ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ビバリウム」

ビバリウム」観ました。
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安定した付き合いのカップル、トム(アイゼンバーグ)とジェマ(プーツ)。

一緒に住む新居を探していた最中、ふと立ち寄った不動産屋の店員マーティンから半ば強引に紹介された住宅街〈ヨンダー/Yonder〉の一軒家。『9』番地のラベル。

同じ見た目の一軒家がずらりと並ぶ、けれど人気を全く感じない不気味な住宅街。

どうせ入居するつもりはないし…と内見していたら、いつの間にか案内していたはずのマーティンが姿を消した。

不安になり、とっとと街を後にしようと車を走らせたけれど…どの道を行っても景色は変わらず、街から出る事が出来ない。9番地に戻ってくる。

憔悴し仕方なく9番地に身を寄せる事になった二人。

翌日、翌々日…どこまで行っても、何をしても9番地からの呪縛から解き放たれない。

いつの間にか食事の入って段ボールが家の前に置いてある。けれどその送り主の姿をとらえる事が出来ない。

そんなある日。赤ん坊が入った段ボールが家の前に置かれていた。

「この子を大人になるまで育てあげれば、あなた達は自由になれる」

同封されていたメモから一縷の望みを掛けて、見知らぬ赤ん坊を育てる事にした二人だったが。

 

『Vivarium/ビバリウム:(自然の生息状態をまねて作った)動植物飼養場。動物施設。小動物保存施設。』(Weblio英和和英辞書より)

 

「ラビリンス・スリラーねえ…というよりこれ、ド直球でシンプルな話やな。」

 

タイトルしかり。冒頭10分以内「これから始まるお話はこういう内容です」と言わんばかりの映像が流れ…そして案の定「こういう内容」が語られる。

 

庭師のトムと教師のジェマ。ラブラブな二人は一緒に住むための新居を探していた。

仕事終わり。ふと立ちよった不動産屋から紹介された住宅街〈ヨンダー〉に足を踏み入れたが最後~二人は元居た世界には戻れなくなった。

 

全く同じ外観の一軒家が立ち並ぶ。なのに人気が全くない。気持ちが悪くなって街から抜け出そうとするけれど、延々と続く同じ風景は何処を走っているのかも分からないし、結局毎回同じ家の前に戻ってくる。

 

「血液や臓器が露わになり、緊張感の強い手術室などではリラックス目的からも緑色などの内装が多く用いられる(作中で言ってた訳では無い。一般的に語られる配色の話)。」そんな、手術室くらいでしか見た事のない、クリームがかった緑色がベース配色のヨンダーの街並み。

せめて他の家々にも住民が居たら暮らせただろうに。けれど、どこまで行っても果ては家に火を放ってみても再びその家は現れる。

一人ならばとっくに精神が崩壊している。ところが二人はカップル。まだ何とか支え合える。そんな時、突然現れた赤ん坊。

 

「この子を育てたら元の生活に戻れる」一縷の望みを託して子育てを始めたけれど…愛情を注ぐには努力を要する日々。次第に二人の関係も歪み始めた。

 

どういう書き方をしたら…そもそもネタバレも何も…と進め方に困ってしまう作品。

「だって。タイトル…」モゴモゴ口ごもる当方。

 

およそ愛せない子供。成長のスピードの速さからも異質なナニかである事は明白。時折見せる子供っぽさに心を許しそうになるけれど…やっぱり「私はあんたの母親じゃない」。気持ち悪い。苛々する。

 

ジェマは小学校の教師である事や…陳腐な言い回しですが、持ち合わせていた母性を総動員して子供を愛そうと努力していた。対して子供に嫌悪感をむき出しにしていたトム。

家に留まり子供を守ろうとするジェマと、家から飛び出し、出口を求めて庭を掘り始めたトム(庭師)。ついには自らが掘った穴の中に住むようになった。

 

けれど…結局子供が大人になった。その「愛せない不気味さ」が顕著になった時に、いよいよジェマも精神が保てなくなる。「やっぱり私はあんたの母親じゃない」。

 

一体この子供は何なのか。ヨンダーとは。そのネタバレは流石に避けますが…。

 

「監督のロルカン・フィネガンはアイルランド出身らしいけれど…もしかしたら『おとうさんがいっぱい』を読んだんだろうか。」

 

『おとうさんがいっぱい/三田村信行=作(フォア文庫より1975年刊行)』
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トラウマ児童文学作品として呼び名が高い作品。

小学生中高年くらい?当方も学校の図書室で借りて読んだのですが。確かに衝撃を受けた。(また佐々木マキさんの画もぴったりなんですよ)

表題の作品を始めとする5本の物語が収められているのですが。

ある日突然おとうさんが増えた。家族が留守宅に帰ってきたが最後、家から出られなくなった少年。同じ道をぐるぐる回りどこにも行けない。おかあさんと喧嘩した挙句おとうさんは壁に入り出られなくなるなど。

どれ一つ気持ちがよい終わり方をしない。

児童文学ですし分かりやすい文体で淡々と進められるのですが、その世界観の不気味さがもう…日常生活から突然おかしなスポットに足を踏み入れてしまい、そして後戻りが出来なくなる。無力さを叩きつけてくる。泣きたくなってもお構いなし。不条理なままで突き抜ける…読み手キッズによってはトラウマ恐怖作品。

けれど当方には何故か魅力的で忘れられなくて…大人になってから、古本市で見かけて即購入した。

 

「その世界観に似ている。」「もし読んでいないのならば…お勧め。絶対気に入るって(決して接点がないであろう監督へのメッセージ。って何様だ)。」

 

何を言わんとしてるのかが明白で、それを淡々と映像化した。

ウェス・アンダーソンのような、計算され尽くしたのであろう画力。無駄を極力排除する事で生々しさを一切感じない、血の通っていない(褒めています)雰囲気を保ち続けた。(最後一気に変わる瞬間がありますけれど)

結果、なんとも言えないシュールな作品に仕上がった。そんな印象。センスの匙加減が良い。

 

何だか煮え切らない感想文を綴ってしまいましたが。98分というコンパクトさも含め、当方は割と好きなタイプの作品。少なくとも子供のころに『三田村信行』の不条理作品が好きだった人には刺さるはず。

そして…もうこの流れに乗じて。児童文学『おとうさんがいっぱい』もお勧めします(おそらく今でも図書館にあるはず)。