ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「17歳の瞳に映る世界」

「17歳の瞳に映る世界」観ました。
f:id:watanabeseijin:20210813094307j:image

アメリカ。ペンシルバニアに住む女子高生のオータム。

唯一の友人でいとこのスカイラーと一緒にニューヨークへ旅立つ二人。

それは予期せぬ妊娠に対する中絶手術を受けるためだった。

 

未成年の妊娠。そして親に同意を得ないまま秘密裏に中絶手術を遂行する。

現在立派な中年の当方には「あかんあかん」と眉を顰めるばかりの、この二人の女子高生の行動。

「当然倫理的な命の重み云々もあるけれど。何より貴方の体が心配だ。」「未成年で未成熟な体を、取り返しのつかない状態にしたくない。」「もしそういう事態に陥ったら一体誰が責任とれるのか。」「貴方の心に寄り添いたい。だからまだ早まるな。」

分別のついた大人の当方は、兎に角この主人公オータムを止めただろう。

「もし選択肢が同じ結果になるとしても、きちんと考えて。」

けれど。17歳のオータムが選択したのは「親にもパートナーにも告げずに中絶する」だった。

 

この作品の、もどかしくも秀逸なのは「主人公たちの取る行動に徹底的に寄り添っているところ。」肯定も否定もしない。ただただ淡々と彼女達に伴走する。

 

17歳のオータム。学芸会?の出し物で突っ込みにくい陰気な歌を披露するなどのノリ切れない女子。友達は同級生でいとこのスカイラーくらい。

実は気になっいた。遅れている生理や体の変化。一人産婦人科を受診したオータムは自分が妊娠したと告げられる。

親に相談できないまま。自然に流産する手立てはないのかと調べた挙句、ペンシルバニアでは未成年の中絶が難しいと知ったオータム。

唯一オータムの妊娠を知ったスカイラーと共に長距離バスに乗って。二人は旅に出た。

 

オータムの行動の全てに溜息を付いてしまう当方。あまりにも危なっかしくて。

当方は「不本意な妊娠を責めたりしないから。一番良い選択肢を一緒に選ぼう」と思うけれど。

オータムの行動は「誰にも知られたくないし信じられない」という周囲への拒絶。

 

当方が地味に嫌だなと思ったシーン。学芸会の後の打ち上げで、同級生の男子がオータムを「メス豚(言い回しうろ覚え)」と揶揄する場面があったんですよね。

それ自体も嫌な気分になりましたが。帰宅後も苛々している実娘に対して、父親も「メス豚呼ばわり」を蒸し返してオータムをイジリ始めるというシーン。

母親は当然父親に対して怒りを示していましたが…「そういう男性が同じ家庭内に居る」というのは、自身の体の変化を言いにくい、万が一同性である母親に真実を告げたら、廻りまわって家族に傷つけられるだろうと思うと…母親にも何も言えなかっただろうなと察した当方。

 

兎に角オータムの願いは「何事も無かったことにして日常に戻ること。」

同級生でいとこのスカイラー。同じスーパーでバイトしていた彼女は、オータムの窮地を知って、即行動…そして二人の中絶旅行は始まった。

 

またねえ。スカイラー。可愛いんですわ。

見た目の可愛いさ。それ故にバイト先の店長からセクハラをされていた。

オータムの妊娠と中絶したいとの意向を察して。バイトのレジの売り上げをポケットにねじ込んだスカイラー、そして二人は長距離バスに乗って旅に出る。

見た目の可愛さとは裏腹に。結構行動派…というか悪知恵の働くスカイラー。

けれど…やっぱり可愛い見た目故に、長距離バス内でもナンパされ。到着したあとのニューヨークでもその男性との縁は続く。

これもねえ。当方の老婆心がガンガン疼く案件。それは「視点を変えれば『運命の人』に見えるかもしれないけれど…やっぱり知らない男性と閉塞的な場所に行くのは危ないぞスカイラー。」自身の軽率な行為の危険性を意識しないと…そう思うけれど…この作品はスカイラーの行動もまた否定も肯定もしない。

 

オータムもスカイラーも決して多くを語らない。

キャラクターに心情をセリフで語らせない。寡黙で、交わすのは不安げな表情。

だからこそ老いたる当方は一方的に気をもんでしまうのですが。

ニューヨークの「明日には中絶手術が受けられる」産婦人科のカウンセリングで。「これは形式的なものだから。」と告げてからカウンセラーがサクサク質問してきた内容に対する、オータムの表情。

17歳。年齢にしては性交体験が豊富。けれどそれは幸せなもの?強制されたことは?暴力は無かった?相手は避妊した?

答えられる質問もある。けれど…言葉に詰まる質問がある。これまでの性交体験…若さ故の無茶もした。けれどそれは…一方的では無かったか。そこで当方の脳裏に過った「メス豚」呼ばわりし嘲け笑った男子たち。オータムが体を重ねた相手は今こういう事態になっても信頼できる相手ではないという絶望。

これまで終始寡黙で無表情だったオータムが、表情を歪め…言葉を詰まらせて涙を見せた瞬間。

 

「ああもう。頼むから。頼むから今じゃなくてもいいから…誰でもいいから相談してくれ。」「貴方を大切に出来る相手に体を預けてくれ。」泣きたくなった当方。

 

中絶手術を行う病院も、色んな事情を鑑みて宿泊施設がある事を提案したのに。「何とかなる」と突っぱねるオータムに歯噛み。

子宮頚管を広げるラミナリアで出血するなど「ああもう!だから安静にせいと言ってるでしょうが‼」脳内で叱咤。本当に!体を大切にしてくれよ!

 

なので…最後ペンシルバニアへ帰るオータムとスカイラーに「お疲れ様でした」と小さく口にしながらも、泣きたくなった当方。

 

これは、17歳の女子高生二人が判断し行動した出来事に否定も肯定もしていない物語。大都市には(実際の所どこまで本当なのかは分からないけれど)未成年の女性の中絶手術を手助けできる施設がある。

そこに家族に秘密で駆け込む未成年。その目的は「何事も無かったことにしたい」という切羽詰まった気持ちだったけれど…。

「なあ。命の重さ。忘れんといてくれよ。」

歳を取った当方はやっぱり説教臭い事を言ってしまう。

「誰かを堪らなく好きになって。相手が欲しくて体を重ねる。自然な気持ちやし悪くない。でも…自分が相手を想う気持ちよりも相手のウエイトが明らかに低いと感じた時は少し待ってくれ。」「大好きなその相手も大切やけれど自分の事も大切にしてくれ。」

 

とは言え。こういった選択を選んだオータムを、もうこれ以上追いつめてはいけない。

きっとしばらくはスカイラーがそっと寄り添ってくれる…けれど。

「ちゃんと貴方たちを大切にしてくれる相手に自分を委ねてくれ。」

 

説教臭い当方からの切なる訴え。17歳の瞳に映る世界に頼むから届いて欲しい。

大丈夫。そこまで絶望的ではないはずだと大きな声で伝えたいです。

映画部活動報告「ソウルメイト 七月と安生」

「ソウルメイト 七月と安生」観ました。
f:id:watanabeseijin:20210808072858j:image

2016年公開の中国香港映画。アニー・ベイビーの同名ネット小説の映画化。

チョウ・ドンユイとマー・スーチャンW主演。デレク・ツヮン監督作品。

 

上海で暮らす安生(アンシェン/チョウ・ドンユイ)は、ある日仕事からの帰宅中に映画会社を名乗る人物から声を掛けられる。それは「今話題のネット小説『七月(チーユエ)と安生(アンシェン)』を映画化したい」という依頼だった。

「この安生とは貴方の事でしょう?作者である七月さんと連絡を取りたいのですが。」

そんな小説は知らない。七月とはもう何年も連絡を取っていないと突っぱね、そそくさと帰宅した安生だったが。

「七月…。」13歳の時に知り合い、共に青春を駆け抜けた。家族同然で、楽しい事もあったけれど…同じ人に惹かれ。生活や環境も変わってすれ違いが増えた。気持ちをぶつけ合い苦しい思いも沢山した。そんな特別な親友、七月(チーユエ/マー・スーチャン)。

おもむろにパソコンを立ち上げ、教えられた小説を開く。そこに描かれていたのは、二人のこれまでの軌跡だった。

 

昭:はいどうも。当方の心に住む、男女キャラ『昭と和(あきらとかず)』です。

和:投げやりな言い方よ。

昭:だってこれ『男女の機微云々』案件ちゃうもん。男性目線で語る事…あるけれど、多分辛辣になってまうで。

和:まあまあ。そこはちょっと抑えながら…感想を言い合っていきましょうよ。

 

昭:13歳。かったるい軍事訓練の途中に知り合った安生と七月。父親不在で何だか訳ありな家庭で放置気味に育った安生と、両親に愛情深く育てられた箱入り娘の七月。育った環境も性格も全く違うのに、意気投合し一気に仲良くなった二人。何となく安生の家庭事情を察して、夕飯を一緒に食べさせたりお風呂に入れたり。まるでもう一人娘が増えたかのようにもてなす七月の両親。優しい。

 

和:15歳。高校に進学した七月と美容系専門学校に進学した安生。進む道は変わったけれど私たちはずっと一緒。そう思っていたのに…七月からの「私。好きな人ができたの。」

昭:はい来た!少女漫画展開!

和:険があるなあ~。「同じ学校の同級生で蘇家明っていうの。」

昭:七月からそう告げられた時の安生の表情よ。いかにも「私よりも⁈」っていう…でも惚れ気を聞かされては堪らない…思わず即日家明本人に声を掛けに行った。

和:「アンタの事を想っている女の子がいるよ」そして七月にも「行動あるのみ」とたきつけ。無事お付き合いするに至った七月と家明。

昭:そこからが長いんよな~。何だかんだこの二人27歳まで付き合い続けるんよな。

 

和:晴れて恋人同士になった七月と家明。けれど…三人で出かけた洞窟で、安生と家明が妙な雰囲気になっていたりと気が抜けない。

昭:ちょうどその時の彼氏だったバンドマンに乞われて、共に町から出る事を急に決めた安生。見送りの駅で泣きながら電車を追っていた七月は、手を振る安生の胸元に家明が付けていたお守りのネックレスが下がっている事に気が付き、思わず足を止めた。

 

和:バンドマンと破局。その後流浪の生活を送る安生。かたや堅実な大学に進学した七月と家明は交際を続けていた。色んな場所から送られてくる安生からの手紙。その最後はいつも「家明にもよろしく」で〆られていた。返事を書くけれど…一体今どこに住んでいるのか…七月からは安生に手紙を送る事が出来ない。

昭:大学卒業後地元の銀行に就職した七月。社会見学の為2年ほど欲しいと都会に出た家明。そして安生と再会する。

和:確か一回安生が地元に戻ってくる下りもあったよな。それで安生と七月で旅行に行くんやけれど…そこでお金とかの価値観の違いで言い合いになるの。

 

昭:よし。作品の流れをつらつらリレーするのはこれくらいにしておこうか。俺はここからは言いたい事を言う。

和:切り出し方が怖いよ…。

昭:これさあ。家明の魅力、どこにあんの。

和:おおっと。最大の問題点を付いてまいりました。

昭:高校生自分なら、確かに「ハンサムで勉強もスポーツも出来る」とかがあるんかもしれんけれど。この二人の女子が家明に12年も固執するのはなんでよ。

和:はっきり言うと安生は「七月から彼氏を取り上げたい」「七月は私のものなんだから」。けれど七月からしたら単純に「私の彼氏を取らないで」ってやつでしょう。

昭:お前…よく切れる刃物で切り付けられたみたいな気持ちになったぞ今。それって家明…不憫じゃないか?12年も二人の女子がキイキイ言いながら纏わりついて自由が利かないって。

和:いやいやいや。家明何だかんだ入れ食い状態やった訳でしょうが(言い方…)。大体、家明の優柔不断さも悪い。覚悟があったら「社会見学の為2年」とか言い訳せんと卒業してすぐに結婚するかとっとと別れるでしょうが。

 

昭:怖い…当たったら即死な剛速球を受けた気がする。そして物語の転機となった『七月の結婚式』。ここで遂に家明が失踪。花婿に捨てられた七月は地元には居られなくなり、銀行を辞めて町を出る事になる…ってネタバレすみません。でもさあ。「花婿に逃げられて町に居られなくなり」って…花婿の方が断然重罪やん。家明こそ二度とこの町に戻れないやんか。

和:それが七月が最後に家明に出来た優しさやったと思うな。長い間ずっと囚われてきた七月と安生との関係や『堅実な世界』から…自分と共に解放してやった。

 

昭:家明優柔不断意味不明キャラについて俺はもう深追いしない。そして物語の終盤でやっとこの元ネタとなったネット小説『七月と安生』の全貌が見えてくる。

 

和:なんかさあ…終盤は「もうどこで着地してもいいんですけれど」の連続やったね。

昭:コロコロ変わる真実のその先。このネット小説の本当の作者は。そしてどういう意図で書かれたのか。結末は作者の「こうであって欲しい」という想いが込められていたと。

和:う~ん…時系列が意外とタイトやったんやなあ~…そしてあの子供の真相が本当なら、ちゃんと然るべき身内に相談しないと。別に勘当されている訳じゃあるまいし。

昭:ちょっと大風呂敷の畳み方の雑さが気になったかな。というか、全部見終わってから振り返ると随所随所で現在の安生の行動に整合性が無くなる…。

 

和:切り替えよう!最後に。W主演の二人、可愛かったね。高畑充希みたいなきりっと美人な顔立ちの七月と、元モーニング娘。加護ちゃんみたいなファニーフェイスの安生。

昭:俺初めて加護ちゃん系の可愛さを認識した。またねえ。二人とも演技が上手い。

 

和:『少年の君』公開記念での期間限定公開。感想文を書いている今現在はもう上映終了してしまったけれど。瑞々しい青春映画が観られたね。

昭:俺、二人の女子が長い間一人の男子を巡って…てっきり『星の瞳のシルエット』(柊あおい著1985~1989年リボンコミックス掲載の漫画)的なやつかと思ったよ。まああれはあれでフラストレーションが溜まるんやけれど。

和:やめてやめて。話が長くなる上にややこしい別案件もち込まんといて…やめて…(フェイドアウト)。

映画部活動報告「親愛なる君へ」

「親愛なる君へ」観ました。
f:id:watanabeseijin:20210805181541j:image

台湾。ピアノ教室の講師・ジェンイー(チェン・シュ―ファン)。老婦・シウユーとその孫・ヨウユーとの3人暮らし。重度の糖尿病を患うシウユーの介護と、まだ幼いヨウユーの面倒を一人で見ているが彼らとジェンイーに血の繋がりはない。

ただの間借り人であるジェンイーが何故彼らに尽くしているのか。それは、この二人が今は亡き同性パートナーの家族だから。

ある日、シウユーが急死した。その死因を巡り、疑いの目を向けられる事になったジェンイー。しかも警察の捜査が進むにつれ、ジェンイーにとって不利な証拠が次々と見つかっていく。

 

第57回台湾アカデミー賞金馬奨)の最優秀主演男優賞と最優秀助演女優賞、最優秀オリジナル音楽賞受賞作品。チェン・ヨウジエ監督。モー・ズーイー主演。

 

港町に立つ家。そこに住む、シンユ―とヨウユー。糖尿病と難治性潰瘍を患う老婦のシンユ―と小学生のヨウユー。二人ではままならない生活の面倒を見、切り盛りしているのは『間借り人』のジェンイー。

血の繋がりのない赤の他人。そんなジェンイーがかいがいしく二人の面倒を見ている理由…それは、かつて愛した同性パートナーが遺した家族だから。

ヨウユーがまだ幼かった頃に他界したパートナー。シウユ―とヨウユーの世話をする事が何よりも弔いになると感じていたジェンイーであったが。

 

冒頭、ジェンイーが法廷に立つシーンから幕明け。『シウユーを殺害した罪』で審判されることとなった彼には一体どういう事情があったのか。

 

物語はサスペンス調で進められるが、終始もの悲しい雰囲気が漂う。

海辺の家で暮らす3人。あくまでも間借り人のジェンイーは屋上に寝泊まりしているが、家族の生活の全てを担っている。

小学生のヨウユーは「もう一人のパパ」とジェンイーに懐いており、老婦であるシウユ―も体調に波があり頼らざるを得ない。

昼間はピアノ教室で子供たちにレッスンし、帰ったら二人の世話に明け暮れる日々。

 

劇中で取り調べ中に「どうして亡くなったパートナーの家族の面倒を見ているのか(言い回しうろ覚え)」と聞かれた時に「もし僕が女性で、結婚した相手が亡くなったとしてその残された家族の面倒を見ているとしたら、同じことを言いますか?」と答えていて、確かに性差は無いはずだな…とは思いましたが。だとしてもジェンイーの『未亡人』としての徹底ぷりよ。

 

ヨウユーは懐いてくれて可愛いけれど。シンユ―がねえ…(溜息)。

糖尿病がかなり進行しており。おそらく他愛もない足の怪我から難治性潰瘍へと移行した。痛みが強く身の置き所が無くて、そのせいで感情にもムラがある。

大人しく医者のいう事を聞いていたらいいのに、民間の得体の知れない何かに頼ろうとする。一時的に透析をする羽目になったり、足切断まで状態は悪化しているのに治療を放棄する。挙句薬に依存する。はっきり言って「コンプライアンス不良患者」。

名演を評価され、助演女優賞を受賞するに至ったチェン・シュ―ファン…彼女の真に迫ったシウューの演技に、下手したら舌打ちしそうになった位苛々した当方。

 

「体が辛くなったら泣きつく。そうやって中途半端に病院に掛かりながらも、治療に対して非協力的。かといって自宅で自己流で良くなるはずがない。挙句家族に当たり散らして家族の精神を追いつめ疲弊させる。薬の飲み方もヤバい。ホンマにタチが悪い。」「誰かがシウユーを殺したとしても、これは自業自得だ。」

(なかなか自分の病気と向き合えない、怖い、という感情は当然理解していますけれど…ここまでくるとやっぱりシウユーが悪いですよ)

 

最終的に「何が起きたのか」は明かされていましたし、その流れも「ああ…なんでこんなことになってしまうのか」と悲しくなってしまいましたが。それでも当方は「自業自得だ」としか思えない。

 

ひたすら、愛する者=家族を守ろうとしたジェンイー。

養子縁組をし、晴れて親子となった。ヨウユーが可愛くて大切で、本当はパートナーと一緒に育てたかったけれど…これからも一緒に暮らすための環境を整えつつあった。

体調がコントロール出来ている時のシウユーは、辛辣さを顰めて自分をねぎらってくれる。そんな穏やかな家族のシーンがただただ悲しい。

 

闇の薬物売人。20代の最高潮だった頃のいしだ壱成みたいなビジュアルの彼がジェンイーに言った「無理をして詰め込み過ぎるなよ(言い回しうろ覚え)」。

あまりにも献身的過ぎるジェンイーの姿に、これは精神的に息詰まるだろうと思っていたので、こういう存在の人物が居た事に内心ホッとした当方。

 

そして。亡くなってしまったパートナーとの暖かい思い出と、「どうして彼は逝ってしまったのか」が語られる終盤。

 

「パートナーの死後、ずっとあった贖罪の気持ち。それが今回シウユーの死を問われた時に罰を請け負う事で家族を守ろうとしたんだな。」

でもそんな自己犠牲…よくない。

 

ヨウューがねえ。本当に可愛いんですわ。熱演が素晴らしい。

ジェンイーを「もう一人のパパ」と呼んで懐いていた。なのに…祖母の死後、周りが色々言ってくる。ジェンイーは自分が知っている人間ではないと言う。

結局全てを分かっていたヨウユーが、ジェンイーと引き離されるシーンには、当方の脳内で中島みゆきを流しながらの涙、涙。これはあかん。

そして最後…穏やかに幕を下ろしながらの、ヨウユーの歌にまた泣く当方。

 

ジェンイーは果たして『愛する家族』を守れたんですかね?

 

幕を下ろした後の世界が、ジェンイーとヨウユーにとって暖かいものであって欲しいと切に願います。

映画部活動報告「プロミシング・ヤング・ウーマン」

「プロミシング・ヤング・ウーマン」観ました。
f:id:watanabeseijin:20210803005215j:image

「私たちは『将来有望な女性』のはずだった。」

エメラルド・フェンネル監督/脚本作品。

 

医大生のカサンドラ・トーマスことキャシー(キャリー・マリガン)。在学中に同級生で親友だったニーナに起きたショッキングな事件によって大学を中退し、現在はコーヒーショップで働く日々。

かつての覇気もなく過ごす彼女だったが。実は夜な夜なバーやクラブに出没しては泥酔したフリを装っては男に「お持ち帰り」されていた。

 

キャリー・マリガンで復讐劇かあ~。」

あどけない笑顔。美少女だった彼女もすっかり大人。(当方的に好きなキャリー・マリガン出演作は『わたしを離さないで』。)

「何ていうか…歳を重ねたんやなあ~。」

角が立たない様にしたいのは山々なんですが。当方が彼女を見て感じた第一印象。

ファニーフェイスだからといって、幾つになってもフワフワした格好が似合う訳ではない。今回のキャシーの恰好ははっきり言うと子供っぽいし若作りで老けて見える。

と言うのも、実はキャリー・マリガンはスタイリッシュな恰好の方が映えるのでは…と思っている当方。

「でも。そう見える事込みでこういう恰好をさせたんだろうな。」

体は確実に歳を重ねている。けれど精神的には成熟しきっていない。それは、己が大きくトラウマを受けて立ち止まってしまった時から動いていないから。

はたから見たら、三十路の女性はおよそしないファッション。けれど本人は気にならない。何故ならばそこで全てが停止したから。

 

この作品の感想を語るにあたり。ある程度のネタバレをしていかなければどこにも踏み込めないと思うので…先んじて今回多少ネタバレをしていく事をお詫びします。

 

同郷で幼馴染。ずっと仲良しでいつも自分より優秀だった。そんな大親友・ニーナが大学在住中に同級生のアルにレイプされた。

ニーナは精神を病み。キャリーは大学に提訴したが「将来有望な青年の未来を断ち切るつもりか(言い回しうろ覚え)」と突っぱねられる。

ニーナとキャリーは大学を中退。その後、ニーナは自殺してしまった。

 

時は流れ。両親と実家暮らし。昼間はコーヒーショップ店員。夜は泥酔したフリをしては男に「お持ち帰り」させては「いざ事に運びそうになった時」に覚醒して反逆する。そんな日々を送っていたキャリーは、コーヒーショップに客として訪れたかつての同級生で小児科医・ライアン(ボー・ゾーナム)と再会する。

 

「酔ったフリをして男をひっかけ。二人きりでエロい雰囲気になった時に反逆する。」

危ない…そんなの、男性が逆上したらどうするつもりなんだ。何だかんだ腕力では男性に女性は勝てないし危険極まりない…。キャリーのお馴染みの手口(言い方よ)を見せられた刹那、脳内に危険信号が灯り表情を険しくしてしまった当方。

その行為を繰り返しては手帳に記録を残していたキャリー。「酔っ払っていて相手が前後不覚」「だからと言って女性に乱暴していいわけではない」という自己流啓蒙活動を積み重ねていた彼女の前に現れたかつての同級生ライアン。

 

「この人も他の男性と同じ?」

始めこそ随分警戒していたけれど。何度か会う度にライアンの誠実さに惹かれていって。互いに恋に落ちていく。

 

ニーナの母親に言われた「もう貴方は前を向きなさい」。

ニーナを忘れないでいてくれてありがとう。でももう貴方は自分の人生を歩んで頂戴。

当方は誰の親でもありませんが。確かにそう言うだろうなと思いますよ。

 

久しぶりの恋の予感に酔うけれど…大学時代の同級生と再会し交流を深めるという事は、おのずと他の同級生の近況も目にしてしまうという事で。

 

「あんな事をしておいてのうのうと暮らしている。」

いまではセレブ気取りの同級生女子。当時聞く耳を持たなかった大学校長。そして…元凶のアル。

キャリーの復讐劇。それは概ね『目には目を。歯には歯を。』やられた事と同じ事を相手にぶつける。「だって仕方ないじゃない~」とかつての出来事に言い訳を付けたその内容をそのまま相手に投げ返す。

 

少し脱線しますが。

「例えば。学生時代などの若い頃に散々周りを振り回した(本人にとっては)大恋愛や、人を人とも思わない不義理をかましたなどの迷惑。そういう思い出を全部チャラにできるよな。結婚と出産て。」と思う時が当方にはあります。

「この人と一生一緒に過ごせるなんて幸せ」とか「生まれてくれてありがとう。貴方は私の宝物です」。その気持ちに嘘はないとは思いますが。そういう浄化されたハッピーポエムを見るとふと過る「過去のお前を忘れるんじゃねえよ」という心の声。

 

キャリーの復讐の原動力。かつての同級生たちが社会的に成功していき。新たな人生の節目を迎えている。けれど忘れるんじゃない。かつてお前たちが犯した事を。

「私たちは『将来有望な女性』のはずだった。」

 

中盤以降。在学中に泥酔した親友がレイプされたおぞましい事件の追加情報を知ってしまい。

「もう復讐なんてやめよう」と切り替えつつあっキャリーの進行方向ががっつり方向転換され、暴走していく終盤。ですが。

 

「どうして自らの手で制裁しないといけないんだね…。」溜息の当方。

「確固たる証拠を掴んだんやから、社会的に殺せばいいやないか。どうせこいつらは一人では何も出来ないんやから。」「法的手段を取れ。」

前述の『自己流啓蒙活動』しかり。キャリーが単独で動くのは危険極まりないと思うのに…どうしても自分の口で相手にモノ申したいし、己で制裁を下したい。

「後は多分…それで自分が死んでも良いと思っているんだろうな。」

 

この復讐劇がどういう決着をつけたとしても。万が一自分の目で見届けられなかったとしても…絶対にこいつらに逃げ場は与えない天罰を下してやる。

キャリーの意気込みは十分に伝わる最後でしたが…どうしても「痛快!」とは思えなかった当方。

 

「だって。これはニーナが望む事なのかね?」

物語には一度も登場しなかった、キャリーの大親友ニーナ。有望視され、不本意にも若い命を自ら絶った。その彼女は、果たして親友にこういう復讐劇を望むんでしょうかね。どうしても…当方はそう思えなくて。ただただ溜息。

 

最後に余談で〆ますが。

キャリーが最後敵陣に乗り込む時に流れていた音楽が、ブリトニースピアーズの『Toxic』。それまでも「なかなかな選曲をされるな」と思っていた当方の脳が痺れた瞬間。

この作品を撮るにあたり、エメラルド・フェネル監督がキャリー・マリガンに「これを聴いておいて」と渡したと言われるセットリスト、是非とも聴いてみたいです。

映画部活動報告「ライトハウス」

ライトハウス」観ました。
f:id:watanabeseijin:20210802163948j:image

ロバート・エガース監督作品。主演、ロバート・パティンソンウィレム・デフォー

 

1890年代。ニューイングランドの孤島にある灯台が舞台。4週間の間、灯台と島の管理を任された二人の灯台守。

年配でベテランのトーマス・ウェイク(ウィレム・デフォー)と若者で新米のイーフレイム・ウィンスロー(ロバート・パティンソン)。

第一印象から最悪。偉そうで意地悪で口煩いトーマスに辟易しつつも、言われる仕事を真面目にこなすイーフレイム。なのにいつまで経ってもトーマスはイーフレイムを灯台の天辺には立ち入らせてくれない。

それでも何とかコミュニケーションを取れるようになったかと思ったのもつかの間。

嵐のせいで、迎えの船が来られなくなった。

 

完全に孤立した環境でたった二人。食料ももうじき尽きる。

天候不順。閉塞感。相手への不信。不安。持て余す精力。壊れていく精神。拠り所が無いフラストレーションは現実を歪めていく。

果たしてこれは夢かまことか。

 

〜という感じの内容だったと当方は解釈。

 

1801年に実際にあった『スモールズ灯台』で出来事を下書きにしている(ざっくり言うと二人の灯台守のうち一人が亡くなったけれど、迎えが来られない状況の中、死体を棄てる訳にもいかず、死体と数か月一緒に過ごす羽目になった…この案件を受けて「灯台守は2人ではなく3人制にする」という決まりが出来たらしい)とか。賢い先人達の感想からの「ギリシャ神話や民話のエッセンスも盛り込まれており云々」等々…「世の中には知見に富んだ人々が居られることよ」と、対する己の知識の浅さに溜息が出ましたが。とはいえ「知らない事を知ったかぶりする」というのはしない主義なんで。率直な感想のみで浅瀬から続けていきたいと思います。

 

全編白黒。画面もほぼ正方形。あまり音楽が流れるず。不気味な灯台の音や、鳥たちの鳴き声、風、海のうねり声。役者もほぼ灯台守二人のみ。このどこまでも窮屈な世界観。なのにその中身はコンパクトに収まらず、混沌としていて何が何だか纏まらない。

若い灯台守・イーフレムの視点で物語は進行していくので、序盤は兎に角ベテラン灯台守のトーマスの態度が腹立たしい。

「元船乗り」の自慢話。先輩だからと大きな顔をして、散々雑用係としてこき使ってくる上に本来の仕事はまともに教えてくれない。直ぐに大声で怒鳴り散らし。いつも酒を飲んでいる。

けれど。次第にイーフレムも一筋縄ではいかない男だと判明。しかも勧められても散々断ってきた酒を飲んだ所から、二人の世界は混沌へと加速していく。

 

「ああ人は酒の前には無力よの。」

当方もしがない酔いどれなので。二人が酒を酌み交わし、次第に壊れていく様には静かに頷くばかり。

楽しい時もあるんですよ。飲むピッチとテンションが合う人と飲むのは。話が盛り上がり、笑い合い、歌って踊って。けれど懺悔タイムやらが始まるともうあかん。しかも翌日に記憶がしっかり残るっているとか…気まずいし忘れて欲しい。いっそ相手もろとも末梢したくなる。

 

4週間の我慢。正直給料も良いし、手に入った金でもっと自由な生活をするんだ。そう思っていたのに。嵐の襲来。そうなると迎えの船は島には辿り着く事が出来ず、しかもトーマスが言うにはこのまま数か月孤立したままになる事もありうるという。

 

当方には神話も民話も語るすべはありませんので。率直な感想を言うと「完全に孤立した閉塞的な環境で解放される目途もない時、人は壊れるよな。」ということ。

ましてや。たった二人なのに、どうしても信頼関係が築けない相手。

 

二人の自慰行為のシーンなんかもありましたし、酔った勢いで「おっと…危ない所だったぞ!」みたいな流れもありましたが。まあ(当方が思うに)結局はあの灯台自体が男性の象徴みたいなもんで。その天辺を独占していたトーマスが一体何を見てエクスタシーを感じていたのか。そしてイーフレムは一体何を見たのか。まあ「よっぽどエエもんん」なんでしょうけれど。

 

見事に取っ散らかった感想文になってしまいました。

トーマスから「カモメをいじめるな」と言われていたイーフレムの顛末。あれを見た時に「結局灯台の天辺にあるエエもんを体感してしまった者にはああいう顛末が下るんだな」と感じた当方。後、巨大海洋生物恐怖症の当方にとって、あの人魚は視覚的にキツかったです。

 

知見が無い当方は浅瀬で鑑賞するのみに終わりましたが。この作品の終始凄い所は「どこを切り取ったとしても画になる」という画力。センスがずば抜けている。

 

なので…当方的には久しぶりの『オサレバー映画』だったという印象(注:『オサレバー映画』オシャレなバーで無音で流れている映画。当方の造語)…いつか堂々と夜間に外でお酒を飲める日が来たら…是非ともオシャレなバーで流して欲しい。無い引き出しから引っ張りだしたうんちく語りながら、ベロンベロンで鑑賞したいです。

映画部活動報告「スーパーノヴァ」

スーパーノヴァ」観ました。
f:id:watanabeseijin:20210723233537j:image

ハリー・マクイーン監督作品。主演、コリン・ファース/スタンリー・トゥイッチ。

 

20年来のパートナーである、ピアニストのサム(コリン・ファース)と作家のタスカ―(スタンリー・トゥィッチ)。

情熱的な時を経て、穏やかな愛情で繋がっている現在。これからも二人で生きていく。死が二人を分かつまでは…そう思っていたのに。

タスカ―に不可逆的な病が見つかった。悲しいかな特効薬はない。次第に彼の記憶は薄れ、人格が変容していくだろう。

「二人で過ごした日々を忘れていって。そして何も分からなくなっていく。」

元々が知的なタスカ―にその現実は受け入れたがいし、パートナーであるサムも正直どう受け止めて良いのか分からない。

 

サムのコンサート会場まで。二人でキャンピングカーに乗って向かう旅路。懐かしい人々との集いなどを経て。二人が出した答えとは。

 

「ああこれ。ACP案件(アドバンス・ケア・プランニング)だ…。」

 

【当方の感想文よりそのまま抜粋】

近年医療業界で見かける言葉。いわゆる『人生会議』ことACP。

自身の終末期をどういう風にするか。それを心身共に健康な内に家族や周囲の人間と話し合い、自分の意思を伝えておくこと。もし自身に不測の事態が発生し、生死を彷徨う羽目になった時…延命を行うか死を選ぶのか。その選択と決定を自分以外の人にさせなくて済むために。自分らしく生きる、または死ぬために。事前にそういう話しをしておきましょうという内容。

 watanabeseijin.hatenablog.com

 

自身に不可逆的な疾患が見つかった。その性質上、いずれ様々な出来事に対し今と同じレベルでは判断が出来なくなる。

そんな時。「元々私はこういう判断をする人間なんだ」という意思表示をし「だからこうしてくれ。」と信頼している相手に依頼しておくこと。

 

『いざ』という時。事前の打ち合わせがないことで、一体どれだけの人が苦しんだか。それは『誰かの為に生かされた人』だけではない。『本人は生きていたいはずだと決めた人』の心をも時に追いやった。

 

この作品は一貫してシンプル。つまりは、病によってこれからおそらく何もかも忘れていくだろうと思っているタスカ―は「お前の世話になるくらいなら今の状態のうちにケリを付けさせてくれ」と望んでいるが、パートナーであるサムは「そんな事を言わんと生涯を共に過ごさせてくれ」と思っている。その攻防戦(言い方よ)。

 

二人でキャンピングカーに乗ってのドライブ旅行。かつて訪ねた思い出の地。サムの実家。サムの家族や昔からの友人とのパーティ。

それは楽しいイベントではあるけれど…悲しい。それは全員が「おそらくこれが仲睦まじい二人の最後の姿…」と分かっているから。

 

誰にでも訪れる終わりの時。人は一人で産まれ、基本的には一人で死ぬ。

愛し合い。もう二度と離れない、生涯を共にすると誓っても…どちらかが先に逝く。

その『先に』となってしまう者と『見送る』立場になってしまった者。

 

当方が思ったのは…「サムよ。もしタスカ―と立場が逆だったら…?」

 

生涯を共にすると誓ったパートナー。例え病に侵されたとしても、自分との思い出を全て失ってしまったとしても…自分の事を認識できなくなったとしても…怖いけれど、決して見捨てたりしない。だってずっと一緒に居ると誓ったじゃないか。

そう言うのは美しい。けれど…もし自分がそれを言わせるほうの立場だったら?

 

パートナーを愛する気持ちは今は変わらない。けれど、その感情は無くなってしまうだろう。愛した者の事も分からなくなってしまう。自分の感情が…いつか…手に負えないモノになっていって、体という器しか残されない。そうやって自我が崩壊していく未来を感じた時。大切なパートナーにそんな無様な姿を見られたくないと思うのは自然の摂理ではないか。

 

「綺麗なままでありたい」

それは、二人の思い出。パートナーに見せた自身の姿が、これからどう変化するのか想像もつかない自分のせいで良くない方向に上書きされたくない。

 

またねえ。主演二人が持つ元々の佇まいと、サムとタスカ―というインテリジェンスで静謐なカップリング。なので、それなりにもがいているのにぱっと見の受ける印象は淡々と静かな作品。

 

お前は怖いだろう。けれど俺だって怖いんだ。一人になるのは怖い。一人にしないで。

あの。感情をぶつけ合い、そして抱き合って眠った夜。

 

人生会議はきっと一回では解決しない。

『生涯を共にする』と誓った相手と。どう互いの人生を終えるつもりでいるのかを話し合う。そんな大切なことは、たった一回では答えは出ない。けれど。

 

星空を見上げた時。尽きてしまう前にきらっと光る星のように。

互いを支え合うように生きた、二人の人生が共に美しく光るためには。

 

とりあえず作品の幕は降りたけれど。どういう答えを二人が出したのかは、観ているこちらに委ねられたのだと。当方はそう感じたし…正直答えは出せていないです。

映画部活動報告「ゴジラvsコング」

ゴジラvsコング」観ました。
f:id:watanabeseijin:20210715084527j:image

怪獣の王者であり破壊神ゴジラVS.髑髏島の守護神コング。

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』でキドラに打ち勝ち怪獣王となったゴジラ

怪獣の研究調査機関『モナーク社』はゴジラとコングが太古から続く因縁の宿敵であると知り、コングを髑髏島に設置した「モナーク第236前哨基地」に収容した。

しかし。最早施設に収まらないほどに巨大化したコングはその環境にストレスを抱え爆発寸前まで追いつめられていた。

そんな頃、再び人類の前に姿を現し始めたゴジラ。その脅威に世界中が震える中。テクノロジー企業『エイベックス・サイバネティックス』のCEOは、かつてモナークの主要メンバーだった芹沢猪四郎の息子・芹沢蓮を連れて、元モナークの地質学者・ネイサン博士の元を訪れる。

「地下空洞には巨大生物たちの生誕の地がある」という『地球空洞説』を唱えるネイサン博士に対し「地下空洞にある、巨大生物たちの命を支える生命エネルギーを手に入れて、ゴジラに打ち勝とう。」

地下空洞まで行くには、特殊な重力が働くエリアを通過しなければならない…人類には到底通過できないと渋るネイサン博士に、エイベックス社が開発した飛行機『ヒ―ヴ』ならばそれが可能だと後押ししてくるCEO。

ネイサン博士から連絡を受けた、人類学者・アイリーン博士。その内容は、彼女が研究対象としているコングを地下空洞都市付近まで連れてきて欲しいというもの。

コングの帰巣本能を利用して、自分たちも地下空洞都市まで付いていきたい。正直この目で見てみたい。巨大生物たちの故郷を。

 

コングを海上輸送している途中…因縁の相手、ゴジラが海からやって来た。

 

ゴジラ映画を観る理由…怪獣が暴れる様を観たいからです。」

「大きな怪獣とでっかいゴリラが取っ組み合いする所を今日は観に来ました。」

何回か初心を口に出さないと「…あれ?当方は一体今何を観ているのか?」「辻褄ってなんだ。物語の整合性ってなんだ。」と心がざわついてしまう。

本来2020年公開予定だった今作品。昨今の疫病で公開延期を繰り返し…その度公開初日に有給休暇を取り続けていた当方。万感の思いで迎えた2021年7月2日。

(と言いつつ。当方は往年のゴジラシリーズには全く精通していないんですが。)

 

「うわ~どでかいスケールで愛らしい作品作ってしもうたな~(遠まわしな言い方)。」

もうねえ。細かい事はエエんですわ。何しろ今日は「でっかいモンとでっかいモンが取っ組み合いをする」のを仕事休んで観に来たんですから。

「結局この『モナーク』ていう研究機関はどこから出資されて成り立っている会社なんだ。」「テクノロジー企業『エイベックス』って。今ってこういうベンチャー企業がのさぼれる時代では無いと思うけれどな~。」

そんな事思ってはいけない。ましてや、前作のゴジラ映画で出演していた少女がもう女子高生になっていて。ふくよかな友人男子と一緒に、陰謀論者・バーニーという胡散臭そうな黒人男性と冒険活劇を繰り出す様も「正直このパート、要る?」とか口に出すことはご法度。(アメリカと香港の距離感って?エアシューターみたいな装置で人類が装具も無く移動出来る技術こそを世界に売り出せよ、エイベックス!)

 

「もういっそ、人間たちがゴチャゴチャしているシーン全部要らん。ゴジラとコングの取り組みだけ観ておきたいんや‼」

でもねえ。巨大生物のバトルだけでは当然話が進行出来るはずがない。そうなると、かったるい人間パートが必要で…ただ、この『モンスターバース』シリーズ4作目となった今作品は、前作たちと比較しても圧倒的に人間ドラマが…薄っぺらくて…愛すべきおバカ映画でした。

 

「これでは小栗旬も浮かばれない。」正直特別な思い入れのある俳優さんではありませんが…流石に『芹沢猪四郎博士の息子』という役にしてはモブ扱い過ぎる。捨て駒も甚だしい。

今作最大級のネタバレ。公開直後から各所で盛大にネタバレしまくっているのを見るにつけ、「全ての情報をシャットアウトして鑑賞に望め。」としか言うしかない当方。一応ネタバレは避けようと思っているので…結果こういうフワフワした感想文になってしまっている次第ですが。

 

作品としてのストーリーについては「アイタタター!」と思っている当方ですが「今日はゴジラとコングの取っ組み合いを観に来ました!」という意味では大満足だった作品。

様々な技術が進化した現在では、こんなにワクワクする取っ組み合いが見られるのか!そして最終決戦となった香港!何このサイバー都市⁈『ブレードランナー』⁈

ゴジラとコングが出会い、即つかみ合いの喧嘩になった海上決戦も。「そもそもそんな巨大生物を輸送するにはその船の規模は小さすぎるって!コングからしたら畳一畳の上で寝てるようなモン!その上で飛び上がられただけでも転覆するぞ!」という別視点のハラハラもあり。息つく暇もない。

「確かゴジラって放射能を吐き出した後は疲れてませんでしたっけ?」とういう心配もよそに。盛大に放射能を吐きまくるゴジラ

「えっと。その地下空洞都市は一体誰が建立したのでしょうか?」「その知恵と理解力があれば手話じゃなくても会話出来るやろうが。にしても視力が凄まじいなコング!」

武器を振り回すコングと兎に角力でねじ伏せてくるゴジラ。もう画になる画になる。

 

「そもそも良いモンのはずのゴジラが、何で今回はやたらと都市を襲う悪いモンになってんの。」

そこに件のベンチャー企業が持つ(すっげえ子供じみた)欲って奴が絡んでいて、それは最終明かされるけれど…一応ここまでで以降は自主規制。

 

ゴジラとコング、どっちが強いの。」という問いにも答えた。けれど決戦を経て互いに芽生えた仲間意識は何だか微笑ましい。

おそらく…今作品が(当方が勝手に思っている)『モンスターバース』シリーズの最終回。思えば回収しきれていない伏線が沢山あるような気がしてなりませんが。まあそれはご愛敬だと見なかった事にして。何にしろ、お疲れさまでした(何様だ)。

 

「だって今日はゴジラVSコングを観に来たんやから。」

ゴチャゴチャ御託を並べない。お祭り映画は頭を空っぽにして身を委ねる、それだけ。

まさに大きなスクリーンで観るべき大作娯楽作品でした。