ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ミナリ」

「ミナリ」観ました。
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1980年代。アメリカ、アーカンソー州

韓国系移民のジェイコブ(スティーブン・ユアン)。妻のモニカ(ハン・イェリ)、長女のアン(ノエル・チョ)と末っ子デビット(アラン・S・キム)と共に向かった新天地は辺鄙な田舎にあるトレイラーハウス。

「ここの土は最高だ」農業で成功することを夢見るジェイコブ。韓国から遠く離れたアメリカの地で、幾つになっても成功する事を夢見る夫に、不安が隠せず苛立つモニカ。

喧嘩が絶えなくなっていく両親を尻目に、次第に馴染んでいく子供たち。

ほどなくしてモニカの母親スンジャ(ユン・ヨジョン)が同居するために韓国からやって来た。立膝ついて悪態をつき、教えてもらったのは花札くらい。

「おばあちゃんらしくない」初めはそう言って避けていたデビット。しかし次第に絆が生まれていって。

 

監督&脚本を務めたリー・アイザックの自伝的作品。配給会社A24とブラッド・ピット率いるPLAN Bがタッグ。各国の映画祭で高評価、今年の米アカデミー賞にもノミネートされている作品。

 

ミナリ/セリ:セリ科の植物。日本原産の多年草。香味野菜として春の七草にも挙げられ、韓国では『ミナリ』と呼ばれる。韓国では「逞しく地に根を張り、二度目の旬が最もおいしい事から子供世代の幸せのために親の世代が一生懸命に生きる」という意味が込められている。

 

アメリカ映画の移民モノで1980年代の韓国系かあ…これまで観た事無い題材。」

 

ここ数年。韓国から製作発表されたいくつかの映画作品から知った、1970年代後半~1980年代の激動の韓国情勢。軍事政権。この作品ではそんな韓国の社会情勢は全く描かれないけれど、父ジェイコブが妻モニカに放った言葉「今の韓国には戻れない(言い回しうろ覚え)」の意味合いが深い。

 

つまりは。この作品をさらっと観ると「アメリカンドリームを夢見て農業で一旗揚げようとする父親に振り回される母親を子供視点から描いた作品」となってしまうのですが。

背水の陣。生まれ育った母国にはもう戻らないというジェイコブの覚悟…の意味合いよ。

 

けれど。その気負いが随分強く出過ぎているのも確か。

アメリカで韓国人として成功したい」そもそも彼がアメリカの農地で作りたい作物は『韓国の野菜』。年間何万人も移民としてアメリカに渡ってくる韓国人が美味しいと思える食べ物を提供したい。

一から耕す農地。全ての源となる水源を探すとき。「こうやって導てくれるんだ」という儀式?(木の枝を地面にかざして歩いていたら、水源で反応するというもの)には「韓国人は頭を使うんだ」とにべもくれず。

農耕器具を安く譲り受けた縁で農業を手伝ってくれることになった地元に住む変わり者、ポール(ウィル・パットン)。信心深く、時にはオカルトじみた彼にどこか一線を置く。合理主義者であり頑固者。

対して妻のモニカ。ジェイコブと人生を共にする覚悟をしアメリカに渡った。子供にも恵まれ…そうなると安定した生活を送りたい。

夫婦で長く勤めてきたヒヨコの雄雌判定の仕事。地味だけれど家族四人で暮らしてこれた。まだまだ子供たちにはお金もかかるのに…一体何を夢見ているの。

 

長らく生きてきた当方。誰の父でも母でもありませんけれど…夢を追いたいジェイコブも安定を望むモニカの気持ちもどちらも頭では理解できる。

 

喧嘩が絶えなくなった両親が出した一つの提案。それは韓国に住むモニカの母親スンジャを呼び寄せ同居すること。

 

この作品はあくまでも末っ子デビットの視点で進められる。スンジャがトレイラーハウスに引っ越してきてからは特に「祖母と孫の交流」がメインで語られていた。

 

「おばあちゃん」と呼ぶには似つかわしくない人物。大人しくない。言葉使いも荒々しいしズケズケ切り込んでくる。何だか下品。

けれど。デビットを特別扱いせずに「強い子だ」と認めてくれたのはおばあちゃんだけだった。

生まれつき心臓に疾患を持っていたデビット。定期受診が必須で、激しい運動は止められれている。そんなデビットを心配するがあまり、神経質にならざるを得なかったモニカ。(安定した生活という中身には「もしデビットに何かがあったらすぐに医療機関に受診できる場所に住みたい」という気持ちもあった。)

 

デビットとスンジャに絆が生まれた頃。思いもかけない変化が訪れた。

 

順を追ってネタバレする訳にはいきませんので。ふんわりまとめていきますが。

つまりは。先述した『ミナリ』の意味合い。

「子供に親が成功する姿を見せたい」そう望むけれど…現実は厳しい。上手くいきそうに見えた途端、ジェイコブの農場に陰りが見え始めた。水が出なくなった。

娘の心の支えになりたくて。長く暮らした祖国を捨て、新天地にやって来たスンジャ。初めこそ懐かなかった孫とも仲良くなれた。なのに…自分の体が悲鳴を上げた。

 

けれど。窮地に陥った時にこそ、人間の真価が問われる。

「子供世代のために、親世代が一生懸命に生きる」

 

今の自分は、望んだ格好良い姿ではないけれど。命が続くのならば生き続けるしかない。

思考を変えること。自分は元々韓国人であるけれど。今はアメリカの地に骨をうずめる覚悟でいる。ならば…どこかでこの土地の考えも受け入れなければいけない。

「自分は移民だ」その気負いが余りにも強すぎたジェイコブ。祖国を捨てたのならば新天地では成功しなければならない。

けれど。何を以て「人生の成功者だ」と言えるのか。分かりやすく金持ちになることなのか。それとも…「新しい土地で根強く生きていくこと」なのか。

水辺に生息し、広く強く繁殖しやすいミナリ。スンジャが韓国からアメリカに種を運び蒔いた植物。その強さこそが彼らが目指す姿。

 

モニカがキリスト教徒であること。ヒヨコの選定。ポールの変わり者エピソード。書けば書くほど取っ散らかってしまうので割愛しますが…どうしても気になる点が二つ。

 

ひとつ。「お姉ちゃんはどう思っていたのか?」

デビットより少し年上の長女アン。あまりにも彼女の描写が無さすぎる。家族と共にトレイラーハウスに引っ越し。両親の連日の喧嘩に耐え。病弱な弟に両親は集中、その上韓国から来た祖母まで弟にべったり。過保護の極み。放置される自分。

「どういう気持ちで暮らしていたんだ!」監督&脚本家の自伝的作品でデビット視点なら仕方ないのか?姉の心情はお察し下さい?う~んちょっと不憫過ぎやしないか。

 

そしてもうひとつ。「予告でネタバレはあかんて」

素敵な予告編なんですけれどねえ~。重要な展開の結末を思いっきり見せてしまっているのはどうかと。

 

親から子へ。そして孫へ。三つの世代を繋ぐ物語。子は親の背中を見て育つ。

そうか、あの時はこういう事が起きていたのか。それでも必死で生きざまを見せてくれていた。そんな家族の物語。

所々歪なひっかりも感じましたが…概ねすんなり飲み込めた作品。

 

最後に…韓国映画でちょくちょく見かける大女優、ユン・ヨジョン。彼女が演じた祖母スンジャが余りにも素晴らしかったと思う当方。米アカデミー賞助演女優賞ノミネートが嬉しい限り。授賞式での彼女が楽しみです。