ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「在りし日の歌」

「在りし日の歌」観ました。
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改革開放後、激動の30年を過ごした中国。『一人っ子政策』が進められた1980年代。国有企業の民営化推進で経済成長を遂げた1990年代。そして2010年。

1986年。中国の地方都市にある国有企業の工場に勤めるヤオジュンとリーユン夫妻。彼らは一人息子のシンと三人で慎ましくも幸せに暮らしていた。

同じ工場で働く同僚夫婦、インミンとハイイエンの息子ハオは偶然にもシンと同じ年、同じ日に生まれた。

二組の夫婦はそれぞれの子の義理の父母として契りを交わし、家族ぐるみの付き合いを続けていた。

しかし。1994年のある日、シンはハオに連れられて行った川で命を落としてしまう。

耐えられない心の痛み。ヤオジュンとリーユンは住み慣れた故郷を捨て、誰一人知り合いのいない福建省の海沿いの町へ移り住んだ。

 

「185分て。これはこれは…。」

そう思って覚悟して行きましたが。全く眠くなる暇などなく。気づけばあっという間にエンドロール。

時代が大きく動いた中国で。一人っ子政策下、二人目の妊娠をすれば強制的に堕胎させられる。そんな中、大切に育ててきた息子を失った。

工場の民営化が進み、リストラされて解雇。頼れる人もいない土地に敢えて夫婦で移り住み、小さな修理工場を開いた。孤児院から男の子を引き取り、息子と同じ名前を付けて育てたけれど。思春期になった息子は兎に角反抗的で懐かない。「あの子はシンシンじゃない。」

夫婦の元から家出していたシンが久しぶりに戻ってきた。独り立ちしたいからと身分証を欲しがるシンにヤオジュンは「父さんと母さんは感謝している。お前は俺たちの為にシンシンとして生きてくれた。本当のお前を返してやる。」と言い、本名であるチョウ・ヨンフーと記載された身分証とお金を渡した。

2011年。成長し医者になったハオ。母親ハイイエンが脳腫瘍で最早末期である事を父親のインミンに告げる。

本人に告知はしなかったが、死期が近いと悟ったハイイエンはヤオジュンとリーユン夫婦を呼び寄せる。久しぶりの再会。

そして。「お二人に話したい事があります。」大人になったハオがヤオジュンとユーリンに、長年胸の奥にしまっていた思いを告白。

 

がっつり大筋を書いてしまいましたが。終始ヤオジュンとリーユン夫婦が切ない。

激動の中国。元同僚のインミン、ハイイエン夫婦が時代の流れに乗って裕福になっていくさながら、不遇に不遇を重ね(こんな言い回し無い…)地べたを這って生きている。

皆が貧しかったけれど、笑いが絶えなかった工場時代。寮(台所が共有という独特な建物)ではいつも誰かの部屋に集まり、歌を歌いダンスした。

そんな中。二人目の妊娠がばれて強制掻把。しかもその堕胎処置のせいで二度と妊娠できなくなったリーユン。そして最大の悲劇、最愛の息子シンの死去。

「あかんあかん。」しかも移り住んだ先で迎えた新しい息子も夫婦に懐かない。

どこまで行っても追いかけて畳みかけてくる不幸の連鎖。

 

けれど。悲しい出来事ばかりがあった訳ではない。その『語られなかった部分』が最後の最後に出てきた瞬間、それまで眉尻が下がっていた当方の涙腺が決壊。

「よかった。この二人にもそういう幸せがあったんだ。よかった。」

 

後から思えば「あれは何だったんだ」という価値観。『一人っ子政策』は当時子供だった当方ですら知っていた中国の国策。(むろんそれをどうこう言うつもりは無い)

目に入れても痛くない、そんな一人息子を失って夫婦二人っきり。子はかすがいとは言うけれど…ヤオジュンとリーユンを繋ぎとめていたのはシンではない。

どうにもならない時代と運命の渦に飲み込まれて…けれどそこを踏ん張ってこれたのはヤオジュンとリーユン、お互いが居たから。

「あなたを失ったら、私は生きていける?」「俺とリーユンはお互いの為に生きている。」

どんな時もどんな時も。お互いがいたから生きてこれた。離れたら生きていけない。

これを夫婦愛と言えばそりゃあそうだけれど…運命共同体?一心同体?そんな相手を持たない当方から見たら、羨ましくもあるけれど恐ろしいとも感じてしまう。

 

ヤオジュンとリーユン夫婦の不幸の連鎖も痛ましいけれど。同胞として生きてきたシンを死なせてしまったハオ。そしてリーユンの堕胎処置を進めたハイイエン。経済的にも成功し一見勝ち組であった彼らにずっと影を落とし続けた贖罪の気持ち。

同じ30年という年月。やっとその気持ちを伝えられたのはハイイエンの命が尽きる手前。一体どれだけの時間を要したのか。けれど互いに手を取り抱き合えるまでには必要な時間だった。

 

長尺約三時間という作品で。一組の夫婦とその子供。そして所謂加害者になってしまった家族。ヤオジュンを慕っていたインミンの妹。工場時代共に笑い合い、紆余曲折あって夫婦となった男女、シンジエンとメイユー。

ヤオジュンとリーユン夫婦にスポットを当てながらも、彼らと関わり共に時代を生きた仲間の生きざまも教えてくれる。傷ついた夫婦を支えていた彼らはどうなったのか。

 

壮大な叙事詩を見たような気分。何があっても二人で生きていく、老いた夫婦の姿にしんみりしていたら、最後の最後に物語の奥行がグンと広がる。語られなかったエピソードが脳内で勝手にピース化されてパズルが組みたつ。ちゃんと幸せで良かった。苦しい事もあるだろさ悲しい事もあるだろさ。だけど僕らは挫けない。ただ不幸が過ぎるのを耐えていたんでは無かったんだと胸が熱くなった当方。

 

最後に。この作品では食事やお茶を飲むシーンがたびたび出てきたのですが。

「あんな大きな蒸し饅頭!」「やっぱり持っているんやな中華包丁!そして手元を見ずに食材を切れるのか!」「年越し餃子!」と語尾にビックリマークだらけの歓声を(無言で)上げ続けていた当方。特に三人で食事していたあのシーンの多幸感に胸が一杯。そして単純に美味しそうで…あの料理、食べてみたいです。