ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「トイ・ストーリー4」

トイ・ストーリー4」観ました。
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「あなたはまだー本当の『トイ・ストーリー』を知らない。」

 

1995年トイ・ストーリー公開に始まり。1999年トイ・ストーリー2、2010年トイ・ストーリー3公開。伝説の三部作。

アンディ少年が大人になるまで。『実は人間の見えない所では動けるけるオモチャたち』の物語。誰よりもアンディの寵愛を受けたカウボーイ人形ウッディを主人公に。スペースレンジャーのバズ等お馴染みの仲間達と共に駆け抜けた日々。けれど。

アンディが自立し実家を出るのをきっかけに、皆で新しい持ち主少女ボニーの元へと引き取られていった。

 

「1995年。約25年もの歴史を持つシリーズモノ…。」正直、当方は今作までの三部作を映画館で観た事はありませんでした。それどころか初代と2に至っては殆どうろ覚え程度。でしたが。

ある時。ふとテレビの何曜日かのロードショーで見た『トイ・ストーリー3』。その衝撃たるや。

テレビはながら見をしてしまう。しかもCMでバンバンぶった切ってくるし…とネガティブな印象しかなかったのに。それでもテレビの前から離れられず。案の定最後には号泣。

「こういう話やったのか。」さようならアンディ、と幕を下ろした…そう思っていたのに。

 

「続編?あれほど完璧に終わった作品が?!」となると観ないわけにはいかないと。公開初日に映画館にて鑑賞してきました。

 

今作については賛否両論。此処までバッサリ二手に分かれるんだなとも思いましたが…分からなくはない。

当方ですか?「オモチャたちの行く末をしっかり描き切った作品ではあるけれど、トイ・ストーリーのキャラクター達で再現しなくても…」という賛否どちらつかずの感想。というのはやはり、当方がこのシリーズに対してライトな層だから。けれど。痛いくらいにこの流れは理解できる。

 

トイ・ストーリー4に対し「こんなの無いって!」と憤っている人達。それはこれまでの三部作に思い入れが強く、そして『アンディとウッディ』の目線に居る人達。

沢山持っているオモチャの中で一番大好きなウッディ。他のオモチャが気になるときがあっても、ウッディは別枠。殿堂入りオモチャ。

そして。アンディからの特別扱いを意識しながらも、決して奢った態度を取らなかったウッディ。「俺たちはいつだってアンディの味方だ。」「俺たちがアンディの為に出来る事は~。」持ち主至上主義。そして仲間を大切に。それをモットーに、オモチャ仲間たちのリーダーとして皆を率いてきた。それがウッディ。

 

そんなウッディが。持ち主がボニーという少女に代わった事で寂れたオモチャになってしまう。

遊び相手に選ばれない。他のオモチャたちがボニーに選ばれていく中で、ぽつんと取り残されるウッディ。まずその描写が辛い。

「お前!アンディから譲り受けたんだろうが!ウッディを大切にしろよ!」

 

「でもなあ。アンディは少年やけれど。ボニーは女の子やし…カウボーイ人形って。」

 

持ち主から大切にされないなんて。そんなウッディ見たくない。寂しい。こんなはずじゃ無かった。トイ・ストーリーは子供に愛されている前提のオモチャたちの生き生きとした冒険物語じゃ無かったのか。

 

「じゃあ。新しい持ち主ボニーにもとびきり気に入られて。新天地で前より増えた仲間達とのすったもんだ。そういう新シリーズやったとしたら?どう思う?」意地悪な質問をする当方。「それはないって。」

 

俺たちは子供の為にある。いつだって友達。けれどウッディがそう思ったところで、どんな子供からも愛されるとは限らない。ましてやヴィンテージ人形。古臭いオモチャ。

 

しかも今、ボニーは先割れスプーンにアイスの棒やらをカスタムした自作のフィギア『フォーキー』が一番のお気にいり。喉から手が出る程の寵愛を受けているくせに「僕はオモチャじゃない。」「僕はごみだ。」とボニーから逃げ出そうとするフォーキーを追いかけまわし、ボニーの元に連れ戻そうとするウッディ。

ボニー一家が休日を利用して訪れた移動遊園地。そこへ向かう道中でもあわよくばと逃げ出したフォーキーを連れ戻す羽目になったウッディ。一晩掛けてなんとか仲良くなった二人の前に現れたアンティークショップ。

そこに居た、愛された事のないアンティーク人形ギャビー・ギャビーと不気味な仲間達。加えて個性的なオモチャたち。そしてかつての想い人ボー・ポープとの再会。

 

「貴方は一体、これから誰の為に生きていくの?」

 

役目を終えたオモチャは一体誰の為に生きていくのか。子供に寄り添っていたい。でも子供側が自分をもう求めていなかったら?

 

そこまで辛辣な問題をウッディに突きつけた事が余りにも辛くて。流石のライト層な当方も観ていて胸が痛かった。そしてその状況でも「あくまでも子供と仲間たちとの世界に居たい」とじたばたもがいている姿が輪を掛けて痛々しい。フォーキーをボニーの元に連れ戻す行動も『ただ自己満足の為に仲間を危険をさらす利己的な行為』となってしまう。何をしても空回り。もうウッディの時代が去っている。

 

かつてのシリーズで。ちらっとしか描かれなかった陶器の人形、ボー・ピープ。どうやらウッディとはほのかな恋仲だった彼女との再会。これが八方ふさがりだったウッディの突破口になる。

 

おしとやかだった印象を覆し。逞しく…逞しくならざるを得なかったボー・ピープ。「子供ってそういうものよ。」いつかはオモチャで遊ばなくなる。ずっと友達では居られない。持ち主が転々とし、件のアンティークショップで閉じ込められて過ごした日々。けれど彼女は変わった。「世界は広い。」「私は私の為に生きていく。」

(あのアンティークショップ。光が…美しかった。)

 

「そう。子供ってシビアな生き物なんよな。」

昨日まで大好きだったモノから興味を無くす。乱暴に扱う。大切にしていたモノをあっけなく無くす。忘れてしまう。

ボニーを勝手だなと憤れない。だって。覚えがある。当方も…子供の時大切にしていたオモチャたちがどうなったのかよく覚えていない。(多分、知り合いに貰われていった)

ウッディを観ていて胸が痛むのは…腹立たしいと感じるボニーがかつての当方に重なるから。どこまでも無意識。嘘が無く…残酷。

 

「でもね。子供ってそういうものよ。」

ごめんなさい。ごめんなさい。かつてのオモチャたちにそう言いたくなるけれど、もうどれだけの時が経っているというのか。いまさら胸を痛めても会う事すら出来ない。

 

これまで、あくまでも子供に寄り添う事を信条としてきたウッディの、最後の決断は確かに切ない…何だか見捨てられたようで。でも…先に勝手にお別れしたのは、果たしてどちらだったのか。苦しい。

 

こんな気持ちになるなんて。かつて愛されたオモチャは最後にどういう選択をするのか。秀逸なストーリー。

けれどもやはり「オモチャたちの行く末をしっかり描き切った作品ではあるけれど、トイ・ストーリーのキャラクター達で再現しなくても…」と賛否は決めかねる当方。

 

寂しくて。寂しいけれど。この選択は不可避。もしかするとどんなオモチャにも等しくこの時は訪れるのかもしれない。ならば応援するしかない。

ともあれ。ウッディが一人でない事に希望を抱きつつ。

もうこれ以上の続編は結構。限りなく美しい世界で仲間達と元気で居て欲しい。居るはず。彼等なら。

 

便りはもういりません。