最前線にはブレイクの兄も居る。兄を初めとした1600人の仲間の命を救い、イギリスの敗北を回避するべく…二人は走り出した。

 

「驚愕のワンカット作品⁈マジで⁈」

公開より随分前。「戦場の様子を!全編驚異のワンカット!迫力映像でお届け!」といった謳い文句を目にして。「それは凄い事になるぞ~!」と期待値が上がった当方。けれど。アカデミー賞授賞式辺りから「ワンカット風」と但し書きが付き始めて…。

 

実際にこの作品を観て。『時系列が交差しない(発生する出来事の順番に物語は進行する)』『主人公が見た世界以外は登場しない』『場面転換も極力つなぎ目を感じさせないようにする』というレギュレーションを「ワンカット」と表現したんだなと飲み込んだ当方。(でもねえ。その広報の仕方…「嘘・大げさ・紛らわしい!」「JARO日本広告審査機構)に言うジャロ!」案件。)

まあ、このワンカット云々について深追いするのは面倒なんで。すっ飛ばしますが。

 

物語はシンプル。先述した内容がほぼ全てで、件の伝令を仲間に伝えるべく若き兵士が『撤退後の敵基地後』『民家』『同胞との出会い』『廃墟と化した町で』『前線』と進んでいく様が描かれていく。

 

『資格効果賞』『撮影賞』『録音賞』受賞。つまりは「まるで自分もそこに存在しているかのような感覚に陥る。」という作品に仕上がっていた。

不謹慎な例えですが…ロールプレイングゲームに於ける、TPS(三人称視点のシューティングゲーム)様式。それは、主人公の後方視点から見た世界に自身も放り込まれて、一緒に任務を遂行すべく同行している感覚になる映像体験。

「誰もここには居ないはずだ。」「さっきまで応援していた飛行機が…こちらに向かってくる⁉」主人公が今見えているモノが全て。他の情報は無い。だから怖い。緊張感の共有…ここからどうなる?何かが飛び出してこない?爆発したり、襲われたりしない?

 

戦争映画にありがちな(失言)『なんか説教臭い事や良い事を言う奴』『お涙頂戴』のヒューマンドラマは殆ど無し(皆無ではありませんが)。あっても深追いはしない。ただただ今は地獄を突き進め。任務を遂行しろ。

けれど。それこそがリアルだと思う当方。

非常事態。正常な判断が出来ない、そもそも己の倫理観をどう設定したらいいのか分からなくなっているようなご時世で。ただ突きつけられる、「明日の朝までにこの伝令を届けないと1600人が命を落とすし、母国は負けるぞ。」その重さたるや。

兎に角前へ前へ。そこで見たモノは一つ一つ脳裏に焼き付けられる。けれど、その意味を想うのはきっと…ずっと後になってから。

 

サム・メンデス監督の祖父の実体験を基にしているという記事も読みましたし、一応はフィクション作品との括り。果たしてどこまでこういった出来事が実際にあったのか。伝令役とは?勉強不足で分かりませんが。

 

「いくら何でも。1600人の仲間と母国を救う伝令を、若い兵士二人に任せるって…リスク高すぎやしないか?」「前線までは、敵も味方も退去して無人状態の土地が続くからって…でもこの二人に危険が及ぶ事、ありえるやろう?犬死する可能性大。」

どうしても。元々の設定が引っかかって仕方ない当方。「前線とを繋いでいる電話線が切れてしまったから…」他には?他には通信手段無いの?本当に?

 

これまで「いつ爆発してもおかしくないダイナマイトを、おんぼろなトラックに積んで悪道もいい所のジャングルを抜けてお届けする」というミッションが当方最大の『危険なお仕事』(恐怖の報酬/1977年)でしたが。

今回のミッションはそれを超えてくる。だって。だってサブタイトルの『命をかけた伝令』って、その『命』は主人公だけじゃなくて1600人の仲間と母国にも掛かっているから。恐ろしい。

 

鑑賞後に「そうかあれって…」と想いを馳せる。…でもそれは後からで結構。まずは体験を。疑似体験が出来る映像作品を作ったんだから。さあ!「考えるな!感じろ!」。

それがこの作品が放つメッセージ(あくまでも当方の勝手な解釈です)。

映画館で観られる内に。これは確かに、家で観るのは勿体ないです。

映画部活動報告「37セカンズ」

「37セカンズ」観ました。
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「生まれてから。37秒間息をしなかった。」

貴田夢馬(以降ユマ)、23歳。

出生時の低酸素状態から脳性麻痺を患い。手足に不自由があり、電動車いす生活。

現在は、幼馴染で人気漫画家SAYAKAゴーストライター生活。

シングルマザーの母親恭子と二人暮らし。けれど、恭子の過干渉ぶりに最近息苦しさも覚えてきたユマ。

何とか自立したい。そう思って出版社に作品を持ち込むが、女性編集長に「人生経験が足りない者に良い作品はかけない。」「経験を積んで来い」と追い返される。

 

「私に足りないもの?」「私のしたい事?」

「これまで体を理由に出来ないと決めつけてきた事は、本当に出来ない事?」

これは、23歳のユマが一人の女性として成長していく姿を描いた作品。

 

「この作品の凄い所は、主人公ユマを、実際に脳性麻痺で肢体不自由のある佳山明さんが演じた事だ。」

(先んじてお詫びしますが。こういう…所謂センシティブな題材に於いて、配慮すべき言い回しとか失礼な言い方とか。そういうのがあるのは重々承知なんですが。もってまわった言い回しに気を取られ過ぎて、何を言いたいのかが分からなくなりたくないんで。全体的にそういう失礼がある可能性は大いにあると思います。すみません。)

 

とある一日。母親恭子(神野三鈴)に起こされて起床。朝食後バスに揺られてSAYAKAの住むマンションへ向かい、一日作業してから又バスに乗り。バス停には恭子が迎えに来ていて一緒に帰宅。一人では風呂に入れないので、恭子に介助してもらいながら一緒に入浴。夕飯を食べて就寝。概ねそういう日々の繰り返し。

 

母一人子一人の母子家庭。ユマの日常生活は何かと介助が必要。生まれた時からずっとユマの世話が恭子の全て。ユマが恭子の全て。けれど…そういうの、正直最近鬱陶しい。

今日は書店で漫画家SAYAKAのサインイベント。お花を持って顔を出したい。なのに「お母さんも一緒に行く。」「ワンピースなんて、駄目よ。」何の心配をしているの。

やっとの事で恭子を振り切ってイベントに一人で向かったのに、SAYAKAに追い返されて、会場にすら入れなかった。「ねえ。分かってよ。ユマは来ないで。」

SAYAKAの漫画を描いているのは誰だと思っているの。なのに。SAYAKAの担当者に漫画を見てもらったら「真似じゃなくてさあ。」と言われてしまう。

 

求められている。居場所はある。けれどここは私が望む場所ではない。私が私らしく過ごせる場所では…私が私らしく?

 

そこでユマが一念発起して描いた漫画が何故か成人モノ。「そんな今日日エロ本が道に落ちているもんかね…。」そう思わなくもないですが。拾ったエロ本に触発されて、出来上がった作品を出版社に持ち込み。そこの女性編集長に先述の「人生経験云々」の内容を告げられる。

って、もっとあけすけな言い方でしたがね。「あなたセックスした事あんの?」「セックスしてから来て頂戴。」

「セックスって…。」途方に暮れるユマ。

 

ところで。当方が全編通して感じたユマの凄い所。それは「動きだしたら前進あるのみ。」今まで自分には恋なんて出来ないと思っていた。けれど。「やると決めたらやる。」

 

寧ろなんで今まで閉じこもっていたんだ。そう言いたくなるほど積極的に外の世界と関わり始めるユマ。でも…その姿は危なっかしくて。見ていて冷や冷やする。

「頼む!自分を大切にしてくれ!」うわああと居たたまれなくなった、散々だったラブホテルで。ユマは同じく脳性麻痺で肢体不自由の男性クマ(熊篠慶彦)と、風俗嬢舞(渡辺真紀子!彼女が出てきたらもう間違いないな!/当方心の声)に出会う。

 

ユマの周りに居る人物達。その中で当方が特に気になったのが、ユマの母親恭子と風俗嬢舞。二人の(多分同世代設定)女性。

恭子と二人で生きてきた23年。愛され大切にされてきた。それは間違いないけれど、その愛情が重すぎる。このままでは自分は何も出来ない。だって何もさせてくれないから。恭子とは違う世界に踏み出さなければ。そうもがき始めたユマにとってやっと現れた、背中を押してくれる存在。

「障害があるとかないとか。関係なくない?あなた次第でしょう?」「何も変わらないよ。」

危ない所に行くんじゃない。そう言って外の世界を見せなかった恭子に反して、舞は馬鹿笑いをしながら。一緒にショッピングをし、おしゃれをし、アブノーマルな世界にもユマを連れて行ってくれた。

何もかもが新鮮で。そうか。私は自由なんだ。

 

「お母さんは、決して意地悪でユマを閉じ込めた訳ではないよ。」「お母さんは…お母さんやから、こんなにユマを心配しているんやで。」

当方は誰の親でもありませんが。流石に老いたる人生経験から分かる事もある。母親恭子の気持ち。それを思うと胸が痛い。

生まれた時に負った脳の障害から肢体不自由になった娘。

離婚して、シングルマザーで子育て。ただでさえ大変だったろうに。しかもユマは人一倍介助が必要。これまでの恭子の苦労や心情を察したら…涙が出る。

「いつまでも子供扱いして!」「お母さんが何もさせてくれないんじゃないの!」

危ない。ユマが死んじゃう。そう思った場面はこれまでの23年間で沢山あったはず。危険な目に遭わせたくない。ユマが大切だから。

 

この作品の主人公はユマで。あくまでもユマ視点で話は進行するので。

舞と出会った事で変わっていくユマに気づいて、恭子に強引に二人の世界に連れ戻されたユマ。前以上に頑丈な、閉鎖空間という名の家。家と言う名の檻。

そこから強行突破、恭子の元から飛び出して自分探しを進める後半のユマのワールドワイド行動には「何だか急転直下すぎるし、どんどん現実離れしていってる。謎展開かなあ。」と違和感を感じた当方。

(後からHIKARI監督達とのインタビュー記事等を読んだのですが。佳山明さんが実際に双子の姉妹であったり、その健常者の姉がタイで教師をされているんですね。なるほどと思いましたが…でもお話としては唐突さが否めなかった。)

けれど。そんなユマの自分探しの旅の間…日本でユマの安否を案じて涙する恭子の姿。その短いショットに「23年間でこんなに二人が離れた事は無かったんだろうな」と思い至った当方。

 

ユマが自分から自立する?心配なのは当たり前。だって普通じゃない。ユマには障害がある。一人では出来ない事が沢山ある…自分が付いていなければ。そう思っていたけれど。

今どこに居る?自分の手元から離れて…どこかで生きている?

ユマは自分無しでも生きていける?

(これは語られていないし不明ですが。流石に「ユマが今どこでどういう行動をしているのか、けれど安心できる人物が同伴しているから大丈夫ですよ。」という一報は恭子に入れるのが舞サイドの大人としての義務やと当方は思いますよ。)

 

ともあれ。一回りどころか、何周も大きくなったユマが結局「ここが自分の居場所だ」と選んだ場所。その選択にほっと胸を下ろして。

 

「何かびっくりするくらい可愛くなった。」初めと最後では全く違う。ぐっとあか抜けたユマに目を見張る当方。キラキラしちゃって…ああこれは…今なら恋に出会ってしまうよ。

 

「お母さん。心配事が絶えないなあ。でも今度はおおらかにね。」

映画部活動報告「ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」

「ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」観ました。
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ダニエル・クレイグ主演。ライアン・ジョンソン監督オリジナル脚本作品。

 

NY郊外の館。そこに住む、世界的ミステリー作家ハーラン・スロンビーが首から血を流して息絶えている姿が見つかる。奇しくもそれは、ハーランの85歳の誕生日パーティー翌日の朝だった。

 

アガサ・クリスティーの様なミステリー作品を作りたい。」ライアン・ジョンソン監督が以前に語っていた言葉。満を持して。オリジナルキャラクター名探偵ブノワ・ブランにダニエル・クレイグを抜擢。その他もそうそうたる俳優陣で実現させた。

 

アガサ・クリスティーみたいな…ねえ。」中学生時代。ご多分に漏れず当方もクリスティーにハマった。「クリスマスにはクリスティーを読もう!」とは言えあまり安楽椅子探偵モノは好きではなくて…結局『そして誰もいなくなった』が一番印象に残っている。

 

大富豪のミステリー作家ハーランの突然の死。そこに居合わせた一族。けれどそれは偶然では無い。何故なら前の晩にこの館でハーランが主役の家族の宴が催されていたから。

ハーランの子供達とその伴侶、孫達。母親!そしてハーランの専属看護師。使用人。

そこに居たのは、誰も彼もが癖のある人物ばかり。各々の分野で成功しているはずの一族は「自殺したんだろう」とハーランの死については深追いせず。寧ろ遺産分配を気にしている。

「彼は自殺ではありませんよ。何故なら私の所に匿名の捜査依頼が来ましたから。」

地元警察の警部補と巡査を引き連れて、世間でも有名な私立探偵ブノワの登場。

関係者達にイチから話を聞いた後、ブノワは看護師マルタに目を付ける。

「嘘をつくと吐いてしまう」という特殊体質を持つマルタをワトソン役に抜擢し、スロンビー一族の闇に迫っていくが。

 

グダグダと同じような下りを説明するのもアレなんで…ばっさりと一言で感想を言ってしまうと「なんやこれ」と思っている当方。

確かに中学生位に読んだ、良質とされた古いミステリー感はあった。けれど。ちょっと現代でやるには粗が目立ち過ぎる。

 

勿論、どんな作品にも良い所はあるし、好きだと言う人がいるのは承知。だからもう…「この偏屈が!」と思って下さい。そして詫びるついでに開き直ってもう一つ。「今回、結構ネタバレします。」

 

当方が納得いかなかった所。上げればきりがないけれど。「時代設定はどうなっている」「医療監修が皆無過ぎる」「嘘をついたら吐くというマルタの職業倫理感はどうなっているんだ」

 

そもそもこの話、現代なんですよね?

少なくとも登場人物達がスマートフォンを駆使する程には。の割には科学捜査が行使されていなさ過ぎる。

「それこそ時代設定をクリスティー位まで昔に持っていったら良かったのに。」

 

ひと癖もふた癖もある一族の、ゴシップだらけの人物紹介タイム。さあこの中の誰がハーランを殺したのか?誰が犯人でもおかしくない。そう序盤で匂わせたのに、割と早い段階で真実はひょんな場所に着地してしまう。

 

はっきり言ってしまうと、ハーランの専属看護師マルタが行った医療行為が大きな鍵となる訳ですが。

 

「マルタは確か、組織には属さない個人訪問看護師なんですよね。ところでそれってどういう事ですか?」

沢山の患者を受け持たずに、イチ患者の専属看護師になる。それは分かる。そこではなくて。マルタはどこからその薬が入った鞄を入手しているのか。

アメリカの法律は知りませんが。あくまでも薬を処方出来るのは医者であって。薬剤師を介してそれを入手し、実際に患者に投与しているんですよね?

85歳にもなれば色々体にガタも来るから、確かに沢山薬は要るやろう。けれど…マルタがハーランに投与した例の薬がどうしても納得出来ない。

 

「だってそれ…!」

どういう扱いしてんだ。そして何て言い方して何て投与の仕方してんだ。大昔のヒロポン扱いか!そんなサイズ無い。そしてその薬は必ず余った分ごと返却しないと法に触れるんだよ!…ずさん過ぎる。何もかもあり得ない。そして人体がそんなに時間通りに反応する訳が無い。ましてや85歳。

えええ〜。心の中で大声上げすぎて、そこからのマルタのパニック状態からの切り替えの早さにも全然ついて行けなかった当方。

 

「嘘をついたら吐いてしまう」「マルタは良い娘」「不法移民の母親と妹と。女ばかりの貧しい生活」

嘘をついたら吐く…確かにマルタは嘘を口に出してしまうと吐いてしまう。でも、口に出さなければ普通にしていられる。

「それって随分な屁理屈じゃないか?」先述した内容から、マルタに俄然厳しい当方。

 

「だって。医療事故の可能性を胸に収めておけるって。それは自身の職業倫理に嘘をついているとは言えないのか?」

 

そして何故マルタが所属しているはずの派遣先、つまりは医療機関が何も言ってこない。

 

華麗なる一族の泥沼劇場で良かったのに。マルタの存在と行動の不可解さに偏屈な当方のアンテナが過剰反応。全く集中出来ず。

 

初めこそ気取っていた、金持ち一族の足元が掬われる。ハーランの遺言書開封の儀。

「まさかの遺産が手に入らない。マルタに全部持っていかれた!」

化けの皮剥がされた後の彼らのオタオタっぷりなんて。予定調和過ぎて笑みまで溢れた当方。

「遺産を貰おうとして取り入ってたんでしょう!」そりゃあそう言うよ。だってマルタはただ年寄の孤独を埋めていただけやから。当方だってハーランの気がしれない。

 

ハーランの遺体から分析されたサンプル?分析されんの遅すぎ。そして管理体制がアナログ過ぎる。

まさかのあの人が良い人?やっぱり悪い人?…その手のひら返しっぷりも想定内過ぎる。手口も小賢しい。

 

「あの。良い所無いんですか?」

あるある。キャストが豪華だし、美術も衣装も綺麗。つまりは見ていて目の保養になる。あんなにはっちゃけたダニエル・クレイグも貴重だった。

そして最後の小物オチは見事に決まっていた。

 

「ただなあ…そもそも…。」全然すっきりしない当方が目にした、先日執り行われた『第92回アカデミー賞授賞式』の脚本賞ノミネーション。これこそミステリー。

 

散々文句を言ってしまってアレですが。ライアン・ジョンソン監督の好きな世界観は分かった様な気がしましたので。

シリーズ化をするならば、出来ればその専門分野の監修を…そして当方はもうマルタは結構です。

映画部活動報告「ロニートとエスティ 彼女たちの選択」

「ロニートエスティ 彼女たちの選択」観ました。
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NY。都会に住む、女性カメラマンロニート。撮影中に舞い込んだ、聖職者である父親ラビの訃報。

 

厳格な正統派ユダヤ・コミュニティ。そこが生まれ育った故郷。二度と戻る事は無いと思っていた故郷に帰るロニート

何も変わらない。堅苦しいしきたりも習慣も。そこに居る人も…そう思っていたのに。

幼馴染で親友のドヴィッド。父の後を継ぐであろう聖職者の彼は、ロニートがかつて誰よりも愛した女性、エスティと結婚していた。

 

昭:回れ回れ~メリーゴーランド~もう決して止まらないように~動きだ~したメロディ~ラララ~ラブソングううう~。

和:え⁈久保田利伸!ラップ?私ラップ担当させられんの?ていうか何アンタのそのテンション⁈

昭:はいどうも。この映画感想文を書いている当方の心に住む男女キャラ、昭と和(あきらとかず)です。今日はねえ…酔ってもいいですか?SAKEの力、借りてもいいですか?

和:「彼は酒に酔っているのではない。自分に酔っているのだ。」…一体どこのドストエフスキーだよ。何?大丈夫?

昭:俺はねえ。この作品で男性目線でコメントを求められるのがしんどいの!だって。だってこれって…。

和:はいはいはい。そういう感じで進められたら速攻クライマックス迎えそうやから、内容に触れていこうかと思いますよ。

 

昭:NYでカメラマンとしてバリバリに働いているロニート。ある日仕事中、父親の訃報を知らされる。

和:衝撃。動揺。地球上から父親が居なくなったという事実を突きつけられて、理解できるけれど理解できない。実感できない。あの町から離れた場所では誰ともこの感情を共有できない。このままでは後悔する。父親を見届けなければ。そうして、もう戻らないと決めたはずの場所に戻ったロニート

昭:親子の縁を切られ、捨てたはずの故郷。相変わらずの堅苦しいコミュニティ。そうだ、こういうがんじがらめな人間関係が苦手だったんだ。誰も変わっていない。

和:けれど。最も変わって欲しくなかった相手が変わっていた。かつての恋人、エステイは親友のドヴィッドと結婚していた。
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昭:平たく言えば、「かつての恋人と再会して、やけぼっくいに火が付いた二人とその夫」という図式なんですわ。

和:身も蓋もない言い方するなよ~。

昭:誤解を恐れずに言いたいんやけれど。個人的に「好きになったら性別は関係ない。」と思っている。だから、彼女たちが同性同士だとか、そういうのは関係ない。だから単純に夫目線としたら「元恋人が現れて妻をかっさらっていかれそうになっている状況」と判断してしまうの。

和:いやでもそれはさあ。色々あったんじゃないの?宗教の事分かんないけれど、同性同士の恋愛に厳しそうに見えたし。それどころか、男女であっても性的な事柄は隠せっていう感じじゃなかった?女性は大人しく引っ込んで夫を立てておけ、っていう。

 

昭:厳格なユダヤ・コミュニティ。ってやつをそもそも知らないんやけれど。女性はカツラをかぶったりするんやね。

和:聖職者のドヴィッドの下着姿も独特のストイックさ。そしておそらく、決まった相手以外には触れてはいけないんかなと思った。例えそれが友情や気持ちを共有するハグやタッチングであっても。

昭:好きな相手には触れたい。ラブだけじゃなくて、ライクでも。辛そうな相手の背中や肩にそっと手を置きたい時、あるよ。

和:ライクねえ。でもさあ、ラブやったら当然…。

昭:(食い気味に!)好きな相手には触れたいよ!別に人前でいちゃつきたいとかいうんじゃないけれどさあ。せめて二人の時は相手を感じたいよ!

和:そういう事が許されなかったんじゃないの。ロニートエスティは。

昭:…。

 

和:ちょっとネタバレしちゃうけれどさあ。ロニートエスティの関係って、親にも周りにもバレてれんのよね。結果それでロニートは父親から絶縁されるし、町を出るしかなくなってんの。

昭:町一番の聖職者で指導者。誰からも尊敬されるラビの娘ロニートの同性愛発覚。そりゃあ堅物なあの町にそのままは居辛いやろうな。

和:あ~あ。あの二人、やっちまったな~。でもロニートはこの町を捨てたし、今頃自由の国で伸び伸びやってんでしょうよ!そして残されたエスティは真っ当になって、幼馴染のドヴィッドと結婚。所詮は若気の至りだったんやろうな!あれは昔の事!

昭:「残された方は大変なのよ(言い回しうろ覚え)。」そう放ったエスティ。この町に残るにはそう振舞うしかなかった。あれは一時の事だと。

和:でも。ずっとくすぶっていた。私はずっとロニートを愛している。今でもずっと。

昭:ふざけるなああああああ。

 

(背景の音楽:い~つでも探しているよ。どっかに君の姿を。向かいのホーム 路地裏の窓 そんなとこに居るはずもないのに(略)新しい朝 これからの僕 言えなかった好きという言葉も~)

和:山崎まさよしが気持ちを盛り上げてきました!…愛してる。ロニートを愛している。ロニートとの恋。あれは一世一代の恋だったし、今でもそう。身も心も一つだと感じたのはロニートだけ。

昭:お前。セックスが義務だと言われた夫の気持ちが分かるか。

和:(無視)私はずっとロニートを求めていた。私はずっとそうだった。

昭:ボロボロに傷ついたエスティ。ロニートは逃げたじゃないか。俺なら守ってやれる。俺はエスティを愛している。そういう下り、別に描かれてはいなかったけれど…流石に行間から察する。閉塞した環境で、濃厚な二人の恋愛とその終焉を目の当たりにしても尚、俺はエスティを守ると決めた。なのに何故。今更ロニートの事を蒸し返す。お前たちは恋愛の良い所しか見ていない。刹那的に求め、求められて。けれど相手がどういう状態になっても見捨てないで味方になる、離れない。そういう事がお前たちには出来るのか。

 

和:(小声)結局私たちは同じ人間(当方)から派生したキャラクターやから…気持ち、分かるよ。

昭:嫌な言い方やけれど、この作品で一番自己中心的で台風の目だったのはエスティ。三者ともが納得していなかったけれど胸に収めたかつての感情を、ほっくり返して、振り回して、そして終わらせた。

和:ラビの死は一世一代のチャンス。でも…ラビだって、娘は可愛かったと思うよ。会いたかったやろうなあ。

昭:どこまでも公平で寛容な気持ちを持っていたドヴィッド。「あなた達には選択の自由がある。」ラビの意思も引き継いで、けれど完全に捨て身で彼女たちに贈った言葉。

 

和:最後に。彼女たちの選択。どう思いましたか?

昭:もう後ろを向いてはいけないよな。後ろは過去でしかなくて、歩みを止めるモノではない。自由を提示された時に自分で選択したんやから…これがファイナルアンサーやろう。これが彼女の進む道。

和:切ない。

昭:でもこれが一番皆が幸せになる結論。忘れてた?ロニートの職業カメラマン。

和:思い出を閉じ込める…何これ。何この強制的なセンチメンタル終焉。

昭:俺は酒に酔っているんじゃない。…自分に酔っているんだ。

和:うわあ…。

映画部活動報告「無垢なる証人」

「無垢なる証人」観ました。

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韓国。『第5回ロッテシナリオ公募展』で大賞を獲得したシナリオを基に、イ・ハン監督が映画化。

ベテラン俳優チョン・ウソンが弁護士のスノ、子役出身キム・ヒャンギが自閉症の少女ジウを演じた。

 

人権保護の信念を基に、民主弁護士会で長らく働いてきたスノ。しかし同居している父親が作った多大な借金に苦しめられ、企業の犬と呼ばれる弁護士事務所に転職。

現実と折り合いを付けて俗物になろう、割り切ろうと決意する中、上司から「箔をつけてやろう。」とある事件の弁護を任される。

それは、大企業のトップである80歳の老人の死亡事故。自宅で頭からビニール袋をかぶり、窒息死した老人。最愛の妻を亡くし、生きる希望を失っていた様子から自殺だと思われたが…向かいの家に住む少女ジウがその顛末を目撃。ジウの証言は「家政婦が殺した」だった。

殺人の罪で逮捕された家政婦の無罪を証明せよという依頼を受けたスノ。

閑静な住宅街で起きた、老人の死は果たして自殺なのか、殺人なのか。

 

広い屋敷で暮らしていた、老人と家政婦。家政婦の言い分は、夜に物音がし老人の部屋を訪れたらまさに自殺しようとしている所であり、止めようとしてもみ合いになった。死のうとしている人間の力はあまりにも強く、自分には止められなかったというもの。

 

一体その夜少女が何を見たというのか。唯一の目撃者であるジウが自閉症であり、意思疎通が困難である事は送られてきた映像から確認できたが、何か聞きだせないかと実際に接触を試みたスノ。初めこそけんもほろろな態度を取られてしまったが。

自閉症というのは自分の世界から出てこられないんだ。ならばこちらから世界に入ればいい。」「目線を合わせろ。」(言い回しうろ覚え)

自閉症の弟を持つ検事からのアドバイスを受け、少しずつジウと心を通わせるべく努力するスノ。頑なだったジウもスノを受け入れていくが…。

 

「一般公募のシナリオから生まれた作品かあ。良くできている。」

近年ジャンル無双の韓国映画界にしては、昔からある『ベッタベタなお涙ヒューマンジャンル』(言い方)。

気持ちよく泣かされ、そして最後には爽やかな風が胸に吹く。「いい映画観たわああ~。」誰にお勧めしても大丈夫な作品。

 

自閉症。まして自閉症スペクトラム障害サヴァン症候群等々いかんせん無知なもんで。一体どこまでがリアルなのか当方には判断できませんし、正直「ジウのスペック高すぎやしないか?」と思ってしまいましたが。兎に角ジウ役を演じたキム・ヒャンギが…上手い、というと一言過ぎる…丁寧、でしたね。

例えば数学的な分野等には天才的な能力を持っているが、環境に対する知覚が過敏過ぎて日常生活がままならない。決して他者を認識していない訳ではないが、相手の表情を正確に拾う事が出来ない。自分を表現する事が不得手でかつ、ペースも緩慢故にコミュニケーションが円滑に取れない。けれど決して感情が無い訳では無い。

「何だ。まるで5歳児じゃないか。」

違う。きちんと思考も感情もある。ただ、自身の中で終始吹き荒れる嵐に収拾がつかない状態なだけで。質問にとっさに答えられなくても、ジウを無能だと決めつけてはいけない。

ジウのペースで、ジウの方法で導き出せば…ジウほど正確な証言が出来る人間は居ない。

 

被告人を弁護する立場のスノと、被告人を殺人者だと証言しているジウ。日々の触れ合いで次第に信頼関係は成り立っていっていたのに、法廷では対立した関係。

そこでスノは決して口にしてはいけない事を言ってしまう。

 

「ああ。言葉を大切にするお仕事をしているのに…。」

 

この作品は「人を見た目で判断してはいけません。」「人には多面性がある。」「その中であなたはどう生きていくか。」というメッセージがある、と勝手に解釈している当方。

人を見た目で決めつける、それは「自閉症があるジウにはきちんとした証言は出来ない。」と決めつけてしまう事だけでは無くて。

もう捨ててしまおうと思った信念を捨てきれられないスノ。ジウの母親。ジウと登下校を共にしていた唯一の友人シネ。そして被告人の家政婦すらも。

誰がどういう人だとか、こういうポジションに居る人はこういうキャラクターなはずだとか。良いとか悪いとか、知らない人は勝手な事を言う。アイツはいい奴だ、悪い奴だ。けれど。

「こうあるべきだ」にがんじがらめになって。けれどそれが自分の感情と乖離していてどう振舞えばいいのか、訳が分からなくなってしまった時。

 

「あなたはいい人ですか?」

一体俺は何故弁護士になろうと思った。弁護士だった父親の背中を見て、正しい事をしたいと思ったんだろう?

(またねえ。終盤の父親からの手紙は号泣案件。父親の借金ったって、お人よし故。そしてあの病の不可逆性もまた…)

他人から決めつけられる事が多いジウが、真っすぐな目でスノに問うてくる「あなたはいい人ですか?」

 

個人の中にある様々な感情。あって当然。加えて、置かれた立場や環境の中で。迷ったらいい…でも。最後にどう生きるのかは自分で決めなければいけない。その時大切にしているモノは?あなたの信念は?

 

元々人権保護を信念にしてきたスノ。やっぱりそれを捨てるわけにはいかないと、足場を立て直して事件を違う角度から見た時。黒から白へ。怒涛のオセロ全ひっくり返しが始まる。

 

法廷シーンは、サスペンスというか…インパクトのある展開にしようとし過ぎていたという印象。第一審の終わり方は確かに胸糞悪いけれど、流石に検察側が弱すぎる。

というか「どうやらここは警察が不在の世界線のようだ…。」と呟かざるを得ない。あの一族関係を調べりゃいい話じゃないの?再審でのジウの証言に「おお…。」とは思うけれど、スペックの高さに圧倒された感じも否めないし…流石に科学的な証拠とか法医学的な見解とか無いの?後…(小声)ブタンガスの件、どうなったの?

そして流石に、この裁判の進め方は禁じ手過ぎやしないか?

 

風呂敷の畳み方に、あっけにとられる部分もなきにしもあらずでしたが…まあ、何だか皆さん肩の荷が下りたいい笑顔で最後を迎えておられたので…。(ジウの母親の表情もほっとしました。)

そしてあの判断をした事と引き換えに世界が変わってしまったスノにも…現実的な心配は置いておいて、温かく包まれそうな居場所が見つかった事に意識をずらして安堵しておいて。

 

最近個人的に刺激を求め過ぎていた韓国映画だったけれど。久々の王道ヒューマンドラマに気持ちよく泣かされ、そして最後には爽やかな風が胸に吹く。「いい映画観たわああ~。」誰にお勧めしても大丈夫な作品。たまにはこういうのも良い…けれど。

 

(小声)やっぱり刺激を求めてしまう当方。チョン・ウソンには時にはコップを歯で噛んでもらいたいです。(2017年公開『アシュラ』より)

映画部活動報告「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」

テリー・ギリアムドン・キホーテ」観ました。
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 『構想約30年!鬼才、テリー・ギリアム監督の呪われた企画遂に完成!』

『19年の間、9回映画化にチャレンジしその都度失敗に終わった因縁の作品。』

 

「え。あの、いつかやるやる言うて毎回とん挫してたやつ?」「ですです。」

先週末。遂に行われた、当方所属の映画部(部長と当方の二人で構成)の会合。そこでの映画部長との会話。

「ところでさあ。ドン・キホーテって結局どういうお話なわけ?」「子供の頃読んだ絵本程度でしかもうろ覚え…風車を巨人と間違うやつやんな?」「あれって…本当は結構な社会風刺とか入っている長編らしいけれど。」

残念ながら。我々の認識はその程度。なので、後付けで情報収集。

その結果「想像以上に何重にも入れ子になっていたんやな…。」と震えている当方。

 

スペインの作家、ミゲル・デ・セルバンラスに依って書かれた『ドン・キホーテ』。1605年の前編と1615年の後編からなる作品。

ラ・マンチャという村に住む、ある男が騎士道物語を読みふけるうちに自身も騎士であると思い込み。遂には『ドン・キホーテラ・マンチャ』と名乗り、ロバのロシナンテに乗り近所に住む農夫サンチェを連れて旅に出る…という冒険物語。有名な風車云々は前編。

作者セルバンデスの投獄時代などがあって?10年のブランクを経て後編が発表。そこでは、前編が出版され皆がドン・キホーテの存在を知っているという世界線。その前提ありきで新たな旅に出ているドン・キホーテ

(当方に依るTHE雑まとめ①。)

 

「随分前から『ドン・キホーテで映画を撮る』と公言して、実際に行動していながら倒れ続けた企画。(その様を撮った『ロスト・ラ・マンチャ』というドキュメンタリー作品、2002年公開。)心が折れた事は数知れないだろうに、何度でも何度でも何度でも立ち上がったテリー・ギリアム監督そのものが『ドン・キホーテ』。」「狂気と執念。」

 

主人公のトビー(アダム・ドライバー)。CM監督でドン・キホーテをモチーフとした作品の撮影中。煮詰まっている現場で、作業は進まず。

夜。ボス主催の企画会議を兼ねた夕食会で、偶然物売りのジプシーから自身の学生時代の卒業制作、ドン・キホーテを題材にした作品を売りつけられた。

 

「そういえばこの辺りだ。」郷愁から、かつて撮影をした地を訪れたトビー。しかしそこで彼が聞いたのは、撮影以降自身がドン・キホーテだと思い込み狂人と化したという、元靴職人ハビエル。

しかもヒロインを演じたアンジェリカ(ジョアナ・リベイロ)。清純そのものだった彼女も映画に魅せられて村を出たという…。

自身の作品が当時の関係者に影響を与えた事に衝撃を受けながらも、ハビエルが軟禁されているという場所を訪れたトビー。

そこで失火事故が起き、軟禁状態を解かれたハビエル。この前後の出来事をきっかけに警察から追われる羽目になったトビー。

我はドン・キホーテだと騎士道を熱く語り。そしてトビーをサンチョと呼んで。初めこそ嫌々ながら、二人の珍道中(逃避行)が始まった。

(…THE雑まとめ②。ですが…そもそもギリアム作品をまとめるなんて無茶な話ですよ!)

 

アダム・ドライバーって恰好良いな。」

彼の存在は勿論以前から知っていましたけれど。「顔のパーツが全てでっかい人」という認識で。どこかぬぼ~っとした印象が否めなかった。ですが。

昨年末に観た『マリッジ・ストーリー』。そこで「うわ。こんなに演技と歌が出来る人やったんか。」と再認識。

今作でも、歌って踊ってのシーンに「そういう事も出来るんやないか~。」と熱くなってしまった当方。(何様だ)

そしてあのスタイルの良さ。あか抜けた業界人スタイルも、旅を進めるにつれてボロボロになっていく姿も、そして終盤の中世コスプレも。流石にびしっと決まっている。

「眼福やなあ~。ただ、アダム・ドライバー目当てで観に来られたご婦人たちはギリアム節さく裂の今作をどう受け止めたのかは…聞くのも怖いけれども。」

 

ですが。かつてのギリアム作品を思うと、随分とマイルドで分かりやすい話だったんじゃないかと言うのが当方の感想。

全てを観た訳じゃないですが。だって…『Dr.パルナサスの鏡』のどこまでも続く悪夢的世界とか。
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「こんな美少女にあんな事やこんな事させて…人格形成上大丈夫なんか?」という…大好物の変態映画。 当方がギリアム作品で一番好きな『ローズ・イン・タイドランド』とか。
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これらに比べたら、日曜洋画劇場で流しても大丈夫な(あくまでも当方の判断)今作。

 

罪深き過去の作品に依って、人生の歯車が変わってしまった老人と少女。けれど…果たして変わったのはこの二人だけなのか。

こんなにも惹かれ、狂わされてしまう『ドン・キホーテ』の魅力とは何なのか。

 

富と権力を持つ者は、夢の世界に住み続ける者を愚かだと笑うけれど。この狂気は金では買えない。

 

「またねえ。ヒロインアンジェリカを演じたジョアナ・リベイロがめっちゃ可愛い。」

表情がくるくる変わる、スタイルの良さ。好き…。

 

ドン・キホーテが守るべき姫君。そのポジションに居るアンジェリカ。かつては村一番の美少女だった。けれど、トビーの撮影に関わった事で映画の世界の面白さに取りつかれてしまった。あの世界に居たい。けれど…彼女が置かれている現状は想像とは似ても似つかない、虚構の世界。

 

老人ハビエルと少女アンジェリカ。幾年もの時を経て、同じキャストが同じ役回りで冒険を始める。けれどそれは入れ子で。

彼らを撮っていたトビーもまたドン・キホーテのポジションに置かれていく。けれど。

 

入れ子はまだ続く。何故ならばこの作品を撮っているテリー・ギリアム監督もまたドン・キホーテだから。夢の世界に惚れ込んで、抜け出せない。狂ってなんぼ。覚めてなるものか。

これはとんだマトリョーシカ作品。…もし入れ子がリタイヤしたら?選手交代。それでもドン・キホーテの冒険は永遠に続く。

 

随分と綺麗に着地したので、寧ろ拍子抜けした位でしたが。30年もの間紆余曲折し続けた作品の構想が、監督の思ったところに収まったのであれば何より(そうであってくれ)。胸が熱い。

ところで。今回『ドン・キホーテ』を調べるにあたって、ふと「そういや似ているやつで…『ほら吹き男爵の冒険』って何やったっけ?(結果:ドイツ/ミュンヒハウゼン著の冒険物語)」と検索し、テリー・ギリアム監督作品『バロン』(1984年)に行きついた当方。「そうやったああああ~。」思わず大声。
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映画部活動報告「ペット・セメタリー」

「ペット・セメタリー」観ました。
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1983年に発表された、スティーブン・キングの同名小説。1989年に続き、2回目の映画化。

「愛する者を失った。けれどもしも、生き返らせる事が出来るとしたら?」

「娘は生き返ってはいけなかった。」

 

はじめに。今回の感想文はネタバレ&かなり茶化した内容になるであろう事を、先んじてお詫びします。

決してこの作品の事も、キングの事も、嫌いではない(けれど特別好きでもありません)。「出るで出るで~。」系の脅かしにも案の定ビクビクしましたし、それなりに楽しんだ。でも心の中にいる突っ込み担当当方が、ずっと手の甲を当方の胸に叩いてきていたので…そういう視点になる事必須。という前置きをしておいて。

 

「これは…事故物件物語やないか。」

元々はボストンに住んでいた一家。医師であるルイスの心労がたたり、家族でメーン州のルドローという田舎にある一軒家に引っ越してきた。

ルイスと妻のレイチェル。もうすぐ10歳になる娘エリーとまだ小さな息子ゲージ。そして猫のチャーチ。4人と1匹で住むには十分な大きい一軒家。しかも裏にある森もルイス邸の敷地。

…当方は海外の住宅購入事情を知りませんが。ルイスはあの家、一体誰から買ったんですか?

よく映画で見かける、家に看板立てている感じ?元の所有者?不動産屋?まあどちらにしてもいわくつきの物件過ぎるし、事情を教えずに売るなんて悪質すぎる。

 

しかも引っ越し早々、裏山には『ペット・セメタリ―=動物墓地』があると判明。結構年期のある、地元民お手製の墓地には数多くの動物が眠っていて。しかも埋葬儀式がホラーさながら。

悪趣味な動物の仮面をかぶった子供たちが、太鼓を叩きながら死体を搬送し埋葬する。そんな儀式を見てしまった、娘のエリー。

「こんなん、トラウマ案件やないか…。」震える当方。(余談ですが。当方の知る地域には、神社のお祭りの日、未明から太鼓を叩きながら男たちが界隈を練り歩くという風習があって。夜中に法被着て提灯持って、独特の声掛けをしながら太鼓を叩く男たち…初めて見た時は悪夢かと思いました。)太鼓叩いて歩く集団は怖い!禍々しすぎる。

好奇心旺盛なエリーは子供たちの後を付いて行って。その場所にたどり着いたついでに、隣人のジャドと出会う。

 

「生まれた時からここに住んでいる。」初登場時こそ不審者オーラを漂わせていたジャド。けれど以外にも気さくで。妻に先立たれて男やもめのジャドは、ルイス家の食事にも招かれたりとルイス家と親交を深めていく。そしてハロウィンの日。

 

自宅近くの道路わきで、愛猫チャーチが変わり果てた姿で見つかった。おそらく車に轢かれたと思われ、見るも無残な状態。

ルイスはレイチェルに「この機会に子供たちに死について語ろう。」と相談するが、自身の少女時代にトラウマがあるレイチェルは「まだ死について話したくない。」と拒否。結局夜中に、チャーチを見つけてくれたジャドを誘って裏山の『ペット・セメタリー』に埋葬しにいく事になったルイス。

不気味な道を辿って、やっと着いた場所。なのに…「娘にまたチャーチと会わせてやりたいか?」問うてくるジャド。そして、二人は禁断の土地まで進んでしまう。

翌日。両親はエリーに「チャーチが逃げた」と説明したが。「チャーチはずっと居るよ。」

まさか。けれどまさかの…チャーチは生きていた。

 

「あれは一体何なんだ。」「あそこは死者が蘇る土地だよ。」

 

ルイスって。仮にも医者なんですよ。いやまあ、医者がそういうの信じちゃいけない訳じゃないですけれど。現象が非科学的すぎて。

そもそもルイスはボストンでの生活の何に疲れたんですかね?医師としての勤務が忙しすぎて、家族との時間が取れなかったみたいな事は言ってましたけれど。何となく救命救急の医師なのかな~と思って観ていましたが。そりゃあ、都会での仕事は多忙でしょうけれど…田舎町の数少ない病院で救急外来って、下手したらもっと大変かもしれないのに。

実際、地元の学生とかいう青年が事故に遭ったと救急搬送。「脳が見えています!」(脳‼そこ、脳ですか‼)というエマージェンシーに全く対応出来ない医療現場。おいおい…まずは気道確保の大原則が…。後スタッフが少なすぎる。心臓マッサージはそこの嫌な顔した女に任せて、あんたは基本的行動を‼

 

「ここはヤブだ…。」という自己嫌悪的落ち込みではなく、何故かナーバスになるルイス。以降も、何かといわくありげに登場してくるその学生に「祟られているのか?」と思うでもなく、学生の予言めいた言葉に心をざわつかせていくルイス。

 

妻レイチェルの少女時代のトラウマというのもなかなか。ですがこれ、当方に言わせると「レイチェルの両親によるネグレクト案件だろうが!こんなの、児童相談所に通報するレベルやぞ!」

レイチェルよ。精神的に不安定になった時に優しくハグしてくれるその夫に、然るべきクリニックを紹介してもらいなさいよ。お話をきちんと聞いて、必要ならばお薬処方してもらって。こんな田舎の事故物件に引っ越ししてないでさあ。だって案の定、怪奇現象が連発してトラウマをガンガン刺激されてしまっているし…。

 

死んだはずのチャーチが戻って来た。けれど…何だか様子がおかしい。見た目もみすぼらしいし、何より性格が違う。どうして?

「あの土地から帰ってきた者は、狂暴になる。」

 

愛する者を失った痛み。例えば長らく家族として一緒に暮らした白猫を失った事を想うと、今でも胸が締め付けられる当方。(18年も生きて寿命を全うしてくれたので、こういう唐突な別れではありませんでしたが。)

今でもあの時の感情は思い出せる。「どうしてこんなに想っているのに、もう会えないんやろう。」「いつでも帰っておいで。」

夢では時々会える。でも現実では二度と会えない。寂しくて。随分長い間、その感情に折り合いをつける事が出来なかった。

 

「でも。帰ってきてはいけないよな。」

生死を人間がコントロールする。医師であるルイスは病気の患者を救う事は出来る。けれどその対象はあくまでも『生きている者』であるはずで『死んだ者』に手を出す事は、件の学生の言葉を借りると「境界線を越えるな(言い回しうろ覚え)。」という事になってしまう。

 

「ああもう~。キングは本当にメインまでの道のりが長い。」

(あくまでも精神的に!)早漏な当方はいつもキングの焦らしには苛々してしまう。

「娘が不慮の事故で亡くなって、いわく付きの土地に埋めたら…化け物になって帰ってきた。というネタバレはもう事前に分かっているんだよ!そこまでの下りが長い!もっと頂戴!早く頂戴!」

 

随分と丁寧にネタバレを積み重ねてきましたので。帰ってきたエリーのどんちゃん騒ぎは、サクサクすっ飛ばして。思った事(主に突っ込み)を。

「シャベル一つで墓地から棺をほっくり返して、あの土地まで連れて行って…当方なら初めのほっくり返す時点で朝を迎える。ルイスは人間重機か。」

「何故、かのトラウマの地(実家)に戻るんだレイチェル!。」

「何故自宅に手術用メスを持っているんだルイス。(そんな奴おらん)そして…そんな円刃刀(先が尖っていない)(しかも錆びていそう)で踵が切れるか!そして人をメッタ刺しなんか出来るか!あんたどんな怪力だ!」

 

おいおいおい。怒涛の畳みかけで風呂敷を閉じていく様に「どうやらこの田舎町には病院だけでなく、まともな警察も居ないらしい。」段々笑うしかなくなってきた当方。

そして…最終的にはまさかの「幸せに暮らしましたとさ」。

 

最後に言いたい。この事故物件を取り壊さずに放置して。挙句何も知らない家族に売りつけた。何よりその相手こそが一番の元凶。そいつの顔が見てみたいです。