ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「この世界の(さらにいくつもの)片隅に

「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」観ました。
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 2016年公開作品『この世界の片隅に』。

こうの̪̪史代の同名漫画を片淵須直監督・脚本、MAPPA制作の長編アニメーション作品。

第二次世界大戦末期の昭和19年。広島から呉にある北條家に嫁いだ18歳のすず。終戦に至るまでの月日を。けれどあくまで「その当時に生きたイチ女性」としての視点で描いた。

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「そうか。あれから三年経ったのか。」

あまりの前評判の良さに惹かれて。前作も公開後早々に観に行った当方。今回も「もし映画館に入れなかったらいかんから。」と公開初日に観に行ってきました。

 

昭和19年に広島から呉に嫁いだ北條すず(旧姓浦野)。彼女を主軸に置いているストーリーである事に変わりはないので。大まかな話の流れは同じ。

のんびりした性格のお嬢さんだった浦野すずが、見ず知らずの(実は幼い頃会っていた)北條周作に求婚され。広島から離れた呉に嫁いできた。

慣れない環境ながらも必死に家事奮闘する日々。幸い義理の両親はいい人で可愛がってくれた。けれど。嫁いだはずの、周作の姉黒木径子が娘の晴美を連れて出戻ってきた事からすずのほんわかした日々は一変する。

元々ちゃきちゃきした性格の径子にしたら、義理妹のトロさは目に余る。ことあるごとにチクチク嫌味を言ってくる径子は苦手だけれど、持ち前のおおらかさでやり過ごしてきたすず。

時代は終戦末期。いよいよ本土決戦間近かと不穏な戦局の中。軍港である呉も、頻繁に敵国戦闘機からの空襲を受ける事が日常化してきていた。

 

前作が129分。今作が168分。おおよそ40分追加された『さらにいくつもの』世界。

それはすずさんの夫北條周作がすずさんと出会う前に関係のあった、遊女白木リンの物語。

 

随分な言い分ですが…当方は正直、すずさんという人物にあまり好感が持てなくて。

「うちはホンマにのんびりしとるから…。」「ホンマになあ。そげな事言われても。うちにはよう分からん。」

のんびりおおらか。おちょっこちょいでお人よし。 そんなドジっ子属性を自覚していて、「ホンマうちは…」と卑下してみせる(無意識)。そんなすずさんを北條家の面々は目じりを下げて可愛がる。けれど…。

「ああもう!しっかりせえや!」そんなすずにビシバシ喝を入れる、義理姉の径子。

径子姉さんは、当方がこの作品の中で最も共感できる人物。

(こういう無意識に自分を卑下してくる人物って、実は全然そう思っていないからな。その上「じゃあこうしたら?」と言った時の、不服そうな表情or何だかんだいう事聞かないパターン、往々にしてある。結構頑固やし。それでこっちが騒いだら、誰かの後ろに回って、助けて~ってリアクションするんよな!なんでいっつもこっちが悪者やねん!腹立つう。)

すずさんに、あざとさまでは感じないけれど…「カマトトぶってんじゃねえ!」という苛立ちは何となく感じる。具現化されてはいないけれど、径子のピリピリしたアタリの強さの根底にそういう感情が過る当方。

(そんなすずさんも、後に決してのんびりおおらかに生きていくわけにはいかない有事が起きるけれど。胸が痛い。)

 

話がずれましたが。今回追加された『白木リン』のエピソード。彼女を通じて見えてくるのは夫、北條周作の人となり。

「そういう時代だった。」と言われれば終いですが。見た事もない相手と生涯を共にする、という近年では考えられない博打。結婚。

「浦野すずが欲しい。」とすずを探し。そして北條家に嫁がせた。大人しい、どちらかと言えば寡黙な周作。けれど決してぶっきらぼうではない。一途にすずを愛し、大切にする、そういう男性。…そういう男性。そういう?

 

「一体北條周作とはどういう男なんだ。」

周作の背景。一体彼はどういう半生を送り、どういう思想を持ち、どう生きていこうとしている人間なんだ。

 

この作品の主人公は北條すずで。あくまでも彼女の一人称で話は進んでいく。戦時中という非常事態でありながらも、どこかほのぼのとした市井の人たちの日常生活。けれど結局日常は戦争によって食い破られる。その様を描いた前作は、どうしても「すずさん目線」が強すぎて、他の人物達に焦点が当たらなかった。

だからこそ。今回『北條周作』というすずさんに最も近い人物の背景を知れる、そう思ったのですが。

 

「まあ…すずさんの一人称目線に変更がないのなら、ここまでなのかな。」

ひょんな偶然から迷い込んでしまった花街。そこで出会った遊女の白木リン。たおやかではかなげ。けれど実は決して弱くない。北條家に居場所がないのではと悩むすずさんには「この世界にそうそう居場所がなくなるなんて事はありゃせんよ。」とびしっと決める。

そんな彼女が、実は夫周作のかつての想い人だったと知って。「うちなんかでは敵わんわ…。」と焦れるすず。

 

「うぜえええええ!言いたいことがあるんなら毎日隣で寝ている周作にぶちまけえ!もう終わった事をグジグジと…なんやねん勝つとか負けるとか!結局周作と結婚してるんはあんたやないかあああ!。」当方の心に住むなんちゃって径子姐さん、大暴れ。

「周作がすずさんにリンさんの事を言わないのは、言わなくていいと思っているから。リンさんへの想いを昇華して、今はすずさんに愛情を注いでいるやんか。」

 

かといって、白木リンの物語が蛇足だとは思わない当方。

貧しさ故に親に売られた少女。性を売って…体一つで生きていかなければいけない。チヤホヤされるばかりじゃない、心身共に疲弊する事も多い。けれどそんな場所でもここが居場所だと、誇りをもってしなやかに生きていこうとする女性。そんな白木リンの真価を見定めて、守っていこうとしたのが北條周作。

「そういう熱さを持った周作が、次にゆるふふわすずさんに行くことの方が信じられんけどな…(当方心の声)。」

 

まあ。総じて振り返ってみると「ああ。これは18歳で知らない家族に嫁いできたすずさんが、色んな出来事を通じて大人になっていく話なんだな。」と着地した当方。

 

初恋というのか、腐れ縁というのか。そんな幼馴染もいたけれど。ある日見知らぬ男性に求婚されて結婚した。結婚してから知った、彼の事。

「私と一緒になる前に一世一代の恋をしていた。」焦れたけれど…相手の女性と関わる事で、どんな場所でも生き抜く強さを知った。

戦時中という非常事態。まして呉、広島という…厳しい破壊を受けた場所。無慈悲に奪われたもの。

あまりにそれは大きすぎて…すずだけではなく、径子姐さんも、そして北條家にも影を落とした。

「うちはなんも知らんままでいたかった!」けれど。

どんなにどん底だと思っても、それでも人は前に進める。

 

約40分の追加シーンを加えての焼きまわし作品。はっきり言うとそういう内容ですが。

『北條すず』という人物がもっとあぶりだされた。彼女は第二次世界大戦末期に生きた人で、決して戦争と切り離しては語れない。けれど彼女の人生イコール戦争ではない。戦争は彼女の人生の通過点。

 

戦争で何かを得た人は少ない。誰もが何かを失った。すずさんも。そしてすずさんの周りの人たちも、広義として無傷の人はいない。命を失った者も居る。

けれど。生き残ったすずさんが。周作が。径子姐さんが。家族たちが。彼らはこれからどう生きていくのか。どう生きたのか。

 

この世界の片隅に』『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。戦争が終わってから、再び灯された家々の灯りに希望を感じて。

再び会えた彼らの『これからの世界』に。想いを馳せていきたいと。そう思います。