ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「愛がなんだ」

「愛がなんだ」観ました。
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角田光代原作の同名小説の映画化。今泉力哉監督作品。

 

20代OLのテルコ(岸井ゆきの)と、出版社勤務のマモちゃん(成田凌)の付かず離れずの腐れ縁を中心に。

テルコの友達葉子(深川麻衣)と、微妙な関係性にあるナカハラ(若葉竜也)。そして物語の中盤以降に現れる、テルコのライバルすみれ(江口のりこ)。

五人の男女を巡る、どうにもこうにもままならない恋愛感情を巡る作品。123分。

 

これは是非とも当方の心の中に住む、あの昭和な二人に。闊達な意見交換をお願いしたいと思いますが。

 

昭:これは…分かるところもあるけれど…モヤモヤするし、苛々するし…心穏やかには観ていられなかったね。

和:『当方の心の中に住む男女キャラ、昭(あきら)と和(かず)』ったって。男女キャラの住み分けをしていると言っても!所詮元を正せば我々は『当方』の戯言なんでしょう?これ。今回は特にすっぱり男女に別れて「女ってさあ!」とか「男なんて!」という議論は交わせないよ。

昭:毎回何やかんやいちゃもんを付けながらの登場やな自分。落ち着いて大人しく役割を果たそうぜ。

和:いやいやいや。だってさあ!そもそもコレ、恋愛スペックがそこそこ無いと語れない話やん。『当方』に至っては最近「K・O・I?」って片言になってしまうレベルで誰かに思いを寄せる感情なんて分からなくなってるやん!

昭:だから落ち着きなって。別に「女ってさあ!」とか「男なんて!」なんて茶番はしなくていいの。ただ淡々と「恋してる時ってこうやなあ~」とか「恋してる奴ってこうやなあ~」とかを分かる範囲で語っていこうよ。

和:大丈夫なのか…何でそんな落ち着いた体で…(小声)。

 

昭:もともとの出会いは友達の結婚式の二次会。たいして仲が良い訳でも無い友達の人数合わせ。二人ともそんな参加状態だったから案の定浮いていて。そこで出会った。

和:テルコのマモちゃん初対面の印象。「手が綺麗だなと思った。」ってモノローグ。あのさあ。しょっぱなからぶち壊してアレやけれど、成田凌のスペックで容姿に注目がいかないってどういう事?途中マモちゃんがテルコに放った「俺ってさあ、特にカッコいいとかじゃないじゃん。」ってセリフも。いやいやいや~ってなったよ。

昭:マモちゃんのスペックが『中~中の下』位の世界線なんやって。混乱するなって。

和:それにしても、マモちゃんのテルコに対するあしらい方とか、醸し出す雰囲気が完全に『恋人会話力の高い人間』そのものやったよ。

昭:あれね。当方の言う「如何なる外国語会話力よりも『恋人会話力』を身に付けたい。」ってやつね。「そんなに親しくないはずなのに恋人に接するような話し方が自然に出来る奴。」これが出来る人間は男女問わずモテるんだな。

和:大体何⁈オムレツだかオムライスだかを作っている最中の『追いケチャップ』って。あれ、自分がされたら膝から崩れ落ちるからね。

昭:それこそ成田凌のアドリブらしいけど。いやちょっと待って。この手のこまごました事を拾っていったらこれ、半永久的に続ける事になってしまうで。

 

和:何となく気が合って。「付き合おう」って言われた訳じゃ無いけれど距離が近づいていく。20代の恋愛ってこういう感じかな?私たち良い感じじゃない?運命なんじゃない?そう思うけれど。なのにふとしたきっかけで「思い上がるな」と突き放される。

昭:テルコが…重たい…と言うか。パーソナルスペースってあるやん?一人で居たい時があるとか、そこには踏み込んで欲しくないとか。そういう触られたくない部分に無邪気に踏み込んでくるのがちょっと…。

和:はっきり「私はタナカマモルになりたい」って言ってたもんね。確かにこういう事を言う人って居る。けれど、あくまでも他人は他人でどこまで行っても相いれない部分はあるはずで。それは他人を受け入れる受け入れないとは違う。

昭:本当にテルコって『恋愛至上主義』なんやなあって思った。でも皆がそうじゃない。ましてや20代って社会人としては駆け出しもいい所やし。恋だって大切やけれどそれだけの奴って…結局仕事も手に就かなくて退職って。あのテルコの会社の後輩が言ってたみたいに、正直「馬鹿ですね」って思う。

いつの間にか自分の生活の中に相手がどっぷり浸かっていて、それが当たり前みたいに振舞われたらイラっとする。引き出しの中を勝手に整理されていたら確かにキレるな。

和:そういう盲目さって、一過性なら羨ましい気もするけれど。テルコは不安なんやろうな~と思った。マモちゃんが大好きで、一緒に居たら楽しい。でもどうしても完全には心が満たされない。それは自分がマモちゃんに向けている気持ちベクトルと、自分が受けているそれの強さが一緒では無いから。どうしたら私をずっと見てくれる?どうしたら?

昭:息苦しい。そういうの、逃げたくなるんよな~。

 

和:ちょっと違う話やけれど。源氏物語の漫画版『あさきゆめみし』で六条御息所が言ってたやん。「多く恋した方の負けなのです。」あれ、思い出したね。

昭:マモちゃんを想うテルコ。そしてテルコの友達葉子を想うナカハラ。

和:ナカハラ‼もうねえ~あいつにだけは幸せになって欲しい。

昭:いつからそういう関係なのかは知らないけれど。葉子に呼び出されたらいつでもどこでもはせ参じる。帰れと言われたら夜中でも帰る。完全に葉子のええ様に扱われている。でも二人の間には体の関係もある。何それ?なんて都合の良い…はたから見たらセフレ。

和:全てはナカハラの「葉子さんが好き」が原動力。不憫やけどなあ~「惚れたもんの負け」なんですわ。かと言って葉子に『ナカハラの気持ちをもてあそんでいる』という悪気は一切無い。

昭:ナカハラも言ってたけれど。確かに、言う事を聞いていた奴が我儘を言ってた側をどんどん肥大させるんやなと思った。行き過ぎた主従関係って結局、従側からしか断ち切れないんやなあと。

和:でもさあ。「好き」っていう感情は、突然無かったことには出来ないよ。

昭:それな。

 

和:もし自分が今している恋愛を第三者の視点で見たら。「やめときな。」「バカみたい。」そう言えるのに。実際そんな声が聞こえなくもないのに。なのに全然理性なんて効かない。好きだから。どうしようもない。好きで好きで好きで。どうしようもない。

昭:追ってくるテルコから若干引き気味だったマモちゃんが後半まさかの『恋する側』にシフトチェンジ。テルコのライバル、30台年上のサバサバした女性、すみれ参上。

和:また、すみれ=江口のりこというベストチョイス…唸る。そして片思いをするマモちゃんの姿。テルコとの既視感。同じ穴のムジナ。ちびくろサンボの最後にはバターになっちゃうグルグルが止まらんくなっちゃってんの。片思いの輪。

昭:正直すみれ側の年齢から見たら、マモちゃんとテルコは似た者同士やし、マモちゃんが腹を括りさえすれば二人は良いカップルになると思うんよな。まさか自分に恋愛感情が向けられているなんて思わないし、相手にしようとも思わない。だってマモちゃん子供やもん。

和:不毛~。

 

昭:この作品は本当に丁寧に作られていて。実はほとんどのエピソードに登場人物達が最後答えを出している。遊びが無い。そう思った。

和:例えば冒頭の「風邪ひいた奴に味噌煮込みうどん!しかも調子が悪いのにガサガサ部屋やら風呂やら掃除してくる。ああいう時って音や臭いが頭と体に響くのに!」って本人が回答を出してくる。とか?

昭:そういうのもやけれど…上手く言えるかな?自信が無いけれど。二人が出会って、盛り上がって、段々煮詰まって。二人だけの世界に居た時は、思った事とかがきちんと伝えきれて無かった。でも、距離を置いて時間を置いて人間関係も変化してみたら。前言えなかった事が言えたりする。その時何があかんかったのか、どう思っていたのかが今更伝えられる。

和:それは…「別れてもずっと友達よね。」とかが出来る人達に起きる現象なんやろうか。正直「別れた相手は死んだも同然。」という我々みたいなタイプにはよく分からんけれど。

昭:オウ…。

 

和:随分長くなってきたので。そろそろ〆ていこうかと思うけれど。

昭:登場人物五人の恋愛模様。そこで繰り広げられるエピソードと感情が「あるある~」って観ている側の引き出しを開いてしまう。どこが琴線に触れるのかは人それぞれなんやけれど、スクリーンで起こっている事が他人事じゃなくなっていく。そうなるとムズムズしていてもたっても居れなくて。そういう作品やったな。

和:個人的にはやっぱりナカハラには幸せになって欲しい。そう思った。出来れば葉子以外と。

昭:そうやな…そう思うな。

和:そして最後に。こういう恋愛至上主義の子って実際に数名見た事があったけれど。結局同じ相手と何年もすったもんだした挙句、あっさり違う相手を見つけて突然電撃結婚したりする。このパターン、多いですよ。当方比。

昭:おいおいおい。それ言ったらあかんて。

 

気付けば超長文。キリが無いので引き上げますが。結局一体「愛ってなんだ」。

それはこの作品を観て散々語れる。そして聞きたい。色んな人の「愛がなんだ」。

 

当方がこの作品を観て、映画部部長に送ったメールを最後に。

 

『観るべき邦画やと思うし、語り合いたくなる作品やと思う。だから取りあえず観て欲しい。話はそれからだ。』