ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「その手に触れるまで」

「その手に触れるまで」観ました。
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ベルギー。主人公アメッドはつい最近までゲームに夢中だった13歳の少年。

しかし、近所の食品店を営むイスラム教の導師に出会ってからはすっかり教えに感化され。兄と共に足しげくモスクに通っていた。

次第に思考が過激になっていくアメッド。遂にその矛先は放課後教室の女性教師、イエネ先生に向けられた。

「日常会話としてのアラビア語を学ぶ為に、歌の授業を取り入れたい。」

イエネ先生の提案は保護者の中でも賛否両論。「アラビア語はあくまでもコーランで学ぶべきだ。」そういう反対意見も溢れた中「聖なる言葉を歌で学ぶなど冒涜だ。あの教師は背教者だ。彼女は聖戦の標的だな。」という導師の言葉を受け、恩師であったイエネ先生を排除すべく殺害しようとしたアメッド。

殺人は未遂に終わり。少年院に収監されたアメッド。

イスラム教の教えに理解があり。農業体験を経験することでアメッドの更生を図る施設の意向に、初めこそ居心地の悪さを感じていたが。

果たして、狂信的な思考に囚われた少年は変わる事が出来るのか。

 

84分。ただひたすらに13歳の少年を追ったヒューマンドラマなのに…サスペンスドラマを観ているのかと紛うほどにハラハラする。一体アメッドがどう着地するのかと。

 

多くの日本人と同じく。無宗教信者という名の多宗教のいいとこどりをして。一つの信仰にどっぷり浸かっている訳ではない当方。

ざっくりと「あの宗教は確か…。」という程度には認識していますが。いかんせん「知ったかぶりはしない。」事をモットーにしていますので。今回の作品の中で取り上げられていたイスラム教云々については語る事は出来ません。(せいぜい印象程度)という事をあらかじめご提示して。

 

「13歳かあ。」

もうそんな歳はとっくの昔に過ぎ去ったけれど。それでも何だか懐かしく、そして苦々しい気持ちを思い出した当方。

「子供ではないけれど大人でもない。中途半端な自分。」

 

ちょっと前まで自分もあんなだった?たった一つ二つ年下の奴を見ると疑ってしまう。よくあんな幼稚な事で無邪気にわあわあ騒げるな。今の自分は違う。何というか…頭が冴えて、急に世界が見渡せるようになった。

今の世界はおかしい。偉そうにしてる奴が一握りで、周りは苦しい人ばかり。どうして?何かが間違っているんじゃないか?もしかして…そこに気づいたのはこの辺じゃ自分だけじゃないの?

そんな時に出会ってしまった、イスラム過激派思想。

やっぱり。自分と同じ疑問を持つ人たちが居た。それも、灯台下暗しとはこのことよ。身近に触れていたコーランを深く掘り下げれば、自分の求めていた答えばかり。

 

~というアメッドの前日談は一切描かれていませんので。ここまでの下りは完全な当方の妄想ですが。

 

当方も、歳を取ったからこそ言える事でしかないので。思春期の少年少女には相容れない言葉でしょうが。

「あなた達にとって、大人はくだらなくて、汚れ切ってくたびれている様に見えるのかもしれないけれど。誰もがいくつになっても実は一生懸命で、傷つきやすくて平気じゃない。ただ、そう見えない様に取り繕う事が上手くなっているだけだ。」

「13歳で開けた世界は全てじゃない。寧ろ初めて世界のはしきれを見たんだと言える。世界はずっとずっと広がっている。」

「何事も。決めつけるのは早計だ。この世は不確かなもので溢れている。」

 

もう自分は子供じゃない。そうやって立ち上がって世界を見渡したばかり。そんな鉄がまだ熱々な状態の少年に。過激派の極論を植え付けた輩が憎い。

 

そして多かれ少なかれある、少年時代の「俺が世界を変える。」というヒロイズム。

自分の思想を遂行するために死ぬのならばそれは名誉ある死。

世界は正義と悪に分けられる。善と悪…そんな、時代や思想、引いては流動的な価値観で容易くひっくり返される不確かなものを。二極に分ける。分けられる。

 

放課後教室のイエネ先生は、幼い頃の識字障害を克服出来た恩人であった。けれど、今の教えでは異性であるイエネ先生には触れる事は禁じられているし触れたくもない。

かつての恩人を不純な存在で背教者だと仕分け。挙句刃物を振りかざし命を狙う…イエネ先生の心中を察するだけで泣けてくる当方。それでもアメッドを見捨てない…彼女こそが本当の『先生』なのに。

 

アメッドの母親。父親と別れてからお酒の量が増えた。けれど懸命に働き、子供を育てている。自分のせいではないかと泣く母親の姿が辛い。

 

「え?ベルギーの少年院てこんなに寛容なの?それともお話やから?」

ちょっとその点はよく分かりませんでしたが。『過激派思想で殺人未遂犯』というかなりの重罪でありながら、わりとのんびり放牧的な扱い。

そこで出会った農場の娘、ルイーズ。

おそらくアメッドと同世代。彼女の正直なスタンスが非常に分かりやすく、好感が持てる。「何を信じようが、私にそれを押し付けないで(言い回しうろ覚え)」。

初めこそ家畜に触れる事を嫌がっていたアメッドだったけれど。何度も農場での作業を経験する内に頑なだった気持ちがほどけてくる。それはひとえにルイーズのおかげ。

互いに好意を持っている。一緒に居ると楽しい。けれど関係が一歩進もうとすると、急にアメッドは我に返る。「こういう事はしてはいけない。」「汚れた。」

 

『その手に触れるまで』というタイトル。『その手~』という相手と結末を一応は最終見せてはいましたが。その下りに関しては「臆面通りには受け取れない」と険しい表情を崩さない当方。どうも大風呂敷を突然畳んだ感が否めない。(それに…アメッド直前まであんな行動取っておいて。あの言葉は素直に聞けないな。)

 

『触れてはいけない。』がんじがらめな思想の檻に己を閉じ込めたアレッド。そんなアメッドに差し伸べられた手に、アメッドが安心して触れる事が出来るまで。

三歩進んで二歩下がる。それどころか進んでしまったと気付くと怯えてすぐに元凶を絶てとばかりの行動を取るアレッド。つくづく観てる方からしたら焦れったい。

 

狂信的な思考に囚われた少年アレッド。彼の気持ちがどう変化するのか。波は寄せては返し。すぐに答えは出ないし、どう転がるにしても想像以上に時間を要するのだろう…ただ。今すぐではなくていいから、アレッドが手を差し伸べてれていた人たちの事を想える大人になれますように。

そう願ってやまないです。