ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ノマドランド」

ノマドランド」観ました。
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2008年、アメリカ。大手証券会社破たん…いわゆるリーマン・ショックによる経済危機はあらゆる世代に影響を及ぼした。

主人公のファーン(フランシス・マクド―マンド)もその一人。

ネバダ州エンパイヤで臨時教員として暮らしていたファーン。夫の働いていた工場が閉鎖。夫とも死別した。

工場で持っていた町は活気を無くし…人口が減少したことから町としての機能を失い、遂には郵便番号が消滅。住んでいた住民達は住む場所を失った。

「またひとつ、村が死んだ…(ナウシカ風)。」

 

住む場所を失ったファーン。家財道具一式をキャンピングカーに詰め込んで、住み慣れた町を後にする。こうして彼女は〈ノマド(=遊牧民)〉となった。

移り行く季節の中。短期労働の現場を渡り歩く。その中で出会うノマドたちとの交流。

 

ジェシカ・ブルーダ―著『ノマド 漂流する高齢労働者たち』原作。クロエ・ジャオ監督。主演のフランシス・マクドーマンドとデイブ役のデヴィッド・ストラザーン以外は実際にノマド生活を送る人々が出演。ドキュメンタリーとフィクションが融合する作品となった。

 

「人はただ 風の中を 迷いながら 歩き続ける(遠い日の歌)」

 

映画を観る醍醐味とは?

人により様々でしょうし、当方も一言で語る事は出来ない。けれど…映画を観る事で知る「こういう考え方もあるのか」「こういう世界があるのか」という発見と驚き。それは映画が持つ、紛れもない魅力の一つだと思う当方。

 

「ああ。今とんでもないものを観ている。」

 

ノマドランド』を観ている最中。目の前にファーンという女性を通じた世界が広がっているのに、終始一点集中が出来なかった当方。

というのも。「人生をどう生きるか」について考えていたから。

 

『ACP/Advance Care Planning:アドバンス・ケア・プランニング』

将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、患者さんを主体に、そのご家族や近しい人、医療・ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、患者さんの意思決定を支援するプロセスのこと。患者さんの人生観や価値観、希望に沿った、将来の医療及びケアを具体化することを目標にしています。(東京都医師会より抜粋)

 

近年医療業界で見かける言葉。いわゆる『人生会議』ことACP。

自身の終末期をどういう風にするか。それを心身共に健康な内に家族や周囲の人間と話し合い、自分の意思を伝えておくこと。もし自身に不測の事態が発生し、生死を彷徨う羽目になった時…延命を行うか死を選ぶのか。その選択と決定を自分以外の人にさせなくて済むために。自分らしく生きる、または死ぬために。事前にそういう話しをしておきましょうという内容。

 

この物語の主人公、ファーン。夫とは死別。臨時教員として働いていた頃もあったけれど今は無職。

住み慣れた町は事実上消滅。家財道具一式担ぎ込んでのキャンピングカー生活。それを〈ノマド遊牧民)生活〉と言ってしまえば恰好が良いけれど…それは『ホームレス』と紙一重じゃないか。いつ破たんしてもおかしくないぞと思った当方。

というのも。ファーンがリタイア世代…つまりは高齢者世代であるから。

 

慎ましやかな(当方なりの配慮)キャンピングカーに乗って。寒さに震え、雨風に身を縮め。短期労働を繰り返しながら転々と移動する。

時に同じ境遇の仲間たちと交流し。これまでの互いの半生を語り合う。互いに不要なものを交換し、本当に必要な持ち物だけで暮らしていく。

今まで見る事が出来なかった景色を見る。新しい時代の遊牧民。何にも囚われない。

 

「でも。彼らはその生活を望んで始めた訳では無いんでしょう?」

ノマド生活を送る高齢者たち。各々の背景は違えども、かつては皆『家』を持っていた。しかし、経済的な理由で住む家を失った事からこの生活が始まった。

「今の方が自由」そう言うけれど…どうしてもどこか強がっているように見えるし、できれば辞めて欲しい。そう思うのは、おそらく当方がファーンたちの子供世代だから。

 

「一緒に暮らしましょう。」ファーンにそう声を掛けたファーンの姉。あの姉の気持ちはよく分かる。

 

気高く生きることは素敵だけれど、やはり家族にはきちんと食べて暖かいベットで休んで欲しい。ふきっさらしの屋外で車中生活なんて辞めて欲しい。

自分を幾つだと思っているんだ。みっともない。こんな歳で若い子に交じってバイト生活なんてせずに、のんびり暮らして欲しい。

あくまでも想像ですが。当方の両親がノマド生活を送ると言い出したら…絶対にそう言って反対するだろう。そう思うのですが。

 

「私はもう長くない。」

あるノマド女性が語った死生観。自身は癌を患っており、エンドステージに居る。そんな彼女がファーンに語った意思決定。今の自分の状態や、だから今後どうするつもりだという計画。

そこまでの覚悟を持ってノマド生活を送っているのならば…もう口出しは出来ない。溜息をついてしまった当方。

 

「自分の人生は自分で決める」「親であれ子であれ。誰も邪魔は出来ない」「自分の人生は他の誰かのものではないのだから」

当たり前だけれど…それは時に、家族やその人を大切に想う人にとっては寂しい気持ちになる。

 

途中でノマド生活から降りた人。ノマド生活を続ける人。家で家族と住み続ける人。誰もが間違いでは無い。自分で決めたのだから、とやかく言われる筋合いは無い。

 

「いつかまた会える」ノマドの人が語った言葉。この生活をしていればいつかまたどこかで会える。生きていれば。そして風になった時も。

 

この世に生を持った。けれど必ずその命は尽きる。がむしゃらに日常を生きる日々がある。けれどそれがひと段落した時…人は自分の人生をどう振り返り、どう締めくくろうとするのか。

 

「こういう生き方を選ぶ人たちが居るんだ。」

この作品を観て打ちのめされ…身近な人を想い。そして最終的には自身について考える。果たして当方なら?どうする?どう最後を生きるだろう?

 

「ああ。今とんでもないものを観ている。」

 

これはただの物語にとどまらない。アメリカのとある人々を題材にしているけれど…普遍的な「どう生きるのか」という問題を観ている者に突きつけてくる。

 

「こういうのがあるから面白いんよな」

これもまた映画を観る醍醐味。こちらの価値観をグラグラ揺さぶってくる。おいそれと回答なんて出ないけれど…たまらなくてゾクゾクする。これは傑作。

 

お薦めなのに万人受けしそうにありません。