ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ブルーアワーにぶっ飛ばす」

「ブルーアワーにぶっ飛ばす」観ました。
f:id:watanabeseijin:20191105121916j:image

30歳。新進気鋭のCMディレクター、砂田(夏帆)。東京で日々仕事に明け暮れ。自宅には優しい夫が待っているけれど。仕事仲間かつ不倫相手(ユースケ・サンタマリア)とも腐れ縁状態で続いている。一見満ち足りているように見えるけれど…口を開けば悪態、毒づいてばかり。

ある日。茨城にある実家から「おばあちゃんに顔を見せに帰って来なさい。」と連絡が来る。コンプレックスの元凶、大嫌いな故郷に帰る事になった砂田。一緒に付いてきたのは不思議で天真爛漫な幼馴染、清浦(シム・ウンギョン)だった。

 

CM界で活躍している箱田優子監督第一作作品。主人公砂田を夏帆。砂田の親友清浦をシム・ウンギョン。茨城に住む砂田家父をでんでん、母を南果歩。その他砂田の夫を渡辺大知など。そうそうたるメンバーが演じた。

 

「30歳のモラトリアム。」

モラトリアムって。心理社会的モラトリアムでは「社会に出て一人前の人間になるのを猶予されている状態」という意味合いで。せいぜい20歳前後。学生なんかが当てはまるのですが。

 

30歳という時をとうに超えてしまった当方が振り返って思う事。「30歳はまだ十分子供だった。」「未熟だった。」「もがいていた。」

今の当方の事も、何年も経てばそう思う。きっとずっとそうだろうけれど。

 

学生を経て社会人になった。けれど右も左も分からない状態は脱した。振る舞いもこなれてきたし、少なくとも自分で生活出来るだけのお金は稼げる様になった。「国民の三大義務。『教育の義務』『勤労の義務』『納税の義務』を果たしている。」けれど。だったらそれがイコール大人では無い。

 

20代。30代。ライフスタイルが変化しやすい年代。気力体力共にピークに達し…そして下降し始める。目まぐるしく変わっていく中で。自分が大切にしたいもの、するべき事の優先順位は随時変更されるし、取捨選択していかなければならない。

年相応に。今の自分が得ておくべきもの。社会的立場。配偶者、恋人の有無。ステイタス。知識。常識。身なり。持ち物。

けれど。流れに身を任せていたら。自分が今どこにいるのか見失ってしまう。

 

自分が大切にしているものは何?自分を守ってくれているものは何?自分は一体どこからやってきた?今自分の足元はどうなっている?

 

砂田。売れっ子CMディレクター。仕事では責任を任されているし、やりがいもある。長らく不倫をしているけれど、自宅には優しい夫も居る。これは『30歳女性』の中では相当な『勝ち組』。(非正規雇用。恋人無し。貧しくて実家暮らしOr切り詰め一人暮らしそしてバイト掛け持ち。なんてよくある話ですよ。)けれど。幸せかどうかは他人との比較で決まる訳じゃない。

いつも満たされず。ふてくされ。何かと文句を言っている砂田。

 

「砂田の愚痴。こういうの。たまにならまだしも。いつも一緒に居て聞かされたら溜まったもんじゃないんよなあ~。」

 

天真爛漫な友人。清浦。どうやらお金持ちの子らしく。特に働きもせずにぶらぶらしている暇人。そんな彼女と。成り行きで帰省する事になってしまった。

 

この、友人清浦の存在。ムードメーカーを務めた彼女の貴重さ。だって砂田だけで話が進んだら、ここからの茨城パートが見ていられない。

 

「茨城の砂田実家の痛々しさよ…。」

(西に住む当方にとって、北関東という地域性はよく分かりませんが。『田舎。時代遅れ。ヤンキー文化。』って事ですかね?)

兎に角広い一軒家。ほぼ全室和室。意味不明な置物や調度品。車は軽トラ。

農家+酪農。両親は自然を相手に働き。教師の兄はとことん気持ち悪い。もう砂田の実家の面々がどこまでも『THE田舎』。

特に当方が刮目したのが、母親を演じた南果歩。「こんなに上手いのか!」当方の脳裏にフラッシュバックした、当方の田舎のおばあちゃん。小柄で、日に焼けて、全身無茶苦茶な野良作業コーディネートで、なまり過ぎて会話が聞き取れない(当方の両親は鹿児島県出身)。こうやった。当方のおばあちゃんはまさにこういう感じやった(料理は美味かった)。

 

「これは…都会でイケてる生活を送っている砂田からしたら、見たくもないやろうなあ。笑う事すら出来んよ。」

 

認めたくないルーツ。ダサい田舎出身。『丁寧な暮らし』をしているファッション田舎者じゃない。ガチな田舎者。それが両親と兄弟。

 

「そこがお子様なんやで。」

静かに。ロッキングチェアーを揺らしながら語り始める老齢当方。(唐突になんだ⁈感ありますが。山小屋で暖炉の前設定でお願いします。)

 

「田舎から出てきて、都会で頑張って。次第に馴染んで自分も都会の人間になった。便利で何も手に入る。モノも情報も。そうして時が経つと、かつて暮らしていた田舎が古くなる。今でもあんな生活している人が居るの?そう思うし、自分がそこに身を置いていたことも、…まだ居る自分の家族も恥ずかしくなってくる。」「けれど。それは永遠じゃない。」

 

自分に時が流れたのと同じ。家族にだって同じだけの時が流れている。同じ場所ではあっても。そこは何かが変わっている。同じじゃない。

いつまでも家族が変わらない訳がない。久しぶりに会う両親は確実に老いていっている。ずっとそこに居るわけではない。いつかはいなくなる。

 

「一日の始まりと終わりの間に一瞬だけ訪れる。一体今がいつなのか分からない。そういう時間。ブルーアワー。」

 

ちょっと横になっただけだったのに。目が覚めたら不思議な蒼い世界に。怖いような泣きだしたいような気持になった事。当方も思い出しましたが。

何だかやたらと苛々した。今自分が立っている場所が分からなくて。叫びたくなるような。そういう時があった。

 

「でも砂田よ。ちゃんと見ないと。じゃないと、大切なモノを失うよ。」

 

バカにせず。住み慣れた場所で生活を繰り返す両親と兄を。今会うことが出来ている祖母を。絶対全てを承知していながらも許してくれている夫を。

彼らが永遠に居る訳じゃないんやから。自分を大切に思ってくれている人を大切にしないと。取り返しがつかなくなる。(そしてどんな場所に居ても、誰もが各々の人生を一生懸命に生きているという事も。田舎者をバカにするんじゃないよ。)

 

「ああ。こういう事でジタバタしたなあ~。なんでやろ。今思えばそうやったなあ~。」「何であんな事でカリカリしていたんやろう。」そうやって。少しずつ大人になっていくけれど。でも年代によってまた新しい課題は現れるから、全然楽になっていはいかない。大人って長い。

 

疲れるけれど、頑張るしかないよな。

 

日々の些末な事に苛々して。ぞんざいにしている事。最近特に老いていってるなと思う両親。時には立ち止まらないと。見えなくなるぞ。そう感じた作品でした。(と言いながら、実家近所に住む当方はほぼ毎週末夕飯に立ち寄っているのですが…。)