ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「クルエラ」

「クルエラ」観ました。
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「ディズニー史上最もファッショナブルで悪名高きヴィラン(悪役)」

 

101匹わんちゃん(1961)の悪役、クルエラ。常に毛皮を身にまとう有名なデザイナーであり、かつ冷酷非道な悪女。一体彼女はどうして『クルエラ(残酷・残忍)』になったのか。

 

1970年代。少女の名前はエステラ・ミラー。生まれながら左右で白黒に分かれた髪色を持つ。母のキャサリンと二人暮らし。ずば抜けたファッションセンスがあるが、生来の気性の荒さから学校でも喧嘩ばかり。素行の悪さから学校を退学になったエステラを連れ、ロンドンへと移住することにしたキャサリンは生計を立てるべく、道中の屋敷に立ち寄る。

そこでは家主のバロネス・フォン・ヘルマンが主宰するパーティの真っ最中。バロネスに資金援助を求めていたキャサリンは、不幸な事故に依って命を落とす羽目になってしまった。

孤児となってしまったエステラ。なんとかロンドンまでたどり着いた彼女は、ホームレスの孤児ジャスパーとホーレスという少年たちと行動を共にすることになった。

 

目立つ髪色を赤く染め。生きていくために3人で盗みを繰り返し10年が経った。

泥棒として生計を立て、変装の為に衣装を仕立てる。めきめきとファッションスキルを磨いていったエステラは、遂に念願のリバティ百貨店での職を得る事になった。

心を躍らせて仕事に向かうも、任された仕事は雑用ばかり。クビ寸前まで陥ったエステラだったが、オートクチュールデザイナー、バロネスに才能を見出されて彼女のオフィスに雇われることとなった。

 

「これはディズニー版『ジョーカー』だ。」

 

その触れ込みに、一気に興味が沸いた作品。主演をエマ・ストーンが演じる事からも既に注目はしていたのですが。あの、一昨年に多くの人の心を揺さぶった「哀しきピエロが悪役へと変貌する様」を描いた作品を持ち出されては…これは観るしかない。

 

まあ。確かに「悪役がいかにして悪役となったのか」を描いていた作品でしたし、その一つに「母親との関係」が影響していたのは共通項ではありましたが。

「いや。これはこれ、それはそれ。」そっと溜息を付く当方。「ディズニーとDCじゃ、クラス内カーストでもトップクラスの一軍モテキャラと賢いけれど陰気な拗らせキャラくらいの違いがある。そんな双方が同じ作風になる訳がない。」

何をうじうじしているのかというと…つまりは「これめっちゃガールズムービーやし堂々とそういう売り方をすればいいやん」と思ったから。

 

監督がクレイグ・ギレスビー。前作が『アイ・トーニャ 史上最大のスキャンダル』(2017)。1990年代に起きたフィギア・スケート界を揺るがせたスキャンダルを描いた作品。主人公のトーニャ・ハーディングを生き生きと演じたマーゴット・ロビーの姿が記憶に新しい。

「そういう、ポリシーを持って我が道を進まんとする女性を主人公にしたお話が得意なんだな。」

 

主人公エステラがクルエラになるまでの半生。少女時代に母親と生き別れ、孤児として逞しく育った。やっとの思いで飛び込んだファッションの世界で。色々教えてくれた師匠のデザイナーを敵だとみなした途端、彼女の復讐劇が始まる。

 

エマ・ストーンという女優。大きな目と口。見た目のチャーミングさもさながら、彼女の圧倒的な武器はその表情の豊かさ。すっかり大女優なのに、気取っていないコミカルな演技。

今作は兎に角「エマ・ストーンを楽しむ映画」で。音楽、美術、衣装…そこにノリノリなエマ・ストーンを置くと、こんなにも画が映えるのかとワクワクするばかり。(そこに加えて。終盤はマーク・ストロングを愛でるという要素も加わる)

 

舞台は1970年代のイギリス。パンクスタイル全盛。オートクチュールドレスが段々と古びていくなか、既存のスタイルをぶち壊したセンスをぶつける事で大御所デザイナー・バロネス潰しを図るエステラ。

 

「うん。そういう事やと思っていました。」

エステラとバロネスの関係。その真実が明かされたけれど…まあそうだろうなと思っていた当方。だって。敵が突き抜けて悪い奴じゃないと、こちらの正当性が無くなってしまうから(現実では100%悪人なんて存在しませんけれど)。

 

エステラとバロネスの対決ばかりでは無く。昔からの仲間、ジャスパーとホーレスにも目配りをする。流石ディズニー、友情の大切さを語る事もお忘れではない。

 

「これ、どうやって風呂敷を畳むつもりなんやろう。」

そう思っていたので。あそこが最終決戦の場になった事は納得。けれど「その細工は無理があり過ぎる」「超人か」「ご都合主義」と冷ややかな当方。

 

結局は。そもそもの『101匹わんちゃん』に対しての記憶があやふやな事が最大の乗り切れなかった理由だったのだろうと思う当方。実も蓋もないですが。なぜなら。

「どうして後のクルエラが、犬の毛皮でコートを作ろうとするのか」

今回の作品を経て、エステラからクルエラとなった彼女の行動にイマイチ整合性が見当たらない。改めて1961年製作の映画を観てみたらしっくりくるんですかね。

 

確かにディズニー作品としては攻めていた映画。動き回るエマ・ストーンを観ているだけで元気が出る。勢いがある…お話は想像していたよりバタ臭かったけれど。

 

「もういっそ、この世界観で『101匹わんちゃん』を作ってくれ。」

滅多に続編を希望しない当方ですが。これに関しては説明責任を問いたい。あの話をクルエラ側から描いたら…どう整合性を保つのか。非常に興味深いです。