ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「罪の声」

「罪の声」観ました。
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35年前に起きた未解決事件。そこで使われた脅迫テープの声の正体は自分だった。

 

1984年~1985年に起きた劇場型犯罪『グリコ・森永事件』をモチーフとした作品。

塩田武士の同名小説の映画化。主演小栗旬星野源。監督土井裕秦。脚本野木亜紀子

 

京都で代々から引き継いだスーツ仕立て屋(テーラー)を営む曽根俊也(星野源)。妻と一人娘の三人暮らし。慎ましくも幸せに暮らしていた俊也は、ふとしたきっかけから自宅納戸に眠っていた手帳と1984と記されているテープを発見する。

何の気なしにテープを再生してみる俊也。それは幼かった頃の自分の声が収められていた微笑ましいテープ…しかし、テープが進むにつれ、その様相はがらりと変化する。そして。

「これは…俺の声だ」。

それは。1984年に日本を震撼させた『ギンザ満堂事件』。劇場型犯罪と呼ばれた、大手食品メーカーを襲撃した一連の事件で使われた脅迫テープだった。

「自分は知らず知らずのうちに犯罪に加担していたのか?」気が気じゃなくて、かつての事件を探る俊也。

時を同じくして。大手新聞社で当たり障りのないエンタメ記事を書いていた新聞記者、阿久津英示(小栗旬)は『ギンザ満堂事件』についての特集を書くように命じられる。

「何で今さら時効も過ぎた事件を」。そう腐るけれど。

「散々犯人に踊らされて社会風潮を煽った責任を取って俺たちは振り返らなあかん(言い回しうろ覚え)」。かつてリアルタイムで事件を追った先輩記者たちに推され。次第に真相を追うべくのめり込んでいく英士。

 

どうやら自分と同じく声を使われていた子供は他に二人いるらしい。彼らは今、一体どうしているのか。どんな半生を送ってきたのか。

謎だらけの未解決事件。脅迫は何度も繰り返されたのに、結局犯人は一度もその金を手にする事が無かった。一体この事件はなんの目的で誰が起こしたのか。

子供たちの行方を追う俊也と事件そのものを追う英士。

二人が交差し、その先に見えた真実は…。

 

原作未読。正直「今をときめく…」俳優二人が主演に据えられている事から…キャッキャした内容なのかと…そう思ってしまいましたが。

「ところがどっこい。エンタメ性充分ながら、思いがけず硬派な仕上がり。何より脚本が上手い」。

 

『グリコ・森永事件』

1984~1985年に起きた未解決劇場型事件。一部上場企業グリコの社長誘拐事件を発端とし、以降丸大食品、森永製菓、ハウス食品不二家駿河屋と日本の大手食品メーカー達の食品安全が狙われた。

かい人21面相』と名乗る犯人からの度重なる脅迫と挑発。怪文書が送られた新聞社などの報道で事態は世間に広報された。

お菓子に劇薬混入をするとの脅迫などと引き換えに時に要求された大金。その受け渡し現場で度々見かけられた『キツネ目の男』。けれど決め手には欠けたため逮捕には至らず。

「実行犯は7人いる」と言われたが、一体何を企んでの犯行なのかサッパリ分からぬまま。1895年8月17日、犯人を取り逃がしたとされた滋賀県警の本部長が退職の日に本部長公舎の庭で焼身自殺。その日に犯人と思われる人物からの終息宣言が出された。以降犯人からの行動は認められていない。(終息宣言を受け報告に向かったハウス社長が乗った日本航空123便が墜落事故という不幸も追記)。

一連の事件は主に大阪を始めとした関西圏で発生。当時130万人の警察官が動員された。

 

~というのが作品鑑賞後、当方付け焼き刃な『グリコ・森永事件』情報収集概要ですが。

事件当時の1984~1985年。まさに主人公の一人俊也とほぼ同年代の当方。

グリコ・森永事件を知ってはいるけれど、理解出来る年齢では無かった。

当方が覚えているのは『グリコ』のキャラメルをよく買ってもらっていたこと。ハート形のキャラメルよりも『グリコのおまけ』と呼ばれていたささやかなオモチャが楽しみだったこと。『男の子用』『女の子用』(呼び名はうろ覚え)どちらもまんべんなく買ってもらっては、水色の洗面器にためこんでそれで妹と遊んでいたこと。

小学生の時。クラスメイトの男子が「俺のお父さんな、キツネ目の男に似てるって警察官に呼ばれた事があった」と言っていたこと。

当方にとって、子供の頃の『グリコの思い出』と言われればそれくらい。後は…生息地なんで道頓堀のグリコの看板はおなじみ。それぐらいですか。

 

今回この作品を観てから改めてこの事件について調べて…かなり丁寧に事件をなぞり、考察された作品であった事に感心し…そして事件発生から35年以上経っているからこそこういった視点で描かれるんだろうなと思った当方。

 

当時この事件に翻弄され、まさしく人生が変わってしまった人たち。彼らからすれば「何をのんきな」と苛々する発言である事は自覚していますが。

こういった『劇場型犯罪』だとか『未解決事件』だとかは、得てして人の心を踊らせてしまう部分がある。この『グリコ・森永事件』しかり『3億円事件』しかり。未解決及び犯人が大金を得ずに終わった事件をモチーフとした創作作品はいかに多い事か。

けれど。結局は本物の未解決事件であるが故『犯人からのファイナルアンサー』を得る事は出来ない。いつだって「多分こういう事だ」の製作者の解釈で締めくくられ…やむを得ないけれどどこかすっきりしまいまま、物語の幕は降りる。

 

この作品もまた、「この事件の真相はこういう事だ」という真相は提示される。それは正直…当方的には「それは身勝手過ぎる」「弱い」と思えて説得力に欠けたけれど…。

 

しかし、これまでと違うのは『事件に使われた子供』を追う内容が絡められていた所。もし新聞記者英士だけの視点で事件が描かれてしまうと、それはお馴染みの『報道する者の義務』とか『正義』という空々しい傲慢さで終わってしまう。けれど一転して俊也の視点のみで終わると、これもごくごく一部の人たちだけが知るポエムになってしまう。

 

まあ。俊也の「あの事件で子供の声が使われたでしょう。あれ、自分なんです」。この持ち札の無敵さ。正直「警察でもないただの人にこんなに喋るもんかな?昨今個人情報云々言われてますけれど」と思う所は大いにありましたけれど。

 


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「宇野ちん!宇野ちん!」

当方の激押し俳優宇野祥平さん。今回予習をせず、ただ「宇野祥平さんが相当いいいらしい」とだけ聞いていたので。一体どこの悪モンで出てくるのかと思っていましたがここで…当方の中で鳴りやまない「宇野ちん!コール」。胸が熱い。

『罪の声』というタイトルの秀逸さもしかり。

もし『声の罪』だったら全く違う。彼らは何の主体性も無く巻き込まれた。

重大犯罪に関わってしまった子供たち。彼らの声に罪はない…なのに業を背負ってしまった。

あのテープさえ見つからなければ何も気づかずにいられた。そんな平凡な半生だった。けれど…知ってしまった。そして。同じだと思っていた子供たちはこうやって時を経ていた。知ってしまったから背負う事になってしまった。

やるせない。

 

この作品が『グリコ・森永事件』を丁寧に振り返っている上で描きだされたフィクションである事に感服しつつ。

という事は…実際に当時声を使われた子供がこの世に存在することの恐怖。

 

頼むから。(10代の少女は多分忘れていないのだろうけれど)幼さ故に何も覚えておらず、今のほほんと中年として生きていて欲しい。

そう思います。