映画部活動報告「ミッドサマー」
「ミッドサマー」観ました。
「ようこそ!私たちの祝祭へ!」
2018年の長編映画『へレディタリー/継承』が高く評価された、アリ・アスター監督の最新作は"フェスティバル・スリラー”。
2020年2月21日日本公開。少し経った現在、色んな人が考察を述べている中。
「ルーン文字、知らない。北欧の宗教行事や言い伝え、知らない。民俗学、知らない。タペストリーやモチーフ、知らない。」分析すべき教養を何も持たない当方。
「TRICK…堤監督の…滅茶苦茶知っている。深夜ドラマからゴールデンへ。有名になって劇場版も公開された。そんなの、初期も初期、山田奈緒子がサスペンダー姿だった頃から知っているぞ。でも山田奈緒子と上田次郎出してこの作品茶化すのは反則な気がする。」自主規制。
「オズの魔法使いからなら、ちょっと切り込めるかもしれない。」
(両親が共働きだった当方宅。妹と二人で擦り切れるほど繰り返し見た『オズの魔法使』(1939年公開)。全てのシーンを思い出し、歌えるほど記憶している。)
「だって。スウェーデン到着後。例のカルト集団が暮らす村、ホルガへと続く道は黄色の花で描かれていた。「オズの魔法使いが住む『エメラルド・シティ』へ向かうには黄色いレンガの道を進めばいい。」つまりはホルガ=オズの国(エメラルド・シティ)やないか。」
主人公のダニー、大学生。メンヘラ系女子。妹の自宅での自死に両親も巻き込まれ。(一家心中)一気に家族を失った。
ダニーの恋人クリスチャン。同じく大学生。精神的に依存してくるダニーに息苦しさを感じつつも、突き放す事はしない。別れるでもなく、かといって向き合うでもない。ギクシャクした関係の二人。
そしてクリスチャンの大学の友人、マーク。ジョシュ。ペレ。男友達は気ごころが知れているから楽しい。
友達は口を揃えてクリスチャンに言う。「あんな辛気臭い彼女とはとっとと別れちまえよ。」
けれど。今はダニーの精神的ダメージが余りにも大きすぎる。とても別れを切り出す事なんて出来ない。
スウェーデンからの留学生、ペレの「俺の出身地の村では夏至に珍しい祭りがあるんだ。一緒に来ないか?」というお誘いにノリノリな男たち。どうやらエロが期待できる旅になるらしい。
「男たちだけ。スウェーデンに着いたら早速エロい所に行こうぜ!」
なのに。「一応ダニーにスウェーデン旅行の件、誘ってみる。だって言わないのおかしいだろう?大丈夫、行かないって言うさ。」
クリスチャンのバカ!男たちの声にならない怒号。そして、まさかのダニーが俺たちの旅行に付いてきた!
さあそして。スウェーデンへ。奇祭祭りの始まり始まり。という。
5月。スウェーデン奥地の秘境、ホルガ(勿論架空の村)。白夜の季節であるそこでは太陽が完全には沈まず、夜が訪れない。一体今はいつなのか?昨日?今日?次第に失っていく日付の感覚。
どこまでも明るいその村に住む人たちは皆、白っぽい服装に身を包み花を纏う。
どこそこに散らばる、意味ありげなモチーフ。タペストリー。美しい花が咲き誇り、村人は皆笑顔で陽気に歌い踊る。
「こんな場所があったのか!」戸惑う一行。ここは楽園か。
けれど。村人らにのみ通じている祝祭を目の当たりにして。次第に不安が隠せなくなってくる一行。笑顔で執り行われる儀式の禍々しく、不気味なこと。
目の前で起きている出来事。笑顔の人々。咲き誇る花々。これは果たして現実か幻覚か。自分は今正気なのか、狂気の中なのか。ここは天国なのか地獄なのか。
一体、自分たちは何のためにこの場所に呼ばれたのか。
ホルガで執り行われていた、祝祭の儀式。それらを事細かく分析出来るオタク的教養を当方は持ちませんし、ネタバレもアレなんで煙に巻きますが。まあ…「イカれていたな!」という映画部長の一言で代用。
「意外と分かりやすい展開で進んだかなあ~。」と思った当方。村に到着後すぐ見たタペストリーで「ああ。この村の女子は恋をしたらこんな気持ち悪いおまじないで進めるのか~。」と思っていたら…まさに!とか。人生72歳までトークとか。あのテトラポット型ハウスの顛末とか。初見で見た当方の印象を、最後にそうだと答え合わせされる。そういう感じ。人から悪趣味と言われるセンスがアリ・アスター監督と一致していたという事か…。
当方の無理やり『オズの魔法使』理論で行くと、主人公ダニー=ドロシー。クリスチャン=弱虫のライオン。ぶっきらぼうでガサツなマーク=脳みそがないカカシ。直ぐにスマホで映像を撮りたがるジョシュ=心がないブリキの木こり。そして彼らをホルガに連れてきたペレ=ドロシーの愛犬トト。になる。
「虹の彼方には此処よりもいい所がある。」と夢見ながらも、実際に竜巻に飛ばされてオズの国にやって来たら終始「カンザスに帰りたい。」と言い続けたドロシー。
ダニーだって。暫くはアメリカに帰ると騒いでいたけれど。結局ダニーはドロシーとは真逆の選択をした。
トトはドロシーの愛犬。いつだって一緒。ダニーはクリスチャンと恋人同士だけれど、ダニーの心に寄り添えるのはペレ。「同じ痛みを経験したから分かるんだ。」「ここでは皆で共有して生きていける(言い回しうろ覚え)。僕たちは家族だ。」
メンヘラ系女子が大の苦手な当方からしたら、鳥肌モンのダニー。終始ウジウジして、言いたいことありげな表情を見せながらもはっきり言わなくて。なのに「察して構ってよ!」とか「ああもういいですよ。分かってくれなくても。どうせ私なんか。」という気持ちを押し付けてくる。妙に物分かりの良さそうな言い回しをして、なのに明らかに本意じゃない。終始便意を我慢しているみたいな表情。
「うぜええええええええ。」ああもう本当に苦手。こういう奴。
当方からしたら「何がクリスチャン=弱虫のライオンだ!」ダニーから心が離れつつあって、寧ろ鬱陶しくも思っているけれど。どっちつかずな態度を取っているからって弱虫呼ばわりされる覚えなんかない。自分の事を棚に上げて何言ってんだ。
そしてこの作品での「カカシ」と「木こり」の扱いのぞんざいな事よ…。アイツら、とことん人数合わせ要因でしか無かったんやな…。
『オズの魔法使』で出てきた、ケシの花畑。この作品でも随所で使用されたオクスリたち。
得体の知れない何か…植物由来のオクスリでトリップする。ゆらゆらと揺らめく花々に覆われて夢を見る。思考を鈍らせて、目の前にあるもの、それだけを肌で感じる。何も考えない。
「当方が声を殺して笑った、クリスチャンのセックスシーン。」
近年稀に見るインパクト。心の中で当方大爆笑。クリスチャン凄い。オクスリの力とは言え、あんな状況で。アイツは漢だよ…。
"フェスティバル・スリラー”。今回、なんやそれなジャンルを持ち出してきましたが。当方の受けた印象としては「これはコメディ映画だ。」
「とりあえず、アリ・アスター監督が色んなオタク分野に教養のある人物であるという事は分かった。」「1986年生まれかあ~。まだ30代。若い。」
スウェーデンの奥地にある、ホルガ(勿論架空の村)。そこで行われる、狂った祝祭。
祭りの目的。それは「村を存続させること」。
小さなコミュニティでの交配ではいずれ血を絶やす。けれど新しい種をよそから持ち込み、新しい花を咲かせれば尽きる事は無い。生贄と言う名の間引きを行う。老いた命は腐る前に土に帰り、新しい命を生む。そうやって、いつまでも強くて美しいオズの国=ホルガを保ち続ける。
そう考えると、あの村の住民の表情にも合点がいく。彼らに悪意は無い。けれど善意も無い。あるのは「これが当たり前だ。」という価値観。つまりは土着信仰。
ホルガからやって来たトト=ペレに連れられて。思いがけず居場所を見つけたダニー。感情を皆で共有する事が当然なホルガならば。どんなに大声で泣いても、誰も迷惑だなんて思わない。寧ろ一緒に泣いてくれる。(後。赤と青の刺繍服について。こだわりの意味合いがあるとは思いますが。ダニーが青なのはドロシーの服も青だったのもあるんじゃないかと想像する当方。はい蛇足。)
「とりあえず。スウェーデンは怒ってもいい気がするな。」(日本ならば「黄金の国ジパング」と誤解されるやつ)ニヤニヤ笑っていたけれど。
ふと見かけた「脚本を執筆中、恋人との破局を迎えていたアリ・アスター監督は…。」という文章に、思わず表情を一転させた当方。
「え。じゃあこれって…。」