ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「アングスト/不安」

「アングスト/不安」観ました。
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「本物の《異常》が今、放たれる。」

 

1983年オーストラリア公開。1980年にオーストリアで殺人鬼ヴェルナー・クニ―セクが起こした一家殺人事件を題材にした作品。本国ではわずか上映一週間で打ち切り。その他の国でも上映禁止などが相次ぎ、監督であったジュラルド・ガーグルは今作が唯一の映画監督作品となった。

37年の時を経て。今スクリーンに蘇る。

 

2020年7月3日公開開始。でしたが。

昨今のコロナ禍以降の映画館の取り組みにより、座席が半分しか座れない事も相まって。連日満員で長らく映画鑑賞することもままならず。(後は日常生活との折り合いも付かなくて)。

「一体どんないかれた作品なんやろう~。」不謹慎ながらも若干ワクワクしながら映画館に向かってしまった当方。

 

まあ。率直な感想から言うと「思っていたんとは違った。」(えげつないモノを想像し過ぎていた)。

一体どんなに身勝手で残虐な狂人が解き放たれたのかと。勝手に妄想を膨らませてしまったいたから…いやいや、主人公K.は正にそういう人物であったのだけれども。

目を背けたくなるようなグロ映像や阿鼻叫喚(見る人によってはそう思えなくもないシーンはありましたが)、「うわああなんやねんこいつ。」という憎々しい相手でもなくとは言え「そりゃあ仕方ないよ。」という同情が芽生える相手でもなく。

 

「主人公凶悪犯K.が長らくの刑期を終え娑婆に出た。その日に起こした一家殺人事件。その全貌を描いた」。そうとしか言えない内容。

 

冒頭からしばらく語られる『K.』という人物の背景。

愛されずに育った幼少期。常に暴力を受け。家族から見放され、どこに行っても厳しく理不尽に躾けられた。恋愛遍歴も独特で加虐性癖が伸ばされる。

16歳で母親をナイフで複数回刺し刑務所へ。26歳で出所してすぐに見知らぬ73歳の老婆を射殺し再び収監。自身の精神異常を訴えたが、認められず精神科病院では無く刑務所に収監された。

 

絵にかいたような不幸の連鎖。だからといってK.が犯罪を犯して良い訳にはならないけれど…そして8年強経って。遂に何の罪の呵責にも犯されていなかった男が世に放たれた。

 

この作品は終始主人公K.のナレーション付きでお届けされていて。

世に放たれたK.が「KILL!KILL!」という沸き起こる脳内シュプレヒコールにワクワクしながら己を満たす為に標的を探す様。そして遂にうってつけの豪邸を発見して侵入。自宅にいた車いすで心身ともに不自由な男性に遭遇。その後買い物から気楽した初老の夫人とその娘も含めた家族3人を次々襲って殺す…を煩いまでに実況。

 

「俺は何故こういう事をしているのか」。

丁寧に。やかましいほどに説明してくれているんですがねえ…「うるせえな」。と苦々しく腕組みをして最後までほどけなかった当方。

 

やたらガクガク揺れるカメラワーク。かと思えば引き。けれど当方がもっと気になったのは独特過ぎる音楽の使い方。

いかにも「でるででるで~」。みたいな。主人公K.の心情が揺れている時に流れるわざとらしい音楽。(誤解されそうですが。褒めています。)

どこまでも晴れない、薄暗い絵面。そのせいなのか、何故か生々しさを感じない。どこまでも硬質で…最早突き抜けて滑稽で、シュールにさえ感じる。ここでは殺人が行われているのに。(繰り返しますが。褒めています)。

 

実在の殺人鬼を題材にした作品となると、どうしても真相心理とした「どうしてそんな事をしたのか」。が知りたくなってしまう。

人を殺める理由。「たとえそれが理不尽なモノであっても…」。そう続けたいと、そう思っていたけれども。この作品を通じて当方がつくづく感じたのは「どこまで行っても決して分かり合えない人物は居る」。という再確認だった。

 

ノリノリで繰り広げられる「こうしなければいけないと思った」。というK.のオレ理論。けれど実際に見せられているのは行き当たりばったりの殺人事件。理想のスマートな展開もなく、息を荒げて、手際も悪い。

そうなるとどこまも不幸なのは標的となってしまった家族で…本当にねえ。辛い。

 

「もういっそ殺してくれ!」当方ならばそう言いたい。一体彼らが何をした。

 

この作品タイトル、『アングスト/不安』。

どこかを探せば監督の語るベストアンサーがあるのだろう。そう思うと浅瀬に住む当方の浅瀬な感想で恥ずかしくなりますが。

「異常な加虐的性癖を持つ凶悪犯の不安衝動を満たす様を描いた」。という内容であるとは思いますが。

その視点があくまでも主人公に固定されているにも関わらず、その相手をどこまでも理解出来ず相容れない。観ている側の気持ちの落としどころが見つからない。

「何なんだこいつ」「やばいな。気持ち悪い」。見ているだけで不快に…まさに『アングスト/不安』を感じる。

K.は食事をしていただけだけれど。あのガソリンスタンド横のカフェに居合わせた店員を客が浮かべた表情。同じ顔をしてまった当方。

理解が出来ないのもは気持ちが悪い。落ち着かない。

 

後はやはり…あの家族が飼っていた犬の人懐っこさよ。

撮影監督の飼い犬で名前はクバ。愛らしさゆえに急遽採用されたという「『ゴッドファーザー』の猫か!」と言わんばかりのキュートなダックスフンド

殺人が行われているその現場においても自由気ままに振舞い、愛する家族の命を理不尽に奪った殺人犯K.にも懐いて付いていく…まさかのワンちゃん映画な側面も持ち合わせる。

 

何だか歪なバランスだった作品。「ジュラルド・ガーグル監督は映画作品は本作のみで、以降はドキュメンタリー作品や教育映画製作を続けた」。という記載にほうと目を奪われた当方。

そして続けて読んだK.のモデルとなったヴェルナー・クニーセクの事件。

「55歳の母親と26歳の息子と24歳の娘、そして彼らが飼っていた猫も殺した」。

「猫を…」。

映画の犬は無事でも、現実の猫は…猫は…。

「こいつは万死に値する(真顔)」。

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