ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」観ました。
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タランティーノ作品第9本目は1969年のハリウッドが舞台。主演はレオナルド・ディカプリオブラッド・ピット。」

 

何とも贅沢な。何故だか反町隆史竹野内豊の共演していた1997年のヒットドラマ『ビーチ・ボーイズ』を連想してしまった当方。

「当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったイケメンツートップが夢の共演!」この文言。

 

デカプーとブラピも1990年代、きゃあきゃあ言われていた二大イケメン俳優。

天使みたいな美青年だったデカプー。ビジュアル先行過ぎた20代…と比べると、今のデカプーの方がよっぽど『レオ様』と呼べると思う当方。

実際の所は知らないけれど。何故か包容力のある、余裕のあるキャラクターを演じることが多かった様な気がするブラピ。

 

イケイケだった20~30代当時じゃなくて。40~50代になった今、この二人が共演した事が嬉しい。しかも監督がクエンティン・タランティーノ

 

タランティーノ作品を当方は『俺の好きなものばっかり詰めた幕の内弁当』と思っていて。しかもボリューミーなやつ。

黒沢清。ギレルモ・デルトロ。タランティーノ。当方の思いつく、男子大好き監督。

お化け。怪獣。西部劇。ロボット。アクション。アニメ。エトセトラ、エトセトラ。そういった男子が手放しに大好きなテーマで、己の知識を詰め込みまくって披露。言うならばオタク映画。

唐揚げ。ハンバーグ。ウインナー。ポテト。偏りに偏った、男子大好き高カロリー弁当。でも出す回数を重ねるにつれて、次第に野菜も入ってくる。凝った味の煮物が添えられ始める。そうやって段々クオリティーが上がっていく。

「そう思うと。今回のタランティーノ弁当は非常に万人受けする味に仕上がっていました。」

 

1969年。テレビ俳優のリック・ダルトンレオナルド・ディカプリオ)。映画界へ転身したがそこは茨の道。テレビではかつて名をはせた西部劇の世界でも、悪役しか回ってこない。

リックの付き人兼スタントマンのクリフ・ブース(ブラット・ピット)。リックの仕事が減っている=クリフは輪をかけて仕事が無い。スタントの仕事をしたいけれど、今の仕事はリックの運転手と雑用係。

「俺の時代は終わった。」落ち目だと焦り、精神的にも情緒不安定。そんなリックを慰め、飄々とした態度を崩さないクリフ。

という架空のバディモノに、現実の事件を絡めてくる。悲劇の女優、シャロン・テートマーゴット・ロビー)。

 

1969年8月9日。チャールズ・マンソン率いるカルト集団『マンソンファミリー』から信者数名がハリウッドにあったロマン・ポランスキー監督宅を襲撃。当時26歳だった妻のシャロン・テートも殺害された。

女優。まさにこれから活躍するであろうと期待されていたシャロン・テート。しかも殺害当時妊娠8か月だった。

血も涙もない。襲撃と殺害を示唆したチャールズ・マンソンと実行部隊の不気味な繋がり…興味深い事件で、この題材をぶっこんできた事からも注目していた今作品。

 

「古き良きアメリカ映画への愛は十分に伝わったけれどさあ。長くない?」

映画部長からのメール。まったくねえ。その通りですよ。そう思いましたよ。

 

前々から思っていた。「タランティーノって西部劇メッチャ好きなんやな。」

全編から漂う西部劇作品へのリスペクト感。そして「デカプーってこんな演技ができるんやな。」「思えば遠くに来たもんだ。」という胸熱。(正直若い時のデカプーはビジュアル重視過ぎて演技の引き出しが無いと思っていたので)

テレビで名を馳せていた時。俺は主人公だった。保安官。一人狼な正義の味方。なのに今俺は主人公にやられる悪役。ボスキャラだ。

世代交代の激しい業界で。最早自分の時代は終わったのでは無いかと焦り、居場所を見つけようと足掻くリック。

若い俳優との撮影シーン。「畜生!セリフが飛んだ!」「昨日酒を飲み過ぎたからだ!バカ!俺のバカ!」上手くできない苛立ちを、一人控室(車)で爆発させるリック。けれど立て直し…「私が今まで生きてきた中で一番良い演技だったわ(言い回しうろ覚え)。」と子役に耳元で囁かれる。当方が今作品で一番好きだったシーン。

 

そうやってジタバタ足掻く俳優リックとは裏腹に。ゆったりとした時間軸だったクリフの世界。

スタントマン。かつてブルース・リーとやりあった事もあった。けれど今は仕事が無くてぶらぶらしている。

LAの喧騒の中を。牧場のある郊外を。日光に眩しいと目をひそめながらアメ車を流すクリフ。「贅沢やなあ~。」この画は延々観られる。(後、屋根の修理なのに何故か上半身裸になる、という女性の為の?ファンサービスもあった)けれど。

 

浮ついたLAのあちこちで存在したマンソンファミリー。一見はやりのヒッピー風の若い女子とふとした事で知り合い、話の流れで彼らのアジトのある北にある牧場へと向かうクリフ。

かつて世話になった映画関係者に会いたくて向かった先。なのにその牧場はかつての様相とは違う。物々しい雰囲気。確かにそこに彼は居たけれど。彼を取り巻く連中が何だか気持ち悪い。

一触即発。緊張感マックスだったシーン。

 

シャロン・テートに関しては「でも彼女は殺されてしまうんよなあ~。」と思いながら観ていたので。自分が出演した作品を映画館でワクワクしながら観ている彼女(お行儀悪し)に切ない気持ちで一杯になりましたが。

 

ラスト13分。1969年8月9日夜に起きた事。マンソンファミリーが向かったポランスキー邸。けれどその隣家に住んでいたのがリック。そしてその夜はリックとクリフのお別れ会の日だった。

 

「結局タランティーノの大好きな残虐シーンで纏めるのかと。」映画部長のメール。

あららら~。そう当方も思いましたし「まさかのここで史実を変更⁈」。

正直マンソンファミリー実行部隊が何だか…間抜け。急に『ホーム・アローン』の泥棒との攻防みたいになってる。急にコメディへ全振り。

 

1960年代のタランティーノ少年。映画。そして家族でテレビにかじりついた人気番組。その思い出を存分に詰め込んだノスタルジック幕の内弁当映画。

兎に角ボリュームがあって、オカズが多い。けれどその時代を実際に体験した人や好きな人には堪らない。食べながらずっと語れる。いつまでも。

けれど。現実の1960年代アメリカエンターテイメント業界は夢ばかりでは無い。西部劇自体が衰退していくし、映画界では凄惨な事件が起きた。けれど…そんなの認めない。

『俺の好きなものだけ』を詰め込んだ弁当。苦くて食べられないものは排除、または味付けを変えてやる。

 

タイトルの通り。「昔々ハリウッドではな…。」とタランティーノは弁当片手に語り始めるけれど。それは虚実混ざった…優しい着地で閉じるおとぎ話だったと。

 

そんなタランティーノ幕の内弁当を。目を白黒させながら食べきって。お腹がはち切れそうな状態で動けない当方。

とりあえず「ご馳走様でした。」と手を合わせ。

消化しきれず。倒れこむ次第です。
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