ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ハッピー・デス・デイ」「ハッピー・デス・デイ2U」

「ハッピー・デス・デイ」「ハッピー・デス・デイ 2U」観ました。
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大学生のツリー。目が覚めたら9月18日。月曜日の朝。

大学男子寮の見知らぬ部屋。スマートフォンのアラームで目が覚める。二日酔いで最悪の朝。散々やらかしてしまって、昨夜の事は殆ど覚えていない。

おはようと声を掛けてきた、この部屋の住人男子。「始めまして。覚えていないと思うけれど…俺カーターって言うんだ。」誰?散々悪態付きながら部屋を出る。苛々する。

男子寮を飛び出せば。目くばせしてくる男子。署名を求めてくる地味な女子。クラッシュする車。芝生でいちゃついていたカップルには水が浴びせられ。おバカな男子サークル集団の新入生がぶっ倒れる。一回デートしただけの男子が付きまとって来る。振り切って自分の寮に帰宅。朝帰りをなじられる。ルームメイトのロリにちょっとお小言を言われた後、カップケーキをもらう。「今日誕生日でしょう?おめでとう。」

「おやつは食べないの。」ロイの目の前でケーキをゴミ箱に投げ捨てる。今日は講義に出席しないと。既婚者のバトラー教授は今お気に入りの彼氏。

パパから何回も着信が来ている。「誕生日だしランチでも。」パパの事嫌いじゃない。でも数年前にママが亡くなってから、パパとは上手く話せない…。無視を決め込む。

夜。寮の皆が開いてくれるパーティに向かう途中。トンネルで不気味なマスクをかぶった人物と遭遇。

 

殺された。

 

そして目が覚めた。9月18日。月曜日の朝。

 

「ゾンビ。殺人鬼。そういった無差別に人間を襲う作品で、一番に殺されるタイプ=ビッチの金髪女子。」正にそのビジュアル。主人公の女子大生ツリー。

誕生日に殺され、目が覚めたらまた誕生日に戻っている。じゃあ同じ事をしなきゃ良いんじゃないの?…なのに毎回自分が殺される所で終わる。

どうすれば?どうすれば9月19日を迎えられる?

 

2017年アメリカ公開された『ハッピー・デス・デイ』。2019年公開の続編『ハッピー・デス・デイ2U』。有難い事に、同日に続けて鑑賞する事が出来ました。(8時40分からと11時から。同じ映画館、同じ箱。)

基本的に当該映画感想ブログは一作品で一つの枠で運用しているのですが…まあイレギュラーに合作で行こうと。何しろ二つの鑑賞時間にほぼブランクがありませんので。

 

お話について、粗を探せば幾らでも。そんなザルな所はあるけれど。この作品の最大の魅力は主人公のツリー。そう思った当方。

自分が殺される日に戻る。しかも記憶は残されたまま。そんな恐怖は無いなと思うのですが。「また⁈」怒り狂う。兎に角主人公のツリーが強い強い。

見た目からしてギャルでビッチ。酔って知らない男子と一夜を過ごすなんてザラ。今も教授と絶賛不倫中。見た目の良い、意識高い系の頭の空っぽな女子たちとつるんで、地味な子や忠告してくれる子はないがしろにする。

けれど。誰かに執拗に殺される体験(無いなー)を繰り返す事によって、人間的な成長を見せていくツリー。その様が清々しいし、段々ツリーが可愛く見えてくる。

目が覚めた時に一緒に居たカーター。けれど彼は泥酔していたツリーを純粋に心配して介抱してくれていた。「ヤッテないの⁈」(それは分かるだろうよ…)。

思わず相談。荒唐無稽としか思えないツリーの話にも付き合ってくれた。そんな親切なカーターに惹かれていくツリー。

「犯人は誰?」「私を殺したいくらいに憎んでいる相手は…。」心当たりがありすぎる。しかも何回も繰り返しているうちにツリーの体力が消耗し限界が近づいている事も分かった。もうリミットが近い。

繰り返される誕生日。始めは無視していたパパからの連絡。だって…二人で会っても気まずくて。

「ママがもし今の私を見たらがっかりするだろうな…。」大好きだったママ。何でも話せる親友みたいだった。けれど数年前にママは病気で亡くなった…残されたパパと私は一緒に居ても気まずくて。

つまりは。ビッチでイケイケなツリーの内面が引き出されていくにつれ、観ている側は「そうだったのか~。」「素直になれよ。」と応援したくなってくる。しかも「よし今回こそは。」と無事9月18日を乗り切れる!と思いきや。毎度あの不気味な仮面が襲ってくる。

連続殺人犯が近くの病院に収容されている。犯人はもしや…。なんて急展開も見せていましたが。

「ああ。これは完璧な9月18日だ。」ツリーが、何回も繰り返した事から編み出したベストアンサー。その素晴らしさに感動すら覚えた。その後の急転直下。

 

正直犯人は「ああ~何か大風呂敷広げた割に、ありがちな動機。」という肩透かしでしたが。まあ上手く落とし込んだテンポの良い、見やすい作品だなと思った『ハッピー・デス・デイ』。

 

なので。「え?続編て。」と思わない訳にはいかなかった。

そもそもの『どうしてツリーは同じ日をループし続けたのか。』という疑問へのアンサー編。

カーターのルームメイト、ライアンが作った実験的量子反応炉。それが稼働した事でタイムループが生じ、それにツリーが引っかかったと。(書いている当方自身も全く意味が分かりません。)

大体ツリーだって、一体大学で何を学んでいるのかさっぱり分かりませんでしたけれど。

カーターのルームメイト、ライアン。織田信成みたいな顔立ちの彼は…工学系?の学生らしく。量子反応炉というやたら校内の電気を食う装置を開発している所だった。

度重なる大学校内の停電に腹を立てた学長に依って撤収されるー。その直前に稼働させた事でまたも9月18日に飛ばされたツリー。

「またあ?!」怒り狂うツリー。でももう攻略方法は分かっている。そう思ったけれど。何だか違う。前と違う。

パラレルワールド。カーターは同じ寮に住む、頭の空っぽなダニエルと付き合っているし、前回あんなに執拗に命を狙って来た犯人との関係も変わっている。なのに命を狙われ殺されるのは変わりない。何これ。誰が犯人なの?どうなっているの?

 

ともあれ、元々自分が居た世界線に戻りたい。そして9月19日を迎えたい。そう思うのに…。

この世界ではママが生きている。

 

それなりにバシッと決まって幕を閉じた前作。そこから幕を再び上げるとなるとここまで「どう転んでもおかしくない。」にするしかなかったのか。

 

「いやいやいや。中途半端なSF要素入れると却ってわけわかんなくなるんちゃうの。」案の定。当方の語彙力では到底説明不可能なんですが、ツリーは不完全な装置によってタイムリープを食らっていたと。しかも今回は全く同じでは無くて、平行世界=パラレルワールドに落ち込んだと。

不完全な装置を正しく作動させるには、莫大な計算を要して正しいアルゴリズムを取得しなければいけない。ツリーは殺され目が覚めるごとにライアンに会って、これまで暗記してきた計算式を伝え。新しい可能性に欠けるしかないと。

「ああもう面倒臭い。大体なんでツリーにその装置の波動?が適応したのか。」「冒頭のパラレルワールドから来たライアンの下り、あれ何?どうなったの?」何だか急に理屈っぽくなってしまったなと。…溜息。

 

ともあれ。わかりやすかったのは「この世界では、カーターは恋人では無いけれどママは生きている。」

不満だらけの世界線だけれど、唯一無二の条件に動揺するツリー。

恋人を選ぶのか。ママを選ぶのか。

 

「もうさあ。9月18日に拘らなくて良かったんじゃないの?カーターと恋人になって…せめて数日とか経ってさあ。それからカーターのルームメイトライアンと再会。で、変な装置に行きついたらいいんじゃないの?どう?」

「で。別の日をループ。ツリーが殺される云々の部分はカットして。」

「ループ先では他人のカーター。けれどママは生きている。元々居た世界線に戻りたいけれど…ママを失いたくない。揺れ動くツリー。」

「っていうシンプルなストーリーで良いんじゃないのかね?なんていうか…欲張りすぎてパンクしちゃってるし、前回綺麗に纏まったお話が…無かった事になってしまうよ。」

 

耐えきれなくなってわあわあ騒ぐ当方。前作のテンポの良さと着地に納得していたので…これはちゃぶ台返しじゃないのか。そう思うと何だか勿体なくて。

 

まあ…当方がSF設定自体をイマイチ理解できなかったのが悪いんでしょうけれど。

何故『ビッチなギャルが、自分が殺されるという日を繰り返すことで人間的に成長するストーリー』から『理屈っぽいSF要素の入ったパラレルワールドストーリー』に続くんだ。ちょっと解せない。

 

何分、二つの作品の鑑賞にタイムラグが無かったからなのか。脳内で整理する事なく、せいぜい20~30分後には続編を観たからこんな気持ちになってしまったのか。

 

まあ。この二つの作品を通じて当方が感じた事。

「一作目は全身の力を抜いて楽しめる作品。色んな粗なんてどうでもいいくらい主人公が好きになって応援したくなる。」「続編は。何となく上手く着地はしたけれど…欲張り過ぎたのかな?不完全燃焼。」とは言え。折角の続き物を一気に観れたのはやはり面白い体験だった。そう思いますが。

 

「後。ループを重ねるにつれ、どんどんおバカキャラになっていくダニエル(ツリーと同じ寮に住む意識高い系ギャル)が不憫。」

決して悪いやつでは無いのにな。

続編の最後。ダニエルの悲鳴に胸が痛んだ当方。お笑い要員と言っても…可哀想です。