ワタナベ星人の独語時間

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映画部活動報告「トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」

トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」観ました。
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東京都豊島区にあった、伝説のアパート『トキワ荘』。漫画の神様こと手塚治虫を始め。名だたる漫画家たちを輩出した。

1950年代。若き漫画家たちが集まり、共に暮らした日々。誰もが貧しく食べるのにも事欠いた。けれど皆、漫画への情熱は決して絶やさなかった。

 

1996年公開。市川準監督作品。

トキワ荘の静かな兄貴、寺田ヒロオ本木雅弘が好演。藤本弘藤子・F・不二雄)を阿部サダヲ我孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)を鈴木卓爾石ノ森章太郎をさとうこうじ。赤塚不二夫を大森嘉之。森安直哉を古田新太鈴木伸一生瀬勝久が演じた。

 

おそらくは昨今のコロナ事情で、劇場公開作品に少し違う流れが目立ち始めた。それは旧作と呼ばれる作品たちが映画館で再上映される機会が増えたこと。(これまでも皆無ではなかったけれど。)

「どうにかしたら家のテレビでも見れるじゃないか」

けれど。そうやって「いつでも見られる作品」をどれだけ見逃してきたか。

色んな考え方の人や生活背景がある。忙しい日常の隙間で、自宅のテレビで色んな映画が観られたらどれだけ心が潤うか。そういった人たちも居るし何一つ否定はしませんが…当方は『観られるのならばスクリーンで映画を観たい派』の人間なので。映画館で短期上映期間中に観に行ってきました。

 

トキワ荘』という、そうそうたるメンツの漫画家を輩出したアパートが東京に存在した事は、流石の当方もうっすら知ってはいましたが。

手塚治虫藤子不二雄石ノ森章太郎。そして赤塚不二夫トキワ荘に住んではいなかったものの、つのだじろう(翁華栄)まで交友があっただと⁈」

日本で漫画家を志した人ならば足を向けては眠れない(当方は漫画家志望であったことはありませんが)まさに聖地。

 

手塚治虫は既に相当な売れっ子で、物語の初めにはトキワ荘を出ていった。

手塚治虫に憧れて上京した藤本・安孫子青年が藤子不二雄として大成していく様や、一気に人気漫画家に上り詰めた石ノ森章太郎という華やかな成功ストーリー。

けれど。住人の皆が皆華やかな階段を上った訳では無い。田舎に帰った者、他の道を選んだ者…そして己の書きたい作品を大切にしたくて筆を置いた者。

世間に認められて売れっ子になっていく様は観ていて楽しいけれど、そのすぐそばには芽が出なくてくすぶっている仲間が居る。

 

トキワ荘の住人は揃って『漫画少年』の投稿仲間。住人とつのだ8人で『新漫画党』を結成し、漫画の未来について喧々諤々語りあった。そんな日があった。

「大先生」だと。蝶よ花よと大切にされる者も居れば、「言いたかないけれど田舎に帰っては」と厳しい言葉を掛けられた者も居た。

けれどその『漫画少年』だって、子供っぽいと世の少年たちから切り捨てられた。出版会社、学習社の倒産。

漫画は子供のもの。けれど彼らの評価はシビアで一切の甘さも感傷もない。面白くなければ終わり。

出版会社の倒産も相まって、各々の進む道が変化してく様が切ない。誰もが漫画家として大成する事を夢見て切磋琢磨していたけれど。それが「皆で一緒に」とはいかない残酷さよ。

 

この作品が、淡々としているようでグッと引き締まっているのは、やはり主人公を本木雅弘演じる寺田ヒロオに据えている所だと思う当方。彼こそが…いわゆる「大成しなかった漫画家」なので。

デジタルリマスター版、今回上映前に本木雅弘氏のコメンタリーが流れたのですが。

「1995年という阪神大震災を始めとした有事があった年に製作されたこと。こういった作品が求めらた時代であったこと。そして25年経った今、また大変な時代にこの作品が再上映されるに至った感慨。」「今でこそ有名な俳優さんたちだが、当時は皆小劇団や自主映画で活躍されていて映画には慣れていなかった。けれどいざ演技となると圧倒的な勢いにたじたじだった。」「皆の兄貴的存在である、テラさんとしての受けの演技がもっと出来ていたら…」といった内容のお話をされていました(かなり当方の意訳が入っています)。

「そりゃあ、25年の月日で様々な経験を重ねておられるんだから…そうやって駄目だししする部分もあるんでしょうが。十分にテラさんの哀愁、感じましたけれどねえ。」鑑賞後、しみじみ「トキワ荘にテラさんありき」を噛みしめた当方。

 

そして。唸るしかない俳優陣。25年前、笑ってしまう位に若い。けれど今となっては有名な俳優ばかり。いやあこれ、トキワ荘の若き漫画家たちの活躍とリンクする。

 

当方的に、後半一気に話の展開を盛り上げたのは赤塚不二夫石ノ森章太郎のアシスタント的な活動がほとんどで、自作の漫画を持ち込んでも「(一言で言えば)暗い」と突き返される日々。それこそ「田舎に帰れ」とまで言われ…とことん追いつめられる。

「あぶねえええ~」天下の赤塚先生が生まれない世界線なんて。天才バカボンもおそ松くんもひみつのアッコちゃんも生まれないなんて。(下手したらタモリすらも…)

 

「でも。そうやって消えていった天才は幾らでも居たんやろう…。」

人気漫画雑誌があって。そこに載るのも売れるのも一握り。しかも何かをすれば確実に売れるなんて保障もない。才能。構成。テンポ。画力。努力。気力…運。

1950年。この作品が公開された1996年。そして今。

紙媒体に留まらず、クリエイターたちが活躍する場は今やどこにでもある。けれどそれは果たして広がったと言えるのか。

 

「自分の漫画を届けたい。ワクワクしてページを読み進める手が止まらない。そんな漫画を描きたい。」

漫画に関わらず。誰かに何かを伝えたいのならばどんなに時代が進んでも、原点は同じ所にある気がする。伸ばすべきは小手先の技術じゃない。そう思った当方。

 

青春時代が夢なんて。後からほのぼの思うもの。青春時代の真ん中は 道に迷っているなかり。

 

武骨で。みっともなくて。真面目で必死に手を動かした。懐かしい…忘れてはいけない。一生懸命に好きな事に向き合うことと…それを共有できる仲間がいるのならば大切にしなければいけないこと。

いつまでも同じ時は続かない。辛かったけれど、後から思い返すとあれは青春だった。

 

想像以上の名作。映画館で鑑賞出来て本当に良かったです。(上映終了しましたが)