ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「はちどり」

「はちどり」観ました。
f:id:watanabeseijin:20200804080353j:image

1994年、韓国ソウル。14歳の少女ウニ。

餅屋を営む両親。兄と姉の5人家族。

女子校に通い。いつもつるんでいる他校の親友。淡くときめくボーイフレンド。

一見キラキラした毎日だけれど。

 

実は両親の見えない所で兄から暴力を受け。理不尽で歪な現実に折り合いを付けながら生きてきた。

 

キム・ボラ監督。自身の経験も反映させて作られたという今作。長編デビュー作でありながら非常に評価が高く。

昨今の事情に依って、なかなか満席続きで観られませんでしたが。ようやく鑑賞。そして当方がふと感じたこと。

 

「この気持ち。『1980アイコ十六歳』を読んだ時の感じに似ている」。

1981年に当時高校生で小説家デビューした、堀田あけみの『1980アイコ十六歳』。

(後1983年に『アイコ十六歳』今西まさよし監督で映画化。富田靖子のデビュー作になった)。

リアルタイムでは無いし、この小説を読んだのも随分昔。あらすじをかろうじて覚えている程度なのですが。

 

思春期の少女の日常が視点。恋人もいて友達にも恵まれて。一見充実した学生生活を送っているように見えるけれど。実は本人にとっては窮屈でやるせない出来事の連続。

小さないざこざ。気にくわない相手もいる。大切だと思っている人も…。けれどその価値観は小さな事でひっくり返される。そうやってわちゃわちゃ過ごしている毎日。

何故か永遠だと思っていた。なのに…ある日突然、毎日が続くことが当たり前ではないと気づかされる。そうして疾走するラスト。

 

うろ覚えなので、これ以上は書きませんが。『はちどり』を観ていて妙に思い出してしまった作品。

 

1994年の韓国で起きた事件『ソンス大橋崩落事件』。北朝鮮危機。その辺りの歴史にトンと疎い当方はこれらを絡めて語る事は出来ませんが。

同じ時代に同じ世代であった当方にとって、生まれて初めて「当たり前に同じ日々が続くわけではない」「人はある日突然命を奪われる」と実感したのは1995年、阪神淡路大震災だった。(以降も地下鉄サリン事件とかがあってなかなか物騒な年だった)。

 

「青春時代が夢なんて後からほのぼの思うもの」。先人の歌はよく言ったもの。

モテるわけでない。華々しい中学生生活を送るわけでない。といっても自ら積極的に何かに取り組んでいたわけでもない。なのに自分には人により特化した何かがあるのではないかとうぬぼれ。それを突然誰かが見つけてくれないかと棚ぼたを待っていた、そんな中学生時代。

今から思えば、中学校だって高校だって、たった三年間しかないのに。何故かその渦中に於いてはその三年間が永遠に続くのではないかと思い、うんざりしていた。

 

14歳のウニ。餅屋を営む両親はいつだって忙しく、子供たちに構う暇がない。兄はソウル大学を目指して勉強に励む日々で苛々しており、その苛立ちをウニにぶつけてくる。

姉は高校受験に失敗した引け目もあってか、卑屈で投げやりで、両親の目を盗んでは彼氏と遊びに出かけていている。

そんな家族に孤独やすれ違う気持ちも過るが、ウニはウニで初々しいボーイフレンドとの逢瀬に夢中。誰かに好かれ、好きだと思うのは嬉しい。二人で初めての事をするのはワクワクする。

 

ウニを演じた、パク・ジフが…瑞々しいと言えばそうなんですが…なんだかその一言で片付けるのは安っぽい。兎に角「ウニそのものだった。」としか言えなかった。

ボーイフレンドと下校デートでは初々しいキュートさを見せ。なのに親友とクラブに行ってみたり悪い事をするときのはすっぱな態度。可愛く見えたり憎たらしく見えたり。かと思えばどこかに吸い込まれそうな儚い表情をする。

 

一見上手くいっているようでウニの毎日は不安定。

ボーイフレンドとの仲に暗雲が立ち込め出した。兄はちょっとしたことで殴ってくるし、両親はその事を言おうにも取り合ってくれない。耳の後ろのしこりも気になるし、親友との関係もおかしくなり始めた。

どこに突破口があるのか。自分を慕ってくれる後輩に良い顔をしてみたけれど。それもお互いの感情にずれがある。挙句見限られた。

 

「ウニって時々、とっても自分勝手」(言い回しうろ覚え)。

親友の許せない裏切り。後から仲直りしたけれど、その親友がウニに行った言葉。

(…「アンタ達も大概勝手やけれどなあ。」呟く当方)。

 

どこにも居場所が無くて。この行き場のない気持ちをどうしたらいいのか。そんな時に出会った漢詩塾の講師。ソウル大学の生徒で年上の女性ヨンジに救われる。

 

羨ましい。こういう迷える子羊時代に、年上の話を聞いてくれる人物が現れるなんて。

飄々としていて、けれどウニの気持ちをきちんと聞いてくれて、真摯に答えてくれる。

けれど。物語的に、こういった人物の運命は大体然るべき所に収まってしまう。

 

1994年と現在の韓国。一体どういう世代交代をして、家族形態が今はどうなっているのか。知る由も無いのでアレですが。作品を観る限り「随分家長制度が生きていたんだな」。と感じた当方。

一家の中で父親が一番偉く、次いで長男。女たちは発言を抑え、男たちに殴られる事は当たり前にあった。

 

とはいえ、父も兄も決してどうしようもない暴君では無い。そう思う当方。

耳裏のしこりでウニが手術を受ける事になった時、心配で大声を上げて泣いた父親(唾石…ですか?そして頭頸部の手術ってああいう事は必ず言うんですよ)。橋の崩落事故を聴いて泣いた兄。勿論彼らも血の通った人間で、決して家族の女たちを馬鹿にしている訳では無い。彼らなりに愛している。けれど。

 

「ねえ。誰かに殴られたら黙っていてはダメ」。

 

ヨンジがウニの手を取って伝えた言葉。親だから。兄だから。家族だから。

誰からであろうと、理不尽に殴られていいわけが無い。いい加減に扱われていいわけじゃない。おかしいと思った事を貯めこまないで。自分を大切にして。

(余談ですが、あの耳鼻科の町医者にもグッときた当方。あの人は誠実で偉いよ…。)

 

そういうメッセージをくれた人を、最も理不尽な現実が奪い去ってしまう。

 

何でもないような毎日が、ある日突然奪われる。

何故かその感情を当方も知っている。だからこそ、一日一日を悔いることなく生きなければいけないと初めて思った。同じ日は二度と来ない。

 

はちどり=ハミングバード。メキシコでは霊力のある鳥で、愛を受けるとされた。

一旦は傷ついただろうけれど。世界を見る目の変わったウニは、広い世界へ飛び立っているのだろう。かつて貰った暖かい言葉は、今は掛ける側にいるのだろう。

場所は違うけれど。時間だけは同じだけ経た当方は、現在ウニはそういう女性になっているのだろうと、そう思っています。