ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「行き止まりの世界に生まれて」

「行き止まりの世界に生まれて」観ました。
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アメリカで最も惨めな町」イリノイ州ロックフォード。

ラストベルトー鋼鉄や石炭、自動車などの産業が衰退した「錆びついた工業地帯」。

そこに住む白人のザック、黒人のキアー、アジア系のビンの3人は幼い頃からのスケートボード仲間。

貧しく暴力的な家庭。閉塞感で息が詰まりそうな故郷で、スケートボード仲間との時間こそが唯一の居場所だった。

10代。いつだって一緒に居た3人も、少しずつ各々の人生を歩みだした。

父親になったザック。低賃金の仕事を見つけたキアー。そして映画監督になったビン。

これはビンが撮りためた12年のストリートビデオと、そして3人の生い立ち、悩み、葛藤、失望…希望。3人がもがいて、そして今立っている軌跡を映したドキュメンタリー作品。

 

「これは…凄い」「良作」「シンプルに響いてくる」「監督の彼、いい顔になったな」「いやいや。3人共最後は良い顔していたよ」

当方の属する、たった二人しかいない映画部でも大絶賛。

 

作品が始まってしばらく。素人の当方ですら「滅茶滅茶スケボー上手いなこの3人」「スケボーをしながら撮ってんの?」という凄いなあ~の連発。まだ10代の3人がひたすらスケートボード技術を見せつけてくる。すっかりこれはスケートボードがメインの展開になるのかと思いましたが。あくまでもスケートボードは軸。

 

「大人になんてなりたくない」。治安が悪く、街は低所得者で溢れ。学校なんて辞めた。親は直ぐに暴力でねじ伏せてくる。家は安心出来る場所じゃない。

けれど。一緒にスケートボードで町を駆け抜ける時の最高な気持ち。こいつらと一緒に居ると楽しい。安心する。こいつらこそが仲間であり家族。仲間と居る場所こそが自分の居場所。

少年らしく、屈託のない笑顔。失敗を励まし合い。技を決めて称賛し合い。互いに高め合う。

 

けれど。時は彼らをいつまでも少年のままではおかない。

ザックと彼女のニーナの間に子供が出来た。どちらもまだ20歳を過ぎたばかり。二人は結婚し、可愛い赤ちゃんが生まれた。やんちゃだったザックが恐る恐るおむつを替える日が来るなんて。

愛する家族を養う為に屋根職人の仕事にも就いた。こうして一見幸せな家庭を築いていこうとした二人の気持ちは、悲しくも早い時点ですれ違い初め、軋んでいく。

「どうしてお前は夜に出ていくんだ。順番に息子をみると決めたじゃないか!」

「今日は私の日よ!」

互いに募る「どうして自分ばかりが」という気持ち。子供を押し付けて相手は自由。苛立ちが抑えられず互いに大声を上げてしまう。話にならない。

 

ああ。悲しい。

早熟だった二人が親になってしまう。勿論愛し愛されていたからこそ、子供が出来て産む選択をした。なのに。育てる事が出来ない。

「これは…行政の福祉介入とかが無いんやろうな…アメリカの制度って全然分からんけれども。産んだら産みっぱなしか…(溜息)」。

感情がぶつかり合い大げんか。いつだって酒が手放せないザックは、どうやら酔うとニーナに暴力を振るうようで…遂に子供を連れて家を出ていかれてしまった。

 

キアー。実家で母親と甥っ子たちと暮らしている。何をしたいのかが分からない。ふらふらしていたけれどやっとレストランの雑用係の職に就いた。

重労働の割に低賃金。なんだこの仕事はと思うけれど…それでも頑張って続けていたら、認められて厨房の中も任される様になった。

 

「大人になるということとは」

ゆっくりゆっくりと、足場を見つけて。真っ当に働くという楽しみ。けれどここに留まっていては自分のやりたい事が出来ないと、外の世界に目を向け始めたキアー。

幸せになりたい。愛する家族が出来て、家族も幸せにしたい。そう思うのに上手くいかなくて。その苦しみを酒にぶつけてしまうザック。

 

彼らに寄り添い、淡々とカメラを回していたビンが己にもカメラを向けた時。傍観者の立場だったビンがザックとキアーの隣に並ぶ。ぐっと作品世界の奥行が変わる…何というか3人の生きざまがシンクロし、絡みついてくる。

 

「この地域での暴力犯罪の4割は家庭内で発生したものである(言い回しうろ覚え)」

 

閉塞したラストベルト地域。住民達の生活水準は低く、およそ町に活気が無い。

3人とも、親からの…主に父親からの暴力を受けて育ってきた。

そんな現実から何とか逃げ出して、やっと見つけた居場所。なのにいつまでもそこには居れない。大人になんかなりたくなかったのに。

あんな親にはなりたくない。自分の子供に幸せになって欲しい。そう思うのに上手くいかない。

親に言った「大嫌いだ」という言葉。それがまさか最後の言葉になってしまったなんて。

母親の再婚相手から暴力を受けていた。「母さんはそれをどう思う?」

 

ザックの妻ニーナ、そして監督ビンの母親にもカメラを向けている事で「暴力を振るうような奴は最低だ」とは一刀両断出来なくなる当方。

「あの人を愛している。嫌いにはなれない」「今は凄く良好な関係だから」「一人は寂しい」

暴力を受けている子供側からすれば、それはただただ理不尽で苦痛でしかない。けれど、その相手が家族である時。そこに下手に愛情がある事が却ってややこしい。

父親を愛している。けれど暴力を振るわれて納得出来ない部分もある。痛みは単純に辛い。なのに母親は自分を救ってくれない。何故なら父親を愛しているから。

大人になって。子供の為に良い父親になりたかった。なのに「ぎゃあぎゃあ騒ぐような女は黙らせないといけない」と思ってしまう。どうして抜け出せない。自分も同じ事をしてしまうなんて。「今が最低なのは自分のせいだなんて(言い回しうろ覚え)」。涙。

 

「このカメラはどういう存在?」そうビンが問うた時に返ってきた言葉。「これは無料のカウンセリングみたいなもんだ」。

荒んだ町で、スケートボードを通じて知り合った。初めはただストリートを駆け抜ける自分たちを撮っているのが楽しかった。けれど。時が経つにつれて、カメラはその先にある、3人の生きざまを撮り始めた。出会うまでの、そして出会ってからの彼らを。

親友二人にカメラを向け続けたビンはカウンセラーではない。ビンもまた、二人を絡めながら自分自身を振り返る事になった。この作品はビンの超個人的な記録でもある。

 

紆余曲折あった3人の、現時点での状況が暖かいものであったことに安堵した当方。そしてニーナの強さにも。エールを送る。

 

最後に大人になった彼らが。体型も変わったし、激しい技なんて出来ないけれど。それでもスケートボードに乗って笑っている彼らに、こんなにも己を見せてくれてありがとうと思うのと同時に、何が何でも幸せになってくれよなと。そう願っています。