映画部活動報告「64 ロクヨン 後編」
「64 ロクヨン 後編」観ました。
たった7日で幕を閉じた昭和64年。その数日で起きた少女誘拐事件。悲しい顛末。そして迷宮化。
関わった者達皆に平等に時は流れ。しかし、皆が多かれ少なかれ64に心を残していた。
時効まで後一年と迫った今。
又64がのっそりと姿を見せ始め。
前後のラスト発生する誘拐事件。
「犯人は佐藤と名乗り。身代金は2000万円。大手デパートのスーツケースを準備しろと声明」
64模倣事件。果たして犯人の思惑は?そしてかつて64に関わった皆の動きは?思いは?
前編から。きっかり予告通り。2日後に後編を観に行った当方と当方の母親。(前回ブログ参照。因みに母親は、前編鑑賞済みの父親と一緒に鑑賞。)その夕方。家族会議にて。
「浅いんじゃないか…。」
父親の感想に対し「イチから十まで説明しないといけないんですかね?」と問いながらも、何処かで納得している当方。
64という世界観を、正味4時間で表すとしたら確かにダイジェストに成らざるを得ない。でも、観る側にダイジェストを感じさせてはいけない…。本来は。でも、感じさせるを得ない後編。
「前編で張り巡らせた伏線。回収出来た物も勿論ある。でも…不完全燃焼もある。」
それが推理サスペンスであり、ミステリーなんだよと。言われればそれまでですが。
「幸田メモの全貌」
「警察内部のキャラクター整理」
「三上の娘とのやり取り」
少なくともこれは。
「観ている方の想像にお任せします」としすぎなんではないかと。
重要な後編のテーマ「親の気持ち」
子供を前にした、親の無力感。と同時に描いた、無限大な親の力。
愛情を押し付けられず。ありがたられず。憎まれ。ずっと追い続ける相手。
「子供を失った親の気持ち」「そんなものも、警察は分からないのか!」
…警察は関係ないからな。
悲しいかな、当方はそういう人間で。
前編であんなに個人を語ったのに。個人の人生を。なのに。
「何で情に流そうとするんだよ~」
娘を失った父親の。娘を初めとして、幸せな家族の姿を失った父親の執念
「引っ越す事も有りうるし…。こんなにしらみ潰しでありながら無謀な手段で…。正直、そんなに特徴のある声でも無いし。」途方もない地味な手段に目が眩む当方。
(だって。例えばワタナベまでくるとしたら?そりゃあ途方もない…。)
最早狂気すれすれの父親の行動。
と言っても、永瀬正敏と、佐藤浩市のアプローチは絶対に違うはずで。
加害者だって。いつだって入れ替わる、加害者と被害者。互いに共通するのは「愛すべき家族」「守るべき者」
前編同様、主役級キャストの演技合戦。
ですが。
当方が後編でほれぼれと見続けたのは、緒方直人。
「「100億の男」以来しっかり観た。なんて力強い表情をするのか」がらりと表情の代わる瞬間。目が離せず。
当方の父親が言いたかったのはそういう事なのか。結局は不明でしたが。確かにダイジェスト感と情に訴え過ぎたかなと思った当方。
「ぐだぐだと情に訴える必要などない!
て言うか…くどい!」
「公報のトップ。フットワーク軽し。」
前編から思っていた当方。ぐだぐだと忙しい現場を離れ。縦横無尽に動きまくる主役。
現場主義のリアル当方として、主人公は信じられない上司なんじゃないか疑い。
「これは、前後編とかではなくて。しっかり中身を見せるとしたら連続ドラマとか…」「NHK連続ドラマ映像化」見逃した。ぐうううう。
我々家族がスッキリ落としきれていない中。
「やっと64後編観たよ!ヘイヘーイ!皆!どうだった~い!」
数日後。
真意を疑いたくなる、当方の妹の陽気さに、モヤモヤが押さえきれなくなる家族一同…。