ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「あの頃。」

「あの頃。」観ました。
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「“推し"に出会って“仲間"ができた」

漫画家。ベーシスト。『神聖かまってちゃん』などのマネジメント担当の経歴を持つ剣樹人の自伝的エッセイ『あの頃。男子かしまし物語』の映画化。

主演、松坂桃李。脚本は俊英・富永昌敬。監督今泉力哉

 

2004年大阪。大学院進学に失敗。バイトに明け暮れながら所属するバンドでベースを弾いていた劔(松坂桃李)。しかしバンドの雰囲気は最悪で、練習する気にもならず塞ぎ込む日々。

そんな劔を心配し、友人の佐伯から「パチンコで勝ったからやる。これ見て元気だしや」ともらったDVD。

冷え切った弁当を片手にふと再生したそのDVDから流れたのは、松浦亜弥の『♡桃色片思い♡』だった。

 

「あわわわわ。これは。これはあかん。」

何となく気になったから。特に前情報もなく「何か良いらしい」というだけで映画館に観に行った当方が一気に引きずり込まれたシーン。

完全に死んだ表情を見せていた劔が。「この弁当冷えてるんやろうな~」といういかにも、突き刺した割りばしを持ち上げたらご飯が全部持ち上がりそうな…そんな「とりあえず栄養だけはそこそことれます弁当」を味気なく食べだしていた劔が。2000年代前半のデジタル放送専用の粗いテレビから流れる松浦亜弥のパフォーマンスに、思わず箸を止めて顔を上げ…終いにはティッシュで顔中を拭いながら涙を流す。

 

松浦亜弥

後付けで調べて、劔氏と当方が全く同世代だったと知り。「そういう時代やったよなあ~」と感慨深くなった当方。

1990年代中~後半に中高生。小室哲也プロデュースの音楽が流行り。かたや小沢健二などのいわゆる原宿系。ザ・イエロー・モンキーやエレファント・カシマシなどのロック。テレビでの音楽番組もほぼ毎日何かしら流れていて。音楽が身近だった十代。

そして。二十代目前に『ASAYAN』というオーディションテレビ番組から生まれた、つんく♂プロデュースのグループ『モーニング娘。』。

飛ぶ鳥を落とす勢いで一気に人気グループになった彼女達。大人数で、短いフレーズを持ちまわりながらノリノリなダンスで踊る彼女達をテレビで見ない日は無かった。

数多生まれたつんく♂プロデュース、所謂『ハロー!プロジェクト』のグループたち。正直歌唱力云々より面白エンターテインメントパフォーマンス集団(あくまで当方の主観)。時にはメンバーをシャッフルして生まれた派生グループなんかもあった中で、異色の「正統派ソロアイドル」として登場した松浦亜弥

(まあ…これ以上のハロプロ知識はありませんので。「何期の誰それが」「あの時のあの歌は」など、当方はそれらを語る持ち札を一切持ち合わせておりません。あしからず)

 

デビュー当時15歳だった松浦亜弥が歌った『♡桃色片思い♡』。

圧倒的歌唱力とキュートな佇まい。15歳とは思えないほどの堂々とした歌いっぷりに「凄いな」と感動した記憶。確かに当方にもある。

(今でも彼女のPVを見ると「色褪せないな~」と感心してしまう)

 

人生の中で指折りにどん底な時。顔を上げる力をくれた。立ち上がる気力が湧いた。そうなると…嵌らざるを得ない。

DVD鑑賞後。自転車に飛び乗って向かったCDショップ。そこで出会った店員ナカウチ(芹澤興人)に誘われ、ライブハウス『白鯨』での「ハロプロあべの支部」のイベントに参加した劔。そのイベントが楽し過ぎて、堪らず終演後彼らに感想の声掛けをしたところから仲間に迎えられた。

リーダー格のロビ(山中崇)。オタグッズをDIYする西野(若葉竜也)。いじられキャラのイトウ(コカドケンタロウ)。そしてネット弁慶でいいとこなしのコズミン(仲野太賀)。

癖のある面々。けれど皆に共通するのは「ハロプロが大好き」なこと。イトウの家に皆で入り浸り。ハロプロ談義にビデオ鑑賞。一緒にライブハウスでイベント開催。

全員成人済男性なのに。遅まきの青春爆裂。

 

「白鯨?なんばの?」

今回とことん脱線していますが。当方のライフワークに『ネットラジオ聴取』というものがありまして。

通勤時間がそれなりに長く。そして元々ラジオが生活に根付いていた当方が移動手段で聞き始めた数々のポッドキャスト番組。

その中には、素人でありながらもライブハウスでイベントをする番組があって。最近はイベント開催自体がご無沙汰になっていますが…なんば味園ビルにある『なんば紅鶴』というライブハウスに通った時期がかつてあった。(『なんば白鯨』は同じ味園ビルの中にある)なので…何となく想像出来る。小さいライブハウスでぎゅうぎゅうに詰めて座って、演者の他愛もない談義やコント、映像を笑いながら見ていた。あの空気感。

 

劔が加入した事で加速した『ハロプロあべの支部』。それは『恋愛研究会。』と名を変え、時にはバンド活動をしながらもイベントを続けていた。

 

劔氏の自伝的エッセイがベースでほぼ忠実になぞっているらしいので…内容については「ああもうアホやなあ~」「こんな事してたんやなあ~」

所謂いい年した大人がキャッキャしてじゃれ合って。思わず笑ってしまう。

 

「でも。確かにこういう時がずっと続くわけがないよな。」

 

永遠にアイドルが全てでは居られない。生きていくためにはやらなくてはいけない事がある。守るべきものが変わる。大切なものの優先順位が変わっていく。

 

先に上京したナカウチに誘われて、大阪から東京に居を移した劔。ライブハウスで働き始め、ベースとしての腕が認められ始めた。

「俺のせいで劔君を変えちゃったんじゃないか(言い回しうろ覚え)。」そうナカウチが言った時「俺は今が一番人生で楽しいです。」と返した劔に「ああ。卒業したんだな…」と何となく寂しさと安堵を感じた当方。

 

だらだらネタバレしていくのもアレなんで。ふんわり畳んでいきたいと思いますが。

この個性豊かな『恋愛研究会。』のメンバーの中でも特に強烈に描かれていたのがコズミン。

ネット弁慶。小心者の癖に大口を叩き、セコくてなにかとみっともなくて…愛おしい。

どうしようもないクズに見えるのに、落ち込んでいる仲間の元に駆け付けておかしな味のシチューを作る。ええ奴やないか。

「憎まれっ子世にはばかる」の筈やのになあ…。

 

「あの頃は…」ふと懐かしくそう口にする。アホな連中で集まって、一緒にアホな事をした。各々好きなアイドルが居て、いくらでも語り合えた。お互い金も無かったし恰好付けた場所にも行けなかった。でもいっつも笑っていた。今でも思い出すだけで笑ってしまう。

思い出は美しく浄化される。よくよく振り返ると腹が立った事も怒りや憎んだ事もあったけれど…不思議と初めに浮かぶのは楽しくてキラキラしていた日々。それって。

 

「胸がキュルルン」松浦亜弥の歌声が脳内に響いたところで。〆たいと思いますが。

 

最後に。先日後輩男子(28歳)にふとこの映画の話をしてしまった後。「えっと松浦亜弥分かりません」と言われ「おい!」と声を荒げてしまった当方。

まさかとは思いますが…万が一見た事が無かったら。お手元のデバイスで一度検索をして松浦亜弥のPVを鑑賞する事を強くお勧めします。(泣く程感銘を受けるかどうかは当方は責任持てません)。