映画部活動報告「サタンタンゴ」
「サタンタンゴ」観ました。
ハンガリーの巨匠、タル・ベーラ監督作品。1994年公開(日本公開は今回が初)。
準備期間9年。2年に及んだ撮影、完成まで4年。まさかの7時間18分作品。
全編モノクロ。ほとんどが雨模様。長時間作品でありながらカット数150(つまりは長回しのオンパレード)。
どういう話なのか全く読めないのに、何故か引き付けられてしかたなかった予告編。禍々しくて。
「寝てしまいそう…。でも気になる。」
期間限定公開。どうしようかと迷いましたが。やらない後悔よりやる後悔を選択。泊まり勤務明けの平日に観に行ってきました。
全12章を3部に分け。途中15分と20分休憩を挟み。当方が鑑賞した日は12時35分開始で終了したのは20時32分。
確かに強烈な映画体験(しかも月曜日)。
泊まり勤務明け。タル・ベーラ監督の世界観に馴染めず。正直何度か意識を飛ばしてしまった第一部。
これはあかんと、売店でコカ・コーラエナジーを購入。一気飲み(カフェインが沢山入っているという文言に釣られ)。
そんな心配はどこへやら。第二部明けて直ぐの猫の話に憤慨し。そこからはグイグイ引き込まれ。
20分休憩ではロビーにて持参した手巻き寿司で腹ごしらえし(あ。すみません。持ち込み…。)。無事三部まで完走する事が出来ました。
ハンガリーのある村。限界集落寸前。少ない人口。雨季になるとほぼ外出も出来ず。娯楽も無い。せいぜい村に一軒ある酒屋で集まって酒を飲むくらい。
同じ顔ぶれで過ごす日常。人間関係の垣根も崩れ。夫婦など関係なく、不倫し放題。そうして大人たちは廃れ。老人は酒を煽った挙げ句退廃した傍観者になり。少ない子供たちは追いやられる。
活気などない。雨は止まないのに、水の無い水槽(山崎まさよし)で。濁って死んだように暮らしていた村人たち。
ある日。以前死んだはずの男、イリミアーシュが帰ってくるとの知らせがくる。
一体彼が何の目的で?我々に何かをもたらすため?…それは何?幸か不幸か。
「彼はこの村にとっての救世主なのか?それとも…。」
ダンスについての造詣など当然皆無の当方。なのでタンゴというダンスのステップが「6歩前に。6歩後へ。」というモノだとは知らず。…何が言いたいのかというと、この作品の話の進め方?がおおむね「同じ事象を少しずらした視点から描く」という連続だったという事。
「3歩進んで2歩下がる!」チータが活きの声を張り上げるのが聞こえるような(このご時世に水前寺清子をチータ呼ばわり)。兎に角牛歩。けれどそう思っていたら、思いがけずジャンプアップして話の展開を進めてくる。気づけば遠くまで来ている。そういう感じ。どうせ繰り返しだとうかうかしていられない。
ぬるま湯の地獄。裕福ではないしどちらかと言えば貧しい。村全体がそういう状態。けれど状況を改善しようと動き出す者も居ない。ただ一緒の時を共有し、慰め合うだけ。
深く考えたくない。だから酒を飲んで踊って、互いの体を求める。大人たちはそうして過ごしてきたのに。
まさかのアイツが生きていた。しかもこの村に帰ってくる。
イリミア―シュという男は一体何者なのか?
第一部でうつらうつらしてしまった当方は正直そこの所を聞き逃しましたが。
『山師』って奴ですか。投機的な事業で大儲けを狙う人…はっきり言うとペテン師。
アイツの言う事には気を付けろ。そう思うのに。結局耳馴染みの良い言葉にほだされてしまう。かつてそういった経験があった。もう死んだはずなのに…生きていた?アイツが?
「気を付けろ!」そう言って震える村民。けれど…結局また皆で酒を飲んでどんちゃん騒ぎ。そして悲しい事件が発生した直後。イリミア―シュが到着した。
よくこうやって筋立ててあらすじっぽい流れが書けたなと。自画自賛する次第ですが。
まあ~兎に角一つ一つのシーンが長いんですよ。「足元の悪い道を延々登場人物たちが歩く」とか。特に人が道を歩きだしたら最後、何十分もその様子が映し出される。加えて彼らは殆ど言葉を交わさない。
「まあでも。実際そういうもんかもな。」言い聞かせる当方。
例えば通勤時。当方は職場で唯一、皆と違う電車路線を利用しているのですが。同僚達と別れ、一人歩く約15分。ただただ無言。言葉を発する訳ではない。
一日24時間。睡眠時間以外、全て有意義に時間を使えている訳じゃない。例えば。床に座り込んで洗濯物を畳んで。そのままぼうっと座ったままになっている時もある。
よくよく考えると、頭をフル回転している時間の方が一日の比重としては少ないのかもしれない。
日々を振り返れば「何となく過ごしている時間」の多さ。無駄の積み重ね。
この作品も、そぎ落とせる部分は過分にあって。けれどそうやって編集してしまったら。分かりやすくはなるやろうけれど、印象には残らなかったやろう。
当方の…というかおそらく鑑賞した者のほとんどが挙げるであろう『猫のシーン』と『サタンタンゴのシーン』。印象的過ぎたシーンのツートップ。
『猫のシーン』。アイコンからお察しなように猫派な当方にとって、非常に厳しかったシーン。ただただ少女が猫を虐待し、しまいには殺すという。
「彼女もまた弱い存在なのだ。」「親には今から不倫相手が来るから帰ってくるなと家から出される。」「遊び相手だった少年には騙される。」そうやって彼女を擁護する声もありましたが。かといって猫をなぶり殺していい理由にはならん。「確かに子供って容赦ないからな~」からの「おい、お前。その行為は万死に値するぞ。」表情を険しくし、溜息が止まらず。
「獣医の監修の元撮影され、この猫は後に監督に引き取られた。」そんな文言も見ましたが…まあ本当に死んだように見えたので良か…良くねえよ!
もう一つの『サタンタンゴのシーン』。これも「役者たちに実際に酒を飲ませて撮影した」とありましたが。まあそうでしょうなという酒池肉林っぷり。カオス。
当方も普段、酒の前には無力な人間なので。「村に一軒ある酒屋に集まって。初めこそまともに会話していたけれど。タガが外れての全員でどんちゃん騒ぎ」の様子に「楽しそう~」とテンションが上がってしまい。
しつこいまでのアコーディオン音楽に合わせ、終わらないダンス。意味のない言葉を繰り返し叫ぶ男。酔っ払いの中で当方が一番好きやった「おでこにパンを乗せて歩き回る男」。当方もそういう馬鹿になりたい。
けれど。楽しいシーンはそこで終わり。以降悲しい事件が起き。そして満を持して登場したイリミア―シュの大演説に村人達は扇動されてしまう。
まとめる事が非常に難しく。そして野暮な気がしてなりませんが。
当方が現在振り返って思う事「思考停止している村民と冒頭の牛たちは同じだ。」。
足元の悪い泥の中へ。一つの牛舎から出される牛たち。だらだらと、たまに交わりながら移動する様。もう一つの牛舎に吸い込まれていく牛たち。この物語はそのシーンから幕が開けた。
搾取されるという事に対し考えるのを止める。強い言葉を発する者の下に無意識についてしまう性。山師の言葉に乗せられる。こんなところは捨てて。あっちにはもっといい所があるよ。
あの牛たちと村民は同じ。今は前しか向かなくて。けれど。
振り返ったら。今まで居た場所は跡形もない。
一体なんてもんを観せられたんだ。自主的に鑑賞したくせに、いくらでも考察の幅が広がる世界を持て余して泥沼に嵌まったような気分で一杯の当方。
そういえば。山師のイリミア―シュが作中食べていた『豆のスープ』。豚足と豆、その他色々煮込んだスープとパンが登場した時。「絶対美味しいやつやんか!」目が釘付けになった当方。
あれから2回はそれらしいスープを作りましたが。…あれがハンガリーではポピュラーな料理ならばご存じの方。ぜひご教授いただければ幸いです。