ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「レ・ミゼラブル」

レ・ミゼラブル」観ました。
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「悪い草も悪い人も居ない 育てる者が悪いのだ」

ヴィクトル・ユゴーレ・ミゼラブル

 

フランス。レ・ミゼラブルの舞台となった、パリ郊外の都市モンフェルメイユ。しかし現代では移民や低所得者が多く住む危険な犯罪多発地域と化していた。

モンフェルメイユにある警察署。地方から犯罪防止班に配属されたステファンは、同じ班の同僚、クリスとグワダの二人と共にパトロールに繰り出す。

オリエンテーションさながらの紹介を受けて。ステファンは、この町には複数のグループが存在しており、それらが一触即発の雰囲気である事を悟る。

ある日。イッサという少年が起こしたいたずら心から、大きな騒動へ発展。遂には取り返しのつかないうねりへと広がっていく…。

 

同町で生まれ育ち、現在もそこで暮らすラジ・リ監督。

長年Webドキュメンタリーを手掛け、2006年にはストリート・アーティストJRと共同でプロジェクトを発表。世界中から注目され、活躍の場が広がっていると(劇場チラシから引用)。

今作品は第72回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。第92回米アカデミー賞国際長編映画賞にも選ばれた。

 

レ・ミゼラブル』映画作品も鑑賞しましたし、一応はどういう話か知ってはいる当方。(滅茶苦茶詳しい方がごまんと居られるので…迂闊な説明は致しませんよ。)

「ああ。こういう地域になっているのか。」

犯罪多発地域。アフリカ系移民が多く、言葉に出さなくともやはり「黒人である」「白人である」「余所者が」という意識が互いに存在する。表向きは一市民を装いながら、あわよくば町を牛耳ろうとするきな臭い幾つかのグループの存在。子供たちはたむろって、よからぬ話で盛り上がる。

つまりは、総じて治安が悪い。

 

「でもなあ。これ、警察官ステファンの視点やから。」

 

この作品の巧妙だなあと当方が思う所。それは「どの立場の人間にも、正義だと信じて曲げない主張がある。」ということと「相手の主張をゆっくり聞こうとは思っていない。」ということ。そして「誰しもが決して清廉潔白ではない。」こと。

「俺がやっていることは正しい事だ。」町の皆の為にやっているんだ、どの立場の人間も己のスタイルを正当化しているけれど。どれもが危うく嘘くさい。

平和な時は嘘笑いで取り繕って、互いに牽制し合うけれど。いつ化けの皮が剥がれるか分かったものではない。結局は周りをぶちのめしてこの町を牛耳りたい。俺が正義だ。

 

犯罪防止班の同僚クリス。いかつい黒人が多い地域で、舐められない様に虚勢を張って威張り散らす。いかにも「弱い犬はよく吠える」白人警官。

「夜勤のグループは武装しなければパトロール出来ないんだぞ(言い回しうろ覚え)。」確かに住民に対して恐怖や怒りがあるだろう。この町を守らないといけないという任務と、では誰からかというとこの町の住民であるという腹立たしさ。

~という部分もあるんでしょうが。とりあえずこの作品に於いてのクリスは概ねクズ。

警察官である事を盾に、半ば八つ当たり的に市民に接し。子供たちを追い回し。挙句都合が悪くなれば自身の保身に走り、職業倫理や優先順位を吹っ飛ばす。

 

「市長」と呼ばれるご意見番。色んな情報に通じていて…結局は地元ギャングを取り仕切るゴロツキ。

 

ケバブ店店主は元大物ギャング。刑務所から出た後はケバブ店を営みながら、主に子供たち相手に『モスク』を開き、信仰を説いている。(勧誘の仕方が怖い)

 

丁丁発止の三つ巴。そんなヒリツいた中で起きた『ライオンの子誘拐事件』。

移動サーカスのライオンの子が突然居なくなった。「子供が盗んだんだろう!」怒り心頭で市長の所に怒鳴り込み。大喧嘩に発展していた所に遭遇した犯罪防止班。

町中を捜索する中。確かに町の子供イッサの仕業である事が判明。子供たちと遊んでいたイッサを探し出し、追いかけまわしている内に重大な失態を犯してしまう。

 

…ここから負の連鎖、怒涛のドミノ倒しが始まるのですが…順を追ってネタバレする訳にはいかないので、ふんわりしながら風呂敷を閉じていく感じにしていきますが。

 

『昨日今日この町に来たばかりの新任刑事ステファン。』この町に対して、一番まっさらな視点を持つ彼から見て話が進むから、まだ観ている側の正義が固定される。

 

とんでもない事態が起きた。その時人はどう動くのか。

守るべきものが市民の命ではなく、己の保身になってしまった警察官。これを機に恩を売っておこうとするゴロツキたち。迷える聖職者。

 

「ところで…ライオンの子はどうなったの?」

まあ。非常にあっさりと解決していましたが。一つの事にあんなに私利私欲が渦巻いてみっともなかった大人たちと比べたら、あのサーカス団がイッサに下したお仕置きの方がよっぽど妥当であったと思う当方。

「悪い事をしたら怒られる。もうするな。」それで充分分かるじゃないか。

(はっきり言って。イッサがやった事はいたずらでは済まないし、子供たちだって大概やったと当方は思います。だからって大人たちのあの仕打ちは無いけれど。)

 

「大人の姿って、子供はよく見ているもんよな。」

大人は卑怯だ。そう判断した子供たちが下した判断と行動。なんていう目をするんだ。

 

けれど。大人たちにも事情がある。誰もが皆芯から悪者じゃない…いっそ完全無欠の悪者であれば嫌いになれるのに。

憎たらしい警官クリスも、自宅に帰れば二人の娘を持つ父親。ゴロツキの市長だって、精神疾患?を持つ息子を大切にしている。誰もが誰かを愛し誰かに愛されている存在でもある。

ああいう行動を取ってしまったグワダの「ああもう。どうにでもなれ。」「お前のせいだよ。」という何もかもぶち壊したくなる衝動も、正直共感出来る。やったら終わりだけれど。

二人の同僚を揺るぎ無い正義感で断罪したステファン。けれど個人の持つ正義で人は動かない。正義とは個人の背景でいくらでも変わる。

 

けれど子供は?

大人なら。例え一触即発の関係であってもどこかで折り合いを付けながら、最後の最後まで破たんを避けようとする。「アイツにはああいう事情があるからな。」

真っすぐに敵と味方の線引きを引いた。白黒を付けてしまった子供たちの怒涛の流れ。

その行動に容赦が無くて。ひたすら眉をしかめ、険しい表情を崩せなかった当方。

「暴力を受けた怒りを暴力で返しては、何も解決出来ない。」

 

レ・ミゼラブル。』フランスのモンフェルメイユ。かつてヴィクトル・ユゴーはこの町を舞台に、理不尽な時代を生きた人たちを描いた。彼らの思いは怒涛のうねりとなり、暴動を起こしたけれど…果たしてそれでどれだけの人が幸せになったというのか。

同じ題名を付けて描かれたこの作品が訴えたこと。フランスの地方都市が抱える社会問題。暮らす人たちの鬱屈した思い。ふとしたきっかけで爆発してしまいかねない負の感情。負の連鎖。

けれど。怒りの流れを止められるものとは。

少なくとも暴力では無い。

 

ステファンが同僚二人を断じた正義。ならば最後に彼は然るべき行動を取ったのだと、そう祈ってやまない当方。

 

「悪い草も悪い人も居ない 育てる者が悪いのだ」