ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「燃ゆる女の肖像」

「燃ゆる女の肖像」観ました。
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19世紀、フランス。画家のマリアンヌはブルターニュの貴婦人から、娘エロイーズの肖像画を頼まれる。近く結婚予定のエロイーズのはなむけとなる肖像画

しかしエロイーズ自身は結婚を拒んでおり、先任者の画家も筆を投げていた。

画家である事を隠し、散歩相手としてエロイーズに紹介されたマリアンヌ。孤島を歩き回り、密かに自室で絵を仕上げていたが、真実を知ったエロイーズに出来上がった絵を否定されてしまう。

意外にもモデルになると言い出したエロイーズ。そうして、一枚の絵に向き合う事になった二人。

見つめ合い。生活を共にしていく中で恋に落ちていく二人。しかし、それもつかの間。

画が完成する期日は二人の別れを意味していた。

 

「美しい…」

 

どこをどう切り取っても美しい、二人の女性の姿。出会った初めは戸惑い。一体相手は何者かと探り合い。けれど正体を知って、自分をさらけ出しぶつかり合ううちに恋に落ちた。けれど…永遠には続かない恋。手に入った途端に終わりが見えている。

 

孤島の城に住むエロイーズ。元々は修道院で暮らしていたが、姉が結婚を拒み自殺したため母親に呼び戻された。帰った途端、姉をなぞるように見合い結婚へと段取りが進められているが、顔も見た事もない男性の元に嫁ぐ事が受け入れられない。

そして画家のマリアンヌ。一人で生きていくと決めた女性。

 

「だがしかし。こんなに普遍的な物語を今日日観るとは…」。

 

もしマリアンヌが男性だったら?

孤島の城に住む年ごろの娘エロイーズ。純粋培養で育った、恋を知らない生真面目な彼女は近く見知らぬ男性と見合い結婚をする。

そこに突然現れた男性(マリアンヌ)。何故自分と行動を共にしたがるのか、何を考えているのかといぶかしがっていたけれど…蓋を開けてみれば花嫁道具の肖像画を描く画家。

だから自分の前に現れたのか。やたらと付きまとい、うるさい位に視線を感じていたのは画家だったからか。

瞼に私を焼き付けたつもりでこそこそ描いて出来上がった絵。こんなものを私だと思われては心外。この画には血が通っていない。

「モデルになる」さあ私を見るがいい。もう隠さない。私もあなたを見るから。

 

~という感じ。男女で観た事あるような気がする。決して奇抜ではない。けれど主人公二人を女性で描かれた時。こんなに繊細な物語になるなんて。

 

キャンバスを隔てて。視線と視線が交差する。「貴方って驚くと…」互いの表情で気分が分かる。頑なだった時、決して笑顔にはなれなかった。けれど今は二人で過ごしている時間が楽しくて自然と顔がほころんでしまう。ここには母親はいない。二人っきり。階級なんて関係ない、同世代の話し相手。こんな人は今まで居なかった。

 

この作品にはほとんど男性は登場しない(船乗りと出来上がった絵を運ぶ男性くらい)。

孤島の城に住む未亡人とその娘エロイーズと召使のソフィ。画家のマリアンヌ。終盤描かれる祭りで歌うのも女たち。そんなむせかえるほどの女ばかりの世界。

 

正直、エロイーズとマリアンヌの恋については「これは女性同士という部分以外はほぼ既視感のあるロマンスではないか」と思った当方でしたが…この美しすぎる物語に生気を通わせたのは『召使のソフィ』の存在。

まだ幼さの残るあどけないソフィ。この城に住む女たちの世話をする。しかし未亡人の居ない所では、エロイーズとマリアンヌとはまるで友達のように会話し食事と共にする。

未亡人が城を空けた数日。実は妊娠中であり、しかし産むわけにはいかないからと堕胎するソフィと立ち会うエロイーズとマリアンヌ。

 

『女であること』を受け入れるとは諦めることなのか。少なくとも19世紀はそうだったのか。

妊娠しても産むわけにはいかないと堕胎するソフィ。ソフィの相手はそもそもソフィが妊娠しことすら知っていたのか?処置を受け涙するソフィの横に付き添うのが笑顔の子供たちという…いたたまれない対比。

見た事もない相手に嫁ぐのは辛いと塞ぐけれど…だからといって母親に正式に抗議する訳ではないエロイーズ。

そして。恋した相手、エロイーズを城からさらってしまおうとはしないマリアンヌ。

村の祭りで女たちが歌っていた、独特な曲が頭から離れない。

各々は熱く燃えるものを持ちながらも運命には抗わない。けれどずっと胸の中でくすぶっている…。

 

「まあ。限られた時間の中で惹かれあった二人…って、障害があればあるほど燃えるっていう側面が絶対あるけれどな」。どうしても素直に首を縦に振らない当方。

多分…「あまりにも綺麗に出来過ぎていた」。おかしな話ですがそうとしか言えない。何かケチを付けようにもままならない。上手くまとまりすぎていて。溜息ばかり。

 

終盤のマリアンヌが語った『その後の私たち』。そのエピソードたちが完璧すぎて「うまあああ~」という感情がこみあげた当方。

片方にとってはそれは弱火で燻っていた恋。けれど相手にとっては、かつて熱く盛り上がった思い出の恋だった。

終わった恋を想い涙する相手を遠くから見つめる自分。けれど…その視線は交差しない。自分が視線を送れば、いつもそれに気づいてくれたのに。

 

二人で取り組んだエロイーズの肖像画。それが完成するという事は二人の別れを意味する。けれど…嫁いだ先に飾るその画はいつも甘い記憶を思いだしただろう。それは、新しい環境で生きるエロイーズをなんと力強く支えたことか。

 

一見普遍的なロマンス。けれどそこに生きた女たち。運命を受け入れ歯車に逆らわなかったけれど…忘れられない恋をした。その記憶はずっと胸を焦がし体を熱くする。

 

「どこを切り取っても美しい…」。122分。まさに動く絵画を観ていたような感覚。

映画館で観られる事がありがたいです。