ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「春江水暖」

「春江水暖」観ました。
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中国杭州市、富陽。大河、富春江が流れ風情のある町。しかし富陽地区は現在都市再開発の真っただ中にあり。かつての住居群は壊され、住民達の移転が次々と決まっていた。

願(グー)家の家長である母親ユ―フォンの誕生日。高齢の母親を祝う宴に集まった4人の息子とその家族、親族たち。しかしその最中に脳卒中を発症し倒れてしまったユ―フォン。

楽しかった宴から一転。その後の治療により一命は取り留め回復したものの、認知症を患い、介護が必要となってしまった。

『黄金大飯店』という中華店を営む長男のヨウフ―。漁船で生活する次男のヨウルー。ダウン症の息子カンカンを男手一つで育て、借金まみれの三男ヨウジン。独身生活を気ままに過ごす末っ子ヨウオン。

恋に落ち、結婚問題に直面する孫たち。

とある大家族三世代の生きざまを、豊かな四季を絡めた圧倒的画力で描き切った作品。

 

「なんという美しい作品を観たのだろう」「中国といえば山水画。その世界観を実写の映画から感じるなんて」「引きの画像で延々と続く横スクロール。ロングショット」「主人公達だけじゃない。その川沿いで暮らす人々の日常が同時に描かれる。そのあまりにも自然で生き生きとした様よ。なのに散漫にならないし、観ていて全く飽きない。寧ろずっと観ていられる」

当方手放しの大絶賛。溜息をつきすぎて酸欠状態。兎に角画力が半端なくて。眼福とはこのこと。ですが。

 

「ここから先、当方がこの作品に関して感じた事を書き進めると雲行がおかしくなりそうな予感しかしない…」

先んじてお詫びするとと共に。大声で叫んでおきたい。「当方はこの作品が大好きなんですよ!」と。

 

作品を鑑賞中にふと過った既視感。そして脳内で振り返るにつれて、当方の脳内に蘇ってきたあるテレビドラマ。

橋田壽賀子脚本。石井ふく子プロデューサー作品『渡る世間は鬼ばかり』。

1990年~2010年まで。通算10シリーズに渡って放映されたTBS制作の家族ドラマ。

岡倉大吉・節子夫婦の5人娘たち。彼女たちが各々伴侶を見つけ家族を築き。そこで巻き起こる…主に嫁姑問題。

しかしシリーズを重ねるうちに、今度は彼女たちが姑の立場にシフトしていく。

多感な子供時代~20代。実家で反強制的に見せられていたあのフラストレーションの溜まるドロドロ家族ドラマ。(以降『渡鬼』と略します)

 

何故『渡鬼』を思い出したのか。

長男が営む中華料理店…あのゴチャゴチャした…従業員が黙って仕事をしていない感じ。「あれ?…幸楽?」

互いに好き同士で結婚したけれど、その親には苦労をさせられた。だから自分の娘にはいい人(金持ち)を捕まえて欲しい。そう思うが故に、娘の恋路を邪魔し意固地になる母親。

「彼は良い人じゃないか」「あんたは本当に役立たずね」

夫婦の寝室で。部屋着で寝そべりながら娘の彼氏を誉める父親に、三面鏡の前で顔面泥パックしながら辛辣な言葉を投げつける母親。「どこの角野卓造泉ピン子だ」この光景は散々お茶の間で見た覚えがある。

(散々茶化しておいてなんですが。当方は勿論『渡る世間は鬼ばかり』は面白いドラマだったと思っていますよ。癖が強かっただけで)

 

認知症を患った母親。高齢で介護が必要。結局長男のヨウフ―が一旦引きとったけれど。次男のヨウルーたちは長年住んでいた家の立ち退きに応じ、現在はほぼ船上生活。再開発の高層マンションの見学に数回行くが決めかねている状態。しかも息子のヤンヤンが結婚寸前で、お金はそこにつぎ込みたい…なのでヨウフ―に資金協力など出来ない状態。

三男のヨウジンは常に借金を抱え金欠状態。その内情は体の弱い一人息子カンカンの治療費だったりするけれど…ヨウジンのせいでヨウフ―の店が借金取りに荒らされるなど、迷惑極まりない。

末っ子ヨウオンは…この作中では存在感が薄かった印象。「お前もいい加減身を固めろ」と紹介された女性と何だかイイ感じに転がりそう。

とまあ。各々の状態に目を向ければ、皆ギリギリの場所で踏ん張って生きている。生活もジリ貧で余裕なんてない。

 

けれど、そんな中の清涼剤。長男ヨウフ―の一人娘、グーシーの恋。爽やかの極み。

地元で働く教師ジャン。ちょいポチャの好青年。この二人のデートがもう…至高のロングショット。富春江を二人で歩き、泳ぎ、手を取りながら互いの事を語り合う。このシーンがどれだけ続いても良い。ゆるゆると一定の速度で移動しながら追い続ける。まさに絵巻。どうやって撮っているのか…船?船から?

 

どうしても我が子の恋を応援出来なくて、一旦は親子の縁が切れてしまった。

息子の命を救いたいばかりにアウトローに足を突っ込んだ。結果取り返しのつかない事になってしまった。

もう無理。身内なんて知らない。

けれど…そんなちぎれかけた絆を再び繋いだのは一族の家長、ユ―フォンだった。

 

何故か話を振り返ろうとすると『渡鬼』が過ってしまう部分もありますが。

再開発が進む寂れた歴史ある町と、そこに住む大家族三世代。彼らに流れた時を淡々と描く。ちょうどいい塩梅で深追いはしない。けれど絡み合い、また最後は再び一緒にいる。なんて観ていて気持ちが良い作品。

 

「ああ。この世界が終わってしまう…」

そんな寂しさに包まれたラスト、画面右下に現れた『一の巻 完』。

大体の作品に対して「続編は結構です」という感想を持ちがちな当方に珍しく湧き上がった続編に対する期待。これは観たい。

 

この作品が長編デビューだったという、グー・シャガン監督。彼の美しい絵巻の続きを…首を長くして待ちたいと思います。