ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ホテル・ムンバイ」

「ホテル・ムンバイ」観ました。
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2008年11月26~29日。インドムンバイの幾つかの公共機関を中心に同時発生したテロ。172~174人死亡。239人が負傷。犯行集団はイスラム過激主義を掲げる若者複数名。ほぼ全員が射殺され、結局どういう人物や組織が介在し指揮していたのかは不明。

 

被害に遭った施設の一つ、五つ星ホテル『タージマハル・ホテル』。

そこに居合わせた、約500人従業員と客に起きた事。

テルマンとしての使命。それを全うしようと奮闘した彼らと、そして客たちが経験した三日間。

主にホテル給仕のアルジュン視点で物語は描かれる。

 

正直なところ、2008年のインドで起きた同時多発テロ自体を知らなかった当方。

島国に身を於いているのもあってか。

陸続きの国たちが随分長い事不穏な雰囲気を漂わせていて。そして互いの信仰や民族、歴史、貧困等から悲惨な争いが絶えない事も、何となく見聞きするもののピンとこない当方。

良くないなと思いますが…ひとまずこの件に関しては話が長くなりますのでここいらで止めておいて。

 

「人は有事の際、とっさにどう判断するのか。」

 

非常事態。今自分にとって最も最悪な事態が発生した時。どう動くのか。

いつ。どうのような場所で。そしてどういう立場の時に。どういう内容なのか。

そして…その時。自分は純粋な被害者なのか。守るべき相手が居た場合は?

 

ハプニング作品という括りで鑑賞した当方。

 

『タージマハル・ホテル』。五つ星ホテル。つまりは高級ホテルで、宿泊者はおおむねリッチ。外国人VIPも多い。

馴染みの客の機嫌を損ねないよう、彼らの嗜好や性格を熟知。ひたすら心地よく過ごして頂くためのおもてなしを提供する。従業員一同に周知徹底されたホスピタリティ。

 

けれどあの夜。その上質な世界は荒々しく蹴破られた。銃や爆発物を持った若者達に依って。

近隣にある主要駅や病院(病院!卑劣過ぎる)、カフェやその他のホテルなど。テロリスト集団が物騒な事態を引き起しているニュースを…知らなくは無かったけれど。(少なくとも作中では)別世界の事だと言わんばかり。のほほんと構えていたホテルサイド。

 

ドレスコードに身を包んだ客たちがディナーを楽しんでいる最中。外の暴動に耐えられずホテル内に人々がなだれ込み。そこに紛れ込む形でテロリストも入って来た。

 

丸腰で逃げ惑う従業員と客に対し、銃を容赦なく向けるテロリストたち。阿鼻叫喚。

 

何とか身をひそめる客たちに対し「我々がお客様を守る。」と立ち上がる従業員達。

 

昔あった映画『タイタニック』。氷山に衝突し沈没が避けられなくなった豪華客船タイタニック。我先に救命ボートに乗ろうと殺到する人々の中で。甲板で演奏を続けた楽団が居た。彼らは一旦は演奏を止め、互いに会釈をし命を守るために救命ボートに向かおうとしたが…結局数歩もいかないうちにまた演奏を再開し、そして船と一緒に沈んだ。中盤以降泣き続けた当方の涙腺決壊シーンですが。

 

「お客様は神様だ。だから私はここに残りお客様を守る。」普段おっかない料理長の宣言。「ただし。色んな立場がある。今ここで逃げたとしても間違いではないし、非難しない(言い回しうろ覚え)。」

「俺には女房と子供が居る!」そう言って叫びながら出ていく従業員も居た。それも確かに仕方がない。

主人公アルジュン。高級ホテルで働いてはいるけれど。雑多な地域で決して裕福な暮らしはしていない。自分にも妊娠中の妻とまだ幼い娘が居る。けれど…この場から立ち去ることは出来なかった。

「私は35年このホテルで働いてきました。ここが私の家です。」そう言って残った者も居た。

こうして留まる事を決心した従業員一同は、『客たちを高層階にある隠し部屋へ移動させ、救助が来るまではそこに籠城する。』という作戦を決行する。

 

この作品の主人公は、あくまでもアルジュンなんですが。食事会場に居た面々だけではなく。その時客室に居た者。テロリストに捕まった者。地元警察官。そしてテロリスト本人たち。様々な視点から同時進行。そのどれこれもが緊張感に包まれ。

そして誰もが…テロリストたちすらもが哀しい存在で。

 

「何も分かっちゃいないな。甘ちゃんが。」そうやって鼻で笑われるのは承知。それでも当方が思う事。「いかなる神様だって相手を傷付けろとは言ってないんじゃないの?」「神様は何も禁止なんかしてない(川本真琴)。」

 

誰が何を信じていたっていいじゃない。自分は自分、他人は他人。けれどそう思えるには精神的な余裕が必要で。

貧困。生活の水準が低下する事によって起きる弊害。健康に影響を与え。子供たちは学習と遊ぶ時間を奪われ。治安は悪化し。何も良い方向に向かわない負の連鎖。疲弊し、次第に憎しみを外に向ける。

「俺たちがこうなったのはあいつらのせいだ。」

そんな短絡的なことじゃない。もっと複雑なアレコレがあるんだ。でしょうが。おおもとの感情は一言でいうとこれじゃないかと。そう思う当方。だから他人を攻撃するんでしょう?

 

パニック映画としては常時手に汗握る展開。客室に残されたベビーシッターと赤ん坊。その部屋に入ってきたテロリスト。いつ赤ちゃんが泣きださないかハラハラ。

直ぐ目の前。料理ワゴンを挟んでテロリストと対峙。とか「絶対に知られないはずの部屋」が見つかってしまったパニック。エトセトラ。エトセトラ。

 

当方はインドの地理が分かりませんが。(ムンバイって決して田舎じゃないでしょうに)インド警察の特殊部隊がムンバイには常設されておらず。必死に向かっているとはいえ、まだまだデリー止まり。(何故陸路で向かう選択?)つまりは同時多発テロという有事に対して地元警察しか太刀打ちできる者は不在と。住民達も恐怖から大混乱を来たしている中。「一体いつになったら救助が来るんだ!」

 

刻一刻と深刻さを増していくホテル管内。幾多もの命が奪われていく怒涛の流れ。信念を持つことは立派だけれど、一体従業員達に出来ることは何なのか。(あの「35年働いてきた」という彼の顛末よ。)一体この状況はどう終わりを告げるのか。

 

「テ~ルラ~イ。テ~ルラアア~イ。」当方の脳内中島みゆきがテールライトを歌うエンディング。何だかやたら疲労し…もやもやしながら幕を閉じましたが。

 

「結局半数殺されて、特殊部隊の突入に依って解決される。主人公の活躍もそれほど無く、最後はホテルマン達を称える〆で落とす。特殊部隊の到着が遅れて被害の拡大したという国の落ち度が一番じゃないの。」

後日届いた映画部部長の感想メール(本文そのまま)に「それ言ってはいか~ん!」と返す当方。

その視点でいくと…ほら。この作品自体が根幹から変わってしまうから…。

 

まずは「インドで同時多発テロがあった(何分実話ベースなので)。」という事を知った当方。

いい加減、世界情勢に対して「何にも知らなくて」は恥ずかしいな…改めてそう思った作品でした。