ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「メタモルフォーゼの縁側」

「メタモルフォーゼの縁側」観ました。
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メタモルフォーゼ(ドイツ語Metamorphse):変身、変化、変態の意味(Oxford Languageより)。

 

「女子高生と老婦人。ふたりをつないだのは、ボーイズラブ

17歳の女子高生・佐山うらら(芦田愛菜)と75歳の書道教室の先生・市野井雪(宮本信子)。

交わるはずがなかった二人が知り合うきっかけになったのは、一冊のBL漫画だった。

 

このマンガが凄い!2019年オンナ編第一位。鶴谷香央理の同名漫画の映画化。脚本・岡田惠和。監督・狩山俊介。

 

この漫画のタイトルを聞いたことがあった。なんだかほのぼのした印象で…そしてたまたまタイミングが合ったのでふらっと鑑賞…したところ。

「どこにも悪い人などいない世界」「汚れちまった悲しみに」「心が洗われた」つまりは「良いもん観させてもらいました」。圧倒的光属性の勝利。あまりにも爽やかすぎて、闇に堕ちていた当方は吹き飛ばされんかぎりの衝撃。

 

ある夏の日。夫の三回忌の帰り、涼と料理本を求めて本屋を訪れた雪。「きれい…」美しい表紙の漫画に思わず手が伸びて、そのまま購入に至った雪。

帰宅後、身の回りのことを済ませてから購入した漫画本を開いたら。それは男子高校生二人の恋愛を描いたBL漫画だった。

 

翌日。本屋でバイトする高校生、うららは漫画コーナーで右往左往していた雪に呼び止められる「あの『君のことだけ見ていたい』という漫画の続編はどこかしら?(言い回しうろ覚え)」。

え?この年代の女性が?BL漫画を?!

実はBL漫画にどっぷりはまっているけれど、周りには絶対に知られないようにしていたうらら。残念ながら続編は店の在庫が切れていて。意気消沈して店を出ようとした雪に思わず「貸しましょうか?」と声をかけてしまった。これが二人の出会ったきっかけ。

 

BL漫画について、語れるほど造詣があるわけでない当方。実際に読んでみて「ご都合主義」「これは作者の性癖詰め合わせだな」と思ったこともある。ジェンダーの問題や、同性愛云々を絡めるととんでもない所に足を突っ込んでしまうややこしさも感じる。触らぬ神にたたりなし。そうやって距離を置いていた。(あと、本当に知らなさすぎる)

 

女子高生うらら。本屋でバイトをしていて、自宅自室にも漫画や本がいっぱい。けれど見られたくないBL漫画たちは机の下にある箱に隠していた。

「BLが好きって言いにくい」「恥ずかしい」「いかがわしいもの読んでるって思われちゃう」そんなこと一言も言ってなかったけれど、そう思う思考回路は理解できる。

 

だから、「とってもドキドキしたの(言い回しうろ覚え)」。まっすぐに好きなものは好きだと言い切った雪の登場は、うららにとってファンファーレがなるほどの高揚感だったろう。

 

「登場人物二人が魅力的で、二人の心の動きが読んでいるこちらにも伝わってくる」「もどかしい。でも二人の恋を応援したい」BL漫画がどうだとか、ご都合主義がどうこうとか、いかがわしいとか、そんなのどうだっていい。この漫画が大好き。そうだった。それが原点。

どんな趣味だって、一番初めは「好きだ」から始まる。

 

とにかく話がしたい、この思いを共有したい。けれどカフェでは他人の目が気になってぎくしゃくしてしまう。そんなうららを自宅に招いた雪。

 

映画に出てくる書道教室ってなんでたいていが素敵なんでしょうかね。当方が小学生の時に通っていた書道教室も一軒家の一室でしたが…あんな感じじゃなかったですよ(子供相手の書道教室は、多分どう頑張っても散らかるし汚れてしまうんやろうと推測)。

 

素敵な庭付き日本家屋。風が通るからと雨戸をあけ放し、庭を見ながら雪の作ったカレーを食べたあと、共通の話題にふける。なにこれ。どこの楽園ですか。

 

二人が知り合うきっかけになった漫画から、うららの自室に眠っていた蔵書も持ち込んで。すっかりBL談義に花が咲く二人。

 

「ねえ。うららさんは自分では漫画をかかないの?」

自分は読む専門だ。漫画をかくなんてとんでもない。そういって否定していたうららに、いつだってまっすぐ砲を打ち込んでくる雪。

「人って思ってもみないふうになるものだからね」

 

メタモルフォーゼの意味が変化・変身・変態であること。齢75歳の雪はBL漫画に出会って新しい世界が広がった。うららは雪に出会ったことで「変化する勇気」を得た。

 

雪に背中を押され。なんだか引くに引けない状態になってしまったものあって、人生初の漫画をかき始めたうらら。

「…って、手書きなんかい!そして画力!」

漫画をかくために必要なツール一式を入手。それがもう…「こんなデジタル全盛の世の中に!」紙に付けペンで。一枚一枚…はっきり言うと絵も下手くそなんですよ。初めてで、時間も限られた中で。何もかもが無謀すぎる。

「これを製本して、同人誌即売会に売りに行くって…どんなハートの持ち主だよ…」

 

そして…いざ即売会の日。急転直下な事態に見舞われたのもあって。うららの初漫画は日の目を見ることはなかった。(あの。雪がちょいちょい発症するぎっくり腰っぽいやつ、なんなんですか。整形外科にちゃんと受診しなさいよ)

 

けれど。「神様は見ている」としか言いようがない…ここは優しい世界なんで。届いて欲しい相手にうららの漫画は無事渡った。ちゃんと対価を得て。

 

この、うららがかいたBL漫画『遠くから来た人』。確かに画力はアレなんですが。滅茶苦茶中身がいいんですわ。内容が芦田愛菜のナレーションで紹介されるシーンがあまりにも至高すぎて…涙が溢れた当方。

(そもそも一つの物語を完成させただけで十分凄い)

 

まっすぐで変化を恐れない雪に感化されたのはうららだけではない。二人が知り合うきっかけとなったBL漫画の作者にも、漫画をかく原点を思い出させた。

 

うららの幼馴染の男子高校生、紡。同じ団地に住んでいて、うららの部屋に上がり込んで秘蔵のBL漫画を読んでしまう。けれど「おもしれえ~じゃん」と屈託もなく言える。うららの下手くそな漫画をお金を払って欲しいと言う。馬鹿にしたりしない。

紡の彼女、英利。紡きっかけでBL漫画を読んだけれど、純粋に面白いと友達に言える。

 

つい「実は焦がれている幼馴染の彼女が疎ましくて…」というありがちな設定を脳内に置きそうになるけれど。英利は何事も中途半端にしない性分で嫌味なライバルではないし、うららと紡の関係もあくまでも幼馴染。でもそれがいい。下手な色恋などなくていい。

 

いつまでも戯れていたいけれど、楽園は続かない。雪にもうららにも変化の時が来る。こういう落としどころなのかと思ったけれど、全然湿っぽくなくてどこまでも爽やか…当方の脳内少年合唱団が「君はあの道を僕はこの道を 進むと決めたこの朝~(あたらしい朝/若松正司)」と歌い始めたラスト。

 

好きに理由なんてない。恥ずかしがらなくていいけれど、無理して周りに言わなくてもいい。

でも怖がってうずくまっていたら周りが見えなくなってしまう。もし同じ「好き」を共有できる相手が見つかったら…顔を上げて。それは変化の始まりかもしれない。きっともっと楽しくなる。

 

圧倒的光属性によるストレート勝ち。観る人を選ばない爽やかな作品でした。

 

映画部活動報告「スープとイデオロギー」

「スープとイデオロギー」観ました。
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『ディア・ピョンヤン』『かぞくのくに』などのヤン・ヨンヒ監督最新作。

 

イデオロギー:人間の行動を左右する根本的な物の考え方の体系。観念形態。「―は社会的立場を反映する」。俗に政治思想。社会思想(Oxford Languagesより)。

 

済州4.3事件:1948年4月3日、朝鮮分断の進行する済州島で起こった、アメリカ軍制下で起こった、アメリカ軍制下の南朝鮮単独戦争に反発した民衆蜂起(武装隊)が、アメリカ軍・警察・右翼などによって弾圧された事件。

この事件は朝鮮戦争の勃発とその後の韓国の反共路線強化の中で長い間真相と実態が伏せられていたが、金大中大統領の下で2000年に「四・三特別法」が制定され、真相究明と犠牲者名誉回復がなされることとなった。調査の結果、犠牲者は約2万5千人から3万人と推定され、その深刻な事態が明らかになった。また軍や右翼によって殺害されたのは武装隊だけではなく武器を持たない女性や子供もあったという。また武装隊によって殺害された住民もあった。(世界史の窓より一部抜粋)

 

大阪・生野区で生まれ育ったヤン・ヨンヒ監督。そこに住む、彼女の母親である在日コリアンのオモニを主人公に撮ったドキュメンタリー作品。

 

正直この作品を観るまで『済州4.3事件』のことは知らなかった。なのになぜこの作品を観ようと思ったのか…タイトルの『イデオロギー』より『スープ』の方が気になったから。

 

「丸鶏の内臓を出してそこにニンニクと高麗人参やらなつめやら詰めてひたすら煮込むスープって…参鶏湯やんな。生野区に住む在日の人が作るんなら美味いに違いない」

食に対して貪欲な当方は、オモニが作る朝鮮料理部分を期待して観に行ったのですが。

 

「おいこれ、そんなふんわかしとらん。とんでもない作品やったぞ!」

そりゃそうでしょうがと今の当方は突っ込みますが…まあ入口は自由ですから。

 

大阪市生野区:外国人住民が区人口の21.6%(2021年)と大阪府どころか全国でも1位で、うち在日韓国、朝鮮人が多くを占める(Wikipedia参照)。

 

コリアンタウン。鶴橋。当方も時々食材を求めて鶴橋商店街に行くけれど、独特の雰囲気と活気に溢れている賑やかなまち。そういった印象を持っていた鶴橋界隈が、こういった歴史から生まれた部分があったなんて。全然知らなかった。

「大阪は在日韓国人より在日朝鮮人の方が多いんやで」かつて在日の友達からそう聞かされたとき。「なんで?」となぜ聞かなかったのか。

韓国籍を持っている方が暮らしやすそうな日本で、それでも朝鮮籍を持ち続ける意味とは。報道の仕方もあるのかもしれないけれど、どうしてもトリッキーな国に見える北朝鮮に入れ込む理由…初めて「そういう理由もあるのかもしれない」と今回思い至った当方。

(なんだかものすごくセンシティブなことに触れている気がしますが。個人の解釈です)。

 

両親は朝鮮総連活動家で『帰国事業』に積極的に参画。3人の兄を北朝鮮に送った。悲しい別れもあったけれど、兄たちは北朝鮮で家庭を持っている。

2009年にアボジ(父)が亡くなった後、一人で暮らすオモニは借金をしてまで兄たちに仕送りを続け、ヨンヒ監督がどれだけやめろと言い聞かせても納得してくれない。

 

オモニと離れて暮らすヨンヒ監督。オモニが一人で生活できているのか心配だけれど、彼女には彼女の仕事があり、生活がある。

 

ある日。オモニが台所から大鍋を取り出してきた。鶴橋商店街で買った丸鶏の内臓を出し、そこに青森産ニンニク、その他諸々をぎっしり詰め込み大鍋でひたすら煮込む。浮足立ったオモニが迎えたのは、ヨンヒ監督との結婚のご挨拶に来たカオルさん。

 

ヨンヒ監督とは一回りくらい離れた年下のカオルさん。生前「アメリカ人と日本人の男性は嫌だ」と言っていたアボジだっておそらく好きにならざるを得ないだろう、ころころとしたいかにも人のよさそうな男性。

きちんとした格好で挨拶に来たのに、汗だくになったからとミッキーマウスのプリントされたTシャツを着て、美味い美味いとオモニの手料理をほおばるカオルさん。好印象にもほどがある。

 

家族が増えて。互いに住む場所は違うけれど。時々帰省した時に件のスープを作る担当はオモニからカオルさんになった。一緒にニンニクを剥いて、タコ糸で縛って。こうして受け継がれる味…けれどこの作品は、そんなほのぼの映画では収まらない。

 

ある日ぽつりとオモニが語った『済州4.3事件』。1948年当時に18歳だったオモニは渦中であった済州島にいた。

自宅に飾られている朝鮮総連の写真。両親の活動。北朝鮮へ送った兄たち…一体オモニは何を見たのか。どういう体験をしたのか。

オモニの体験に関してはアニメーションでわかりやすく語られていた。けれど実際にその状況を目の当たりにしたらなんて…想像することもできない。オモニは幼い兄弟の手を繋いで、命からがら日本に、大阪に逃げるしかなかった。

 

こういった仕打ちをしてきた相手を許せないという気持ちはわかる。同じ半島で生まれた同じ民族だと言われても…だから彼らは在日朝鮮人であり続けたいのか…。

 

自身の体験を語ったのち、オモニの認知機能が急激に低下。アルツハイマー認知症と診断された。

 

認知症のメカニズムはいまだ解明されていないので、勝手な言い分ですが…「自分の心を守るためには忘れることも大切なんだな」と思ってしまった当方。

家族や大切な人の記憶が薄れていく。大切な思い出や、自分自身のことも忘れてしまう。

それは忘れられていく方からしたら身を切られるほどに辛い。次第に日常生活もままならなくなっていく姿は、かつてのその人を知っていると目をそむけたくなってしまう。

けれど。目をそらすわけにはいかない。放ってはおけない。家族だから。

 

この作品のタイトルは『スープとイデオロギー』。

オモニという人物にカメラを向けたとき。オモニが持つ思想と至った体験…時代背景へと広がったけれど。同時にこれはとある母親と娘の記録映画でもある。

 

自分が歳をとるならば、当然親だって歳をとっている。

この作品を観ていて身につまされたのは、映画館の座席に座っていた方だと思う当方。これは他人事ではない。

 

近所に親兄弟で住んでしょっちゅう行き来している当方ですら、最近親が歳をとったと感じることが多い。今でこそ両親とも元気にしているけれど。もし何かあったら。何ができるだろう。

そして。当方は両親の話を聞いたことがあっただろうか。なんだっていい。両親の歴史を。

 

オモニから聞いた話。辛い思い出は柔らかく薄らいで、それと共に色んなことも忘れていくけれど。記録がある。皆で囲んで食べたスープの味を再現できる夫がいる。不可逆的な流れの中でも、残せるものはある。

あの、くたくたに煮込んだ滋味深いスープそのものみたいな映画。あったかくて泣きそうになる作品。

 

ところで。つい先日食材を求めて向かった鶴橋商店街は、やっぱり異常なまでの活気で、しんみりしている場合ではありませんでした。

 

映画部活動報告「クリーチャー・デザイナーズ」

「クリーチャー・デザイナーズ」観ました。

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「今日ほど映画のモンスターたちが熱狂的に支持されていることはなかった!」

映画という文化と共に進化してきた特撮、特殊効果は、巨大なスクリーンに突如、現れる想像上のモンスターたちに驚異的な変化をもたらしてきた。モンスターを実物の物体として表現する特殊造形の時代からデジタルの時代へと突入した今、その魅力と背景を紐解いていく。
グレムリン』『アビス』『ターミネーター2』『ジュラシックパーク』『スターシップ・トウルーパーズ』『スパイダーマン2』など、数々の映画で活躍してきた有名なアーティストとその製作者の間の魅力的な関係性に迫るドキュメンタリー(映画フライヤーより抜粋)。

「ハリウッド版『はたらくおじさん』。こういう裏方職人映画って面白いんよな~!」
予告編を見た時から気になって。うまいこと泊まり勤務明けに機会があり鑑賞に至りました。至ったのですが…ちょっと言い訳してもいいですかね。

比較的新しい映画館。最前列には靴を脱ぎゴロンと寝転んで映画鑑賞できる座席があって。鑑賞日は月曜日。(休日はどうなのか知りませんが)普通料金でその席を利用できる…となるとその席を体験してみたくなる。
泊まり勤務明けの体+寝転んで鑑賞できる座席=睡魔との闘い。
何故そんな簡単な数式が想像できなかったんでしょうかねえ。案の定、ところどころまどろみながら…寝落ちるのは何とか回避。そんな有様だったことを先んじて報告しておきます。
知らねえよ!という話ではありますが…いつにも増してふんわりした仕上がりになること間違いないと思いますので。

映画の世界を彩る『人ならざる者=クリーチャー』たち。
動物。恐竜。怪獣。異星人。はたまた…クリーチャーが作品の中でいきいきと動き回る。観ている者に恐怖を興奮を…時には愛着を沸かせてきた。
そんなクリーチャーを生み出してきた歴代の創造主、すなわち『クリーチャー・デザイナー』たちの物語。

始めは特殊メイクからだった。『オペラ座の怪人(1925)』そして『フランケンシュタイン(1931)』そして着ぐるみ、パペットの時代。ここで『スターウォーズ(1977)』『グレムリン1984)』が現れる。
ストップモーションアニメ、すなわちコマ撮りからのアニマトロ二クス(アニメーション:動作+エレクトロニクス:電子工学)の時代。『アビス(1989)』など。
そしてついにCGの時代が到来。『ターミネーター2(1991)』『ジュラシックパーク(1993)』さらに3Dデジタル『アバター(2009)』へ。なおも進化の途中。

そういえば。かつて映画はフイルム上映だった。けれど2000年代を迎え、2010年頃にはほぼデジタル上映へ移行していった。この過渡期に映画映像技術も大きく変化した…いち映画ファンの当方ですらそう感じる。昔の映画にはその作品なりの良さ、感動がある。けれどもし今同じ題材を今活躍している監督やスタッフが作るとしたら、同じ手法は使わないだろう。なぜなら「いろんな技術があることを知っていて、その中からどれを使えばよりその世界観を語るのに効果的か」を知っているから。

『クリーチャー・デザイナーズ』はかつての技法を生み出し、活躍してきたパイオニアたちのインタビューで構成されている。自分の技術が認められ、大好きな映画の中で自分が生み出したキャラクターが活躍する。その高揚感たるや。
着ぐるみの中に入って苦しい態勢で何時間も過ごした。一つのキャラクターを動かすのに何人もの人間が関わった。気が遠くなるほどのコマからできるのは一瞬のシーン。
割に合わない、労力に見合わない…けれど…それがなんだっていうんだ。
自分と仲間たちで生み出したキャラクターが動くのが、作品の流れを先導していくのが楽しくて。たまらない。軒並み少年のような表情で当時の苦労を語るデザイナーたち。
けれど、技術は常に進化していく。自分の持つ技術の先を持つ者が必ず現れる。

何より大きかったCG技術の出現。『ジュラシックパーク』でアニマトロ二クスではなくCGが選択されたとき。もう何も生み出せないという絶望感でしばらく何もできなかったとアニマトロ二クスのデザイナーは語った。
アナログの時代は終わった。これからはデジタルの時代だ。そう考え、華やかな世界から去った者もいる。けれど…決してアナログ時代のすべてが終わったわけではない。

たとえば、昨年公開された全編ストップモーションアニメの『JUNK HEAD』。アナログな手法を根気強く続けて制作された作品の有無を言わせない唯一無二感。

今作で登場したギレルモ・デル・トロ監督が語った着ぐるみ怪獣の魅力と巨大怪獣やロボットの表現方法について。

つまりは…先述してしまいましたが、今は『映画映像を表現するための選択肢が増えた時代』なんだと思った当方。

この作品が公開されたのが2015年なのでまた新しい時代がきているのでしょうが。終盤にちらっと語られていたことが気になった当方。
それは「納期がどんどん短くなっているということ」「そこに対応できた者が出ると、注文先はもっと短く、と要求してくるようになる」「そうなるといつしかクオリティーが担保できなくなる」(言い回しうろ覚え)
どの業界にも通じる部分ですね。安い、早い。けれどそれを追求してしまうと安かろう悪かろうになりかねない。労働環境の悪化は精神状態も良くない方向に連れていく…悩ましい。けれど。

「もうゴムが劣化してるから動かないけどね。こいつは最高だったよ」かつて活躍した自分の代表作であるクリーチャーの人形を大切に抱えて語ったデザイナーの恍惚の表情。
常に変化する映画映像世界で。困難なことも多いのだろうけれど、結局は「映画が大好きだ」という裏方職人気質。ハリウッド版『はたらくおじさん』はやっぱり面白かった。

本当に…もうちょっとしっかり覚醒できる状態だったらねえ…まどろみ半分…なんだか夢を見ているような気持ちで鑑賞してしまいました。

 

映画部活動報告「EUREKA ユリイカ」

EUREKA ユリイカ」観ました。
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九州の田舎町で起きたバスジャック事件。生き残った運転手の沢井真(役所広司)と田村直樹(宮崎将)と妹の梓(宮崎あおい)。三人は凄惨な現場を体験し、心に深い傷を負った。

2年後。妻にも行方を知らせず消息不明だった沢井が再び町に戻ってきた。

同じころ町では通り魔による連続殺人事件が発生しており、周囲は沢井が犯人ではないかと疑惑の目を向ける。

町での生活に居心地の悪さをを感じつつ。沢井は住宅街からやや離れた一軒家に田村兄妹が二人きりで暮らしていると知り、田村兄妹の家に向かう…そこから三人の共同生活が始まった。

 

2000年公開。真山真治監督作品のデジタルマスター完全版上映。3時間37分。

 

「そうかあ。2001年公開…。」

タイトルは知っていたけれど…映画館で見逃がしたままだった。そんな作品に今、デジタルマスター完全版で会える喜び。

 

2000年代前半の宮崎あおいの禍々しさはずば抜けていた(褒めています)。

『害虫(2001)』『好きだ、(2005)』『初恋(2006年)』子役時代から現在におけるまで彼女の出演作は数多あるけれど…あの頃の宮崎あおいには「周囲の人間(特に大人)を狂わせていく、孤独で訳ありな少女」という独特の雰囲気があった。

 

そんな禍々しい宮崎あおいを久しぶりに見たと同時に「ああ…宮崎将」。

引退されたとのことでしたが。どことなく高潔で硬質なのにはかなげ…好きな俳優だったなあと。

俳優といえば。刑事の松岡を松重豊とか。弓子の国生さゆりとか。沢井が働く工務店にいるシゲオが光石研とか。尾野真千子とか。「若い…」感慨深い。

 

冒頭。通勤通学の足となる路線バスの風景。始めに中学生の兄と小学生の妹がバスに乗り込んだあと。乗客が増えてくる中、ドアが閉まる寸前に乗り込んできたサラリーマン。

場面が変わって駐車場。足がもつれそうになりながらバスから走る人が銃声とともに倒れる…とんでもない修羅場と、「ああ…疲れ切った人ってこういう感じだな」を体現しきった犯人。一気に引き込まれる世界観。これはあかん。持っていかれる。

 

事件のショックから、ふさぎ込み周りとコミュニケーションを取らなくなった兄妹。世間からは好奇の目で見られ家庭は崩壊。母親は家を出、父親は自動車事故で亡くなり、その死亡保険で得たお金で二人きりで暮らしていた。

 

事件から2年。突然姿を消し音信不通だった沢井が町に戻ってきた。今になってどうして?周りが訝しげに沢井を見る。しかも、沢井が帰ってきたのと同じころに町で通り魔によると思われる連続殺人事件が発生していた。「あいつが犯人じゃないか」疑われる沢井。

 

転がり込んだ実家。けれど実権は父親から兄へ変わっており、居心地が悪い場所になっていた。

実家を飛び出して沢井が向かった先は、先日知った田村兄妹の家。何とか上がり込むことに成功した沢井が目にしたのは荒れた室内。およそまともな生活をしていないと察した沢井は田村兄妹との共同生活を申し出る。

 

共同生活にメリハリを持たせたのが田村兄妹の従兄・秋彦(斎藤陽一郎)。夏休みを利用して二人の面倒を見に来た大学生。わりとずけずけと思ったことを口にする性格。

初対面の沢井に驚いたけれど…あっさり共同生活に加わる。

 

四人での生活が始まった途端、また新しい殺人事件が発生した。

被害者が沢井の同僚であったことと、事件当日に沢井と一緒に居たことで警察に事情聴取され、あげく2年前の事件を知る刑事から「あの時お前の目を見て思ったよ。こいつは何かをしでかすと」と異常者扱いされる。

 

どうして。自分は凄惨な事件に遭遇した被害者なのに。今までと同じ生活なんてできない。そっとしておいてほしい。だから周りと距離を取った。心の整理なんてできない、何をどうしたらいいのかわからない。ずっともがいて苦しんでいる。なのに周りからは自分の方が「おかしい奴」として見られている。どうして。

 

「旅に出よう。何かが変わる」

中古で小型バスを買い、田村兄妹を誘った沢井。バスはトラウマだろうがと鼻で括った秋彦をよそに、無言でバスに乗り込んだ田村兄妹。一緒に改装作業を行い、ついに四人のバスの旅が始まった。

 

一見坦々と物語は進む。九州の景色(特に阿蘇の広大さよ)。キャンプ場。けれど例の『連続殺人事件』のことは決してうやむやにはされない。

犯人とその動機に関しては「うむ、そうだと思っていましたよ」としか言いようがない…深いため息をついた刹那、間髪入れず秋彦の無神経発言に顔をしかめた当方(秋彦的にはいつも通り思ったことを言っただけなんよな。言葉は時に無邪気な暴力になるのに)。案の定。

 

一応ネタバレ回避で進めたいのでふわっとした感じになってしまいますが。

2年前に起きた、バスジャック事件。同じ悪夢を体験し、各々が心に傷を負った。

そこから時がたち。三人で共同生活をはじめ旅に出た。あの田舎町を出て、非日常を積み重ねるうち傷を見せ合った(あくまでも比喩です)。

時折衝動的に湧き上がる感情をぶつける術が暴力以外になかった。もう取返しがつかないところまで来てしまった者。崩壊していく相手を見守るしかなかった者。支えあい、未来へ導く力をもっているのに、体が蝕まれ朽ちていこうとしている者。

心の傷ゆえの崩壊。決別。

 

沢井が放った言葉「生きろとは言わないが。死なんでくれ!」

生きてさえいれば。

 

最後に。海へたどり着いた沢井と梢。ついに聞いた梢の言葉と、沢井の呼びかけ。

弔いと再生と、希望。

 

Eureka:ギリシャ語に由来する感嘆詞。『わかった』何かを発見・発明したことを喜ぶときに使われる(Wikipedia参照)。なんと良いタイトルか。

 

設定がシビアなのに派手な展開にはしない。セピアと淡いカラーの色調。繊細だけれどふわふわ流されない役者たちの演技。長いけれど長くない。なんだか夢のような…そんな作品でした。

 

映画部活動報告「流浪の月」

「流浪の月」観ました。

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公園にいたら雨が降り出した。慌てて走り出す人々。もう夕方だし、皆家に帰るのだろう。

なのに。その少女はブランコに座ったまま動こうとしなかった。

どう見ても傘を持っていない。どんどん濡れていく少女を見ていると我慢ができなかった。

「どうしたの」「帰らないの?」

押し黙ったまま。けれど家に帰りたくないという意思は伝わった。

「…うちに来る?」

 

当時10歳の家内更紗を、自宅に招き入れた大学生の佐伯文・19歳。

約二か月後、文は少女誘拐の罪で白昼衆人の中連行された。文の姿はインターネットを通じて『ロリコン野郎』として世間に拡散・認知された。

 

それから15年の月日が経って。再び二人の運命が交差する。

 

2020年の本屋大賞作品、凪良ゆうの同名小説の映画化。監督・脚本は李相日。撮影監督は『パラサイト 半地下の家族』のホン・ギョンビュ。

大人になった家内更紗を広瀬すず。佐伯文を松坂桃李が演じた。

 

冒頭から映像の美しさに心をもっていかれる。10歳の少女を19歳の男子大学生が自宅に連れていく。字面だけ見ると禍々しいのに、画でみるとなんと自然な流れだったことか。

どんどん雨脚が強くなる中で、帰る場所がないと動けなかった更紗を自分の居場所へ連れて行った文。荒ぶる風景の中で暗い目をして歩く二人の静けさよ。

 

文の部屋で二人きりで過ごした日々。物静かな文と奔放な更紗は、一緒に本を読み、遊び、ご飯を食べ、眠った。叔母の家には戻りたくない。いとこからの虐待に耐えるのはもう嫌だった。文といると安心する。やっと居場所ができた。

テレビで更紗が行方不明だと報じ始めた。「文、捕まっちゃうかな」「そうしたら絶対誰にも知られたくないことを知られてしまう。そんなのは嫌だ(言い回しうろ覚え)」

なのに。ついにその日は来てしまった。二人でいるところを発見され、文が連行される日が。

 

ロリコンかあ…」

かつて映画部部長の先輩(初対面)と「同性ながらこれはあかんなという性癖はあるか」という話になったことがあった。「いやでも、数多の性癖があるわけやから…一概にこれはあかんとはぶった切ることはできんな」そう言葉を濁す先輩に「ロリコンは…」という当方の発言に食い気味で「それはあかん」と前言撤回した先輩。「ロリコンは未成年者側の合意があいまいやし。そもそも犯罪やで」。

時々ニュースで見かける、エエ歳した大人による未成年者への性犯罪。性犯罪そのものも悪しき犯罪であるけれど…こと被害者が未成年者となると「気持ち悪い」「欲望を幼い相手にぶつけて」とより印象は悪くなる。

けれど…当事者たちだけが知っていること。感情。ここには誰も踏み込めない。

(更紗の子供時代を演じた白鳥玉季。凄い逸材が出たものよ…。くるくる変わる表情にくぎ付けになった)

 

15年の月日がたった。『ロリコン野郎』として認知された文と同様、更紗もまた『誘拐された被害者』として世間に周知されていた。

どこに行っても付きまとう好機の目。憶測で好き勝手言ってくる人々。何も感じないようにしようと言い聞かせて目立たないようにひっそりと生きてきた。

ハンバーグレストランでバイトをし。同棲している恋人の中瀬亮(横浜流星)とは結婚目前。

誰にも後ろ指なんてさされない。幸せになれるはずだった。あのカフェを見つけるまでは。

 

扱っているのはコーヒーのみ。バイト仲間に連れられてたまたま入ったそのカフェは、文が経営しているカフェだった。

 

そんなにあれこれ説明は入らない。とにかく役者たちの表情、しぐさ、会話で話を進めるのですが。暗く感情を押し殺していた更紗が文と再会し、自分を取り戻していくさまを演じた広瀬すずと、15年前からずっと自分の秘密をひたすら抱え込み耐えていた松坂桃李。二人の役者たちの力量よ。そして…更紗の婚約者亮くんを演じた横浜流星の思いがけなかった好演。泣いた当方。

 

一見ロリコン犯罪者と被害にあった少女。世間ではそう烙印を押されたけれど。二人の間に性的な関係はなく、どこまでも純粋な気持ちで繋がっていた。それは15年たった今でもあまり変化はない。けれど周囲はそんな風に理解しない。

 

世間的には好条件の亮くん。安定した職に就き、自分を大切にしてくれる彼氏。ちょっと過干渉だけれど、それは自分を愛してくれているから。けれど…実は「かわいそう」な相手を無意識に探し出しては自分を優位に立たせて逃げ場をなくし、依存してしまう性格。更紗が自分から逃げ出そうとしていると気づいたが最後、感情が抑えられずに暴力的になってしまう。

 

更紗の心を奪われた嫉妬から文を攻撃し、過去の犯罪を蒸し返すことで文の社会的地位を奪い追い詰める。けれど…いったん失った更紗の心は亮くんのもとには戻らない。ますます更紗と文の絆が深まってしまう。

 

「15年前のことはいったんおいといて。もう二人とも成人すみなのに今更ここまで世間が騒ぐものなのかね…」ちょっとそういう疑問が脳裏によぎりましたが。まあ、確かに分が悪い要素はあったけれど。

 

文が「絶対に誰にも知られたくない」と語っていた秘密。それが終盤に明かされたとき、あっけにとられてしまった当方。

あとから思わず調べてしまいしたが…なんだか蛇足感が否めない。この設定、要りますかね?いっそ純粋に(言い方)ロリコンってことでよかったんじゃないですか。だって…なんというか…とことん文が不憫なだけになってしまう…こういうどんでん返しは必要ないと思ってしまうんですが。

 

15年前。二人の関係が露呈し、引き裂かれようとしたときに文が更紗に言った言葉「更紗は更紗のものだ。誰にも好きにさせてはいけない」文よ、何故その言葉を自分自身にも向けない…。

 

出会いから15年。二人が再会して、そして二人で生きていく選択をした。もう誰からも非難されるいわれはない(はずなんやけれど)。今はまだふらふらと彷徨うけれど…安住の地を見つける日は必ず来る。そう信じての幕引き。

 

ところで、文と更紗だけでなく。亮くんにも幸せな日常が訪れることを当方は心から祈っています。

映画部活動報告「ベルファスト」

ベルファスト」観ました。
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北アイルランドベルファスト

9歳の少年・バディ(ジュード・ヒル)は母親のマ(カトリーナ・バルフ)と兄のウィル(ルイス・マカスキー)の3人暮らし。父親のパ(ジェイミー・ドーナン)はイギリスへ出稼ぎに出ているが時々帰ってきては家族団らんを過ごしている。

近くに祖父のポップ(キアラン・ハインズ)と祖母グラニー(ジュディ・デンチ)も暮らしており仲良し。

ベルファスト。昔から誰もが顔なじみのコミュニティ。生まれた時からずっと一緒に暮らしてきた。

 

ところが。1969年8月15日。平和な暮らしは一変した。

かねてから住民の中でくすぶっていた不満が爆発。信仰する宗教の違いから、カトリックVSプロテスタントの対立が発生した。

1998年の和平合意までに約3600人の死者を出すに至った、いわゆる『北アイルランド紛争』。

激動の時代が幕あけした1969年に生きた9歳の少年バディと家族。それは、俳優・監督・演出家など多方面で活躍するケネス・ブラナーの自伝的作品であるという。

 

色んな国際映画祭で高評価。映画館で観たい観たいと思いながら機会を逃していましたが。米アカデミー賞脚本賞を受賞したのをきっかけに再度映画館で上映される機会があったので滑り込み鑑賞に至りました。

 

諸々不勉強なことが多い当方。『北アイルランド紛争』について無知。映画鑑賞後ぽつぽつ調べた程度。知ったかぶりはしない主義なので宗教紛争やアイルランドやイギリスの歴史に触れることはできません。餅は餅屋。そういうことは滅茶苦茶詳しい餅屋の方が語っておられると思いますので…純粋な感想をいつも通り書いていきたいと思います。

 

ケネス・ブラナー監督の自伝的映画。制作のきっかけは、コロナ禍で初めてのロックダウンで感じたショックから。かつての生活が全く変わってしまい、これからどうなるかわからない状況であると同時にその不安を受け入れなくてはいけない…それがかつてベルファストで感じた気持ちに似ていた。という監督の言葉に無言で頷いた当方。

 

今年に入ってすぐ、世界中に暗雲が漂った。「見ようとも知ろうともしていなかったからわからなかったんだ」と言われればぐうの音もでないけれど…衝撃だった戦争開始。まさか今の時代に政略戦争が行われるなんて。名の通った大国が小さな国を襲う。

どちらにも自国に立った正義があるし、一概に「悪いのはどちらだ」とは言えないけれど。当方が悲しくなるのは「日常が生活がプライドが命が理不尽に奪われる」こと。

 

「どうしてそんな危ない場所にとどまるのか」「落ち着いて暮らせる場所に移動すればいいのに」言うのはたやすい。

 

「ここが私の生きる場所だから」「生まれてからずっとここで暮らしてきた」「周りの人も皆ずっと一緒だった」「ほかの場所なんて考えられない」そう考える人を否定はできない。

けれど、その場所を離れた人もまた否定はできない。「危ないから」「身を守らないといけない」「家族と安全な場所で暮らしたい」そう言って去ることは何もおかしいことではない。

 

ベルファスト。生まれた時から誰もが顔なじみ。のどかだったはずの街に、ある日突然暴動が発生した。

この作品は9歳のパディ少年の目線で描かれるので…大人たちは前からきな臭くなってきていることに気づいていたのだろうな…と思う当方。

主人公のバディ。気になるクラスメイトのキャサリンの気を引きたくて勉強を頑張る。家族や祖父母に愛され、やんちゃで元気な9歳の少年。

バディ目線だからこそ、日々の暮らしや、家族総出で映画館に出かけた楽しい記憶がきちんと描かれているのだろう。けれどそんな日常にも不穏な要素が増えていく。

お金を工面するために出稼ぎにいく父親。治安が悪くなっていくベルファストで子供二人を守らなければならなくてピリピリする母親。久しぶりに会っても喧嘩する両親。いつも母親の相談に乗っていた祖母。

プロテスタント武装集団の暴徒もまた顔なじみ。帰宅していた父親に追放運動に加わるように迫ってくるが、断ったことでパディたちにも危険が迫ってきた。

 

「自分も親もそのまた親も代々この街で生まれ育った。この街の人と恋に落ちて結婚して子供を授かった。この子もまた、この街で育っている。一体ほかのどこで生きていけるの?(言い回しうろ覚え)」

この街は私のすべて。街を離れることはできないと語った母親の苦悩。そして決断。

 

「自分の愛する場所への思い入れと安全な生活を送るという二つが天秤にかけられる」なんでそんな判断をせまられないといけないのか。そして、どちらを選んでも心に傷を負ってしまう。辛い。

 

あの日。突然世界が一変した。これまでの暮らしが当たり前ではなくなった。変わらず楽しいこともあるけれど…大人たちはピリピリして、どっしりとした雰囲気がなくなった。「大丈夫」普段はそう言って優しくなでたり抱きしめてくれる相手が落ち着かない様子だと、こちらも怖くなってくる。

(不安な時に「大丈夫」そう言って抱きしめてくれる相手なんて、大人だって欲しいよ)

 

家族が安心して暮らすにはどうしたらいいのか。この家族の決断を、否定も肯定もしない。なぜなら監督の自伝的作品。実際にあったことを描いている(らしい)。これは家族の記録。

 

けれど…日常が脅かされるなんて考えたことない。学校や兄弟で遊ぶこと。母親に甘えたり、たまに帰ってくる父親と話をする。祖父祖母の家に遊びに行って、たまに皆が揃ったら映画館に映画を観に行く。外を歩けば誰もが顔なじみで、街中互いにどんな人間か知っている。そんな場所で生きていくはずだった。

 

「そんな場所で生きていくはずだった」

けれど。様々な状況、ご時世。思いもよらない出来事があっという間にこれまでの常識を覆していく。そんな事態を目の当たりにしてきた昨今。最早何に対しても他人事ではない。

 

そして。ラストシーンの恰好の良さよ。こういう選択も当然ある…。

 

有事の際。人はどう生きるのか。そしてかつて人々はどう生きたのか。

ただし。どういう選択をしても。生きることは必ずしも辛く悲しいばかりではない。

どんな場所でも人は生きる。場所だけはない。生き方を選ぶのは自分だ。

 

こんな時代だからこそなお、求められた作品だったんだろうなと。観逃さなくてよかったです。

映画部活動報告「シン・ウルトラマン」

「シン・ウルトラマン」観ました。
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庵野秀明企画・脚本。樋口真嗣監督作品。

 

次々と巨大不明生物【禍威獣(カイジュウ)が現れ、その存在が日常となった日本。

通常兵器は全く役に立たず、限界を迎える日本政府は,禍威獣対策のスペシャリストを終結し【禍威獣特設対策室専従班】通称【禍特対(カトクタイ)】を設立。

班長・田村君男(西島秀俊)。作戦立案担当者・神永新二(斎藤工)。非粒子物理学者・滝明久(有岡大貴)。汎用生物学者・鮒縁由美(早見あかり)が選ばれ、任務にあたっていた。

禍威獣の危機が迫る中、大気圏外から銀色の巨人。

禍特対には、巨人対策のために分析官・浅見弘子(長澤まさみ)が新たに配属され、神永をバディを組むことに。

浅見による報告書に書かれていたのは…【ウルトラマン(仮称)、正体不明】。

(映画シン・ウルトラマン公式ホームページ『イントロダクション・ストーリー』より引用)

 

昭:テーマは『空想と浪漫。そして、友情』。

和:はいどうも。当方の心に住む男女キャラ『昭と和(あきらとかず)』です。

昭:いつもはねえ~男女の心の機微を語りあってるんですけれどもねえ~本当に…なんで今回我々が召喚されたのか…荷が重いよ…。

和:この作品はどんな切り口で語っても角が立つ。でも…「観た映画の感想をすべて書く。順番を入れ替えない」がこの感想文の縛りなんで。ここ乗り越えないと先に進めないんですわ。頑張っていこう!

昭:(深いため息)頑張っていこう…ところで。当方は幼少期から全くウルトラマンに触れてこなかったこと、この作品が初めてのウルトラマン体験だったことをお知らせしてから始めていきたいと思います。後、そこそこネタバレ挟んでいくと思います。あしからずご了承ください。

 

和:どうやった?ウルトラマン

昭:こういう話やったのか~という感想。映画館で推定50台くらいの男性が「これはいいものを観させてもらいました」と感極まっていたところと、巷で耳にする往年のファンの皆様の口ぶりからも『うまくまとまったファンムービー』だというのは間違いないようなので。ダイジェストで『ウルトラマンとは』を教えてもらった感じなのかと。

 

和:禍威獣が跋扈するのが日常化した日本列島。なんで毎回毎回日本にだけ現れるんだよ禍威獣のやつ…日本政府は防災庁から禍威獣特設対策室専従班こと通称『禍特対』を設立し陣頭指揮を任せていたが…禍威獣との戦闘中、突如現れた銀色の巨人!はたして敵なのか味方なのか…と思っていたら、禍威獣と戦ってくれた!一体何者?!

昭:冒頭10分くらいに高速で『禍威獣VS禍特対の歴史』が展開されるんやけれど。もうこの「ウルトラQ のファン胸アツシーン」から「ああ…今日はファン感謝祭を観に来たんだな」と腹を括ったな。

ファンたちで「わかるわかる~」「こんな細かい所まで!」「懐かしい~こうやったよな~」ノスタルジック満載…やったんやろうな。知らんけど。

和:巷で見え隠れする賛否両論。当方は「こういうお話やったというのは分かったけれど、いかんせん人間の描き方にもやもやを感じる」というのが正直な感想。諸手を上げて良かったとは思わない、けれど駄作だとも思わない。

 

昭:禍威獣に翻弄されていた日本列島。禍特対を構えて対応していたが、被害も甚大。お金もかかる。そんなときに現れた巨人…なんと外星人(宇宙人)。

 

和:ウルトラマン登場以降、禍威獣の出現がとんとなくなった…代わりに外星人たちが入れ替わり立ち代り現れては日本政府に揺さぶりをかけてくる。

昭:世界を牛耳るにあたってこんな小さな島国を掌握したところで…もっと大国ねらえよ外星人…なんていらん事考えている暇なんてない。テンポも展開もキャラクターたちの会話も全部早い…下手したら振り落とされる…やってきた外星人はザラブ星人メフィラス星人、ゾーフィー。なかでもメフィラス星人山本耕史)はとびきりよかったね。

 

和:やたら多用する慣用句。そのあと決め顔で「私の好きな言葉です」。心がこもっていないうさん臭さがたまらん…山本耕史は適任やったな。

昭:「生体を巨大化させるベータ-システムを活用し、人類が巨大化することで外星人から身を守っては」という提案。口八丁手八丁で日本政府と商談を進めベータボックス受領式を取り付ける。

和:何故禍威獣が出現していたのか。それは地球に放置されていた生物兵器を放ちウルトラマンをおびき寄せるため。人類には「禍威獣対策」と持ち掛けたけれど、メフィラス星人の本心は「巨大化した人類を兵器として使う」という目的があった。

同じ外星人だから手を組もうとウルトラマンに持ち掛けるが断られ、受領式をぶち壊されて戦う…けれど途中であっけなく踵を返す。この急展開よ。

 

昭:光の国。ウルトラマンの故郷である星から来たゾーフィー。「宇宙の秩序を乱すものは四の五の言わずに消去!」という正義ゆえの一刀両断。最終兵器ゼットンで地球崩壊へのカウントダウンを始める。

和:つくづく外星人たち一方的やなあ~。一体地球が、日本列島が何をしたっていうんだ。

 

昭:人間パートの話、しとこうか。

和:聞き取る側を一切無視した早口の応酬。基本説明セリフ。円陣組んだ下からのアングルの多用…あれ、女性に優しくないショットよな~顔がたるんで見える。

昭:女性に優しくないといえば…例の巨大化したシーンどう思った?

和:メフィラス星人による浅見弘子の巨大化。ただただ心がざらついた…というよりも浅見弘子の演出全体に製作者のセクハラを感じて不快だった。

昭:自身に活を入れるのにお尻を叩く。癖だとしても、他人のお尻まで叩くのはなしやな。

和:唐突に「もう何日も風呂に入っていない」と言わせた直後に匂いをかがせるシーン。あれ何?気持ち悪い。

昭:こういう話なんだよとか、あの監督はこういうシーンを入れてくるんだよとか。いちいち目くじら立てるな。フェミニズムにおもねるのはつまらないとか。そういうおおらかにいこうぜという声もきいたけれど。

和:単純に『必要ない』要素やと思う。男女関係なく。面白くもない。エロくもない。「こういう女性っていいやん」とももちろん思わない。

 

昭:テーマには『友情』も入ってるんよな。

和:神永新二との融合で生まれたウルトラマン。自己犠牲を払ってまで人を想うその姿に打たれた。人類は救うに値する生物であると。

昭:禍特対メンバーの連帯感。ウルトラマンの分析官として投入された浅見弘子と神永新二の友情…友情?いつはぐくまれた?「私たちはバディなんだから」と刷り込むうちに?

和:とにかく人間パートは「脳内の引き出しで捕捉して鑑賞に当たれ」。雑…人間は物語を進めるための説明をする存在でしかない。

 

昭:最終兵器ゼットン。元ネタもエヴァンゲリオンも未修なんで…何とも言いようがない。

和:大風呂敷たたみ方が急やったな~。まあでもこれだけの情報量を1時間52分で展開してまとめたことを思ったら、これ以上説明して引き延ばすより落とし方がきれいなのかな。

 

昭:さんざん文句言っちゃったね。

和:でもねえ。じゃあ観るなよ!って言うのはご法度やと思うんよな。映画は誰にでも(年齢制限がなければ)開かれているし、どう感じるかは人それぞれ。誰かにとっては駄作でも、誰かにとっては名作なことは往々にある。ちょっとそのふり幅が大きかった作品だとは思ったけれど。

昭:映画館で「いやあ~いいもの観させてもらいました」そう言ってほころんでいた中年男性。映画を観て興奮して、感動する体験。かつてのウルトラマン少年にああいう表情をさせたなんて…なんてよくできたファンムービーだったんだろう。

 

和:浅瀬で好き勝手に語りましたが…シン・シリーズ…文句を言いつつも次回公開作品も映画館に見に行く予感がする。結局は『でっかい奴がでっかい奴と戦う』作品が好きなもんで…。

 


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写真は当方が高校生の時に買った『ウルトラマンハンガー』今でも現役です。