ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「プリズン・サークル」

「プリズン・サークル」観ました。
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島根県あさひ社会促進センター』2008年10月に開設された官(国)民(民間事業)協働の新しい刑務所。犯罪傾向の進んでいない男子受刑者等約2000名が収容されている。

日本には他にもいくつか官民協働型の刑務所が存在するが、ここには独自で行っている更生教育プログラムが存在する。

『TC(Therapeutic Community=回共同体)』欧米で再犯率の低下が立証されているプログラム。受刑者同士が対話し、犯罪の原因を探り、更生を促すといったもの。

撮影交渉から実際に取材開始に至るまでの月日は6年。そして2年間の密着カメラは詐欺、窃盗、傷害致死、強盗傷人などで服役中の4人の若者に焦点を当てて、彼らの変化を追っていく。

坂上香監督。136分のドキュメンタリー作品。

 

「見てもいいけど入っちゃなんねえ。」

北海道網走刑務所。当方はその博物館に昔行った事がありまして。そこで見かけたフレーズ。

「刑務所にカメラが入る。」

当方は今までの人生で刑務所に入るような事は無かった。(勿論これからも無縁でありたい)周りに前科を持つ人も特に思い当たらない。けれど…ニュース等を見ていて漠然と思う事はある。

「一体犯罪を犯す人はどうしてそうなってしまうのか。」「犯罪を犯したら終いなのか。」「どう向き合っているのか。」

刑務所での暮らし。監視され、時間がきっちりと区切られ、規律正しい生活を余儀なくされる。日中は何らかの作業と少しの運動をし、夜間に少しの自由時間があるのみ。精神的な余白時間は無く、内省するのは個々でやってくれ。何となく想像する受刑者の一日。(勝手なイメージ)

なので。「受刑者同士でのグループワーク?」「自分が犯した罪について⁈」予告編を見て、正直興味深々で観に行ったのですが。

 

「ああこれ。纏まらない…もやもやする…。」

鑑賞中も相当険しい顔をしていましたが。未だどう落としどころを付けていいのか見えず…取っ散らかった感想文になるだろうという予感。

そして。当方は、心理療法や日本の刑務所の目指している方向性や児童虐待などについて不勉強で…無責任な発言や「そんなの分かっとるわ!」という現場の方が声を出してしまう事も書くと思います。ですが致し方ない。これが率直な感想なので。諸々先んじてお詫びします。

 

官民協働型の新しい刑務所、島根あさひ社会復帰促進センター(以降センターと表記)。施設の施錠や食事の配膳などは自動化され、受刑者たちは身に着けたICタグと監視カメラで監視されている。勿論刑務官が管理指導している部分もあるが、警備や職業訓練などは民間が担っている。

このセンターの特徴は『TC/回復共同体』という更生に向けた教育プログラムを採用しているところ。

このプログラムは40名しか受けることが出来ないが、その集合体の中でコミュニティ(精神的な絆で結ばれた人間関係)を構築することで社会の中で生きる責任を果たすための考えや行動の仕方を互いに学ぶ。

後付けでこのセンターのホームページなどを見て。「なるほど。そういう事やったのか。」と色々腑に落ちた当方。

先述した『TC』を通じて、『RJ/修復的司法』(犯罪行為につながる思考や感情、背景に繋がる価値観や構えをターゲットにして変化を促進する)と『CBF/認知行動療法』(社会の一貫であるという事を意識して加害行動の責任を引き受ける)を進めて真の改善更生を目指していると。

 

この作品では主に、4人の若い受刑者を軸にして『TC』の様子が描かれる。

詐欺。窃盗。障害致死。強盗傷人。20代の対象者らが犯した犯罪はどれも赦されたものでは無い。

けれど。対象者らが語ったこれまでの半生は、貧困・シングルマザー問題・親からの虐待・いじめなど、どれもこれもが溜息を付くしかないものばかり。理不尽な暴力。保身に回り、自分を守ってくれなかった親。避難したはずの児童虐待保護施設でのいじめ。エトセトラ。エトセトラ。

4人が4人共、そういった「かつては被害者だった」としか言いようのない子供時代。その告白に終始険しい表情を崩せなかった反面、どうしても拭えなかった当方の気持ち。

それを代弁した、一人の対象者の言葉。

「育ちが悪かったから自分がこうなったとは思われたくない(言い回しうろ覚え)。」

 

当方がこの作品を観ていて、前提として決して忘れてはいけないと思ったのは「彼らは犯罪者だ。」ということ。「モノや人を傷つけた。」ということ。

本当に嫌な言い方ですが。「貧困層やかつて虐待を受けた人が必ずしも犯罪者になるわけではない。」「そういう家庭環境に育ったとしても、普通に社会生活を営んでいる人はごまんと居る。」

 

対象者らの生い立ちは確かに辛いけれど、では何をしてもいいわけではない。

 

「親から愛されなかった。」「叩かれていた。」「怖かった。」では、どこから対象者らは『叩く側。』『傷付ける側。』に回ってしまったのか。いつまでもかつての被害者側に居てはいけない。何故なら今の立場は加害者なのだから。何故こうなってしまったのか。

 

正直、この『辛かった幼少期』を対象者らが語る時間が多かった様な印象がある当方。そして…「このグループワークにはこういう家庭環境の受刑者しかいないのか?」と思わず穿ってしまうほど…どうもスポットの当てられている対象者に偏りを感じる。

 

『TC』の様子で少し当てられていた4人以外の受刑者たち。

「国籍が違うから差別を受けていた。」「お山の大将でいつも人を殴っていた。」そして盗癖について罪悪感を感じていなかった対象者が「仕事道具を盗まれたところから自己自暴になって薬物に走った話を聞いた。」と泣いていた、その語った受刑者の話を聞きたい。40人のコミュニティの姿が見たい。小さいけれど社会と模した集団を知りたい。

刑務所の中で。各々犯した罪は違うけれど皆が犯罪者。その中で、とことん自分を丸裸にして。共感したり、それはおかしいんじゃないかと言い合って。そうして人間関係を構築していく姿。それを見たい。

 

いや。勿論そこにもカメラは向けられている。『自分が犯した犯罪を振り返る』というグループワークで。グループのメンバーが被害者や対象者の彼女になりきって対象者を糾弾した時。「本当に申し訳ない事をした。」と初めて自分の罪を思い知った。

『いい死に方をしたい』という考え方とそんな自分を否定している自分。その葛藤を対話形式でロールプレイする時間。どれもこれもが興味深い。

 

『TC』のメンバーが語った言葉。「自分の罪はあまり見えないんですよ(言い回しうろ覚え)」けれど。集団の中で。他の誰かが語った言葉。感情。そこに共感したり、反感を感じて意見を交わすことで。己の感情や行動や犯した罪の内容に整理がついていく。

 

所々挟まれた『出所者たち』の姿。

所謂娑婆の世界で。自分の居場所を見つけられた者。危なっかしい者。出所後も三か月毎に集う彼らに、確かに絆は存在するんだなと思う当方。

 

案の定。随分取っ散らかった感想。キリが無くなってきたのでそろそろ〆ていこうと思いますが。

 

「暴力の連鎖を止めよう。」そのフレーズには当方も一点の曇りもありませんが。(『暴力』という言葉を広義にしたら『犯罪』も含まれるのかもしれません。)

当方が観たかったのは『犯罪を犯した人が社会復帰するための取り組み』。刑期を終えたから、時間が経ったから社会に出てくるのではない『新しい更生プログラム』。

 

『TCを経験した出所者の再犯率は、通常の出所者の再犯率の半分以下。』

「ならばもっと他の刑務所にも導入されるべきという事か?とはいえ誰にでも適応するプログラムではないやろう。犯罪傾向の進度もあるやろうし。「人前で自分の事なんて話したくない」という性格にはまず向かない。そうなるとそもそもこの40人はどうやって選別されているんやろう?」

モヤモヤと纏まらず。センターのホームページを読んだりもして。図らずも日本の刑務所や更生事情について思う当方。

 

ともあれ。最後に姿を見せてくれた、あの彼の勇気と覚悟にエールを送り。

元対象者ら=彼らが社会で生活している事を祈らんばかりです。