映画部活動報告「ザ・トライブ」
「ザ・トライブ」観ました。
ウクライナ映画。
「この映画の言語は手話である。字幕も吹き替えも存在しない」
そのテロップからの開始。全編手話。登場人物が全てろうあ者。音楽も無し。聞こえてくるのは生活音のみ。
ろうあ学校に転校してきた主人公の少年。
また、この学校が「とんでもない荒れ方をした学校」で。
暴力、盗み、カツあげ、売春。80年代のビーバップさながらの犯罪集団。(陽気さは一切無し。)
転校早々、トライブ(=族)の洗礼。でも、そこそこ強かった主人公はその中に入る事が出来た。
トライブの犯罪に関わるうち、主人公はリーダーの彼女に惹かれていく。
売春を重ね、ひたすらお金を貯める彼女。
彼女と関係を持つうちに、彼女を独占したくなっていく主人公は…。
何だか不適切な発言をしてしまいそうで恐い。恐いのですが、あくまでも正直な感想をつらつら書かせて頂きます。
ろうあ者。今までは悲しい、可哀想だといった演出をされる事が多かったような。
ろうあに限らず、障害を持つ人達はめったに深く描かれる事は無く。そして概ねキャラクターはピュア。
でもこの作品に於いては、彼等はいわゆる弱者では無い。
「て言うか、何でこんな無法地帯なんだ。教師は?親は?大人は?」
どういう学校自治なんだ。強い者は弱いものを殴り、無防備な他人から金品や食べ物を奪う。
金が欲しければ、誰かから奪うか、体を売るか。
そんなの、ろうあとは関係無い。
全編手話であっても、彼等がどういう感じの会話をしているのかは分かる。
手話って、あんなに雄弁なんやなあ…。
細かい事は分からない。でも、手話は激しく交わされる…言語では収まらないな。最早全身ジェスチャー。
表情と、早い手話。全身で表される自己表現。それを全身で受け止める力。
全力のコミュニケーション。
観ている方も、自分の引き出しをフルにして観るので、ぐったりします。
まあでも、全力のコミュニケーションでの表現は、やっぱり分かりやすさとして暴力と性に行ってしまうんかなあ…。近年の無声映画のメビウスしかり。
主人公の暴れるシーンなんて、嫌になってきますからね。基本的には殆どが長回しやし。また、変わったカメラの動き方をするんですよ。
後で資料を読んだ所、「殆どのキャストが初めての演技経験。主人公の少年は本物のストリートギャングで云々」とあって。
おいおい。ストリートギャングって。何なのそれ。どんな国なのウクライナ。
そう言えば、ウクライナのトイレ事情。TOTOやINAX。大王製紙の社員の皆様が我に返るであろうクオリティー。
当方も真顔になってしまいました。
後、作中出てきた闇処置。
無麻酔で!下手したら死ぬ!て言うか泣くどころじゃ済まんよ!意識があるのが凄いよ!指2本で交渉成立していたけれども。あれって、つまりは幾らなの?!
ちゃんと煮沸して~。そして冷ましてから使って!火傷するって!
これはシンプルなセッティング。凄い。賢い。
何て痛い展開!でも…。微妙に使う物はあってる。ここ、誰が監修している?!
急に火が付いた様に騒ぐ心中。
彼女が何故あんなにお金を貯めるのか。流石に資料が無いと分かりませんでしたけれど。…そうなの?それは現実も?
もうヘトヘトになった観客に対し、最後緞帳を叩き落とすような幕引き。
無音のエンドロールが終わって明るくなった場内。
誰もがため息意外声が出せませんでした。