ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「グッバイ、リチャード!」

「グッバイ、リチャード!」観ました。
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ジョニー・デップ主演。ウェイン・ロバーツ監督作品。

 

大学教授のリチャード。芸術家の妻と素直な娘との何不自由ない暮らし…一転したのは、自身の病の発覚。しかもそれは余命半年の大病であった。

突如宣告されたタイムリミット。「治療を施したところでもって一年」という医師からの説明に「積極的な治療は望まない」と回答したリチャード。

ところが。妻と娘に告白するチャンスを逃した挙句、妻からは長年職場の上司と不倫していたことを告げられた。

「残りの人生は自分の為に謳歌してやる‼」

ちょうど季節は新学期。単位欲しさに自分の担当科目を受講しに来た学生たちを極限まで振り落とし。それでも付いてきた生徒たちにあけすけな物言い。挙句授業中に生徒を引き連れ酒やドラッグを楽しんだ。

初めこそ戸惑っていた学生たち。同僚で親友。そして離れてしまっていたと思った妻と娘。

誰の目も気にしない。自由奔放なリチャードの行動や発言は、次第に周りの人間も動かしていく。

しかし…そんなリチャードの身体を、病魔は確実に蝕んでいた。

 

ハサミ男。白塗り。工場長。海賊。近年特殊でハイテンションな役柄が多かったジョニー・デップ

そんな彼が。久しぶりに『普通の人間』のビジュアルでスクリーンに帰ってきた!しかも今回は『余命180日の大学教授』という役柄で。

 

スクリーンの女性観客の多かったこと。「デップ―大好き!」という熱量に押され気味でアップアップだった当方。

(小声)「いや寧ろ、ガチャガチャとした煩いキャラクターを演じる事の多いデップ―を当方は正直良しとはしていなくて…じゃあ何故今此処に?それは…映画を観たい気持ちと上映時間の都合が上手くはまり込んだのだとしか…)肩身が狭い。

 

『当方はデップー推しではない』という事と『病気設定と一致しない演技等諸々に納得がいかない』。根底にこういったくすぶりがある事から。以降の感想は結構辛辣な内容になってしまうと思います。先んじてお詫び致します。

 

余命180日。つまりは半年と告げられたリチャード。彼のタイムリミットを決めてしまった病気、肺癌。ステージ4。

肺癌の進行度は4段階。つまりリチャードが告げられたステージ4は最終段階。手術適応段階では無く、他の臓器にも転移している状態。

言い切る事は出来ないけれど、正直かなりシビアな状態で主な対症療法は薬物治療のみ。

症状が余り出ない人も居るには居るみたいだけれど…大抵は呼吸苦、全身の痛みやだるさ。食欲不振、顕著な体重減少なんかがある。そういう状態。

 

「の割にはリチャードピンピンし過ぎ。せめてやつれるか痩せるか。声の出し方も変わるぜデップー。」

 

近年コスプレありきのイロモノ俳優枠に居たけれど。やっぱりデップー。身なりを整えきちんとスーツを纏った格好をすれは、色気のある男前が駄々洩れる。

物語の序盤から。余命宣告に動揺し荒れ狂うリチャードも。あけすけで意地悪な物言いで学生たちを振るいに掛けるリチャードも。酒やドラッグでラりっているリチャードも。自身のセクシャルティに悩む娘にアドバイスするリチャードも。

もう物語がどう進んでいこうがひたすらに「カッコええなあデップー」の連続。

病気が進行し。立っておれずに授業中寝そべったりなんかしているシーンもありましたが。概ね最後の最後まで「カッコええなあデップー」。を崩さない。

 

「そもそも呼吸器疾患の末期患者が酸素投与なしであんなにはっきり声を出してスピーチ出来るものなのか」。

終盤。長く務めた職場の同僚や妻なんかを前に「多分滅茶滅茶良い事を言っているのであろうスピーチ」にも、無粋な茶々が脳内を駆け巡って。全然話が頭に入ってこなかった当方。

 

そして。リチャードの異常な達観ぶりへの違和感。

アメリカの精神科医、エリザベス・キュブラー=ロス。

かの人が提唱した『死の受容モデルー5段階モデル』。

人が死を受け入れていく過程を①否認と孤立②怒り③取引き④抑うつ⑤受容と段階づけた。

医師から余命宣告を受けた時の衝動。そこから取った行為は分かる。けれど…そこから受容への段階、早すぎやしないか。「俺の残りの人生は自分の為に謳歌しよう」って。切り替え早い。

家族にすら真実を告げられなかったリチャードが。唯一早い段階で告白した親友が打ちのめされているのに…どこか他人事ですらある。何故「どうせ人は死ぬ」と直ぐに達観できるのか。

 

そしてリチャードの授業風景。

アメリカ文学?について学ぶ講座。初回授業の振り落としの結果残った生徒たちと、授業中にも関わらず酒場に繰り出し。いかにも酔った中年が言いそうな人生観を二三披露したら、自分に色目を使ってきたウエイトレスと勢いでトイレでセックス。

一人一つの文学を割り振り、授業で皆にプレゼンテーションさせる。いかにその物語を理解し周りに伝える事が出来るかを評価する内容だけれど…その過程はスクリーンでは語られない。

発表し終えたばかりの生徒とリチャードとの少しのやり取り。それらを断片的に見せられる内に、彼らの団結は深まっているけれど…実態が無いので「なるほど」と思わせる説得力が無い。

 

あんまりつらつらと上げていくと、ただただ上げ足を取るばかりの感想文になってしまうので。いい加減風呂敷を畳もうかと思いますが。

 

つまりは…余命180日の肺癌患者を描くには、あまりにもスマートに描きすぎてしまったと感じたという印象。

何でこんな事になった。どうすれは良かったんだ。畜生、何故周りの奴らは生きている。若い学生に囲まれて、彼らの生命力とこれから開けている人生。眩しい。セクシャリティがなんだ。誰かを愛せる事は素晴らしい事じゃないか。娘よ、お前はまだまだ若い。妻よ。友よ。愛している。もっと早くに言うべきだった。ありがとう。

粗く書き出すと概ねこういう感情が渦巻いたんだと思いますが。いかんせん、リチャードが「カッコええやんデップー」に飲み込まれ過ぎていた。

 

後はまあ…「脳内の引き出しから補てんしな」。という部分が多かったのかなと。特にリチャードにとって最後になった教え子たちとの授業風景。

 

リチャードが決めた自身の人生の幕引き。そこにも全然納得がいかなかった当方。結局アンタどこまでも個人主義やん。キザったらしい。その美学、ついて行かれへんわあ。

 

終始怪訝な表情で観てしまった当方。まあ…色んな考え方があるのでしょうから…リチャードの生きざまに共感出来る人もいるのだろう。

 

もやぁとしてしまいましたが。最後に。

きちんとスタイリングされたジョニー・デップは何をしても恰好良い。

これだけは文句なしでした。眼福。