ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「この世界の片隅に」

この世界の片隅に」観ました。


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こうの史代の同名漫画の映画化。

第二次世界大戦末期の広島。呉。

18歳で広島から呉に嫁いだ「すず」という女性を通して。

すずの。当時では普遍的であった「あまり知らない男性の元に嫁いでいく」「そしてそこでの生活」という日常と。そして「背景にある、戦争」の姿を描いたアニメ作品。

戦争映画。特にアニメには生理的な恐怖のあった当方。かつての戦争アニメ映画は、どうしても鑑賞した時期が子供であった事。その…(子供目線では)はっきり言うとグロでしかなかった事からのトラウマから。どうしても避けがちなジャンルでしたが。

ですが。「のん」こと能年玲奈が何やら芸能界でややこしい塩梅になっている(らしい)からか?大きな宣伝が出来ない、というその嘆き?みたいなものが当方の映画情報収集ツールに映画公開間際に溢れだし。

「それでも観て欲しい!」「これは後世に伝えるべき名作だ」云々。余りにもしつこくて。何だか気になって。初日初回から観に行ってしまいました。

それから一週間経って。

あれこれと脳内で反芻し。色んな思いを泳がせ。脳内で組み立てようとしても。全く纏まらず。

「もうええわ。いける所までただ書いてみよう」そう思って。今駄文を打ち始めている訳ですが。

多分オチは付かない。ですが。当方の過去感想文「マッドマックス」「七人の侍」方式で書いてみたいと思います。
(話の内容にはガンガン触れてしまうと思います。ご了承ください)

☆戦争映画
当方の身近な教育者が語った言葉なのですが。(ちなみに、その人物には左右の思想的な偏りはありません)

「日本の戦後教育に於いて、最も成功したのは『戦争は悪だ』という考え方の定着だ」

色んな考え方がありますから。それは全てではありません。
当方もまた、戦争というものに対して、ポジティブな考えはありません。ですが。
例えば自分の大切な人を傷つけたり、命を脅かし、奪った者が居たら…それには牙をむくでしょう。でもそれは、あくまでも個人規模であって。
そこまでの嫌悪や憎しみを、多くの民に向けなければいけない思想や、団体、国は当方には無い。

「命の重み」それは如何なるものよりも貴いと学んだ。そしてそれを奪う事の無意味さ。そして奪われる事の理不尽さも。

戦争に付いての映画のイメージは「戦争は愚かだ」「間違いだ」「悲しい」そして「怖い」

「戦争なんて絶対嫌だ。誰かをこの手で殺してこいなんて絶対に嫌だ」「食べ物や物資が無くなり。人々の心にゆとりが無くなる。その時の本性の醜さ。浅ましさ。かなしさ」「暴力では物事は解決しない」良くも悪くも「過ちは二度と繰り返しませんから」

大人になるにつれて。かつての戦争映画から冷静に物事をみれたらなと当方は思うのですが。つまりは「リアルな当時の人達の姿。考え方。日常」

戦争の。そして原爆について。如何なる言葉でも表す事など出来ない悲惨さ。ですが。

その「悲惨さ」ばかりが目に付いて。ショックで。どうしても幼かった当方には戦争映画は「怖いから嫌だ」というシャッターでしかなかった。
「怖い」「だから戦争はいけない事だ」

今。歳を重ねた時。「その当時の人たちがどう思っていたのか」という事を、きちんと知りたいと思う訳ですよ。だって。もしも当時の人たち皆が「戦争は悪だ」と思っていたのなら…でもそんな事はないと当方は思うから。

戦争が悪で愚かであったとしても。あの時代の人たちが悪であった訳でも、愚かであった訳でもない。

戦争時代。もしかしたら、今日明日死ぬかもしれない。そんな気持ちでピリピリして毎日を送っていたとは…やっぱり思えなくて。

どこかでのんびりとした営みがあって。今の我々と同じような生活もあって。でもどこかで。「戦争が起きている」という異質な日常がある。その時代の人達はそれとどう折り合いを付けていたのか。


戦後70年。直にその時代を聞けなっていく当方達が。必死になって全てを聞いていかなければ。悲しいかな、恐らくラストチャンスの当方達が。


☆すずさん
「のん」こと能年玲奈のヒット作「あまちゃん」を、当方は見れませんでしたが。(と言うか、普通の社会人は朝ドラを見る余裕なんてありませんよ)
彼女が「憑依型の天才」である事は、今回当方もしみじみと実感しました。

「ああ。天然女子」

リアルに身近に居たら、当方はすずさんを長らく受け入れられないだろう。こういう、ヘラヘラして頼りなくて、一見流されっぱなしの女子は。

当方が終始共感していたのは、すずが嫁いだ北條家の姉。径子。常に自分で物事を決めて。でも心が折れて出戻った。
すずにとっておっかない小姑。てきぱきして。言葉も態度も厳しくて。

弟が見つけてきた、どこの誰とも付かない、ふわふわとした小娘。そりゃあ、気に食わんな。

幼い頃から絵を描くことが大好きで。夢見がちで。不思議な体験もしたんだかしてないんだか自分でも分からない。足元の定まらないすずさん。

そんな彼女が。名前も住所も分からない所に嫁に来て。

「本当に…ええ所に嫁に行ったなあ」径子が怖い?ええやないの。別に大した事は無い。径子かて結局はええ人なんやし。周作は間違いなく「運命の人」やし、北條家の両親も良心的。


後でパンフレットを読んだのですが。これ、嫁に行って1年の話なんですね。何だか、嫁に行って何年も経った様な感じがしていましたが。

そう思うと。たった1年の間が怒涛の1年だったんだなと思いますね。

北條の家で。可愛がられ。食糧難もどこか明るくこなそうとする。夫の周作とも「初めて出会った見知らぬ人」(そんな事無いけどな)から。結婚してから恋をしていく。それを可愛く思ったり。色っぽく思ったり。

「この世界の片隅で」すずさんはふわふわと漂っていた。彼女を見つけた周作によって。彼女は地に足を付ける事が出来た。でも。

軍港を持っていた呉の、度重なる空襲。始め、それはどこか現実離れしたものだった。



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(と言うか。確かに「こんな時に‼」と思う発想ってあるよなあ~と思った当方。)

しかし。どんどん現実のものとなっていく空襲。日に何度も防空壕に避難。昼も夜も関係なし。疲弊していく神経。そして爆撃を受けて。

あの。のんびりふんわりしたアニメの絵面が。どんどんと変化し。ぐにゃぐにゃになっていって。

「うちはぼんやりしたままでいたかった‼」「ぼんやりしたまま死にたかった‼」その叫びに。涙腺が崩壊した当方。

絵を描くことが大好きで。優しい家族に迎い入れられて。ちょっとおっかない姉は居ても。皆で仲良く生きていくはずだった。なのに。

どうして。どうしてこんな事になった。何故大切なものを奪い去られた。何が悪かった。自分が何をした。


折角見つけたはずの居場所は。自分が居て良い場所では無い。

空襲の最中。空を舞う鳥に「そっちに行っては駄目」と追いかけていくすずさんにこそ、こちらは「あんたがそっちに行くんじゃない」と心の中で叫び。

「ここには居場所が無いから、広島の実家に帰らせてくれ」という、その日にちが8月6日という絶対に行ってはいけない日で。

先だっての事で辛く当たっていた径子も、その他北條家の誰もが「ここがお前の家だ」と認めていたことで、すずさんは舞っては行かなかった。

戦争が終わった日。すずさんは頭を地面に付けて泣き、径子は物陰に隠れて泣いた。

でも。北條の母、サンはとっておきの白米を炊いた。

失ったものは戻らない。心の隙間も完全には埋まらない。でも、いつまでも泣いてはおれない。女は強い。

すずさんの実家の浦野家の壊滅状態。いつも恋をのろけていた妹の、これから迎えるのであろう「黒い雨」案件。語られないけれど。後世の当方達には見える、彼女の絶望的な顛末。

この映画のテーマソングであった、コトリンゴの「悲しくてやりきれない」サトウハチローの。昔から知っているこの曲が。女性ボーカルでふんわりと流れる。本当にこの作品に。すずさんのイメージに合っているなと思いました。

ふわふわ。ヘラヘラして。何事にも流されているように見えて。でも、彼女は流されている訳では無い。彼女は強い。


エンドロールも含めての作品。世界は厳しくて。でも優しい所もある。

☆今思う事
当方はこの作品を公開初日の初回に観に行きました。
ただでさえ涙脆い当方ですので案の定ボロボロ泣いて。「これは凄い作品が出たな」と思いました。ですが。
当方が映画館で体験した「上映終了後、拍手が起きた」という現象。(何年か前の映画「レ・ミゼラブル」でもありました)
単純に「凄いものを観た!有難う!」という気持ちなのは勿論分かっています。分かっていますが。

この作品が公開されて、色んな感想を目にしているのですが。例えば前述した「映画館で鑑賞した後の場内の拍手」その伝播と拡散。最早儀式。
この作品に対する、余りにも諸手を挙げての大絶賛に、少し座りの悪さを感じ出した天邪鬼な当方。

いや。「暗い。怖い。どんよりする」というイメージのかつての戦争映画とは全く違う、新しいアプローチだとは思いますし。確かに名作だと思うんですが。ですがですが。

余りにも称賛の声が画一的すぎて。「プロパガンダ映画に落とし込まれないか。」という不安が過るんですよ。勝手ながら。

映画の訴えるテーマがあまりにもすんなり受けれられる感じだったからか。当方も含め、戦後生まれの世代の語る感想が偏ってくる。

これは名作だとは思うけれど。でもこれは。どんなに取材をして、土台を固めたとしても結局はフィクションで。

この作品の原作者のこうの史代さんも。映画製作に関わった人達も、恐らく当方の想像なんてはるかに超える情報収集をした上でこの作品を作られた。その事は当方も分かります。そうして作られた作品なのだと。

だからこそ。簡単にこの作品を消化して、簡単に「感動した」「拍手の嵐」「戦争って嫌だな」と流してはいけないのだと思いますね。

当方が思ったのは「自分の祖父母は、この作品を観たとしたらなんと言うのだろう」です。

まさにすずさん世代であった彼らが。フィリピンに出兵したという祖父が。鹿児島県の知覧にある特攻隊基地跡の展示施設で泣いた祖母が。一体何と言うのかと。

決して聞く事の出来ない、逝ってしまった祖父母を思い。近くに戦争体験者が居ないので、何も聞けない切なさに。また泣けて。

かと言って。彼らは生きている時も戦争の事など語らなかった。戦争の事…言いたくない、話したくない事で。忘れたかったのかもしれない。話さない自由もある。…ただ、意外とあっけらかんと話しそうな気もするけれども。



「これはとある広島の呉のすずさんの話」そして身近な誰かの話。そして誰かの。話が紡がれていって。

そうやって肉付けされていく。そしてリアルな当時の人たちの姿。考え方。日常を知っていって。そして彼らにとっての「戦争」が浮かび上がってきたら。


これはそのきっかけになる作品なのだと、当方は思います。


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