ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「復活の日」

復活の日」観ました。
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「1982年秋、世界は死滅した。南極大陸に863名を残して。」

「どんな事にだって終わりはある。どんな終わり方をするかだ。」

「愛は人類を救えるか。」

 

1980年公開。原作小松左京。制作角川春樹。監督深作欣二。撮影木村大作。主演草刈正雄

 

2020年が開けて直ぐから。ひたひたとその存在は近づいて…あっと言う間に爆発。我々から日常を奪い去った。新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の蔓延で全国に発令された緊急事態宣言。約2か月の自粛生活を経て解除。

遂にその日がやって来た。

「いよいよ映画館が再開する。」

前日朝から当日朝までの泊まり勤務だった当方。思いがけない激務でどこまでも終わりが見えず…やっとひと段落ついたのは、日にちも変わった丑三つ時。けれど休憩室で「どの映画館で何の映画を観ようか」と調べる幸せ。そして見つけた、あまりにも「分かっていらっさる」という今作品。

大して眠れなかったけれど。勤務終了後職場から飛び出して映画館に向かう足取りの弾むこと弾むこと。そしていざ、映画館のロビーを歩いている時…ふいに泣きそうになった当方。

 

1982年。某国の生物兵器MM-88ウイルス。秘密裏に開発されていた、本来はほぼ無害であったはずのウイルスはとんでもないモンスターへと進化してしまった。「人類を初めとする、脊椎動物は罹患すれば確実に死に至る。」

恐れた研究者は、ワクチンを作る目的でCIAへサンプルを渡したはずだったのに…手渡した相手はまさかのマフィア。しかも彼らもまた、ウイルスを空輸する途中に墜落事故を起こしてしまう。

MM-88ウイルスの特性。それは「極低温下では活動を休止する」。

モンスターウイルスの誤った譲渡と事故が起きたのが冬。そこから雪解け、春を迎え…活性化したウイルスは『イタリア風邪』として感染爆発し一気呵成に世界中へ蔓延。次々と都市は病に依って破壊され、遂に人類は死滅した。極寒地域、南極に住む各国基地の越冬隊員863名を残して。

 

一説には25億円の製作費がつぎ込まれたという…40年前の日本映画って、こんなにもお金が使えたのか…。

撮影地は、日本は勿論、世界各国や世界遺産、果ては南極まで。セットもホワイトハウス昭和基地、果ては本物の潜水艦も出てくるなど、兎に角豪華。

そして「この映画は一体どの人たちに向けて作られたんだ?」という多民族ユニット。『南極に残された各国の越冬隊』という設定故か、日本人だけではなく、アメリカ、ソ連ノルウェイ等々の国際色豊かな俳優陣。依って、日本映画なのにほぼ全編英語で字幕付き。

けれど、英会話スキル皆無の当方ですら「この英語はあまりにもたどたどしすぎる」と思ったりもした…例えば『アメリカ少年との一歩的無線会話シーン』など、英語圏の人たちにはこの作品はどう受け止められたのだろうかと、余計な心配までしてしまいましたが。

 

つまらない揚げ足取りは置いておいて。

主人公は地震予知学者である吉住という男性なのですが。彼を演じた草刈正雄がもう…男前という言葉を凌駕している。

当方の知る草刈正雄は、かつてのテレビドラマ『イグアナの娘』(お手元のデバイスで検索して下さい)の父親を初めとした、上品でどこか頼りないお父さん、総じてナイスミドルという印象があったのですが。

夏木勲、渡瀬恒彦という濃すぎる面々と共に、むせかえるほどこってりとした昭和基地隊員を熱演。南極の猛吹雪の中オレンジの上着一つ羽織っただけで飛び出す無鉄砲さ。アメリカ隊少佐との雪目になりそうな快晴の中での若々しいじゃれ合いや、終盤の「海に飛び込んででかい魚を手づかみにして、地面にたたきつけて仕留める」など、『レヴェナント』の時のディカプリオを彷彿とさせるワイルドさなど「こんな泥臭い正雄観た事無いよ!」の連発。正雄から目が離せない当方…恋?恋ですか?

 

この作品は大きく分けると『ウイルスの紹介~世界的感染爆発~世界が終わるまで』『南極政府の発足と運営』『南極政府の危機と二回目の死滅~復活の日』の3部で構成されていると当方は思ったのですが。

 

今年我々が体験した『コロナ禍』。MM-88ウイルスが感染拡大していく序盤の展開は思い当たる出来事も多くて、そこが「これは40年前の作品なのにまるで予言したようだ」と言われる所以。

ウイルスが原因で引き起こされる肺炎。初期症状はただの風邪で、けれどまだワクチンも開発されておらず、どういった経過をたどるのかが不透明。不安は人間を恐怖に陥れる…この作品で設定されたMM-88ウイルスは凶悪な為、人々は恐怖や不安ではなく感染症で殺されていってましたが。

 

吉住の恋人(または妻)、則子。

昭和基地に向かう前。「子供が出来たの。」「嘘よ。子供なんて出来てない。言ってみただけ。」「ねえ。私たち、別れましょう。」

丸顔でちょっとむっちり。目力の強い多岐川裕美の可愛い事。けれど彼女が演じる則子はひたすら辛気臭く「私と仕事どっちが大切なの。」「私が子供が出来たって言っても、あなたは南極に行くんでしょう?」「もう別れましょう。終わりにした方がいいわ。」と一方的に圧力をかけてくる。

「うぜええええええええ。」叫ぶ当方。なんで仕事と恋人が天秤に掛かるんだ。別に一生南極に居るという訳でもあるまいし。こういう事言う恋人、嫌いやわあ。

結局きちんと話し合えず。南極と日本に分かれてしまった恋人たち。

則子の職業は看護師。ウイルスが蔓延した事で医療現場は多忙を極め。実は本当に宿していた吉住の子供を流産してしまう。

患者が押し寄せ。ワクチンもなく、そして自らも感染し倒れていく医療従事者たち。ある医者(緒形拳)は「どんな事にも終わりはある。どんな終わり方をするかだ。」と言って倒れる。

(ですがねえ。則子の最終判断は「イカれている」と思う当方。後ねえ、汚れた白衣は着替えな!病院から出る時は私服!以上!)

 

南極政府が成立。そこでのルール決め。『明らかに男女比がおかしい(863名中女性は一桁)基地に於いて、女性は子供を産む存在として多夫一妻制で頑張ってくれ(当方の意訳)』というやり取りや、世界が滅びた時にたまたま隔離状態で運行していた潜水艇の面々の合流など、若干中だるみが出てくる中盤以降。

「これ。どうやって終わらせるつもりなんやろう?」と思っていたら。まさかの『吉住が地震予知学者』という設定が生きてくる。

 

「近日中にワシントンDC付近で巨大地震が発生する。」「なんと。そんな大きな振動を察知したら、核攻撃と誤認して自動報復装置が作動してICBMソ連に向けて発射されるぞ。」「ソ連だって同じだ。攻撃されたら攻撃し返すように設定されている。」「どこに?」「互いの南極基地だって、照準に入っている。」

吉住の地震予知発表を受け、南極政府、動揺。

「俺ならワシントンDCにある装置の扱いが分かる。」とアメリカ行きを志願したカーター少佐(ボー・スヴェンソン)。彼に食らいついて一緒にアメリカまでついて行った吉住。

そして世界は。

 

がっつり先述してしまいましたが。流れを全部書くのもあれなんで…どういう顛末を迎えたのかはふんわり煙に巻いてフェイドアウトしようかと思いますが。

 

「なあYOSHZUMI。life is wonderfulは日本語でどういう意味だ?」

エマージェンシー真っただ中。カーター少佐が吉住に聞いた言葉。…「えっ。『人生は上々だ』ですか?…って1990年代後半のテレビドラマやウッチャンナンチャンのバラエティー番組『気分は上々』が浮かんできたけれど」という当方の茶々はさておいて「人生は、素晴らしい」。と答えた吉住。

 

ウイルスに依って破壊された世界。そこでやっと残されていた一部の人類も再び破滅した。

誰も救えなかった。もうこの世界には誰も居ない。そう思うのに、無意識に求める人間のぬくもり。それを求めてひたすら漂う吉住。

そして彼が最後に見たものとは。

 

緊急事態宣言解除。映画部活動再開の第一作として申し分無かった今作。

 

「密閉空間に人が集まってさあ。」以前映画館について誰かに言われた言葉。確かに映画館は一つの空間で映画の世界を共有する。けれど決して密閉はされていない。

昔からやや利かせすぎな位空調を入れていたし(ブランケットは貸出停止していた)、今回では上映中の部屋のドアを開けている姿を見かけた。

入口での非接触検温。アルコール。マスク着用。そして数席空けての着席。

緊急事態宣言が解除されたからと言って完全終息では無いのは承知。けれどそれでも映画を観に行きたい。そして映画館にも映画好きにも迷惑を掛けたくない。

今やっている事は果たして正解なのか分からないけれど、これが『映画館が考える感染対策』ならば大人しく従う。これくらい容易いものやし。

 

おそらく以前と全く同じには戻れない。けれど、より安全に気兼ねなく映画を楽しむために客として出来る事。それは流動的で、結論には時間が掛かるだろうけれど。映画館で映画を観る事が好きなんで。どこまでも付き合っていく所存です。

 

復活の日』から。「どんな事にだって終わりはある。どんな終わり方をするかだ。」