映画部活動報告「ジュディ 虹の彼方に」
「ジュディ 虹の彼方に」観ました。
1969年6月22日。鎮静剤の過剰摂取によって亡くなった、フランセス・エセル・ガム。
彼女の芸名はジュディ・ガーランド。誰もが知っている『オズの魔法使』のドロシー。47歳だった。
1939年公開『オズの魔法使』(MGM)。
両親が共働きで鍵っ子だった当方と妹。二人で留守番する時、擦り切れるほど見た『オズの魔法使』。
おそらくNHKとかで流していたものを親がビデオテープに録画した代物。昔の作品故、ただでさえ粗い映像だったけれど…幼かった我々の心を掴んで離さなかった。
カンザスの田舎で叔父夫婦に育てられているドロシー。ある日竜巻に飲み込まれ、家ごと飛ばされた先は…オズの国。
カンザスでの生活はセピア色。けれどオズの国に着いた途端、ドアを開けると世界はカラーに包まれる。この時の高揚感。
もうこの『オズの魔法使』だけでいくらでも感想が書けてしまう位、思い入れが深い作品。ですが…泣く泣くそこは割愛して。先に進みますが。
今回、この感想文を書くにあたって久しぶりにDVD(大人になってから購入した)を見ましたが。「やっぱり全部歌歌えるな。」「ああもうみんな良い。凄く良い。」相変わらず夢中になって見た半面、『この時ジュディ・ガーランドは映画会社に薬漬けにされていた』という事実に胸が痛んだ当方。(ジュディ・ガーランドが初めて薬物を投与されたのは『オズの魔法使』撮影当時の16歳。)
大人になってからも。時々『オズの魔法使』を一緒に見たり、話しに上がるたびに妹が言う言葉。「でも、ドロシーの人って薬物中毒になって、それで若くに亡くなったんよな。」(後もう一つ。「戦争中にこんな映画が作れた国に、そりゃあ日本が勝てる訳が無い。」)
ドロシーはキュートでちょっと勝気。そんな彼女が薬物?そんなの信じたくない。知りたくない。長らくそう思ってきましたが。
第92回米アカデミー賞授賞式。今作品のジュディ役で主演女優賞を受賞した、レネー・ゼルウィガー。彼女を見て「ああ。いよいよジュディ・ガーランドの物語が来るか。これは観ないと。」溜息を付いた当方。
1968~1969年。ロンドンのナイトクラブ『トーク・オブ・ザ・タウン』でのコンサート。晩年の彼女を描いた作品。どんなに寂しい気持ちになるだろうかと、覚悟して映画館に向かった当方。
結論から言うと。寂しくもなったけれど、それだけでは無かった。
太く短く生きた人生。薬物とアルコールに依存し精神的にも不安定。金銭感覚が疎いため生活は度々困窮。計5回結婚し3人の子供を授かった。兎に角破天荒。けれどそれは「とことん自分に正直な女性だった」とも言える。
上手く自分を繕っている人たちが沢山居る中で。不器用で、ボロボロで、泥臭い。それでもずっとパフォーマンスを辞めなかった。
なぜなら彼女は生粋のエンターテイナーだったから。
思春期にMGMから投与された興奮剤と睡眠薬は、結局彼女を生涯薬物から抜け出せなくした。
加えて上層部からの、パワハラとも取れる圧力。「お前なんか大した役者じゃない。容姿が秀でている訳でもない。いつだって出て行ってくれていいんだぞ(言いまわし省略)。」ジュディが少しでも弱音を吐くと、この手の言葉で押さえつける。
「こんなの…確かにおかしくなる。」震える当方。
大人になっても尚、時折ジュディを襲うフラッシュバック。過去のトラウマ。
「けれど。この作品は、決してジュディを悲劇の被害者一辺倒としては描いていない。」
確かに子役時代の出来事は、ジュディの人生に影響を与えた。けれど、ジュディの人生は彼女が選択した事で構成されている。
映画会社は解雇されたけれど。持ち前の歌唱力とパフォーマンスを磨いて『ミス・ショウビジネス』と呼ばれるまでになった。
生活力が無さすぎて、元夫に愛する我が子を預けるしかなかった。けれど、決して愛情も手放した訳では無い。我が子の幸せを願った決断をした。
かつての会社やしがらみ。いわゆる『育ってきた環境』。そういったものに大いに振り回されていたけれど、それでも結局生涯辞めなかった『表現者』としての人生。
また、ジュディを演じたレニー・ゼルウィガーの絶妙さ。
『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001)。公開当時大ブームになりましたし、流石に当方も知ってはいますが(観ていない)。あの当時のレニーから約20年…激太りしたり、何だかエライ事になっている彼女のビジュアルを時々見かけては胸をざわつかせていましたが。もう今回のレニーに関しては「年取り過ぎているやろう。」というのが率直な第一印象。
47歳の女性って、ここまで老けるもん?貧相で厚化粧なビジュアルで、ジリ貧のジュディを演じているレニーの姿は、とても切ない。
宿泊費未納でホテルを追い出され。子供たちを元夫に預け、ギャラ目当てで引き受けたロンドンのナイトクラブでの仕事。
クラブの楽団との事前練習もほぼ参加せず、当日も不安から自室に籠って。自分よりずっと若いマネージャーに無理やり引きずられて舞台に立ったジュディ。「これはあかんのやろうな…」と溜息付こうとしたら…まさかの。圧巻のパフォーマンスが始まった。
「嘘やん!」さっきまで貧相にしか見えなかったジュディが。生き生きと歌い上げる。またその歌の上手い事。レニー、やるなあ~。沸き立つ当方。
生前のジュディ・ガーランド、それこそ『オズの魔法使』しか知らないけれど。
切れ切れのエピソードでしか知らなかったジュディ・ガーランドに血が通っている。レニーが己の全てで体現している。こんなに迫力のある役者だったなんて(失礼)。
そして、ジュディ・ガーランドがこんなに泥臭く。必死に生きた女性だったとは。
ゲイカップルとの交流。偏見の目が絶えなかったあの時代に。あくまでも『古くから自分を愛してくれている大切なファン』として真っ当な反応をしたジュディ。人の痛みが分かって寄り添える。。こういう所が、どんな彼女でもずっと好きだと思える部分。
最後の。『オーバー・ザ・レインボー/虹の彼方に』で怒涛の涙腺決壊。声が漏れそうになって、タオルを口に当てて泣いた当方。(そもそも、冒頭のシーンで既に「オズの国!」と泣いていたけれど)
大変だった子役時代。そこからの波乱万丈な人生。目の前の女性がどれほどのものを抱えて生きてきたのか。感極まって動けない彼女は痛々しい。けれどそんな彼女に声を掛けたい。何故なら彼女はドロシーだから。
子供のころ。擦り切れるまで何度も何度も見た『オズの魔法使』。不思議な魔法の国で、おかしな仲間と一緒に旅をした。子供向けのミュージカル映画。作中の歌は全部歌える。
劇場に居た、誰もが同じ映画を夢中で観た。誰もが知っている。目の前に居るドロシーは友達。
あの劇場で起きたラストシーン。思い出しただけでまた泣いている当方。
昔の事とはいえ。未成年に非人道的な扱いをした当時の映画会社には闇を感じますが。それ一辺倒ではない。(実在する映画会社やし、これ以上子役時代のエピソードが増え過ぎたら話のバランスが崩れるんだろうな。と推測。)
これは泥臭く、一生懸命に生きた一人のエンターテイナーの物語。
そしてできれば『オズの魔法使』の鑑賞もお勧めしたい当方。
たまたまですが…子供時分にこの作品に触れられた事、親に感謝して止まないです。