ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ナイスガイズ!」

「ナイスガイズ!」観ました。

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1977年。ロサンゼルス。
妻を亡くしてから、酒に溺れるダメダメな私立探偵のマーチ。13歳の娘と二人暮らし。
かたや示談屋のヒーリー。特に未成年に対する規律を重んじる彼。未成年をたぶらかし、泣かせる悪い奴は許さない…でも、その手段は鉄拳制裁。
アメリアという少女の行方をめぐって、無理矢理ヒーリーにバディを組まされたマーチ。そして何かと付いてくる、マーチの娘ホリー。
どちらもボンクラ。でもスペシャリスト。腕が立つんだか立たないんだか…でも憎めない。寧ろこのバディが段々好きになってくる。
中年二人がキュートな少女に振り回されながら。まさかの巨大な敵と戦う事に…。

「こういう映画が観たかった」

映画館で。しみじみそう繰り返し思う当方。

「何か最近。高尚やったり、泣かせたり、ややこしいトリックやら、派手なアクションや映像。きっちきちの辻褄やら。そういう事に気を取られ過ぎていた。でも…こういうのを求めていた。何にも考えなくていい。でもきっちりと纏まっている。こういう丁度良い映画を」

「ラ・ラ・ランド」で多くの民を泣かせたライアン・ゴズリング。そのチャーミングさ爆発。お馬鹿キャラ全開。

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(この序盤のトイレシーンなんて、ニヤニヤが治まらず)

これ、間違いなく「ラ・ラ・ランド」の後に観ないとあかん映画。じゃないと「セブ何格好付けてんだ」と違う見方をしてしまう羽目になりそうです。

兎に角、ライアン・ゴズリングがキャーキャー騒ぐ。びくびくする。そして不死身。酒にべろべろに酔って、ちょっと女に対してもだらしない。でも。

娘のホリーには頭が上がらない。娘が大好きで。そしてホリーも何だかんだ言いながらダメなパパが大好き。

「何なんだよ。このキュン死しそうなキャラクターと親子設定は…」

そして既に瀕死の当方を仕留めたのは「暴れん坊のラッセル・クロウ

完全に、森のくまさんビジュアルのラッセル・クロウ。拾った白い貝殻渡す優しさがあるのに、逃げろと言ってしまう凶悪さ。(そんな下りはこの作品内にありません。一応)
兎に角強い。成人男性の手首をへし折る、取っ組み合い、殴り合い、銃撃戦も基本的には制覇。なのに、その衝動原理は「正義感」そのちぐはぐさ。

「お馬鹿なライアン・ゴズリングと暴れん坊のラッセル・クロウ。二人の獣使いが13歳の少女…至福すぎる」

お話自体は結構込み入っていて。ただ、冒頭の「父親のエロ本を読もうとしていた少年→自宅にアメ車激突→そのエロ女優の登場」の下りに「悪くなるはずが無い」と確信する当方。

その死んだはずのエロ女優について調べていたマーチ。そこに関わっていると思われた「アメリア」という少女。
また別口からアメリアの身を案じてマーチに近づいたヒーリー。
二人で探す事になった「アメリア」
でも、彼女を追うにつれて、とんでもない事態が止めどなく発生。次第に姿を表す、アンタッチャブルすぎる黒幕…。

途中のんびり眠たくなる暇なんて無い、チャキチャキとした展開。
怪しそう…誰が本当の事を言っているのか…なんて観ている側からは殆どなくて、正直に見たまま話は進む。なのに二人が騙されるのもご愛嬌。

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兎に角二人の掛け合いが楽しすぎて…もう、うれしい!楽しい!大好き!
ずっと見ていられる。でも。そんなコメディ要素ばかりでは無い。

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アクション…というか、兎に角物が壊れる壊れる。
車は大破。死体は文字通りパーティー会場をぶち壊し。家は蜂の巣。木は切り倒され。ガラスは割られ。もう行く場所行く場所大惨事の木っ端微塵。しかもおそらくほぼ人力。CGで作らない(多分)。気持ちいい。

そしてアメ車。
どうやら日本車に乗っ取られているらしい、現在のアメリカ車産業。その陰りを見せる寸前の1977年。イケイケで。なのにこいつらは後数年で自然とその席を奪われる。
この作品は、ただの小気味良いバディものでは無い。
往年の70~80年代の映画作品の流れを踏襲しているようで。でも、その時代の後にやってくるアメリカ(と言うか全世界的な)停滞を知っているから。どこか物哀しい気持ちにもなる。

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何時にも増してふんわりとした感想文。だって…ちょっとでも突っ込んだらすぐにネタバレしてしまうから。ただ。

「多分この作品。嫌いな奴は居ない」

先日。仕事を共にした人。
「友達にラ・ラ・ランドを凄く薦められているんですよ。でも気が乗らなくて…」
「そうですか。ラ・ラ・ランドは凄く良い作品ですし、当方も二回観ました。サントラも持っています。とてもお薦めですが…合う合わないがありますね。そんな貴方に」
胸を張って続ける当方。
「ナイスガイズ!お薦めします」
「え?それ一言で言ったら、どんな映画?」
「一言!…一言で言えば、古き良きアメリカ映画かと」

行ってみると言ってくれた件の人物。

是非。既に上映回数が減っていると思いますのでお早めに。

後悔はしないと思いますよ。

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映画部活動報告「お嬢さん」

「お嬢さん」観ました。

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復讐者に憐れみを」「オールド・ボーイ」「親切なクムジャさん」の「復讐三部作」等でお馴染み、パク・チャヌク監督の最新作。

サラ・ウォーターズ作「荊の城」の舞台(イギリス)を、日本統治下の朝鮮に置き換えて。

韓国映画のR18指定。日本映画とは比べ物にならない、本気のエロ・グロ・バイオレンス。今回はエロに思いっきり振り切った作品。
そうなるとやっぱりこちらの方を招聘せざるを得ません…当方の心の男女キャラ。昭(男)と和(女)。さあ、どうぞ。

(和)こんにちは。今日は私和と昭さんで、知のサロンからお届けしたいと思います。
(昭)こんにちは…って俺はホンマに嫌なんや!こういうエロ案件は!俺は知のステージに居たいんや!
(和)この下り、以前の当該ブログ「14の夜」でもさせて頂いたので割愛しても良いですかね。下らない掛け合いに時間を取られたくないんで。一応、あくまでもこの作品に対して淡々と感想を交わしあう内容で進めさせて頂きますんで。そんな、昭さんが心配するような展開にはならないと思いますよ。
(昭)信じられない…全然安心できない…(小声)

(和)日本が朝鮮を統治していた時代。それ、日本からは絶対に持ち出せない設定なんですが。そんな時代に。日本人「藤原伯爵」に成りすました朝鮮人詐欺師にある話を持ち掛けられる主人公のスッキ。5歳で日本から朝鮮に渡って、現在天涯孤独の「秀子お嬢様」。彼女の持つ財産は魅力的。でも、彼女は叔父である上月の元に嫁いでしまう予定。彼女をモノにして結婚し、日本に渡った後適当な所で施設にでも放り込んで、彼女の財産を奪いたい。
でも、今は秀子お嬢さんとは全く面識がない。だからスッキが侍従として秀子お嬢さんに近づいた後、俺を好きになるように細工してくれという内容。
貧乏で。ピカイチのコソ泥。朝鮮人の赤ちゃんを日本人に引き渡すなどの裏稼業を営んでいたスッキは、報酬目当てにその話に飛びついて。
嘘の紹介状片手に、「珠子」として秀子お嬢さんの元に潜り込んでいく。

(昭)日本人云々という設定が多いのもあって、全編に渡って日本語がよく使われるんやけれども…正直「日本人」という設定であるはずの「秀子」も「上月」も。そして日本人「藤原伯爵」と名乗っている彼も。皆日本語がたどたどしいんよな。
(和)そりゃあ、これ日本の役者で出来る者なんて居ないよ…と言いながら。世代を全く無視したとして、誰がどの役にフィットすると思いますか?…じゃあ私から!『珠子』池脇千鶴。又は安藤玉枝。
(昭)ええ。唐突。大体、珠子は日本人に置き換えなくてもええやん…『藤原伯爵』斎藤工
(和)斎藤工…近年のエロ担当でありながら、コミカルな演技も出来そう…『上月』岸谷五朗。又は香川照之
(昭)後『秀子お嬢さん』しかおらんやん…これ…難しすぎる…ちょっと後にして貰っていいかな。この当てもので延々やってもあれやし…。

(和)この作品は3部構成で成り立っているんですよ。
(昭)原作未読なのもあって、完全に1部はそのまま追っていた。だから最後「ええ?」ってなったな。どういうことかと。
(和)その説明がなされるのが2部。でも、そこで安心出来ない。寧ろ一回鮮やかに引っかかったから疑ってしまう。「一体誰が本当の事を言っているのか」「誰を騙そうとしているのか」…ちょっとちぐはぐな所もあるけれど…まあ…それは言わんとく。
(昭)そこで地味に効いてくるのが秀子お嬢さんが出会った時に言った「絶対に嘘を付かないで」(細かい言い回し失念)なんやけれどもな。でもあのお嬢さんが隠している案件の方が凄まじいけれど…。
(和)そして怒涛の3部。1部、2部の「あれ?」と思いながらも受け流した小さな事に全て背景が付けたされていく。そして話はまさかの「愛」につき動かされていく。このプランは一体誰の為のものであったのか。これで自由を手に入れられるのは誰なのか。
(昭)そう言ったら何か感動モノやけれど…やっぱり全体的にコミカルなんよな。
(和)それははっきり言って、エロが突き抜けすぎているからですよ。
(昭)うわ来た。

(和)我々が日本人だから?他の言語や文化を知らないから?この作品で描かれるエロは多分…「男性目線の性癖の馬鹿馬鹿しさ=コミカル」と「女性目線の性業の深さ=大切なもの以外には徹底的に冷酷」という二つなのかと感じたな。
(昭)確かに。この作品のセンセーショナルな点である、過激なエロ描写。それは「隠語をばんばん言わせたり、変な朗読会やらの男の欲望」と「互いを確かめて、大切になっていく女同士の交わり」という全く相反するモノだったな。
(和)男たちの欲望に合わせて。おかしな事をし続けていた日々。でも。そこから抜け出すときに。まさか見つけ出す、本当の愛。
(昭)あの本編から。まさかのこのまともなこの展開。

(和)ところで。ああいうエロ朗読会って。実際にワクワクするものなんですか?
(昭)やめろよ!昔飲み会でも初対面の男性に「同性間でも引く性癖」聞いていたけれど。あの時言われたやん「数多の性癖が存在しているから、どれもこれも仕方ない」って。性癖ってもう分からないんだよ。
(和)昔お笑いの集いみたいなので「エロ小説を朗読してみる」みたいなの聞いてしまった事があったけれど。よっぽど集中して世界に入らないといけないんでしょうか。ただただ引いてしまった事がありました。そして、幼い子供に隠語を大声で言わせる事は面白いんかなあ?
(昭)止めて!止めて下さい…。
(和)ただ。隠語の破壊力。特に日本語の隠語って単純で。一気に笑いに踏み切れる感じ。凄いと思ったな。
(昭)こういう展開が怖かった…だからこのコントには参加したくなかった…。
(和)女子の絡み。しっかりしていたけれど…。
(昭)(深呼吸)「アデル、ブルーは熱い色」の時も思ったけれど。女子の絡みを映画で綺麗に撮ろうと思ったら、肌の質感が必要なんよな。特に今回はアジア人特有の肌のキメ細かさ。肌がしっとりとした感じ。全体的な湿度が高い感じ。頬が上気した感じ。生々しいようで、どこか完全に作られている。男性側の性欲が完全に張りぼてで笑いに落とし込まれたから尚更、彼女達の性は綺麗でじっとりして…でも説得力を持っていったんだよ。
(和)おいおい知のステージどこ行った。
(昭)男なんて所詮(ピー:当方の配慮)(ピー:当方の配慮)言ってワクワクする程度なんだよ。結局俺たちは(ピー:当方の配慮)が守れたって安心しながら死んでいくようなもんなんだよ。
(和)おいおい。何も分からないよ。
(昭)俺は初めてあの金属鈴が出てきた時も。あの紐が出てきた時も。何となく用途が分かっていたんだよ。(紐は太すぎるけれど)。嫌な予感しかしなかったんだよ。なのに女同士で結託して愛をはぐくんで。男はただの馬鹿って。馬鹿って。女って。女って。
(和)何だ何だ。もう…分かったから。訳分からんけれど…分かったから。

(昭)後あれな!俺の考えた『秀子お嬢さん』高橋マリ子
(和)うわ。本格的マニアック美少女が来た。

非常に二人が頑張ってくれた所で。話を切りますが。
この「日本人なら~」は想像すると楽しい反面、やっぱり日本人ではこの作品は作れそうにありません。

おかしな展開も、おかしなあれこれも沢山。歪で。パク・チャヌク監督作品としても飛び出した感じもある。でも。

何だか下手したらややこしい事を言われそうなこの作品。
公開してくれて、(一部の国では公開されなかったみたいですし)鑑賞出来た事を有難く。
そして、面白いものが観れたなと思いました。

映画部活動報告「ラ・ラ・ランド」

「ラ・ラ・ランド」観ました。

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「夢を見ていた」

ロサンゼルス。女優をめざすミアと大好きなジャズの店を持ちたいセバスチャン(セブ)。
冬に出会って。春に再会。恋に落ちて。楽しかった夏。でも。互いの夢に向かっていく時。すれ違っていく秋。そして冬…。

往年のミュージカル映画を彷彿とさせ。正直、話だって目新しいテーマじゃない。なのに。なのに何故こんなに当方の心のやらかい所を締め付けるのか。

(昭)これは本当はR指定作品なんよな。それもR30位。話に嵌る嵌らんは、結局は個人差の問題やけれど。これはまだ自分自身がいくらでも選択出来て可能性に満ち溢れまくっている世代にはあんまり…な作品やと思う。でも…歳を重ねた者からしたら…もう堪らんくて。涙が。今も涙が。

おっと。当方の心の男女キャラクター昭(男)と和(女)の昭が。待ちきれず飛び出してきましたが。
…まあ、この体で今回は進めていきたいと思います。(因みに、ネタバレになる所は幾つも出てくると思います。先にお詫び致します)

(和)シェルブールの雨傘。ライムライト。そういうのを想像したなあ。何て言うか…覆水盆に返らず。と言うか。
(昭)あの時ああしていたらどうなったのか。そう思う事って、多かれ少なかれ誰にでもある。でも結局「あの時」「こう」選択をして、だから今の自分がある。「ああしていたら」は無いんよな。存在しない。分かっている。でも…。
(和)凄く言いたいことが決まりきっているんやろうけれど。ちょっと不親切すぎるから、他の事も話していいかな。
(昭)どうぞどうぞ。俺は胸に押し寄せる甘い奴とかを噛みしめておくから。

(和)(無視)あのオープニング。最高やったね。
(昭)あれな!何かが始まる感が半端無かった!お話事体には絡んでこないけれど。自分の映画鑑賞史上トップクラスのオープニングやったと思う。
(和)あのオープニングとその次のパーティーのミュージカルシーン。あの二つは独立してるように感じた。いかにもなミュージカルシーン。その華やかさ。衣装も基本原色で鮮やかやし、見ていて楽しくなる。

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それが、二人が出会ってからはちょっとずつ変わってくる。坂で踊る奴は素敵。天文台の奴なんて甘々。でも、話が進んでいくにつれて衣装もナチュラルな感じに変わっていく。最後のミアの歌なんて何も飾っていなかったし。
(昭)そして、あの問題のシーンが来る訳ね。
(和)先を急ぐなあ。まあ、あのシーンが興冷めやった、蛇足やったという声は多いからなあ。
(昭)確かに「そこは言わんでも。自分で想像したいんで」と思うのも分かる。バラエティー番組でCM明けにまた一から説明されるムカつきみたいな?でも…滅茶苦茶泣けたけどな。自分は。
(和)初めは明るくて楽しいミュージカル。でもそれは楽しいだけの絵空事で。話が進むにつれて、二人の世界が変わっていく。夢が絵空事でなくなっていく時、音楽はトーンを落として…寄り添うものになっていく。だから切なく終わってもいいんやけれど。でも言いたかったんちゃうかな「これはミュージカル映画だ」って。
(昭)どういう事?
(和)あの賛否両論のシーンは所謂「たられば」やけれど。「夢」が現実になった時、二人で生きていくという事が「夢」になったんよな。その叶わなかった方の「夢」を「いかにもなミュージカルシーン」で表してみたら。あのシーンが茶番にしか見えなかったとしたら、それは狙い通りなんやと思う。茶番なんやから。そういう所に二人は来たんやから。切ないけれど。
後は、単純にこれまでのミュージカル映画へのオマージュと賛辞とセットリストなんやと思うけれど。

(昭)「運命の人」という言葉の意味。同じ夢では無いけれど、志をもつ男女が出会って。惹かれて。自然と恋に落ちる。でも…この二人にとっての「運命の人」は「夢に向かう後押しをしてくれる人」やったんよな。
(和)それは恋とは両立しない。
(昭)何で両立しないんだよ!畜生!そういうの、引きずっちゃうんだよ!
(和)そして女は先に進んでしまうんですよ。すみませんね。

(昭)ミアが窓から見ていた景色。それは歳を重ねると共に変わっていく。
(和)初めはふわふわした、漠然とした夢。そこから飛び出して、もがいて。傷付いて。諦めようとして。また窓の内側に閉じこもろうとした。でも。
(昭)自分で言ってたからな。「情熱があれば人は動く」って。それを自らに差し戻した相手。そして新しい窓の前まで一緒に来てくれた。それがセブ。

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(昭)でも。自分はその窓の向こうで手を振って。男ってなあ…センチメンタルなんだよ。そしてその思いだけでずっと生きていけるんだよ。

何だか取り留めが無くなってきましたので。ここら辺で纏めてしまいますが。

公開後。既に2回鑑賞してしまった当方。観る者によって非常に意見の割れる作品だと思いますが。
「こんなに、王道のミュージカル映画を引き継いだ新しいミュージカル映画の存在は貴重」
強くお薦めします。そして。

アカデミー賞作品賞は残念でしたが。デイミアン・チャゼル監督の今後の作品を楽しみにしています。

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映画部活動報告「セル」

「セル」観ました。

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スティーヴン・キング原作。
コミック作家の主人公。作品が評価され。別れた元妻に空港から電話。お祝いとして愛する息子に合わせてくれという内容。しかし、話の途中で携帯電話の充電が切れる。舌打ち。近くの公衆電話から改めて電話する主人公…その時。

空港に居合わせた人々に異変が。携帯電話で通話していた人達が、唐突に口から泡を吹き始め…かと思うと突然凶暴化。周りの人に飛び掛かり、掴み、暴力。殺し始める。そして彼らは暴徒化。集団となり、主人公達を追いかけてくる。その姿はさながらゾンビ。

何とか空港から脱出。地下鉄で出会った車掌の男とコンビを組んで。途中、自宅アパートの別部屋に住んでいた少女とも合流。「直前まで話をしていた息子に会いに行く」という主人公。3人は主人公の息子の住む町へと旅を始めるが…。

スティーブン・キング。多くの代表作を持つ、言わずもながの大作家。当方は浅瀬しか知りませんが…選ぶなら『キャリー』一択です。

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『キャリー』がねえ。どうしようもない気持ちになるんですが…嫌いになれないんですよ。(勿論、昔の方ね。クロエじゃない方ね)

今作も設定自体は面白い。「携帯電話に依存する、現代社会の人類の心の闇云々」みたいな。いくらでもこじつけられそうやし。レギュレーションを想像する楽しさ。
なのに。なのに。

乗客に日本人はいませんでした」「いませんでした」「いませんでした」
もう…イエモンのJAMばりの虚無感。「僕は何を思えばいいんだろう」「僕は何て言えばいいんだろう」

「何でだよ!キング!」

冒頭。主人公が電話する姿からスタート。元妻との会話で分かる、二人の現在の関係性。そして主人公のわびしい男やもめ感~からの!突然の空港でのゾンビパニック!振り切って地下鉄に逃げ込み。そしてそこからの脱出。
恐らく。当方は映画館で時間を図る術は持っていませんでしたが…どう考えても20分くらいで収まっていた、そのスピーディーかつ明瞭な流れ…でも、この作品の褒めるべきところの殆どはこれで終了。というか、いっそここで終わっても良い位。

「後がな…兎に角後が…」言葉を選ぼうとして、もう言葉を失う当方。

「何ていうか…犬?犬がほら。ボールを飼い主に投げられて。ダッシュで取りに行くんやけれど…結構険しい所に向かって投げられたもんやから、危ない目にも一杯遭いながらもボロボロになりながら捕まえて。
ボールを咥えて戻って来たら、飼い主は居なくなっていた。みたいな…というかもういっそ、ボールを見失ったというか…」たどたどしく例えようとしてみましたが。「犬なんて出てこないんやから!そんな例えはおかしいわ!」握りしめたボールを叩きつける当方。

ああもう!兎に角「伏線が投げっぱなしで、解決されない」「なんやそらの連続」「活かされない主人公の持ち札」「あの赤いパーカーの男は結局何なんだ」「一体話は何処に向かおうとしたんだ」「どこから電気や電波は供給されているんだ」「どういう仕組みだ」「いわくありげな事を言って、全く意味がない案件たち」「大風呂敷は広げたが回収されない」「ちびくろサンボエンディング?」エトセトラエトセトラ。

非常に映画を観た後の気持ちの収まりが悪いんですわ。出だしのワクワク感が半端ないだけに。

一つ良かったのはサミュエル・L・ジャクソン。車掌役。さらっと流れ過ぎていましたけれど出会った時「男に捨てられた」と言っていたサム。
もうそののびのびとした演技。

サミュエル・L・ジャクソンって、日本人で言ったら香川照之っぽいなあ。何て言うか芸達者過ぎて。どんな役でも楽しんでるし、たまに度が過ぎてふざけているみたいにも見えたりする(褒めています)そんな感じ」

もう無茶苦茶。無秩序になっていく映画世界で。いつまでも格好良く、半端なく強い。

「いっそ視点を変えて、サムとあのハリポタみたいな少年とのゾンビ世界放浪記でも良かったよ。あの妊婦というナイスキャラクターも入った事やし」


なんだかな~。この流れが正に「スティーブン・キングなんだよ」と言われたらあれですが。
なんだかモヤモヤとした気持ちが収まらず。映画館を後にした当方。

映画部活動報告「たかが世界の終わり」

「たかが世界の終わり」観ました。


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第69回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品。若き才能。27歳グザヴィエ・ドラン監督最新作品。

「一体どれくらい振りやろう。立ち見で映画を観るなんて…って、はっきり覚えている。『キャンディ』再上映以来だよ」

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(キャンディに関しては割愛。一見お洒落に見えて「フリーセックス万歳」な内容。全身の力を抜いて観れる作品です)

兎も角。週末の予定の塩梅もありましたので。初回初日。立ち見で参戦してまいりました。

主人公のルイ。人気劇作家として成功。忙しい日々。そんな彼が12年振りの帰郷。
かつて家を出て以来。何かと家族へのプレゼントや便りは欠かさなかったけれど、決して戻る事の無かった田舎の実家。

彼の目的はひとつ。「俺。もうすぐ死ぬんだ」それを家族に告げるため。


「ああ。当方は前作『Mommy/マミー』の方が好きやなあ」

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自閉症の息子を持つシングルマザー。その母子家庭と傷ついた隣人とのギリギリな日々。あれは確かに傑作。ついつい比較してしまう当方。

「今回の作品。正直、観ている間のストレス。フラストレーションが半端ない。イライラして「あんたらなあ!」と言ってしまいたくなる」

ですが。鑑賞後。じわじわと当方の心のやらかい場所を締め付けてくる。そんな作品。

母親。兄。歳の離れた妹。恐らく田舎ではルイは生きていけなかった。実家を離れ。都会で大成していくルイ。家族への定期的な絵葉書。プレゼント。でもそれはあくまでも儀式的なモノで、所謂「生存確認」
残された家族は一つの家に今も一緒に住んでいて。兄は結婚、子供を儲け。幼かった妹はすっかり大人になっている。

互いに分かっている。「知らせが無いのは元気な証拠」

だからこそ。家族にとって目的をはっきりと言わずに突然現れるルイの不気味さ。だってこれまで実家に遊びになんて来なかった。ルイは何かを知らせにくる。その内容に対する恐怖。

「ルイのもたらす知らせは良いものではない」

既に仕事は安定している。ルイのセクシャル的に子供が増えるといった内容ではない。となると…凶兆としか思えない。…聞きたくない。

「言うのが怖い。切り出せない」と「聞くのが怖い。聞きたくない」兎に角全編に渡ってその攻防。

「いくら何でも臆病すぎる」「それは…ルイが本当の終末期に至った時に後悔しないのか?」「時間を大切にしなさいよ」観ている当方の、眉をひそめながら、溜息をつきながらの声。でも…仕方ない。こういう家族だから。結局はとても似た者同士の家族だから。

久しぶりに会う家族。ルイが好きなものばかりを、腕を振るって作る食事。楽しい会話がしたい。会っていなかった間に起きた出来事を話したい。でも。
「そうやって会話する中で。少しでもタイミングを見つけられたら、ルイはとんでもないシビアな話を始めてしまう」その恐怖。もう何の話題をすればいいのか分からない。ピリピリする家族。そして一体どのタイミングで話を切り出すべきかを見失うルイ。

母親が。妹が。兄の妻が。これからの家族の在り方を。己の生き方を。そして二人の時にズバリと。女たちは角度を変えながらルイに話しかけ、彼の出方をうかがっている。そうして受け止めようとする。なのに。

「もう兄貴消えてくれよ!」

観ている側のフラストレーションのほぼ大半。兄の存在。皆の会話に一々絡んで。すぐに怒ってぶち壊す。本当に観ていてイライラする存在。ですが。

「なんで俺が悪者なんだよ!」

そうなんよな…この家族の皆に共通する「怖い」という感情。それを正直に。
表現の仕方が余りにも不器用すぎて不愉快ですらあったけれど。確かに代表して訴えていた。

「ねえ。覚えてる?日曜日にドライブに行ったこと」

食事の支度を皆でしている台所で。ラジオから流れた音楽を聴いて、母親が語りだす家族の昔の記憶。その音楽に合わせて。最近習っているエアロビ(風)ダンスを踊り出す母親。始めは嫌がっていたけれど、無理やり一緒に踊っているうちに笑いだす妹。皆が笑って。ルイも笑って。そしてふっとその音楽が大きくなって。切り替わる画面。

幼い時。日曜日に家族でドライブに行った。バスケットを持って。レジャーシートを敷いて。兄とはしゃいだ。間違いなく幸せだった。そんな日曜日。

「ちくしょう!そういうセンスが憎たらしいんだよ!ドラン」唐突に当方の心がなぎ倒された瞬間。

一緒に居た時間は短くて。だから良かった記憶で一杯にしたい。幸せで。きらきらした記憶だけで良い。ルイとの時間は。

柔らかい記憶の次が悲しいものになるなんて。いずれはそうなるのだろうけれど。あくまでもそれは「いずれ」であって。今すぐには受け入れたくない。

そして、やっとこういう事態になって初めて家族に目を向けたルイに対して。

あっさり「家族」からの退場を認めたくない。

家族の各々が抱える問題。それを今初めて皆がぶつけあえる時が来たのに。そこに参加もせず、一方的にお別れなんて卑怯すぎる。
勝手に。センチメンタル全開で自分の言いたい事だけを言うなんて。その前に聞くべき話は沢山あるはずやろう。本当はそう言いたい。でも。

「本当のお別れ」を告げに来ている家族に。誰が面と向かってそんな言い方が出来るというのか。

「きちんと言葉にするべきなんやけれどな…」もう何度目かの溜息をつく当方。不器用すぎる。

家族だから。却ってぶつけられない事。それらが少しづつで良いから話し合えたら。時間は限られているけれども。

後悔しないように。穏やかな終末を迎えられますようにと。祈るばかりです。

映画部活動報告「ショコラ 君がいて、僕がいる」

「ショコラ 君がいて、僕がいる」観ました。

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20世紀初頭。フランスで初めて誕生した白人と黒人の芸人コンビ。
しがないどさ回りサーカス団で知り合った二人。白人のフィティットと黒人のショコラ。
コンビを組んで、人気が出て。パリの名門サーカス団に引き抜かれ。街でも二人の芸は大当たり。なのに…爆発的な人気を得る中で、徐々に暗転していく二人の関係。
「所詮白人に蹴られて笑いを取っている。白人に媚びた芸だ」「お前は黒人だ」人種差別が根強い時代。
心無い言葉や、同じ黒人からの言葉に揺れ。酒やギャンブルに落ちていくショコラ…。

ショコラをオマール・シー。そしてフィティットをチャップリンの孫、ジェームズ・ティエレが演じた。


「何故元々のタイトル『ショコラ』だけでいかない?!「君たちがいて、僕がいる」みたいな!…チャーリー浜かよ!」
日本語タイトルにありがちな「サブタイトル問題」生粋の吉本文化に慣らされた当方の、必要不可避なツッコミ案件。まあそれは置いておいて。

「何かこの二人。横山やすし・西川きよしを連想させるな…」やっぱり置いておけない当方。

ピエロとしての腕は一流。その他ジャグリング。パントマイム。何でも器用にこなせるけれど「君の芸は古い」とサーカス団から切られそうなフィティット。そんな彼が見初めた「人喰い土人」としてただただ観客を怖がれせていたショコラ。その無限の可能性を信じ、声を掛けた。

「俺たち二人で組んだら面白くなるぜ」

初めは難色を示していたサーカスの団長。半ば無理やり押し切ってコンビで出てみたら…それが大当たり。連日サーカスに二人を見たいと長打の列。でも。

「俺たちはもっと面白くなれる。高見を目指せる」

お笑いに対して、野心と向上心を持つフィティット。何となく付いていくショコラ。そして小さなサーカス団から、パリの有名サーカス団へと活動のステージは上がって。


「何ていうかなあ…。もうこれ仕方ない流れやったんとちゃうかなあ…」

話をぐっと最後まで飛ばして…少しネタバレしてしまいますが。

最後。「俺がどうにかしてあげられたら。二人はもっと高見に行けたのに…」みたいな事を言ってフィティットが泣くシーンがあるんですがね。

「いやいやいや。貴方はベストを尽くしたと思いますよ。誰のせいでもない」背後から、そっとフィティットの肩に手を置きたい当方。


「黒人なんて猿以下だ」「お前たちに人権などない」「醜い」「低俗だという自覚を持て」「怖い」「黒人に知性などない」
最悪な人種差別がしっかりと存在する時代。例え彼らが有名になろうとも、そういう声は何処からか聞こえてくる。元々奴隷出身であったという心の痛む記憶。それ自体は本当に眉をしかめるばかりの当方。ですが。

そこで「なにくそ。俺は芸で皆を見返してやる」というストイックさには向かわないショコラ。

有名になって、お金を手に入れて。調子に乗ってしまうショコラ。高い服を着て。車に乗って。女も来るもの拒まず。そして心の苦しみも、イライラも酒とギャンブルに当ててしまう。そしていつに間にか借金まみれ。(そういえば、売れないサーカス団時代からカードゲームとかしていました)

「あかん。そういう所がやっさんを思わせるんやで」天性のお笑いの才能とセンスを持っているのに。「小さなことからコツコツと」が出来ないショコラ。

対する生真面目なフィティット。技術面は文句なし。でも揺れ動くショコラの気持ちにはじっくり向き合えない。「それよりもっと練習しようぜ」「もっと」「もっと」俺たちもっとやれるぜ。なのになんだお前は。昨日は何処に行っていたんだ。今日は何をしていたんだ。チャラチャラと浮ついている暇があったら、真面目に芸に向き合えよと。

「やかましいおかん」正に。これは中学生男子位の視点から見た「やかましいおかん」
そして案の定反抗する息子。
そんな感じになっていく二人。

二人の間がぎすぎすしていく中。マリーという看護師の女性と出会うショコラ。そして「調子乗ってんじゃねえよ!」と数日投獄(本当にねえ。あれ、何の罪なんですか)された時に知り合った、黒人の思想家。

「本当に純粋すぎるんよなあ…」確かに黒人であるが故に傷つけられた事は沢山あった。でも。彼らからの受け売りの思想に則って得た仕事に。己の身の丈が合わない。そして努力出来ない。結局位一夜漬けの付け焼刃で。ズタズタに終わったショコラ。

華やかなステージから姿を消したショコラ。そしてひっそりと暮らすフィティット。

その二人が再会した夜。フィティットの流した涙。
「俺がどうにかしてあげれていたら…」

そっとフィティットの肩に手を置きながら。 

慰めるなって 背中が黙って言うから 当方も声には出さないで 話しかけてる。(唐突にスマップの名曲:君は君だよ)

時代が悪かった。誰が悪かった。どうしたら良かった。ああすれば。こうすれば。そんなの、もう此処ではいいじゃないかと。

君は君だよ だから誰かの望むように 生きなくていいよ
君は君だよ だから僕には かけがえのない一人なんだよ
君は君だよ 他の誰にも かわりなんてできやしないんだから

多分。時間を巻き戻して、また出会った時からやり直しても二人は同じ流れになる。ショコラは調子に乗って、二人はすれ違って…ショコラは自滅する。もうこれは仕方が無い流れ。時代も誰も悪くない。今この場で誰をどう責めても。それは意味がない。だからそんな事より。

「二人で芸をやっている時。楽しかったな」

苦しくて。喧嘩もして。でも観客の前で芸をして、皆が思いっきり笑った時。最高だった。それでいいじゃないかと。
それでいいじゃないかと。

まあ。時間は本当に心の傷を癒しますから。苦い記憶は薄れていって。楽しかった事がフィティットの心にふんわりと残るでしょう。…そうあって欲しい。そして。

きっと今はあの世で。二人は穏やかに過ごしているんだろうと。そう思う当方。

映画部活動報告「ホームレス ニューヨークと寝た男」

「ホームレス ニューヨークと寝た男」観ました。

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ニューヨーク。マンハッタンの街並みを見下ろすビルの屋上に住むマーク。

現在50代。元モデルのマーク。端正な顔立ち。ジムに通い、体型も維持。シュッとしたスーツ、高そうな靴。スタイリッシュな出で立ち。
ファッションフォトグラファーという華々しい職業。日々ファッションショー通い。その他街角でもモデルやスタイルの良い女性を見かけては写真撮影。
毎日街を闊歩し。写真を撮って。カフェをハシゴして編集し。ジムに通い。夜は仲間内のパーティーに参加。時々映画のエキストラに出たりして小銭を稼いで。

楽しそうな生活を送るマーク。そんな彼の唯一の秘密。「マンハッタンの街並みを見下ろすビルの屋上に住んでいる」=「ホームレス」だという事。

旅行に行くからと、友人から自宅の鍵を預かった。その時勝手に合鍵を作り。その鍵を使って勝手に毎夜そのビルに侵入。屋上まで上がり。そして隣のビルに渡って。屋上の隙間に隠れて暮らすマーク。

なかなか興味深いドキュメンタリー映画が出たなと。予告を見て気になったので観に行ってきました。しかも当方の住む地方での公開初日に。

「人生に於いて『成功する』とは」『豊かさ』とは『家』『自由』とは」そんな事を追及した人の姿から何かを得たいと思って…いたのですが。


「何か思っていたんと違う…」もやもやと劇場を後にし。その後も脳内で反芻を繰り返し…やっぱりそう思う当方。


「恐らく当方は『つまんない大人』になったからだ」だからこういう見方になってしまう。
そんな「つまんねえ話」をお酒片手に語らせて頂きますが。

ドキュメンタリー映画を今年になってから幾つか観ていて思った事。それは「純粋なドキュメンタリー映画というものは存在しないんじゃないか」という事。
乱暴な決めつけですが。
「一つの対象」に対してどこをどう切り取るか。どう見せるつもりなのか。作り手の思惑というものは絶対に存在する。そうでないと、ただのホームビデオだから。(奇跡的なホームビデオという奴もあるのかもしれませんが…例えば長年に於いて追い続ける「テレビのドキュメンタリー」というジャンルはまた違うのかもしれません。大家族モノとか)

つまりは映画でドキュメンタリーとして何かを撮るとき。恐らく作り手は「こういう題材の対象に対して、こうなるんじゃないか」なんて思いながらカメラを向けている。
でも「対象」もまた、ただ撮らせている訳ではない。
その「対象」はどう演じてくるのか。

カメラの前で100%ナチュラルな人間なんて居ない。どこか意識して。カメラ越しの相手に分かりやすいメッセージを送ろうとする。折角の機会なんだからと。ここぞと語られる主義主張。分かりやすい画を見せようとする。でも。

「結局そこには台本も筋書きも無い」

そんな中で。いつまでも自分を取り繕って良いように見せるのは限界が出てくる。そうなるとどんどん素が出ていって。そこで初めて現れる「リアル」
「対象」がそれを見せてくるのを待っているんじゃないかと。だとしたら、まあなんて意地悪なジャンルだと。

「何て分かりにくい話をしてしまったんだ…」持って回った話はもうやめますが。

当方がこの作品に期待していた「マークの主張」それが余りにも不透明で、不安定。

先程までの分かりにくい前振りの。その呈を成さない。何を見せたいのか分からない。そしてマークも言いたい事が初めから定まらない。ただヨタバナシが続く。

イケイケな生活を散々見せた後の「俺の住処」かつての華々しい生活。それを懐かしく噛みしめながらも、今のこの生活に対してのポリシーは余り語られない。(語っていたのかもしれませんが)

「なんて張りぼてなんだ…」つまんない大人当方はそっと眉を顰めるばかり。

見た目を取り繕って。昔見た華やかな世界にしがみつきたくて。ただ楽しい時間を伸ばしたい。それだけ。
見栄を張って、でも現実はぞっとする位惨め。落ちぶれたなんて言いたくない。だから見たくない。

男前でダンディな外見とは裏腹に、マシンガントークでひたすら語り続けるマーク。その内容は自慢。そして自嘲。その虚無感。薄っぺらい。

「僕は彼らとは違うから」「僕は上品なものが好きなんだ」
他の、いかにもなホームレス連中と自分は違うと言い切り。でもどう違うのか当方には分からず。

「でも時々涙が止まらなくなるんだ」不安定すぎる。でもそれ以上は語られず。

「確かにそんな生活は不安でしょうがね」当方の中の、一升瓶片手に持ったおいちゃん当方(イメージ菅原文太)がのっそり語りだしますが。

「どう考えても、あんた甘いわ。いい年して。そうやってキリギリスみたいな生活を続けて…でも実は今でも誰かが見出してくれて、全てが好転すると思っているやろう。俺はこんなはずじゃないと。俺のスペックを見ろよと。巷に溢れるつまんない奴らとは違うんやと」
止まらないおいちゃん当方。

「つまんない奴が。どれだけ頑張ってつまらない人生を送っていると思っている?誰もがつまらない奴が真面目に作った食べ物を食べて、真面目に作ったものに囲まれて生活しているのに。つまらない奴は死んでいるのか?夢が無いとでも?毎日真面目に働いて、大切にするものを守って、へとへとになって眠りに付く姿はつまんないのか?」

カメラを通して見たマークの姿は、恐らく一面的なのでしょうから。言い過ぎなんでしょうが。

マークの葛藤とやらをもっと見たかったと。そう思う当方。

(後、単純な疑問なんですが。この「勝手に合鍵を作られた友人」とはこの映画公開後どうなったんでしょう?他にもう一人勝手に合鍵を作って堂々と家に上がり込んで寛いでいましたけれど。あれ…通報ものやし。どうなったんですか?そして彼の周りの人達との関係性は?)

当方が観た日は公開初日でしたので。マーク本人が登場。挨拶がありました。



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(相変わらずの当方のシャッターセンスの無さよ…)

「この作品を初めてきちんと商業ベースに乗せて、評価してくれたのは日本だから。日本で働けないかという活動をしている」この発言に、先程のおいちゃん当方が過敏に反応。甘やかすなよと。

そして「後で山崎に連れて行ってくれるとの事で、楽しみにしている」とはしゃぐマークにもやもやする当方。
(京都大山崎にあるサントリーウイスキー山崎工場。当方も行った事がありますが、非常に上質な時間を送れる素敵な場所です)

「なんの為にこの都市に来たんだ!日本屈指のスラム街『西成』に連れて行けよ!」

したたか。
まあマークは結局どこででも生きていけるのでしょうけれど。ただ、当方は万が一マークを見かけても声を掛けたくはありません。だって。カメラ越しに言ってきていた。

「次は君の家に泊まりに行くよ!」

絶対に嫌だ。それだけは嫌ですから。