ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「TENET テネット」

「TENET テネット」観ました。
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「今日は絶対に定時で帰ります。どうしても観たい映画がありますので」。

『TENET テネット』公開初日の金曜日。朝からそう宣言し。言葉通りに定時で仕事を終え、走って映画館へ向かった当方。

「やっと。ノーラン(以降も敬称略)の新作が観られる!」胸が躍る。そうしてDolbyシネマの座席に座った当方。そうして150分後。

 

「訳わからん…けれどなんか凄いモンを観てもうた」。

 

それから4日後。世間は4連休。何となく流行りものに乗っかってみたかった妹と一緒に再びDolbyシネマへ。

2回目の鑑賞を経て。「初見も大体楽しめるけれど、2回目を観たら理解度が確実に上がる」。「実は誰も無意味な言葉なんて発していなかった」。「うわあこいつ、ここで既に現れていた!」(一時売り切れていたパンフレットを昨日購入。それを読むことで再び訳が分からん状態になってしまった)。

 

「物理好きな俺でもちょっと難しいわ」。なんて、映画部長からすかした活動報告が来ていましたが…「当方なんて、高校でも物理なんて選択してないしな!(生物選択)」。知ったかぶりをして恥をかくのはまっぴら。餅は餅屋、物理に詳しい人たちのご説明は是非そこの餅屋でやって頂くとして。当方はただただ率直な感想を並べていきたいと思います。

 

CIAのエージェントである、名もなき男(ジョン・デイビット・ワシントン)。キエフオペラ劇場での武装集団によるテロに対し出撃。観客の命は救えたものの、自身は敵に捕らえられる。内部情報を漏らすくらいならばと自死しようとしたが…。意識を取り戻し、男は謎の組織に命を救われたと知る。

彼らは「現代人を残滅する為、未来人が時間を逆行してくる」「未来からの敵と戦い世界を救ってくれ」。という。にわかに信じがたいが、彼らの施設である現象を見せられた男は飲み込むしかない。

任務の相棒となったニール(ロバート・パティンソン)と行動を共にする男。

 

未来人とのやり取りを仲介している…そう目されたロシアの武器商人、セイタ―(ケネス・ブラナー)。

彼に接近する為、まずはセイタ―の妻、キャット(エリザベス・デビッキ)に近づく男。独占欲が強く傲慢な夫。美しき絵画鑑定士のキャットのセイターに対する愛情はとうに尽きているが、彼女がセイタ―の束縛から抜け出せない理由はひとえに一人息子の存在だった。

 

とりあえず人物紹介。ストーリーについて、「クルーズ船の豪華さと、いかにも金持ちの道楽っぽいヨット遊びがさあ!」とか「あの空港のさあ!」とか「とんでもカーチェイスがさあ!」とか「採石場のさあ!」とか。さあさあ言いたいのは山々ではありますが…キリがないんで。そしてそれもまたどこかの餅屋がやっておられると思いますし。

 

「昨日の私はもういない。明日の私はまだいない」。最近通りがかったお寺の前にあった貼り紙。

今。いつだって今しか目の前には存在しない。そして時間軸というものはあくまでも過去から現在、未来へというベクトルにしか進まない。それがこの作品では未来から過去へという逆のベクトルが存在する。

 

ビデオテープ世代を体験している当方が思い出した現象『巻き戻し』。

映像を普通に再生し一旦停止、そこから巻き戻しボタンを押すと、画面に映し出されているものは逆に動く。そうやって逆再生されたまま、自分の戻りたかった所でボタンを解除すると、再び映像は普通に再生される。

「これは挟み撃ち作戦だ(言い回しうろ覚え)」。

狙い撃ちしたい相手と、然るべき有事が起きるポイント。日時。過去に居る者たちはこれから何が起きるのか分からないけれど、未来に居る者には分かる。

時間を逆再生出来る装置を使って、過去と未来から相手を挟み撃ちする。

この挟み撃ちは一つに留まらない。大枠の他にも幾つもの小さな挟み撃ち現象が交差する為、結果作中では時に同じ時間に『順行』と『逆行』が混在する。

 

書けば書くほど何を言っているのかが分かりにくい文章になってきたので…お茶を濁して…まあ、当方はそう解釈したんですわ。

 

「ノーラン、やりたい事をやったんやろうなあ~」「CG嫌いとは聞いていたけれど、実際の飛行機持ってきて大爆発とか。どれだけだよ」「逆行を再現する為に後ろ歩きとか車を逆走とか。大変ですわこれは」。

物理学的にはどうこう、逆行ってこういう動きになるはずだ。そういうガッチガチの理屈を何とかデジタル使用を最小限にして見せたい。『ノーラン劇場』。ノーランの映画はどの登場人物よりも映像よりも「これが俺の見せたい世界だ!」というノーランの姿が見え隠れする。まあ好きなんですけれども。

 

そこまで映像にこだわっているのに。芯として描かれる登場人物達の『中二病感』。

世界を滅亡させようとしているセイタ―の動機も言ってしまえば「みんな!道連れだあ!」という超個人的な事情。

(そしてあの生い立ちならば放射線由来の疾患の方が…そしてこれは深掘りしませんが…プルトニウムって。海外の皆様、軽々しく扱いすぎですよ)。

事態に翻弄されつつ、事態を飲み込んでいく名もなき男はまあ…ある意味映画を観ている観客に近い存在ではありましたが。

「そして何より。ニールよ!」

ロバート・パティンソンって。変態じみた役とかが印象的でしたが。今回は圧倒的男前。しかも最終はもう…「ニール!」「ニール!」当方の胸の中で止まないシュプレヒコール

 

散々ややこしい事をしておきながら。これはある一つの家族の物語であり。そしてある友情の始まりと終わりの話でもある。ノーランよ、中二病か。センチメンタルが過ぎるわ。

 

ところで。初見は兎に角付いていくのに必死だったので、あまり気にしていませんでしたが。2回目に気になった点「音がデカすぎる」。

人並に映画を観る程度の妹を隣にして。「怖がっていないか?」が気になって仕方なかった。Dolbyシネマという特異性もありますが、見えないリモコンで音量をもう少し下げたかった当方。(案の定「音が爆音すぎた。頭の中がごちゃごちゃする。あれ、でもニールってつまりは~やんな?」と意外と鋭い感想を述べていた妹)。

 

そしてもう一つ。「ノーラン、戦闘シーンごちゃちつき過ぎ」。

最終決戦。日本の特撮ヒーロー達も伸び伸び戦えそうな採石場…みたいな廃都市での順行と逆行が入り混じっての戦闘シーン。

理屈を再現したらこういう現象が起きる。そう言いたい、やりたい、そのお気持ちは溢れんばかりに伝わりましたけれど。いかんせん絵面としてごちゃつきつき過ぎ。とっちらかってる。

 

長々と取り留めもない感想を並べてしまいましたが。キリが無いのでここいらで幕引きを。

何だこれはという前半の問いを怒涛の打ち返しで見せてくる後半。「考えないで。感じて」。それでも十分に面白いけれど、もし余裕があったら2回目鑑賞がお勧め。今度は冒頭から答え合わせ開始。にやつきと頷きが止まらなくなる。

観たら観たで文句も言うのですが。当方もまた『ノーラン劇場』には魅せられているので…やっぱり次回もワクワクして映画館に向かうと思うし。

なのでまた。ノーランパイセンよろしくお願いします。