ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「聖なる犯罪者」

「聖なる犯罪者」観ました。
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ポーランド。元犯罪者が司祭になりすました事件を基に、聖と悪の境目は何処にあるのかを描いた作品。主演は28歳のバルトシュ・ビィエレニア。ヤン・コマサ監督。

 

20歳の青年ダニエル。殺人の罪を犯し少年院に入った彼は、そこで出会った神父の影響で熱心なキリスト教徒となった。

仮出所を迎え。「前科者は聖職者になれない」と知りながらも、神父になる夢を捨てきれなかったダニエル。田舎の製材所で働くこととなり、向かった村の教会でふとした行き違いから新任の司祭と勘違いされるが…誤解を正すことなくその座に収まってしまった。

始めこそおっかなびっくり。それはダニエルだけではなく、司祭らしからぬ彼の風貌に驚いた村人も同様であったけれど。次第に打ち解け、信頼されるようになっていく。

 

「人はただ 風の中を 迷いながら 歩き続ける その胸に 遥か空で 呼びかける 遠い日の歌」(遠い日の歌/パッヘルベルの「カノン」による)

 

当方の脳内で何故か流れる、小学生の頃に習った歌。静と動。嵐の様に渦巻く感情の中で、一体人は何に拠り所を見つけるのか。何に許しを求めるのか。何に安心し素直になれるのか。そんな事を考えていたら。

 

主人公のダニエル。未成年ギリギリで既に前科者。少年院の中で行われる集団リンチにもしれっと加担するなど、決して品行方正ではない。けれど、そこで出会った神父の教えの前では素直になれた。

出所後直ぐに酒、タバコ、ドラッグ、女をキメて。どうせ行く当てはないからと向かった、就職先の製材所。そこがダニエルの新しい居場所になるはずだったけれど。同じ村にある教会に立ち寄ったら、誤解が誤解を生んで…新しく赴任してきた司祭という事になってしまった。

これはまずい。とっとと逃げ出さなければ。そう思ったけれど。ぎこちないながらも聖職者らしく振舞ってみたら、村人も受け入れてくれた。

そうなると次第に居心地が良くなってくる。付け焼刃ではあるけれど、自分のやりたかった事が出来て、村人たちも信頼を寄せてくる。そうなると自信がついてきて、立ち居振る舞いもそれらしくなってきた。

 

「ここまで盲目的に村人総出で一つの宗教に入れ込むものなのか?」荒んだ心の持ち主である当方は、ついうがった見方をしてしまいますが…まあ、閉塞的なコミュニティでは強く導いてくれる存在というものに引っ張られてしまうんですかね。

 

また。この村で一年前に起きた哀しい自動車事故。村の若者数人を乗せた自動車と、隣町に住む男が運転していた自動車が衝突し、双方とも命を落とした。

若者たちの身内の心の傷が癒える事は無く。教会近くの献花場所で集う彼らに声を掛け、共に祈りを捧げるようになったダニエル。初めこそ彼らの痛みに寄り添っていたダニエルだったが、「一体どういう事が起きたのか」と事故の真相に踏み込んでいく。

 

この作品について当方が唸った点。それは「ダニエルが発した言葉はほとんど回りまわってダニエルに回帰していく」という所。

 

一言で言えば偽物。ダニエルは元犯罪者で聖職者ではない。けれど、そんな事情を知るはずもない村人からすれば立派な『司祭様』。

 

一体人は何を以てすがる相手を決めるのか?『司祭』という肩書きを持つ者?

「心に響く心地よい言葉をくれる相手」?「黙って話を聞いてくれる人」?けれどそれがある日突然村に現れた若い兄ちゃんだったら?村人は心を開いたのか?

 

正直。ある日突然村に現れた若い兄ちゃんが、どんなに言葉を尽くして村人に寄り添ったとしてもここまで村人にリスペクトはされなかっただろうと思う当方。

ましてや。少年院上がりで村の製材所で働く予定の元犯罪者ならなおさら。

 

「でも。世界ってそこまで救いようがないはずがない。」

 

件の宗教は、元犯罪者が聖職者になる道はないのかもしれない。けれど…宗教だけが人を救える訳ではない。(ここいらは当方の勝手な暴論です)

そもそもダニエルは何故聖職者になりたいんだ。自分が宗教に救われたから?それは素敵な事だけれど…そのテイクは必ずしも周りに同じ形でギブしなければいけないものなのか?

色んな事情があって犯罪に手を染めたのかもしれない。けれど、厳しい事を言ってしまうとやはり犯罪とは無縁な人生を送る人が多い中で、この経験はハンデとなる部分がある。

それでも、然るべき施設で刑を終えて娑婆に出たのならば…まずは社会の一員として生活して…そうして基盤を作ってから、ゆっくりと想いを発信していってはどうなのか。

 

持って回った言い方故、分かりにくいのは承知ですが。当方が言いたいのは「ダニエルよ。一足飛びに形だけを求めてしまっては結局貴方自身が救われないよ」ということ。

 

「人は皆誰かに認められたいと思っている(言い回しうろ覚え)」切に語ったダニエル。

 

一年前に村で起きた自動車事故。逝ってしまった若者達。彼らを失った事は辛いけれど、同時に奪われた命に対し糾弾するのは間違っている。「アイツは普段から酒飲みだった。どうせあの時も酒を飲んでいたんだろう」「アイツは人殺しだ」死人に口なしとはまさにこのこと。もう何も語れない死者を村人総出で否定し、残された家族に鞭を打つ。同じ事故で家族を失った、同じ境遇の人間に。そういう事が行われていた。

集団で陥った、正義と言う名の暴力。「人を思い込みで決めつけるな」という基本を村人に突きつけたダニエルこそが、「犯罪者は聖職者になれない」というルールを課されているという。なんという皮肉。

 

「そりゃあそうなるよな…」溜息を付きながらダニエルの顛末を見届けた当方。けれど言いたい。

「でも。世界ってそこまで救いようがないはずがない。」

 

噓から出た実という言葉がある。ダニエルの『司教様』という存在は偽物だったけれど。救われた人もいた。そしてダニエル自身も知ったじゃないか。こうして人は救われ、変わるのだと。

 

「だから。今度こそは自分の力でゆっくり積み上げていくしかない。」「ここまで人を惹きつける力をダニエルは持っているのだから。」

 

今はまだ苦しそうなダニエルの厳しい表情を最後に見届けながら。そう思えて仕方が無かった当方。頭の中で流れる歌。

 

「人はただ 風の中を 迷いながら 歩き続ける その胸に 遥か空で 呼びかける 遠い日の歌」(遠い日の歌/パッヘルベルの「カノン」による)

 

静と動が混在し。未だに正しさの着地点が見つからない…ひっそりと力強い良作です。