ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「死刑にいたる病」

「死刑にいたる病」観ました。
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「初めてお手紙を出します。僕のことを覚えていますか。」

元優等生で受験に失敗したことから殻に閉じこもり、さえない大学生活を送っていた筧井雅也(岡田健史)。

祖母の葬儀で帰郷した雅也は、自分宛ての手紙を見つける。差出人は棒村大和(阿部サダヲ)ー日本中を震撼させた連続殺人犯だった。

 

櫛木理宇の同名小説の映画化。脚本・高田亮白石和彌監督作品。

 

棒村大和。

昼間はパン屋の店主。棒村の手作りパンは人気があり、併設しているカフェスペースは学校帰りの中高生でいつもにぎわっていた。

夜は殺人犯。店に通う中高生の中から目を付けた相手と距離を縮め。自宅に監禁し、じわじわといたぶった挙句殺害し埋めていた。被害者の数24件。うち9件が立件・起訴となり第一審で死刑判決が確定。現在は刑務所に収監されている。

 

棒村と雅也の接点。それは「雅也が棒村の店のお客さんだった」こと。

 

当時は中学生だった雅也。塾に行く前に時々通っていたパン屋。カウンターで食べるパンとドリンクが美味しくて。棒村が親身に話を聞いてくれるひと時が大好きだった。

 

「会いに来て欲しい」

棒村からの誘いに、思わず刑務所へ向かった雅也。数年ぶりに会った棒村はあの頃と変わりがなくて…けれど、屈託のない棒村から出たのは「冤罪証明」の依頼だった。

 

24件の殺人容疑…そのうち9件が立証されたが、どうしても1件だけは自分の犯行ではない。あれだけは違う。

「まだ本当の犯人は、あの街にいるかもしれない。今それを知っているのは、君と僕だけだ」

 

一件の冤罪をめぐり過去を調べていくうちに、事実は何度も姿を変え…遂には雅也の立っている場所も揺らいでいく…。

 

人当たりがよく誰からも信頼される好人物の反面、息をするように殺人を繰り返した。そんなシリアルキラー・棒村を演じた阿部サダヲ。どちらかというと陽な雰囲気のキャラクターを演じることが多い印象の彼が、その明るさを不気味さに転換させながら演じきった。一切の光を感じないその黒目に狂気を感じる。さすがの手練れ…けれど受け手役の岡田健史もまた、見事だったなと感じた当方(何様だ)。

 

筧井雅也。

子どもの頃は優等生だった。けれど結局は井の中の蛙で、大学受験に失敗しFランクの大学に在籍している。友達も恋人もいない。孤独でさえない学生生活(一回しかない人生の、はっちゃけたらいい大学生生活が…もったいない)。

元教師の祖母や堅物の父親に失望されたと思うと、地元には帰ることができなかった。今回帰省したのも祖母が亡くなったから。

こんなはずじゃない。俺はこんな場所にいるはずじゃなかった。コミュニケーションをとらず壁を作り、面と向かって口には出さないけれど周囲にいる者を見下している。

一見おとなしいけど、鬱屈した感情が渦巻いて爆発しそうな危うさもある。

そんなアンバランスな主人公を見事に体現していた。

 

お話は…「刑務所に収監されたシリアルキラーによる、あくなきマインドコントロール欲」だったと感じた当方。

 

連続殺人の被害者に共通していたのは、おとなしく真面目な高校生の男女だったこと。

棒村が冤罪だという被害者は、成人している大人の女性であり、殺害方法も他とは違う…棒村のいたぶるお作法「生爪を剥いだ」跡がなく、死体処理も森の中に打ち捨てられるという雑さだった。

 

「その事件が冤罪であるとして、何故雅也に真相究明を依頼したのだろう?」

 

持ち前の真面目さと興味も相まってどんどんのめりこんでいく雅也。かつての事件たちを洗い出すうちに、自分自身の出目についても揺らぐ羽目になる。

棒村と、雅也の母親・怜子(中山美穂)とのいにしえの縁。何の因果か。棒村と雅也の関係はただのパン屋の店主と客ではなかったのか。

 

雅也の行く先々に現れる長髪男性・金山(岩田剛典)。いかにも真犯人ぽい、挙動不審な謎の男の正体は。

 

「その事件が冤罪であるとして、何故雅也に真相究明を依頼したのだろう?」

あくまで当方の持論ですが。「雅也君。あ~そ~ぼ~」だったんじゃないかと。

 

かつて仲良くしていた幼い兄弟に「今日は何して遊ぶ?」「どうやってボクを楽しませてくれる?(言い回しうろ覚え)」追い詰めて、兄弟を互いに傷つけ合わせた棒村。

 

自分の置かれている場所に納得できない。しっくりこない。けれどどうしたらいいのかわからない。なんだかイライラする。どうしたらいい?

不安定で、けれど自分では結論を出せずにもがいている人間(えてしてそれは思春期の少年少女だった)を見つけ出すのが上手くて…見つけたらわくわくする。

楽しませて。少年少女を手なずけ、安心して心を預けてきたところで捕食する。棒村のお楽しみルーティーンは一時殺人行為に向かった。けれど刑務所に収監された今、殺人は不可能。己のフラストレーションは満たされない。

 

ならば。かつて縁があった子供たちに手紙を出せば…面白い行動をしてくれるんじゃないか。殺すことはできないけれど。マインドコントロールする楽しみが忘れられなくて(それを『大人』には向けないところが棒村のよわっちい、卑怯なところですよ)。

 

「それが、棒村が雅也に手紙を出した理由」

当方はそう思ったんですが。

 

自分の中に潜む危うさ。獄中にいるシリアルキラーに踊らされていたけれど…「こうであってほしい」というご都合主義には逃げなかった。自分の置かれている場所をきちんと見据えた。陳腐な言葉ですが…物語の終わりには雅也の『成長』を感じた。

そして最後の最後「やっぱり気持ち悪いわ棒村」をたたきつけてくる描写。

 

事件の真相究明に至る過程、主人公雅也の家族関係なども絡まり二転三転しながら進む展開もテンポが良く飽きさせない。

しいて言えば「言論の自由とはいえ、刑務所からこんな内容の手紙が出せるものなのかね?」「棒村はどうやってターゲットの住所を調べているんだ」という疑問はありましたが。まあそれはお話ですから…。

 

冒頭の美しく見えたあのシーンの禍々しさ(褒めています)。

これが病ならば確かに『死刑にいたる病』。決して再び世に放たれない。はずなのにまだくすぶっている…。

129分がノンストップ。飽きることなく疾走する、見ごたえのある作品でした。