映画部活動報告「海辺の映画館/キネマの玉手箱」
「海辺の映画館/キネマの玉手箱」観ました。
「また見つかった。 何がだ? 永遠」
2020年4月10日公開初日。この日大林宣彦監督が亡くなった。
20年ぶりに監督の故郷である広島県尾道市を舞台に撮られた作品。リアルタイムでは無かったけれど、初期の尾道三部作には随分どっぷりと浸かってしまった当方。とはいえ以降の…特に近年の作品には少し足が遠のいていた。けれど、やはり『大林監督と尾道』というフレーズには惹かれて気になっていた作品。
春先のコロナ禍自粛で公開延期になっていたけれどやっと公開。しかも遺作となってしまった今作。
「これは流石に観に行かなければな」。そう思って映画館へ向かったのですが。
(因みに。初めは公開翌日の8月1日に行ったのですが。その日は満員で(昨今の事情で入場制限あり)映画館に入れませんでした)。
先んじてお断りしておきますが。当方は好き嫌いがはっきり分かれるであろう大林監督作品に対し、あくまでも好きだというスタンスに位置しています。
大林監督の全ての作品に精通している訳ではありませんが「大林監督ってこういう所あるよな」と思っている部分もあり、その偏った視点で進める所があります。
何故こんなうざったい注釈を置くのかというと…以降の文章は勘違いを生む可能性が大いにあるから…当方が熱く語ろうとすればするほど、その相手を馬鹿にしている様に見えてしまうという…。なので念のため。
179分。大体3時間の長尺で、一体何を観せられたのか。
当方の行きつけのスーパーの総菜コーナーに最近現れた『ごった煮』。
色んな野菜やら肉やらこんにゃくやらを集めて甘辛く煮たのであろう(買って食べていないのであくまでも想像の味)食べ物。それを想像した当方。
大林監督の頭の中にある『映画』『戦争』『愛』『観せる者と観る者』『座っている者と立ち上がる者』『目の前にあるものは絵空事か現実とするか』エトセトラ。エトセトラ。そんな混沌としたテーマを、同じ鍋で一気に煮込んで出してきた。
味付けだってさしすせそに収まらない。甘く辛く。エンタメだって盛り込みたいし、大林監督なりの隠し味(当方からしたら全く隠れていないけれど)のポエミーで鼻につくセンチメンタルも盛り込みたい。
泣いて笑って。怒って。騒いで叫んで走り回る。もうどれだけ掬っても取り切れない灰汁だらけの作品。
「何で超大御所御大がこんなのを最後に出してくるんだよ…」(あくまでも褒めています)。
尾道の海辺にある映画館「瀬戸内キネマ」が閉館を迎えた。最終日を飾ったのは『日本の戦争映画大特集』のオールナイト興行。
そこで映画を観ていた、三人の若い男達。突如発生した閃光と共に、たまたま居合わせただけだった彼らはスクリーンの世界にタイムリープした。
江戸時代末期。新選組。白虎隊。娘子隊。大東亜戦争。沖縄戦。広島の原爆投下…。めくるめく変化していく時代の中で各々に現れた運命のヒロイン達。
スクリーンに映し出されるのはあくまでも物語。けれどその世界に入れば、それは現実。
史実では分かっている結末。どれもこれも悲しい流れにしかならない。けれど一生懸命に生きようとするヒロイン達の運命に「どうすれば世界は変えられるのか」と奮闘する男達。
「監督はきっとこう言いたいんだ」。「あのシーンのアレはさあ」。なんていちいち考察したり上げ足とったり。そんな気力は当方には皆無。だってもう。179分フルに使って大林監督がぶつけてくるんやもの。
おそらくの。「俺が撮りたかったもの」を余すことなく盛り込んできている。
良くも悪くも「くどくどとしつこい」大林監督作品の特徴を存分にこねくり回して。
こんなの、他の監督が作ったら滅多切りにされる。なのに…「もう…仕方ないなあ」と眉を下げてしまう。だってもう…大林監督の真骨頂を最後に全力全開でぶつけてきているから。そうなるともう、無粋な解釈はこちらも放棄して「さあもう今日はひたすら受け止めますよ」と。どこに投げても受け止めるキャッチャーになるしかない。
作中の少年が。自作の漫画をフイルムにして。声を掛けたら集まった観客相手に一生懸命に手で回して観せた。これはそんな少年の作品の延長。
自分の想いを映像作品にして観せる。その面白さ。観客の表情。けれど誰よりもその雰囲気の中毒性に魅せられたのは少年自身だった。
自身のこれまでの人生。自分のルーツ。生まれた場所や国が歩んできた事。集まった人達に観せたいモノは沢山ある。
時代は繰り返し。しかいいつの世にも戦争があった。
人と人が生活を営む中で。戦争という背景が横たわる時代があった。
圧倒的な理不尽。若くして命を落とすという事。戦争時代の正義、信念。
後付けの倫理観で、今なら何とでも言える。「これは愚かな事なんだ」「命を大切にしろ」。けれど、その時に生きた人はどう思うのか?
スクリーンの中で生きるヒロイン達の現実は、観客の立場からは「かわいそう」でしかないけれど。もし彼女達と触れ合って、心が通じてしまったら?「かわいそう」では済まされない。彼女達に生きて欲しい…できれば自分と共に。
ほうら。もっと観て。これまで起きてきた事を。そして今起きている事を。他人事じゃないんだよ。そして。立ち上がれ。さあ来い。リアルに触れろ。
狂ったピアノを弾きながら。大林監督から、映画館の座席に座って観ている我々へのメッセージ。「座ってばっかりじゃなくてさあ!」
それにしてもねえ。ごった煮すぎるんですよ。
何でこんなにパワフルなんだろうかと。何で最後までこんなに全力なのかと。不格好すぎて恰好良いやないか。
普通、何事も場数を踏めば多少はスタイリッシュになるんじゃないの。ちょっとはそぎ落とされてさあ。何でずっと盛沢山に盛り込んでんの。
ダサい。長い。しつこい。なにこれ。そう思うのに、この作品を振り返って終いには泣けてきた当方。こんなに味の濃い作品は何処までも酒が飲めてしまって。酔ってしまうんですわ。
好き嫌いがはっきり分かれる作品。長尺だし、万人にはお勧めは出来ない。正直、当方だってしばらくは観返さなくて良いと思っている。けれど。
大林宜彦監督最後の『A MOVIE』。この作品が遺作であるという事。そしてこのタイトルの秀逸さに感服。何もかもがしてやられた感じで…あかんあかん。余りにも味が濃いので胸が焼ける…感傷的になる前に撤収!大林監督…ご馳走様でした。