映画部活動報告「クワイエット・プレイス」
「クワイエット・プレイス」観ました。
「音を立てたら、即死。」
訳の分からない奴らに平穏を乗っ取られた世界。新たな世界開始から約80日。そこから物語は始まる。
とある一家。夫、妻。子供三人。変わり果てた世界を何とかサバイバルしていたのに。思いがけない失態から末っ子を奴らに殺された。そしてまた一年後。
「シンプル・イズ・ベスト」
単純な設定であるが故に勝つ作品がある。
直近で思い出すのはやはり、「それはゆっくり。けれど確実に殺しに来る。」「回避するにはセックスするしかない。」「セックスしたら相手に被害者の役回りが感染する。」という『イット・フォローズ』。
この作品もその類。「なんだかよく分からない生命体に捕食される人類。」「相手方が圧倒的有利。」「奴らはほぼ盲目で。けれど聴力が著しく発達しており、それで獲物を発見する。」「音を立てたら終わり。」そのトントン拍子のレギュレーションが観ている者に直ぐ様入ってくる。
冒頭。ゴーストタウンと化した街から音のなるおもちゃを持ち出してしまった末っ子(未就学児童)。抜いたはずの電池を入れ、スイッチを入れてしまった事によって奴らに捕食されてしまった悲劇。その一部始終を目の当たりにした事で、観ている側もどういう世界観なのか理解。
「さあ一体どうやってこの一家は奴らから逃げられるのか。そして奴らと対峙できるのか?」そう構える訳ですが。
まあ…結構ツッコミ所はあるんですね。
まず最大の案件。もうこの作品を観た全ての人が口にだしたであろう発言。「何でこの有事に妊娠?」
愛のあるセックスの末妊娠。ましてや夫婦。全然おかしくないんですが。ですが。やっぱりこの「音を立てたら」のレギュレーション世界で赤ちゃんは厳しすぎる。あの末っ子の悲劇があったのに。大人なら。そして子供でも意思疎通の取れて言う事がきける相手なら。「音を立てるな」は伝わる。けれど。赤ちゃんは無理。
「声を出すんじゃないぞ。」プレイですか?末っ子を失った悲しみから寄り添う二人…分かるけれどさあ。ちょっとご両親よ…。
(身も蓋も無い言い方をすると『無音であるべき世界での出産シーン』を撮りたい故であるという事は分かっていますよ。)
まあ、昨今の『子育て支援不足故云々』以上の不安な世界。出生率ダダ下がりの中で妊娠、出産するって相当の覚悟が要ったでしょうけれど。そしてあの妻、専業主婦として描かれていましたが一体元々は何者?医療従事者?背後の棚に注射シリンジとか並んでいましたし。酸素ボンベは何処から調達した?経産婦の知恵?そんな…。
「意外と音を出してもOK」
奴らは一体何処に普段潜んでいるのか。「この辺りには三体居る様だ」なんて言ってましたが。あんなだだっ広い荒野で。終始風は吹き草を仰ぎ、轟々と鳴る滝もある。奴らだって、普段屋外待機やったら家の中で立てた音なんて聞こえない気がするのに。郊外ベットタウンの真夜中の方がよっぽどシンと静まり返っているから音は響くのに。なのに奴らはちょっとした生活音で直ぐにすっ飛んでくる。けれど。
そうかと思うと「大きな音の傍では大丈夫だ。」
滝の直ぐ傍なら大声を出しても大丈夫。赤ん坊が大泣きしようが、結構な水の音にはかき消される。注目の出産シーンだって、何だかいつの間にか終わっていた。
こうなったらもう『奴らは人類の立てる、吐息以上の物音には必ず反応する。』位の厳しいラインを引いていたら。なのに結構そのボーダーはあやふや。
「家族間コミュニケーション」
夫婦は繋がっている。何だかんだラブラブ。なのに。どうも父親が子供達と上手くいってない。
長女。聴覚障害があり無音の世界に住む。(実際に聴覚障害のある少女を配役したという妙)聡明で、行動力と決断力を備える彼女だけれど。冒頭の末っ子の悲劇。件のおもちゃを弟に渡してしまった引け目。そのことから父親から避けられている、愛されていないと感じている長女。
臆病な長男。狩りに行こうと父親に誘われても、出来れば行きたくないとゴネ。物語が盛り上がる中も「そんな音を立てて走るな!」「騒ぐな!」と観ている側をハラハラさせて。
「あのさあ。普段以上に『明日はどうなっているか分からん世界』やんか。気持ちこじらせていないで、言いたいことはちゃんと相手と話し合いな。後悔先に立たんよ。」
渋い顔をして呟く当方。
父親が長女を愛していないはずがない。狩りに長男を誘うのは「男として家族を守っていく事。」を教えたかったからで…って、分かるけれど…言わんと伝わらんよ。
そして聴覚障害がある長女に補聴器を作り続ける父親。でもそれは長女にフィットする完成度では無く…苛立ち、父親に突き返す長女。
「補聴器をハンドメイド⁈あの母親といい。この父親は何者なんですか?エンジニア?そういや家の内外のあれこれも作っていたし、秘密基地みたいな通信基地も作っていたし。」
しかもただ耳に引っ掛けるだけじゃない。何やらハイスペックな補聴器を作成。でも…元々音が無い世界に住んで、そこに違和感がない、しかも子供に補聴器って。そして父親作補聴器、多分パワーが強過ぎるんですよ。これは確かに辛そう。
まあ。結局「いやいやいや。もっと上手いやり方あったやろうし、アンタたちの報連相の仕方によっては誰も傷付かなかったと思うぞ!」という悲しい顛末を以って、親子愛は完結。
「奴らの弱点と長女」
「ああ。こういう弱点できたか。」「聴覚障害という設定が生きてきた。」そう思う反面「まだ人類が沢山居た時に、誰かかしこい人が気づきそうなのに。だって年寄りはこのアイテム所持率高いぞ。」そう思う当方。そして長女よ。あんた聡明な設定じゃなかったの。一度や二度では無く起きたその現象、点と線で繋がらなかったの。
なんて。散々ツッコんでしまいましたが。基本的には「来~る。きっと来るゥ~。きっと来るゥ~」なので。終始ドキドキして鑑賞した当方。
御多分に漏れず。当方も「隣のカップルの男よ!たかだか90分台の作品で途中でトイレに立つ位ならそんなでっかいドリンク買うなよ!あとバケツサイズのホップコーンも煩い!そして暗いのを良い事にいちゃつくな!お前らは直ぐ様捕食されろ!万死に値する!」なんて憤ったりもしましたが。
後。最後に一つ。「お母さん。その釘は今日中に危なくないように処理しときな。じゃないといつか誰かが破傷風で死ぬで。」抗生剤が無い、大した栄養も摂取出来なさそうな世界で。奴ら以外の要因で死に至る訳にはいかんやろうと思うと。心配です。
映画部活動報告「教誨師」
「教誨師」観ました。
『大杉漣、最初のプロデュース作にして最後の主演作』
教誨:教え諭す事。受刑者に対して徳性(道徳をわきまえた正しい品性。道徳心。道義心)の育成を目的として教育する事。
宗教教誨:宗教的な講話や宗教行事で、各宗教団体に属する宗教者に依って行われる。
教誨師の宗教別割合:多い方から順に、仏教。キリスト教。神道。その他新宗教諸派等が続く。
主人公の佐伯(大杉漣)。半年前から教誨師に着任したばかりのキリスト教牧師。
彼が担当するのは六人の死刑囚。無言で心を閉ざす鈴木(古館寛治)。人懐っこいヤクザの親分吉田(光石研)。お人好しなホームレス進藤(五頭岳夫)。おしゃべりな関西のおばちゃん野口(烏丸せつこ)。気弱で子供思いの小川(小川登)。自己中心的で屁理屈ばかりを言う高宮(玉置玲央)。
誰も彼もが癖のある人物。途中佐伯自身の背景も語られるが、舞台の大半は『教誨室』。佐伯と六人の彼らとの対話で構成。
「凄いシンプルな作品やな…。」
それがまず第一印象。だって、114分に渡ってほぼ延々同じ部屋での対話って。これはよっぽどの手練れ俳優を連れてこないと間が持たないですよ。けれど。
この六人の俳優陣、化け物。誰一人遜色無く、己に与えられた人物になりきっていた。
六人の死刑囚達。彼らの犯した罪…具体的な罪状は最後まで提示されない。何をして死刑囚になったのか。それは彼らが話す上で、次第に明らかになっていく。「こういう事をしたんやろうな~。」という推測。それがはっきり分かる者も居るけれど。正直よく分からなかった者も居た。
現実社会で起きたあんな事件やこんな事件になぞらえたんだろうなと。自己中心的なアイツ。関西のおばちゃんでリンチと言えば。ストーカー殺人。けれど。ヤクザの親分は何をしたの?布団屋のおっちゃんは何でそこまでの刑になったの?ホームレスのおっちゃんは死刑になるような何をしたの?ーけれど。
もしも彼らが初めに画面に映し出された時、『氏名と罪状』がテロップとかで出てしまったら。観ている側はその先入観で彼らを見てしまう。
「ああ。こいつはこういう犯罪を犯したから。だからこんなモノの見方をするんだ。こういう考え方をして、こういう言い方をするんだ。」
そうではなく。あくまでも『教誨師佐伯との対話』を通して「どいう人物なのか」を知って。「その先には犯した罪がある」という広がりを見せたかったんだろうなと思った当方。
「どうして六人の死刑囚は教誨師との対話を希望したんやろう。」
この作品を観ていて早くから感じていた疑問。後から調べてもやっぱり。『宗教教誨は自由参加である。』
刑務所のあれこれ。受刑者と教誨師の関わり。死刑囚が皆教誨を求めるのか。心理カウンセラー的な役割を最終的に担うのは宗教家なのか。当方には全く門外漢ですし、ピンと来ない。なので頓珍漢な発言かもしれませんが。
「教誨師との対話は強制ではないはず。なのに彼らが教誨師と会いたいと思うのは何故やろう?」
人懐っこく佐伯に会う吉田や野口。ただただ後悔を語る小川。彼らは分かる。けれど。
無口でただ座っているだけの鈴木。会えば自己中心的で気分の悪い屁理屈をぶつけてくる高宮。彼らは一体何故、律義に教誨室にやってきて佐伯と向かい合って座る?
死刑囚には強制労働が無いから?ぶっちゃけた話…暇だから?
「結局佐伯を求めているから。だろうな。」
教誨師というお仕事。これもまた当方には『頭が下がるばかりでよく分からない』のですが。
この作品で定義されていた『受刑者に対して道徳心の育成、心の救済につとめ、彼らが改心できるよう導く人』というのならば。佐伯という牧師は確かに六人の死刑囚にとっての『心の救済』という役目を果たしているんだなと思った当方。
分かりやすく佐伯に懐く者と同じくらい、佐伯に盾突き煽る者もまた、佐伯を求めている。「怖い。何故自分がこんな所に居る。自分にはいつ死が訪れる。」死刑囚である彼らが共通して持つ感情。それを受け止めてくれる教誨師佐伯。この思いを、どう表して。どうぶつけて。どう甘えるのか。どうしたら救われるのか。会いたい。
朴訥としていたホームレスの進藤。彼が前半に語った「言葉っていうのは難しいなあ。」(言い回しうろ覚え)
例えば「いい匂い」「あたたかい」。それは『言葉』としてあるけれど。何に対してどういうシチュエーションで放ったのかに依って意味は大きく違う。しかも同じ場所に居ても、個人個人で思い浮かべるイメージは違う。
「仕方ない。所詮他人だもの。」そうやって諦めてしまえば。面倒も無い。けれど。
敢えてそういう面倒な事を、皆多かれ少なかれやっている。自分の思っている事、感じた事。それを分かって欲しい。相手の思っている事、感じた事も知りたい。そこに共通点があればうれしい。けれど違っていても面白く感じたり。それが視野が広がるという事だから。「言葉は難しい」けれど諦めてはいけない。
六人の死刑囚は一体佐伯に何を語りたかったのか。彼らの発していた言葉の意味は何なのか。最後の時。それはどう突きつけられるのか。
他にも。死刑制度の是非とか。選民思想とか。再審制度とか。一見シンプルな設定でありながら実は盛りに盛っていた作品。思い返すと頭が痺れますが。
最後。『言葉を持つことにした者』を知って。無言で振り返った佐伯=大杉漣。
なんだか奇跡的な表情に見えて。
俳優大杉漣。プロデュース作品。もっともっと観たかったけれど。先ずはこの作品をみせてくれてありがとうございました。そう思います。
映画部活動報告「運命は踊る」
「運命は踊る」観ました。
どう見ても富裕層。ミハエル・ダフナ夫妻にある日もたらされた訃報。それは軍人である息子、ヨナタンの死。
妻ダフナは失神。気丈に振舞おうと必死ながらも、動揺が隠せない夫ミハエル。
ヨナタンの死体にも会えぬまま。着々と機械的に進む、ヨナタンのお別れの儀式への段取り。苛立ちと不信感が募るミハエル。そんな時。改めて軍の役人が夫婦の元へやって来る。
「戦死したのは同名兵士でした。息子さんは生きています。」
『人は、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命に出会う。』~ラ・フォンティーヌ。
この掴みは予告編で観ていた当方。息子の戦死が誤報?そこからどう話が転ぶのか。
そう思って。何となく観に行った作品でしたが。
「三部構成の。三部はもう…何故だか涙が出て。何やろう。当方の心のやらかい所を締め付け続けたとしか。」タオルで顔を抑えた当方。
第一部。ほぼ父ミハエルのアップで語られる。舞台はミハエルとダフナが住む家。
唐突にもたらされた、息子の死。硬質な役人が不意に現れそれを告げた。
全く受け入れられない。ピンと来ない。だってそんな言葉一つで。せめて何か見せろ。息子の死体は?息子が生きた証は?なのに何故皆すんなり受け入れる?
玄関を開けたらそこに役人が立っていた。それだけで全てを察した妻。どうして?
連絡をしたら飛んできてくれた兄。有難いけれど…何故そんなにテキパキとやるべきことをこなしてくれる?役人たちは何故葬儀の段取りに慣れている?
精神的に不安定な母親ですら。ヨナタンの死を理解した。何故?まだ俺の頭には落ちてきていないのに。
どうして皆ヨナタンの死を理解できる?受け入れられる?そして事務的にコトを進められる?俺は。俺は一体どのタイミングで誰と泣けばいい?
そんな時。訃報を告げた時と同じ面持ちで現れた役人。彼等の言葉。「人違いでした。」
ふざけるなと暴れるミハエルと、覚醒し喜びを露わにするダフナ。激高した後「ヨマタンを今すぐ返せ。」と役人達に要求するミハエル。そこで第一部終了。
第二部。とある検問所に駐在するヨナタンと。一緒に過ごす若き仲間達の様子が描かれる。
第一部はほぼ予告編で観ていた内容でしたし、第二部がヨナタン編だというのも想像の範疇。『非戦闘地域の検問所に配置されたヨナタン』そのまったりしたようで非日常の世界。
だだっ広い荒野にポツンと置かれた検問所。その脇にある、傾いたコンテナで寝泊まりする数名の兵士達。テクテク歩くラクダに遮断棒を上げ通してあげて。
時には人も通過する。彼らが提示する身分証明書と、実際の風貌が一致するのか。それをじっくり判断してから通行許可を出す。この作業には時間が掛かる。だから時にはお金持ちのご婦人に雨に打たれながら待ってもらわなければいけない。
「俺たちは一体何と戦っているんだろう?」
非戦闘地域。こんな僻地で。兵士とは名ばかりの仕事。誰を誰から守っている?何の為に?
ホロコーストを生き延びた祖母の。父親の。自分に繋がる話。
そんな話を仲間に思わず語った夜。けれど。
雨の夜。皆が苛立ち。疲れていた。そんな時にやって来た、一台の車。そして取り返しのつかない出来事。
こんな僻地で。ここは非戦闘地域だと。何も起きないはずだと。そう思っていたのに。
第三部。再び家族の家。
『フォックストロット』。当方は邦題の『運命は踊る』も、邦題にしては珍しくセンスが良いと思いましたが。このステップがこの作品に本国で付けられた題名。
「前へ、前へ、右へ、ストップ。後ろ、後ろ、左へ、ストップ。」ダンスの中でもシンプルで基本的なステップ。四角に動いて、結局同じところに戻ってくる。
「運命が一体どう回るのか」がここでは「同じところに戻ってくる」という事ならば。
そして「同じところ」とは何処なのかが提示された第三部。「ああ。此処を起点にしてしまうのか。」とタオルを握ってしまった当方。
「ヨナタンが死んだ」そんな誤報にどこまでも踊らされた。その家族の顛末。
ここからは…「どうしたん?疲れてんの?」そう言って誰かに肩を抱いて欲しい。当方にとっては、そんなギブミーブランケット。ギブミーブランケット案件。
ネタバレしないようにしようとすると…もうこれ以上具体的な事は書けないんですが。何だかもう堪らなくて。何故か涙が止まらなくなった当方。
「畜生!誰かのせいに出来るのならばしたいよ。」「弱い事は責められる事じゃない。」「一見冷めてしまったと思っても。二人で過ごした年月から二人にしか分からん事があって。その強みで二人はこれからも生きていくんやろうな。」
そして。夫婦の元に帰ってきたヨナタンの妹、アルマの表情とその姿に。もう止められなくなった当方の涙腺。
「ハッピーバースデー、ヨナタン。」
四角に動いて、また同じところに戻る。一見同じところに着地した話。けれど。
掴み所が無かった、インテリ家族。その家族の歴史。背景。繋がり。日常の中に非日常が潜むイスラエルという国。戦争なんて関係ない。いつ誰にだって起こりうる『死ぬ』という不条理さ。緊張感の中に同居するほのぼの感。
ぐるっと一周回る時。見える景色は肉付けされて少しづつ変わる。
第一部のミハエルの母親達が踊るシーン。第二部のヨナタンが踊るシーン。そして第三部の夫婦が踊るシーン。同じステップなのに。全く違う。
鑑賞後。話を反芻してはぐるぐる回って。一周どころでは済まない。そんな当方です。
映画部活動報告「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」
「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」観ました。
タイ。小学生の時からずっと成績オールA。これまで数多の天才子供コンテストを総なめしてきた、女子高生リン。
父親が教鞭を取る高校に在籍していたけれど。「留学の機会もあるから」と進学校に特待奨学生として転入。そこで知り合ったクラスメイトのグレース。
「夢は女優」確かに顔は可愛いけれど。頭は空っぽ。そんな親友グレースを救うため、ついテストでカンニングさせてしまったリン。これはリンとグレースだけの秘密のはずだったのに…。
グレースの彼氏、パット。お金持ちだけれど…似た者カップル、おバカなパット。グレースのカンニングを知って。パットがリンに持ち掛ける。
「カンニングさせてくれたら大金を支払う奴は沢山居る。」「これは親たちが学校に払っている賄賂と同じだ。」「特待生?リンの親だって、学校に賄賂を払っているんだぜ。」
「これはビジネスだ。」
割と直ぐ気持ちを切り替えるリン。これはビジネス。そうして高度な手口を使ってカンニングビジネスを開始するリン。瞬く間に噂になり、群がる同級生達。
リンと同じく特待生として学んでいたバンク。母親と二人暮らし。貧しい洗濯屋の息子として苦労を重ねてきた生真面目な彼は、学校で横行する集団カンニングを知って妨害。
そうしてリンと仲間達のビジネスは一旦とん挫した。そしてフェードアウトするはずだった…のに。
アメリカの大学に留学する為、世界各国で行われる大学統一入試『STIC』。
そこを舞台にリンに再びカンニングを持ち掛けてきた、グレース&パットのバカップル。そして懲りずに乗っかるリン。
けれど。この難関には流石のリンも一人では太刀打ちできない。
そこでバンクを仲間に引き入れようとするが。
「この作品は中国で実際に起きた集団不正入試事件を基に作られた。」「高校生版『オーシャンズ11』だ。」「カンニングをテーマに作られた、スタイリッシュかつスリリングな作品。」
「カンニング・エンターテイメント映画…カンニング大作戦ですか。」
(正確には『That's カンニング!史上最大の作戦?』/主演:安室奈美恵 山口達也他 1996年製作)
1990年代のあれこれ。最近引退した安室奈美恵にとって恐らく消したい黒歴史。皆様にとっては恰好良い安室ちゃんで居れば良い…ですが当方はこういうの、キッチリ覚えて居ますよ。『ポンキッキーズ』のウサギちゃんだって、『スーパーモンキーズ』時代だって。
閑話休題。早くも完全に話がズレましたので。軌道修正しますが。
「カンニングって。そうやって下駄履かせて上の学校や社会に行ったって、結局は自分に跳ね返ってくるやん。実力伴っていないんやから。」「と言うか罪悪感は?」
そういう倫理観は取りあえず棚に上げといて。「だってしょうがないじゃない。馬鹿なんだから。」「なのに下手に金持ちの家に生まれたからさ。親に期待されちゃうの。」
努力を金で買うボンクラ達。そしてそこに乗っかってしまう、哀しきリン。高校で唯一出来た親友の頼みだし。そしてお金にも目がくらんでしまう。
そして。どこかゲーム性も感じてワクワクしてしまう…所詮は高校生。
『リン先生のピアノ教室』。テストの回答はマークシート方式。選択肢は四つ。四曲のピアノ演奏の指の動きに準じて回答を表すと。
「それ。難しいな…。」
グレースに初めてカンニングさせた時。手段は『消しゴムに答えを書いて渡す』と至極単純だった。けれど。金を取って、一斉にカンニングさせる時。リン先生の手段は何段も高度なモノにグレードアップした。
テスト中に離れた席に座るクラスメイトの指の動きを見る?視力に難がある(眼鏡)当方はまず見えない。(当方は名前の性質上、テストでは教室の中でも最後列の角に座席を置かれる事が大半だった)それならまだリズムを聞く方がまし…。ただ。監督教師だってテスト中盤からやたらリズム取る生徒が居たらマークすると思うけれど。
口では強気。けれど。実際のテストでは緊張が隠せないリンと仲間達。(結構毎回スリリングに仕上げていました)いつだって汗だく。けれど結局はリンは金持ちのボンクラ達を救ってきた。自身の信用を失ってまで。
中盤。バンクの告発に依って、学校と父親に同級生にカンニングをさせていた事がバレて。期待の特待生から『留学資格失格』まで降格したリン。
しかも学校から留学生を出せる枠は一つしかなく。最も近い所に居るのはバンクのみとなった。
「曲がった~事が~大嫌い」(この原田泰造ネタは一体どこまでの方が分かるのか)そんなバンク。「何がカンニングだ」そう眉をしかめていた彼が。どうやったら終盤のSTICカンニングチームに加入してしまうのか。まあ…ネタバレしませんが。
「おいおいおい。リンよ。一回懲りたんじゃなかったの。」
学校と父親にばれて足を洗ったはずなのに。結局は博打打ちな性分なのか(お話も進みませんしね)結構ノリノリでSTICカンニングプランを立案するリン。
「はああ~。金持ちが金に糸目を付けなかったらこんな事が出来るのか~。」そんな町工場と合体した、さながらS町ロケット作戦。
『クライマックスは28分に及ぶ手に汗握るカンニング・シーン!』
確かに半端ない緊張感でしたけれど。そんなにあったのか…海外でのSTIC会場、リンとバンクの終始汗だくの緊張感。(よくよく考えれば、あれ結構ずさんなで綱渡りな計画。そもそも会場でずっとぶつぶつ言って、休憩時間になった途端トイレに入りびたるって。分かりやす過ぎる)そして二人から答えが送られてくるのを今か今かとタイの工場で待ち構える、グレースとパットのバカップル。
「そこまでするくらいなら、勉強して普通に試験を受ければ良いのに。」思わずつぶやく当方、THE正論。
当方も学生の時は指折りの馬鹿でしたがね。人様の答えを写そうだなんて、そんな不埒な考えは無かったですよ。…だって、意味ないもの。
どんなに頭が良くたって。その使い道がこんな事ならば。それは無駄遣いでしかない。
勉強が出来て。学生自分なら。可能性は無限にあったのに。
「まあ。どんなにお勉強が出来たって。社会に出たら使う所、そこじゃないしな。」そう呟く、くたびれ切った中年当方。
当方の近しい教育者も言ってましたがね。「学校で最低限学ぶべき学問は今でも読み書きそろばん。人間関係や社会性やマナーを知る事が最も重要なんだ。」それは社会に出たら嫌でも学ぶだろう?そう思いますか?そういう新人が毎年春に組織をかき回していませんか?
「結局、金持ちの彼らが得たモノは何やったんやろう。」
リンやバンクに危ない橋を渡らせて。そうして得た点数。けれど彼らは『友達』を失った。リンとグレースは元々親友だった。親友だから、彼女を助けたかった。なのに。彼女達の関係性は途中から『友達』では無くなった。
そして最後。リンとバンクの導き出した答え。
「ああ。こういう決断をするのか。」
それで良かった。良かったんだとリンに言い聞かせながらも。
二人…それどころかこの四人にはもっと違う青春だってあったんだろうにと思うと、苦い気持ちで閉じた幕引きでした。
映画部活動報告「純平、考え直せ」
「純平、考え直せ」観ました。
21歳のチンピラ、純平を野村周平。不動産に勤めるOL加奈を柳ゆり菜が演じた。
歌舞伎町。「いつかは一人前の男になりたい」と夢見る純平。けれど実際にはヤクザの中でも最下層チンピラ。アニキの後ろに付きながら雑用をこなす日々。
そんなある日。組長に呼び出されたかと思えば「これで敵対する組の幹部を殺ってこい。(=鉄砲玉になれ)」と銃を渡される。期日は三日後。
まさかの大抜擢に舞い上がる純平。組の下っ端仲間には「何で純平なんだ。俺にやらせてくれ」とやっかまれ。そしてアニキには「何で俺に一切の断りもなくオヤジは…」と嘆かれ。けれど「これで男になれる」と気負う純平。
時を前後して。馴染みの店のママから泣きつかれて、悪徳不動産屋に乗り込んだ純平。
その時純平を見て気になっていた。そして後日再び不動産屋に乗り込んできた純平を追いかけた、OLの加奈。
「つまんなかったから」そうして純平に近寄って。そして一夜を過ごして。結局決行の日まで行動を共にした。
「鉄砲玉?何それ」
「良い所に泊まって、良いモノを食べて、良い女を抱け。」オヤジとアニキから多額の小遣いを貰った純平。
二人で高級ホテルに泊まって。焼き肉を食べて。会いたい人に会って。二人で居れば満たされる。けれど…。刻一刻と時は近づいていく。
「これは…一体どういうテンションで観る作品なんやろうか。」物語が始まって暫く、戸惑が隠せなかった当方。
というのも…何だかとても…演出が古いというか…かと思うと良い所もあって…バランスが悪いというか。(歯切れの悪い言い方)
奥田英朗の原作未読。なので何処まで内容が沿っているのか。雰囲気は?…分かりませんが。(昔映画化された『ララピポ』。ふざけていましたが当方は嫌いじゃなかったですし、映画部部長に至っては当時雰囲気の良かった女性との初デートで観に行ったらしい(チョイス理解不能)作品でした。)
21歳の若いチンピラ純平は鉄砲玉になる。そんな純平に付いてきたOL加奈。彼女はSNSに依存しており、二人の様子を終始発信。
「そんなの、組の捨て駒にされているだけだ。」「捕まったら二十代全てを棒に振るぞ。」「というか死ぬぞ。」見たことも会ったことも無いギャラリー達に見守られ、様々な言葉を掛けられながら。タイムリミットは近づいてくる。
という流れなんですが。いかんせん演出が古い。画面上に着信音とアイコン、そしてメッセージ。加えてわざわざ読み上げてくる。何か…どうにかスマートにならんかったのか。全てを読む必要も無いし。あくまでも二人の刹那的な三日間に重心を於いて、その中で加奈がちらちらスマホ画面を覗いたらそんなメッセージがあって~とかでええやん。ため息を付く当方。
まあ。そもそもSNSにそんな事あげるなという話なんですがね。ヤクザがネットを見ないとでも?ほぼ実名出して「今日出会った人が鉄砲玉するんだって」って。純平、実行する前に相手方に捕まって殺される。又は警察に通報されるよ。加奈、その浅はかさ末恐ろしい。
ちょいちょい挟まれる、コントみたいなシーン。例えば純平とアニキが二人でお茶するカフェ。純平との会話で感極まって大声を出すアニキに「他のお客様も居られますから」と言いに来たカフェ店長に、「お前は感動した事が無いのか」「声を張り上げる程気持ちが昂った事が無いのか」(言い回しうろ覚え)と騒ぐアニキ。「何だこの純平劇場」困惑する当方。
そして純平像がイマイチ分からない。
「俺は一人前の男になりたいんだ‼」その一人前の男って言うのはどういう人間を指すんだ。アニキみたいな?って、アニキの尊敬エピソードも大して語られないし(寧ろ前述の面白劇場のイメージ)。母親との関係も決め手にならない。昔堅気の暑苦しいキャラクター、女はちょっと苦手って。それは分かったけれど。どこからその人格は形成されたんだ。
(こうなったら、加奈とはぽつりぽつりと話をするけれど、他は誰ともあまり話をしない。けれど鉄砲玉は引き受ける。秘めたる熱さを持つ。みたいなキャラクターの方がまだ分かりやすかったですよ。)
「ただ。野村周平が演じる純平には、不器用で未完成な人間だという説得力はあった。」
この作品で。当方が手放しに称賛するのが『柳ゆり菜の女優魂』。
はっきり言って、軽くて浅はかさで頭が良くない。けれど純平と過ごす事で変わっていく加奈。そんな加奈をどこまでも血の通った存在に仕上げた。
ヤクザがバックにいる、ヤバい不動産屋で。ずるずる辞められなくて腐っていた。つまんない毎日。そんな時、飛び込んできた純平。ワクワクして。付いていきたくなった。
そんな加奈にしか見えなかった。柳ゆり菜という女優では無く、加奈にしか見えなかった。
加奈を演じる為には脱ぐ事もエロも厭わない。だって必要だから。
この作品の中で突出し続けた柳ゆり菜。これは純平と加奈が中心の物語だけれど。こうなると俯瞰と純平単独の部分はほとんど切って、『加奈の視点から見た純平との三日間』をメインにして語らせた方がすっきりしたんじゃないかと思った当方。
何故なら。柳ゆり菜は他のキャストを完全に喰っていたから。
(当方がもう一人良かったと思ったのは、加奈の不動産屋同僚役の岡山天音。気弱そうだけれど実は歪んだ支配欲を持つアイツ…。ホテルでのシーンは最高の迫力でしたが。「ヤクザが絡む不動産屋相手におイタしたらあんなもんじゃ済まんやろう。そしてアンタもいつ銃を持ったチンピラが帰ってくるか分からんこの部屋で‼ハイリスク過ぎる‼当方なら不動産屋に加奈を連れていって…」というエロ展開を想像しかけましたよ)
冒頭でのエピソードがぐるっと回って最終の判断と繋がるので。「純平は考え直したのか」という結末にはならないのですが。
「純平はどうなったのか。」
それを示した加奈の表情。そのラストシーン。ただ表情だけで全てが分かった。
「何やねんこれ。」
最後の加奈の表情に。唐突に込み上げる感情。飲み込まれる。何やねんこれ。何やねんこれ。
こんなにも不器用でバランスが悪い作品…なのに堪らない。嫌いにはなれない。
この作品で柳ゆり菜を見付けた。凄い女優を見付けた。
「これは一体どういうテンションで観る作品なんやろうか…。」戸惑っていた気持ちは結局そう着地。
これは大きな収穫でした。(何て言い回し)
映画部活動報告「スカイスクレーパー」
「スカイスクレーパー」観ました。
「香港。3500フィート(1066mm)の超高ビル『THE パール』。」「そこで起きた、人為的大火災!」「ビルに取り残された妻と二人の子供」「果たしてそこの唯一の住民、ウィルは愛する家族を救い出すことが出来るのか⁉」
皆様大好き、ドウェイン・ジョンソン=ロック様の無茶振り無双シリーズ。
『カリフォルニア・ダウン』では「最早相手は執拗に地球を壊すなにかだ」と地震とはかけ離れた災害エンターテイメントを見せ。
『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』では中身はオタクな少年を演じ。
『ランペイジ 巨獣大乱闘』では「貴方もまた巨獣だ」。そして「両手を拘束している結束バンドを引きちぎった‼」というさりげなく見せた馬鹿力に目を見張り。
そんな「いつだって危機的状況。けれど彼は死なない…ロック様だからな‼」という無敵マッチョ俳優。ドウェイン・ジョンソン。
今回は香港にそびえる、超高層ビル(スカイスクレーパー)『THE パール』が舞台。
「超高層ビルって…。」顔をしかめる当方。特に今年、日本が地震だ台風だと自然災害に見舞われた事を思うと。住みたくない物件ですが。「猫となんとかは高いところに登りたがる」なんですかね?
権力の象徴=高層マンション最上階の住民。
かつてはFBI人質救出部隊のリーダーだったウィル。しかし悲しい雪山での事件からFBIを退職。その時の爆発に依って片足も失い義足。けれど。
事件をきっかけに知り合った現在の妻との間には双子を授かり。
『危機管理コンサルタント』として香港で一家穏やかに暮らしていた。 『THE パール』に。唯一の先行住民として。
香港の新進気鋭の実業家、ジャオが今最も注力している超高層ビル『THE パール』。
下には商業施設。そして高層部分は住宅マンションとして分譲予定。安全最終確認行程まで進んでいた。
「ビルの安全管理システムを24時間以内で分析して欲しい。これが君のビルアクセス権限コードだ。」
ある日。ジャオに呼ばれ、タブレットを渡されるウィル。受け取りジャオと別れた途端、襲われタブレットを奪われ。
そして件のタブレットからハッキング。幾つかのシステムをロック操作した上、『THE パール』に火が放たれる。
ご丁寧に解説するのはここまで。後はひたすら「ロック様が体一つで火の中へ‼」「幅跳び世界記録更新!」「敵の陣地に飛び込んだ‼」「奇跡に次ぐ奇跡‼」「高速で落下するエレベーターで当方の意識ならば即落ちるだろう」等々の連続。
結局は「ジャオに言いたい事があるんなら、どこかの山奥とかでやってくれませんかね?」というアウトロー連中の仕業なんですけれどね。「あんたたち。大迷惑。」
そしてそんなアウトロー連中に言いたい。ビル管理システムに潜り込める技術をプラスにしてマトモなビジネスに生かすとかさあ?…だって少なくともウィルの所属する管理システムよりは上なんでしょう?パスワードさえ入手出来たらあそこまで暴れられるって事は。
そしてジャオよ!部下が敵対勢力に通じているって事は、貴方への忠誠心が無い=不満があるって事やんか。何なんですか?残業代とかボーナスとかきちんと払って無いんですか?休みあげてないんですか?変にマニアックなビル作って大満足って…ワンマンになってないですか?オー人事に通報されますよ。
まあそんなチャチャは良いとして。
「ロック様は死なない」その鉄板ルールがあるから。多少ドキドキしようとも、まあどうにかなるだろうと言い聞かせ。「色んな所で色んな無茶やってんな~。」としみじみ。
後「スポンサーに粘着テープ会社が居るのか?」と疑ってしまうくらいの粘着テープ映画。傷を圧迫止血し、まさかのビルアクションにまで使用。「粘着テープは万能だ。」この台詞、CMにしても良いくらい。
超高層ビルの最上階にミラーハウス。ジャオの遊園地みたいな趣味や、「そのスマホ話、始めにしてたな~。」なんて些細な伏線もまさかの回収。所々変な部分は「ロック様の無双っぷりを観に来たんやろ‼小さい事でガタガタ言うな‼」と一喝。
「さあそして次。ロック様は一体どんな無茶振り無双をみせてくれるのか。」
そんなリクエストにいつまで答えるのか。
期待する反面、ロック様もアクション俳優達と同じ泥沼に進んでいる様に見えて。心配もしている当方です。
映画部活動報告「きみの鳥はうたえる」
「きみの鳥はうたえる」観ました。
『僕』を柄本佑。僕の友人『静雄』を染谷将太。二人の間を揺れ動く『佐知子』を石橋静河が演じた。
「20代の夏。僕と静雄と佐知子の三人で過ごしたあの夏。ずっとこの夏が終わらない様な、そんな気がしていた。」
函館。とある書店で働く僕と、現在失業中の静雄。昔アイスクリームの工場で一緒に働いていたよしみで今でも友達。そして「家賃が浮かせられるから」と二人で同居生活。
深く干渉しない。そんな互いの距離感が心地よくて。毎日二人で朝まで夜通し飲んで。そして仕事は適当にこなす日々。
「しっかりしろよ」「お前本当にいい加減な奴だな」度重なる遅刻、無断欠勤。書店の同僚にはねちねち小言を言われるけれど。いつも適当にあしらってきた。
ある日。同じく同僚の佐知子とふとしたことから関係を持った僕。それから佐和子は僕と静雄のアパートに毎日入りびたるようになる。
三人で毎晩酒を飲み。家だけではなく、クラブだビリヤードだと街に繰り出す日々。
楽しくて。けれどいつまでもそんな日々は続かなくて…。
「何これ。傑作やないか。」(震え声)
20代。若くて。毎日気の合う仲間と夜通し飲み歩いた。ただただ一緒に居ると楽しくて。おかしくて。何も言わなくても分かり合える。そんな。幸せな日々。
そんなの。いつまでも続かない。
「でも。そんなの誰もが分かっているんよな。観ている側も。そして作品世界に生きる三人も。だからこそ、この奇跡の時間が愛おしくて。」
三人の登場人物の中で。『僕』を語り手にした妙。なぜならば、彼は空洞だから。
書店の店長と付き合っているらしい佐和子。かつては同じ工場で働いていたけれど、今はフリーターの静雄。
彼等を主体に物語を語らせると、彼等の背景が前面に出てしまって物語の純度が下がってしまう。
歳を取った当方としては寧ろ、「静雄のお母さんは一体どういう状態なんだ…」とか「アパートで静雄の作業している机に立っている『原発反対』みたいな本はなんだ。静雄の思想的な?」とか「店長‼(声にならない声。くたびれ切った中年、萩原聖人の色気!)」とか。気になって仕方無かったですけれども…そこには話が深まらない。
物事に対して、正面から向き合わなければならない事。
「仕事の事」「家族の事」「恋人の事」。どれもこれもきちんと向き会うのはしんどい。
「どうせバイトなんだし」「合わなければ辞めればいいし」けれど。そこで一生懸命働いている人が居る。責任を持って仕事をしている人が居る。駄目な自分を見放さなくて、守ってくれている人が居る。
(重ね重ね書きますけれど。本当に店長の懐の深さよ!当方なら自分の彼女が無気力なバイト風情に寝取られたとあったら、一発殴った上に辞めさせますよ)
正直顔も見たくない。そんな母親。自分から会いに行く事は無いけれど、なのに相手から会いに来る。そして拒めない。会えばあったでどんよりして。けれど。本当に二度と会えなくなるなんて思わなかった。
相手が自分に興味があるな。何となくピンときて。言葉を多く交わさなくても分かる。セックスをすればちょうどよくて。一緒に居ると心地よくて。何だか長く連れ添ったみたいな雰囲気で。だから「好きだよ」とか「ずっと一緒に居よう」とか言わなかった。
自分だけじゃない。危なっかしい同僚の存在。そんな奴、放っておけばいいのに…けれどそんな同僚もきちんとフォローする店長。
「俺。実は三年前に離婚しているんだ」既婚者だと思い込んでいた店長が、ポロリと『僕』にこぼした言葉。店長は佐知子と付き合っていた。けれどそれは不倫では無く。おそらく本気だった。「佐知子を大切にしてやってくれ」店長の心中を思うと胸が締め付けられる当方。
静雄が不在の時。アパートを訪ねてきた母親が一体何を伝えようとしていたのか。
静雄と母親と静雄の兄に何があったのか。語られていないので分かりませんが。
母親の突然の知らせにも「明日行けば良いんだ」と頑なに今すぐ駆けつける事を拒んだ静雄の一晩。それが静雄の母親に対する最後の抵抗であったんだろうなと思う反面、「それは一生後悔するかもしれないで」とヤキモキしてしまった当方。
恐らく…歳を取った当方は引っ張ってでも静雄を母親の所に連れて行ってしまうでしょうが。一緒に静雄と一晩過ごすという選択を取った二人に若さを感じた当方。だって彼等は「明日が無いかもしれない」なんて考えないから。
二人で居れば心地いい。三人なら尚楽しい。それで良い。佐知子は店長と付き合っているけれど、何となく最後には自分の所に来そうな感じだし。静雄も立場をわきまえていて、二人でイチャイチャしたい時には姿を消してくれる。二人でキャンプ?行けば良い。気の合う者同士で行ってこれば良い。
三人で下らない事を言い合って。朝まで缶のお酒を飲んで。たまにはどこかに繰り出して。雑魚寝して。それで通じ合えていると思っていた。だから。
「好きだ」とか「佐知子は俺の彼女だ」とか。言葉に出さなかった。敢えて言う必要も感じなかった。そうして『僕』は二人を失っていく。
辛い決断をすると決めた時。まともに取り合ってくれなかった恋人。「誰かに一緒に居て欲しい」そう思った時、佐知子の頭に浮かんだのは違う人だった。
「そもそも、男二人の中に女一人が入ったら関係が破たんするに決まっているがな。」観も蓋も無い言い方すれば…そういう事なんですが。
最後、幕が閉じて。「彼等はこれから一体どうなるんやろう」と思うのと同時に「覆水盆に帰らず」の言葉が浮かぶ当方。
何にしろもう、あの幸せなふわふわした時間には戻れない。
兎も角。奇跡の様なひと夏を「何なんだこの光と空気の纏い方は」という絵面で。
明け方の、目が覚める前の駆け抜けるような夢みたいな…そんな作品。
ひと夏の話を、秋の初めに観る切なさ。
「何これ。傑作やないか。」(震え声)。
彼等は夢から覚めたのに。こちらは未だに余韻が覚めないです。